生い立ち

 私はティエビエン王国の端、ジョルベーリにほど近い、とある小さな寂れた街に生まれた。街の名はリシェルタといって、国に暮らす人の中でも知っている人の方が少ないと思う。

 私の生まれた日、地眠月ちみんづきの十五日はこう曜日で、秋も深まり肌寒くなってくる頃だった。その時期にしては早い季節外れの雪がちらちらと舞う、みぞれ混じりの雨の夜に、母さんは私を産んだ。冷える夜で、産婆が到着するのが遅くなり、痛みにうめき震えながらひどく不安な暮れを過ごしたと、寝物語をする母さんに何度も聞かされたものだ。

 母さんはほとんど白に見える白金色をしたうねる長い髪に、おっとりと垂れた白灰の目をしていた。名はイレネ・ガート。父さんをとても愛していて、いつでも帰りを待って暮らしていた。父さんは酒場を経営していて、茶色の髪に眼光鋭い黒い目をしていた。名はフィデル・バシリコ。賭博好きの破落戸ごろつきのような人だったけれど、母さんのことは愛していた。

 十月十日より少し早くに産気づいた母さんは産婆を呼ぶだけで精一杯で、客の一人から生まれそうだと聞いた父さんが、賭け事に負けて荒れる客を殴り倒して母さんのもとに駆けつけた時、私はもう産声を上げていた。

 そうして生まれた私は白に近い白金のうねる髪に、猫のように丸くて少しつり上がった白灰の目をしていた。生まれた赤ん坊を先に抱いた方が名を授けるという習慣がティエビエンにはあって、間に合わなかった父さんではなく母さんが私に名をつけた。つけられた名はヘマ・バシリコだった。母さんは父さんの家に嫁いだつもりだったのだろう。

 ティエビエンでは普通、結婚した夫婦はそれぞれの家名で生活する。子どもの名は嫁がれた方の家のを継ぐ。父さんの両親は二人が結婚する前に亡くなっていたから、母さんが己が家名を私につけようとしても誰も反対する者はなかったろうけれど、母さんは父さんへの愛の証明としてバシリコの名を授けたのだろうと思う。


 私はちょっとおかしな子どもだった。何というか、二人の間に生まれたにしては。

 見た目ばかりは母さんと同じ色に父さんと同じつり目で、不貞の疑いの欠片もいらない子どもだったけれど、行動が少しばかり他の子どもと違ったのだ。

 街の子どもらは走り回れるようになると他の家の子や兄姉に誘われて、駆けっこだとか隠れんぼだとか、他にも謎の条件がたっぷりの遊びを作り出しては遊び回っていた。外に出て他の子どもと駆け回るのも嫌いではなかったけれど、すぐに飽きてしまう。

 それよりも、物心ついた頃から本が好きだった。薄暗い神殿の書庫に座り込んで、絵本のぺえじをめくっていた方が楽しく、物語の登場人物に想いを馳せ、冒険に夢見ていれば、時間は驚くほど早く過ぎていった。

 夕暮れになって神官から家に帰りなさいと促されて、小さな一軒家に足を向ける。家はいつでもくりやの窓に明かりが灯っていて、母さんがそこにいるのがわかった。

 ただいま、と言いながら勝手口をくぐると、おかえり遅かったね、何をしていたの、と母さんは必ず聞いた。

 他の子と遊んでいた、あの子が人形を持ってて彼は木に登っててすごかった、なんて話すと、母さんは

「ああ、そう。よかったわね」

 とうなずいて大きな鍋をかき混ぜた。

 けれど、一日中神殿の本を読んでいた、神官さんが教えてくれたティエベの神話がすてきだった、とか報告すると、母さんはいつも眉をひそめた。

「本ばかり見ていると目が悪くなるわよ。重たい眼鏡をかけることになってもいいの?」

 そんなことばかり言う。母さんは本が好きではないのだった。

 母さんは料理が大好きで、気づけば厨房に立っていた。火のもとに近づけると危ないからだろう、近づくと怒られることが多くてあまり飛びついたりした覚えはないけれど、夜、服を寝巻きに着替える前に抱きつくと、決まってほんのり辛い料理や甘いジャムやお菓子の匂いがした。

 そんな母さんが読む本は料理の本くらいで、本なんて人生の何の役に立つの、というのが口癖のようになっていた。母さんが作る沢山の料理は、父さんの酒場で供されたり、街の雑貨屋で保存食の卸売りに出されたりして、それが仕事のようなものだった。きっとそれは趣味の副産物だったに違いないと、私は思っているのだけれど。

 台所に立っていない時は大抵家のことを片づけていて、洗濯や掃除をしたり、市場に買い出しに行ったり。その他には、猫とたわむれていることもあった。

 母さんの〝血の力〟は猫の気分がわかるというものだった。私も同じ力を受け継いでいる。リシェルタの街角にいる猫たちの私の構い方は、話しかけて毛並みを整えてやるものだったけれど、母さんのは、家に寄りつくものがあれば餌をやるというもので、あまり猫たちと話し込んだりはしなかった。

 話し込む相手は父さんを除けば、いわゆる井戸端会議というやつで、近所の人たちとだった。

 私のする話題はよく母さんを苛立たせて言葉少なにさせるから、小さいうちは母さんはおしゃべりを好まないのだと勘違いしていたのだけれど、母さんは本当はおしゃべりも大好きだった。といっても、話題は父さんをほめること——要は惚気——か、恋の話、どこそこの家の醜聞、市場の何の店でどれが安いとか、そういったものだ。母さんの見目は他の住人とは少し違って、幼いながらに変わって見えたけれど、喜ぶ話題には変わりなかったのだ。

 家の軒先や店先で話されるそれらの話題は、子どもの私には難しく、興味もなくて、興味があったのは絵本か神殿で聞ける神話の続きかだったから、私が本当の意味で母さんと『おしゃべり』したことは、一回もなかったのだと思う。家では一週間に何日かは、夜眠る前に何か話をするのが習わしだったけれど、私も母さんも、お互いのことを勝手に話していただけだったのかもしれない。


 せっかくなので、ここにその頃の私が夢中になっていた神話を記しておこう。それは近所の神殿の神官に絵本と紙芝居を用いて聞かされたもので、ティエビダの一族がどうやってトールディルグにやってきたかという話だった。

 大昔、私たちの祖先はトールディルグとは異なる大陸に生きていて、ティエベという名の神を信仰していた。ティエベは戦闘と技巧に祝福を与える女神で、数々の戦に勝ってきた一族は、ティエベの人々という意味で、ティエビダと呼ばれた。しかし、故郷を敵に追われて失い、太陽の昇る方からこの大陸に渡ってきたというのだ。今ではそんな船があるとはとても思えないのだけれど、初めて聞いた時は巨大な帆船に乗って旅立つ祖先の話は胸を震わせた。

 そしてトールディルグにたどり着いたティエビダは、傭兵団国家になって、一族の王をいただきながら他の国や諸侯に雇われ、様々な場所に散らばって魔物や人間を相手に戦った。その間もティエベはティエビダを見捨てることなく守り、トールディルグに存在した神々とも知己になった。二百年ほど前になって、〝くるもり〟、〝岩渚クイシェ〟、と周辺の国々から蔑まれた魔物の跋扈する地に挟まれた土地を得、国を作ってそこをティエベの土地——ティエビエンと名づけた。

 建国神話でもあり、もとはティエベの神のみを信じていたティエビダが、主にジョルベーリやユースフェルトで謳われる四大神したいしん信仰を受け入れるまでの話でもある。こうした話を聞かされて育った子どもは、自らの一族を守ってくれる偉大な女神と、トールディルグの大地を司る四大神やその他の神々を同列に敬うようになる。現に私もそうなのだから、よくできている。

 後にトールディルグ国際法によって、人間の国家は互いに争わぬべしと決められた時代に生まれた私にとっても、同じ人間同士侵略するのではなく、時に誰かの手を借りながらも、自身の手と足でしっかり道を切り開いてきた先祖たちの物語は、胸を熱くするものだった。

 けれど、こりずに何度話しても母さんにはこの物語を読了した感動は伝わらなかったし、父さんに至っては神など恐れてはいなかった。

 父さんは家から五つほど角を曲がったところにある路地に面した酒場をやっていて、そこではいつも賭け事を開催していた。六つくらいの頃かしら、父さんに店に連れていってやろうと言われて、勘定台の影に隠れて的当ての賭博を見ていたことがある。軽食を届けに来た母さんに見つかって私は家に連れ戻され、父さんはおやつ抜きにされてこっぴどく叱られた。神々だって賭け事は子どもに見せるものではないと教訓にしているのに、ヘマを大好きな貴方がこんなこと、なんて言って。母さんがあんなに父さんに怒ったのを見たのはあれきりだ。

 私に直接賭け事を見せるような真似をしなければ、母さんは大概父さんを許した。眠れなくて厠に行った夜、父さんが家の食卓に両手をついて母さんに小遣いをと頼み込んでいたのを見たことが何度かあるけれど、そんな時も母さんは、また? と眉をひそめてため息をついた後、

「しょうがないわ。体を崩すようなことだけはしないでね」

 と硬貨を渡していた。

 父さんはそんなまでに賭博狂いだった。そうでなければいい父親だったと思う。店でも、家に街の大人を招いた時でも、母さんと母さんの料理をほめちぎって、彼女に惚れ込んでるんだと言ってはばからなかった。父さんの血の力は小さな炎を起こせるというもので、毎朝、いえ、昼ね。体調の悪い時を除けば、欠かさず母さんの竈に火を入れて出ていくというのを自慢にしていた。母さんの愛を裏切るようなそぶりを見た覚えはない。むしろ母さんが父さんを想っていた以上に、母さんに惚れていたのだろうと今では思う。

 私のこともかわいがってくれた。膝の上に抱かれてなでられて、父さん酒臭い、と嫌がってみせた幼児期の記憶は数え切れない。賭けで勝ったのかお金の入りがいい時は、何でも好きなものを買ってやろうと市場に連れていったりもしてくれた。そこで古本をねだったりすると、父さんは母さんとは違って、目を丸くして驚き、

「お前は変わった子だなあ。イレネの血筋なだけはある」

 と意味深長なことを言って、でも本は高いよ、食べたいものはないのかい、と尋ねる。結局少し高い果物を買ってもらったりするのが習慣だった。


 こうした二人の話をすると、多くの人はあまりよい両親ではなかったのだね、と言う。娘に深い関心を持たず、夫と趣味の方を大切にする母親と、家のお金を使うほど賭け事にいそしむ父親だなんて、と。

 けれど私には、二人が二人なりのやり方で、私を愛してくれていたのがわかっていた。ただ私は二人にとって、理解するには異質すぎたのだ。それだけだった。私たちは確かに、どこにでもいる三人きりの親子だった。

 その原因の一端がわかったのは、私が八つの年。珍しく、私を神殿に預けて離れた街まで出かけた父さんと母さんが、帰り道に、居眠りしていた御者の馬車にはねられたと聞いてからだった。

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