クロノグラスの記憶
科学が人を幸せにするなんて、誰が言ったんだ。
際限ない欲望を煽るだけ煽って、持つ者と持たざる者との間に、どうしようもない落差を穿っただけじゃないか。
持たざる者は、日々の糧にも困窮し、地べたを這いつくばって日銭を稼ぐ。
――遠くに
この日も、俺たちはオンボロトラックで砂漠地帯を走っていた。
砂塵に曇る空の彼方に、街を覆うドームが虹色に霞んで見える。
あの中では、空調や天候が完全に管理され、何不自由ない生活が営まれている。
しかし俺たちみたいな貧乏人は、そこに近付く事すらできやしない。汗で張り付いた砂埃を汚いタオルで拭いながら、水筒の水を回し飲みする。
それでも不思議と、俺は不幸だとは思っていなかった。
……身重の妻を亡くしたあの時に比べれば、天国みたいなものだ。
「ねえ親方、今日はどこに行くの?」
荷台からマルコが運転席を覗き込む。
「大昔に魔法都市があったと言われている遺跡だ」
「魔法? 面白そう!」
ミゲルがはしゃぐと、ムートが迷惑そうに腕を払う。
「魔法なんてあるワケないじゃないか。おとぎ話の中の話だよ」
……この三人の少年たちは、孤児だ。
危険な仕事で両親を亡くしたり、貧しさ故に捨てられたり、それぞれが辛い過去を背負っている。
ひょんな事から俺が面倒を見る事になったのだが、生きるのに必死で、躾というものを知らずに育った彼らとの生活は毎日が刺激的で、正直、死んだ妻の事を思い出す暇もないほどだ。
それでも、人としてやってはいけない事、それに金を稼ぐ術を教えたら、俺のいい相棒になった。
俺の仕事は、遺跡の発掘。
遺跡に眠る古代のお宝を掘り出し、骨董屋に売る。物好きな金持ちが高値で買うらしい。
……もちろん、資格などない。無許可の……いわゆる、盗掘だ。
だが、人さまのものを盗むよりはいいだろう。
何千年も放置されている遺跡から、金目のものを少しばかり拝借したって、誰の迷惑にもなりはしない。
トラックは現場に着いた。
砂漠に半ば埋もれつつも、大きな石が並び、建物があった土台を示しているから、辛うじて遺跡という体裁が残っている。
「ここが魔法都市なの?」
兄貴株のマルコが真っ先に車を降りる。
「そうだ」
俺は三人によく言い付けた。
「いいか、魔法に関係するものは特に高値が付く。魔法の杖やアミュレット、天球儀なんかがあれば大当たりだ。見付けたらすぐに俺に教えろ」
「はい!」
三人はすぐさま、つるはしやシャベルを持って散っていく。
俺も道具を担いで遺跡に向かうが、張り切って砂を掘るマルコとミゲルの横で、ムートはやる気なさげに座っていた。
「どうした?」
俺が声を掛けると、ムートはつまらなそうに砂を蹴った。
「魔法なんて、ありゃしないんだ」
俺はムートの隣に腰を下ろした。
「なぜそう思う?」
ムートは顔を伏せ呟いた。
「……パパとママを、生き返らせてくれなかった」
ムートの両親は、鉱山の落盤事故で、瀕死の状態で助け出された。
両親の回復を願うムートに近付いたのが、魔術師を名乗る野郎。魔法で両親を回復させてやると言われ、ムートは僅かな財産を全て渡してしまった。その挙句、両親は死に、ムートは路上に放り出されたのだ。
たまたま俺に出会わなかったら、今頃は……。
そんなムートが魔法なんてものを信じないのは無理もない。
……一番許せないのは、ムートを騙した魔術師と、そんな野郎に頼ってしまったと悔やみ続けるムートの心を未だ
俺は膝に手を置いた。
「……本当にそうか?」
俺がそう言うと、何言ってんだこいつはという顔をムートは上げた。
「その魔法の効果が出るのが遅くてさ。俺と出会う時になって、やっと効いたのかも知れねえぜ」
「…………」
「まぁ、おまえのパパやママには勝てねえのは分かってるけどな、……俺は今の生活、悪くはねえと思ってる」
するとムートは俺の左腕に巻いた腕時計に目を向ける。
「奥さんと暮らしてた時よりも?」
……この腕時計は、妻と結婚を決めた時に、ペアで買った記念のものの片割れだ。
当時俺は、メトロポリスのドームの中で暮らしていた。
身重の妻を交通事故で亡くしてから、落ちるところまで落ちた。
車に踏まれ、ひび割れた女物の時計は、証拠品として持っていかれたきり、どうなったのか知らない。
家も、財産も、未来も失った俺に残されたのは、思い出の腕時計だけだ。
俺は霞んだ空を見上げた。
「当然、妻と暮らしてた時が、人生で一番幸せだった。けどな、今は二番目に幸せだ。二番じゃ嫌か?」
「…………」
「一番を目指すのは疲れる。二番くらいが楽でいいぜ」
……そんな誤魔化しで、ムートの心を軽くできるはずもない。
しばらくすると、マルコが声を上げた。
「親方! なんか出てきたぜ!」
その場所は、建物の残骸の並びから察するに、町の広場のような場所だと思う。
円形に囲まれた場所の砂を掘った先は、煉瓦敷きになっていた。
――そして、広場の中央に台座に、朽ち果てた天球儀が置かれていたのだ。
錆び付き歪んだ金属の環は動かない。中央に据えられていたと思われる宝玉は、既に盗掘に遭っていた。
しかし、台座の足元に落ちている小さなガラス瓶の存在には、先客は気付かなかったようだ。
俺はそれを拾い上げた。
青い砂が封じ込められた、砂時計のペンダントだ。
鎖は切れていたが、ガラスの輝きは美しく、中の砂も当時の鮮やかさを失っていない。
……しかし、これが魔法の道具だろうか?
俺が眺めていると、ミゲルが首を傾げる。
「どうしてこんな砂の中に埋もれていたのに、こんなに綺麗なままなんだろう?」
「まだ魔法が解けてないのかもしれないぜ」
マルコが目を輝かせた。
「――クロノグラスだよ」
ムートが言った。
「何だよそれ?」
「持ち主の記憶を封じ込めて、遡って見られる道具さ」
魔法などないと言い張るが、一時は真剣に魔法に
「記憶を、封じ込める……」
これはもしかしたら大発見なのではないか。俺の心は高揚した。
すぐさま街に戻る。……といっても、メトロポリスではなく、ドームの外のスラム街だ。
その片隅にある、古ぼけた煉瓦の小屋。
ここは俺がよく盗掘品を持ち込む骨董屋だ。
三人に「飯食ってこい」と小銭を渡し、俺は店に入った。
店主は、店の外観や扱う品に負けない骨董品のジジイ。
「いらっしゃ……なんだ、あんたか」
と、あからさまに嫌な顔を見せる。
俺は構わず、カウンターの前の椅子に腰を下ろした。
「今度はどこの墓荒らしをしてきたんだ」
「人聞きの悪い事を言うな。……魔法都市だ」
と、俺はクロノグラスをカウンターに置く。
「持ち主の記憶を遡って見られるらしい。それが見えりゃ、『魔法』の存在を証明できるかもしれねえ。考古学者がひっくり返る大発見だ」
このジジイは考古学者崩れで、遺跡を宝探しの場所としか見てない俺とは違い、歴史と
……だから、俺みたいな奴が大嫌いなのだ。
しかし、公式な遺跡調査が行われなくなって久しいから、仕方なく盗掘品を扱っている。
そうして、自分の知識欲と、僅かばかりの懐を満たしているのだ。
案の定、クロノグラスを一目見るや、ジジイは食らい付いた。
「これは……」
と、ジジイは慎重にハンカチで包んで手に取る。
しばらく虫眼鏡やらで調べていたが、やがてゆっくりとカウンターに戻した。
「時代的には、魔法都市があったとされる、千二百年前頃のものに違いない」
「本物か?」
「ああ。状態も完璧だ。だが、ここから魔法で封じられた記憶を引き出す手段があるのかどうか……」
「そこは考古学者の仕事だろ。……幾らで買う?」
「引き出せた情報次第だ」
「何だよ。今晩食う飯に困ってんだよ」
「焦って安値で売れば、後悔する代物かもしれんぞ」
……仕方なく、俺はクロノグラスをジジイに預け、調査を待つ事にした。
ジジイの知り合いの大学教授に相談し、三日後、結果を聞きに行く予定だ。
「……なあ親方、晩飯は?」
「悪い、金がねえ」
月が透けて見える粗末な小屋の、形ばかりのベッドに身を投げて、俺は三人の少年を眺めた。
「調査に三日かかるらしい。我慢してくれ」
すると、ミゲルがニッとした。
「そう思って……」
と差し出した小さな両手に、銅貨が山ほど握られているではないか。
俺は血の気が引いた。
「おまえら、まさか……!」
人の道に外れた事をしでかしたのか――!
俺が、不甲斐ないばかりに……。
だがマルコが慌てて否定した。
「違うよ! ギャンブルで当てたんだ!」
「……ギャンブル?」
「昼飯代をギャンブルに賭けたら、ムートの占いが当たりまくってさ」
「凄いだろ?」
まあ、ギャンブルなら、人の道に外れているとは言い切れない。……もちろん、内容によっては不法行為ではあるが、人様を傷付ける事ではないから。
「三日くらい食えるだろ?」
「肉、食いに行こうぜ!」
「いいな肉! 半年ぶりかな」
はしゃぐ三人を見て、俺は頭を搔く。
……俺が思ってる以上に、彼らは
もう、俺の存在は、必要がないのかもしれない。
――そして、三日後。
骨董屋のジジイは、ハンカチで包んだクロノグラスを俺の前に置いた。
「どうだった?」
「どうだったも何も……」
ジジイは首を横に振る。
「このクロノグラスの持ち主は、あんただ」
「……は? どういう意味だ?」
「あんた、触っただろ」
「…………」
「その時に、持ち主があんたと判断されて、記憶が上書きされたのさ」
どういう表情をしていいか分からず、俺はただ呆然と青い砂時計を眺めた。
「教授は、最新技術を駆使して記憶を読み取ったさ。……このクロノグラスは生きている。だが、これが持つ記憶に価値はない――あんた以外にはな」
ジジイはそう言うと、ペンダントの鎖を直して俺に差し出した。
「……あの子たちを、大事にしてやってくれ。彼らは、あんたを心から頼りにしている」
急に目が霞んだ気がして、俺は慌てて顔を背けた。
「俺なんか、何の役にも立たねえよ。あいつらは自分で、しっかりと生きてる」
「なら、巣立ちまで見守ってやれ。それがあんたの役目だ」
俺はクロノグラスを手に取り、首から提げた。
そして、店を出ようとしたところで足を止めた。
大股にカウンターに戻ると、左腕から腕時計を外し、ジジイに差し出す。
「幾らになる?」
さすがのジジイも目を丸くした。
「それは、あんたの宝物じゃ……」
「いいのさ」
俺は、クロノグラスを示す。
「人生の宝物も上書きしていけば、その時が一番の幸せになるのさ」
魔法雑貨シリーズ 山岸マロニィ @maroney
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