魔導の儀式

 今年度の授業最終日。

 魔法学校の講堂に、一年生だけが集められていた。


 ――クリスタルオーブによる、魔法属性の選別が行なわれるのだ。


 「魔導の儀式」と呼ばれるこの行事は、魔法学校が始まってから九百八十年の間、毎年行われている。

 魔法をいきなり使うのは危険なため、一年生は教室で魔法理論をしっかり学び、二年生からようやく実技の授業が始まる。

 そして、属性によりクラスが分けられる。そのための儀式だ。


 一年間共に学んだ友人と、別のクラスになってしまうかもしれない。

 自分が思い描いた魔法属性と、違う魔法を使う事になるかもしれない。


 期待と不安の入り交じった顔で並ぶ生徒たちを、校長である大魔女グリューネは見渡した。

「これからみなさんには、テーブルに並んでいる五つのクリスタルオーブを、順番に持ってもらいます」


 ルビーのオーブは火の属性。

 サファイアのオーブは水の属性。

 琥珀のオーブは風の属性。

 エメラルドのオーブは地の属性。

 そして、ダイヤモンドのオーブは光の属性。


「クリスタルオーブは繊細なものです。両手でそっと扱うように。もし落として割ってしまったりしたら、魔法使い失格ですから、退学になると心得ておくように」

 厳しい声に、生徒たちは姿勢を正した。


 それから名簿順に生徒たちは前に出て、オーブをそっと手にしていく。

 透き通ったクリスタルの中に封じ込められた魔石が共鳴すると、その生徒の魔法属性が決まるのだ。


 淡く煌めく光を抱いて、笑顔になる者、あるいは、少し残念そうな表情をする者。

 しかしその胸には、大いなる期待が膨らんでいるのが、グリューネには見て取れた。


 ――クリスタルオーブとの共鳴。

 それは、魔法使いとしての素質があるという証明なのだ。


 ……ところが。

 一学年に必ず一人か二人いるのだ。

 どのクリスタルオーブも共鳴しない生徒が。


 この日も一人、何度オーブを持っても反応を見せない生徒がいた。

 シドというこの少年は、勉強の成績は主席であったに関わらず、五つ全てのオーブに拒絶された。


 ざわめきとからかいの声が講堂を満たす。

 シドは目に涙を浮かべて狼狽している。


 グリューネは声を張り上げた。

「静かに!」

 水を打ったような静寂が訪れた中で、彼女は五人の教員を紹介する。

「二年生からは、各属性の専門家であるこの先生がたが、あなたたちを指導します。学ぶ教室も別々です。これから先生がたに、それぞれの教室を案内していただきます。二年生から、迷子になって遅刻する事がないよう、よく見ていらっしゃい」


 ――そして、一人残されたシドの肩に、グリューネは手を置いた。

「あなたには今から、校長室に来てもらいます」


 魔法学校の最上階にある校長室には、ごく一部の教員しか知らない隠し階段を通らなければ行けない。

 シドは涙を拭きながら、薄暗い螺旋階段をグリューネの後ろについて進んでいく。


 重い扉の向こうは、四方を本棚が埋める部屋。

 部屋の中央に置かれたかまどに鍋が掛けられ、従者のゴブリンが不思議な色をしたスープを混ぜていた。


「ここに座って」

 グリューネに案内されて、シドは部屋の奥の机の向かいに置かれた椅子に腰を下ろした。

 ……部屋の不思議な雰囲気に圧倒されて、もう涙は乾いている。


 そして、グリューネが机に置いたものを見て、シドは息を呑んだ。


 ――黒ダイヤのオーブ。

 闇の属性のクリスタルオーブだ。

 この国では、使用を厳しく禁止されている。


 グリューネはシドの向かいに腰を据え、彼の目をじっと見た。

「なぜこのオーブが禁止されているかは、魔法史の授業で習いましたね?」

「は、はい。……千年前にいた大魔王ヴァンドラが使っていたからです」

「彼はなぜ大魔王と呼ばれていたのですか?」

「国を自分のものにしようと、多くの人々を殺したからです」

「その通り」


 グリューネは闇のオーブに手を添えた。

「ところが、このオーブに共鳴をする魔法使いは、少数ですが存在します」

「…………」

「あなたは先程、五つの属性のクリスタルオーブに共鳴しなかった。それは、魔法使いとしての素質がない可能性の他に、『闇の魔法使い』としての素質がある可能性がある、という意味なのです」


 シドは魅入られたように、グリューネの顔をじっと見返す。

 その目に刻み込むように、彼女は一期一句をゆっくりと発声する。

「魔法使いとしての素質がないと判断して、魔法学校を去るのが、この国としては正しい選択でしょう。しかし、魔法使いを志す者として、これを持ってみる事を、私は止めません。――決断するのは、あなたです」


 肩で大きく呼吸しながら、シドはじっと闇のオーブを眺めている。

 グリューネはその表情をじっと見据える。


 その目には、一年間主席としての地位を保ってきたプライドが浮かんでいた。


 やがて、シドは震える手を伸ばした。そして両手ですくい上げるように、クリスタルオーブを手に取った。


 ――その瞬間。


「ウッ……!」

 黒い闇がシドを包む。――魔石が共鳴したのだ。


 ところが、すぐに闇は魔石に吸い込まれるように消えた。

 ……そしてシドは、椅子から転げ落ちた。


「…………」

 それを見下ろし、グリューネは立ち上がった。


 鍋を混ぜるゴブリンが彼女に声を掛ける。

「またダメだったでやんすか」

「ええ。もし闇のオーブの力に耐えられるのなら、彼を『器』に使っても良かったのだけれど」


 グリューネは机を巡り、床に倒れる少年の脈を取る。

「でも、闇のオーブに共鳴した、この魂は使えるわ」


 背中を擦りながら呪文を唱えると、シドの口から煙が流れ出る。

 それを両手に集めると、グリューネは鍋の中に放り込んだ。


「……残るは、あと一人ね」


 ――大魔王ヴァンドラを復活させるために必要な、千人分の、闇と共鳴する魂。

 それを集めるために、グリューネは九百八十年もの間、魔法学校の校長をしてきたのだ。


 そして、その最後のひとつは――。


 グリューネは黒いクリスタルオーブを手に取った。――魔石から強烈な闇が発する。


「私がヴァンドラ様の『器』となり、魂を捧げましょう」


 ゴブリンがスープを皿にすくい、グリューネに差し出した。

 それを飲み干すと、グリューネの表情が変わった。


 ――満足気な黒い笑み。

 長寿であるゴブリンのみが知っていた。

 彼は平伏す。


 大魔王の、復活である。

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