グロッグ魔法雑貨店

「あの……」

 午後一番にやって来た客は、気弱そうな少女だった。

 痩せた体に襤褸ぼろを纏い、鉄の首輪を付けている。――奴隷だ。


 この店に奴隷の客が来るのは珍しかった。

 ここは魔法使い向けの雑貨店。

 新米魔法使いに新たなる魔法を授けるクリスタルオーブやら、ベテラン魔導士が研究に使う魔導書やらを扱っているのだから。

 文字も読めない奴隷などが来る場所ではない。


 店主のグロッグは、訝しげに目を細めて彼女を見た。

「ご主人のお使いかい?」

「はい……」

 少女は小さく頷いた。

「何が欲しいのかね?」

「『竜の血』は、ありませんか?」


 それを聞き、グロッグは眉をひそめた。

「竜の血は、非常に貴重なものだよ。とても高価だ。そんなお金を持っているのかい?」


 すると少女は、腰に提げた革袋から小さなナイフを取り出した。

 そして、剣先をグロッグに向ける。


 ぶるぶると震えるその剣先が示すように、おののいた声を少女は発した。

「奪ってでも、持って来いと、ご主人様に言われました」


 これは困ったと、グロッグは腕組みをした。

「ご主人は竜の血を、何に使うつもりなのかい?」

「顔にできた腫れ物を治すのに、竜の血が一番いいと」


 古い民間療法だ。しかし最近の魔法学では、迷信とされている。

 それをグロッグが伝えると、だが少女は目を潤ませた。


「お願いです。竜の血を持って帰らないと、妹が死んでしまいます」

「どういう事かね?」

「私がお使いに失敗すれば、妹が、ご主人様に殺されてしまいます」


 つまり、彼女の主人は、妹を人質に、姉である彼女に非道を行わせようとしていると。


 上流階級の奴隷ならば、家柄の恥とならないように、もっといいものを着ている。

 ところが少女の汚れた様子は、主人の家もまた裕福でない事を示していた。……そうでなければ、そもそも彼女に犯罪行為をさせる必要もない。

 傷の目立つ頬からも、彼女と彼女の妹の扱いがどのようなものかは、容易に察する事ができた。


 グロッグは顎を撫でながら、しばらく考えた。

 そして、手を打って奉公人を呼んだ。

「はい、旦那。何の御用で?」

 奉公人のマーシャは店の奥から出てくると、カウンターを挟んでナイフを向ける奴隷の少女を見て、小さく悲鳴を上げた。

「だだだ旦那……! こ、これは……」

「騒々しい声を出すんじゃない。お客様に失礼だ」

「…………」

 

 マーシャは少女とグロッグの顔を見比べて、だが穏やかなグロッグの表情に安心したのか、床に膝をつく。

 それを見て、グロッグは彼に言った。

「奥の金庫から、黒竜の血の杖を持ってきておくれ」

「えっ……!」

 マーシャは目を丸くした。

「あれは、秘宝中の秘宝じゃありませんか」


 いにしえの魔導保管庫から発見されたと伝わる、伝説の魔法の杖。

 グロッグ魔法雑貨店の商品の中でも、とびきりの高級品だ。


 だが、グロッグは穏やかに笑った。

「今、うちにある『竜の血』は、それしかなくてね」

「でも……」

「いいから持って来なさい」

 そう言われて、マーシャはおどおどと店の奥に下がった。


 それを見送って、グロッグは少女に顔を戻す。

「では、杖が来るまでに、呪文を練習しておこう」

「呪文……?」

「私の言う通りに唱えればいい。なに、簡単な呪文だから、魔法使いでなくてもできるものだ。ただし……」

 グロッグはじっと少女の顔を見る。

「杖は絶対に、にしか向けてはいけないよ」




 ……黒竜の血の杖を持たせ、少女が帰った後。

 マーシャはグロッグに訊ねた。

「本当に良かったんですか? ――魂を奪う呪文なんか教えてしまって」

 すると、鷹揚に顎を撫でながらグロッグは答えた。

「人聞きの悪い事を言うものではないよ。彼女と彼女の妹が自由になるための呪文さ。あんな古ぼけた杖一本で、二人の少女の未来が開けるのなら、安いものだよ」

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