魔法雑貨シリーズ

山岸マロニィ

天球儀の秘密

 村の広場に置かれた天球儀。


 エレナの敬愛するパトリックは、毎日天球儀を磨いている。

 ――彼の尊敬する天文博士が、消えてしまってから。


「この天球儀でね、別の世界を見る事ができるんだ」


 碧い宝玉を幾重にも囲む金色の輪。

 パトリックは輪をぐるりと回し、ピカピカに磨かれたその表面に、悲しそうな顔を映す。


「師匠は、戦争も天災もない世界を探し出して、僕たちが住むこの世界を、平和で幸せなものにしたかったんだ」


 何の心配もなく生きていける世界。

 そんな世界を模索するのが、天文博士の仕事だった。

 そのために、この天球儀を使って、この世界とは別のパラレル世界を調べていたのだ。


「その世界は見つかったの?」

 エレナが訊ねると、パトリックは微笑んだ。

「多分。師匠はそんな幸せな世界を見つけて、そこに調査に行ったんだ、きっと」

 と、彼は首に提げたクロノグラスをギュッと握った。


 ――これは、天文博士が消えた翌朝、天球儀の近くに落ちていたもの。

 封じ込められた魔法の砂時計が、持っていた人の記憶を遡り、その人が見た過去を見る事ができる。


 けれど、それができるのは天文博士だけで、見習いのパトリックには、まだその方法が分からない。


 エレナはパトリックに微笑みを返す。

「きっとそうよ。博士は平和な世界の秘密を見つけて、じきに戻って来るわ」




 ――ところが。

 ある時、パトリックも姿を消してしまった。

 青い砂が満たされた、クロノグラスを残して。


 それからエレナは、毎日天球儀を磨いた。

 こうしていれば、いつか、パトリックが消えた世界に行ける気がした。

 彼はきっと、天文博士のいる平和で幸せな世界に呼ばれたんだと、エレナは思った。

 戦争や天災のない、何の心配もない世界に。


 エレナもその世界が見たかった。――パトリックと同じ世界に居たかった。


「……何してるの?」

 そう声を掛けてきたのは、幼なじみのマーカスだった。

「平和で幸せな世界が見つかるように、天球儀に祈っているの」

 エレナがそう答えると、マーカスはつまらなそうに、

「ふーん」

 と返事した。


 それからマーカスは、エレナの近くで、彼女が天球儀を磨くのをずっと見ていた。


「見つかった?」

「ううん、まだ」


 それだけの会話を、一日に何度かして。


 エレナはマーカスの事が煩わしかった。

 これでは、パトリックと心を通じ合わせられない。

 天球儀を磨きながら、宝玉の発する微弱な波長に、耳を澄ませているというのに。


 ……それに、パトリックのいる世界に行っても、マーカスが邪魔をしてくるのは困る。


 だからエレナは、星降る深夜、ひとりで広場にやって来た。

 ラピスラズリのような空を宝玉越しに見上げれば、違う世界への入口が開く気がする。


「……けて」


 声がした。

 見渡してみたけれど、広場には誰もいない。


「……すけて」


 また声がして、エレナは振り返った。


 ――天球儀の中からとしか、考えられない。


 エレナは金色の輪をぐるりと回し、碧い宝玉を露わにする。


 すると、そこにパトリックがいた。

 大きな宝玉から身を乗り出して、傷ついた手をエレナに伸ばしている。


「助けて――エレナ」


 ――パトリックの後ろにある世界。

 燃え盛る炎に焼き尽くされ、灰色に崩れ落ちている。


 エレナは気づいた。

 ――戦争も天災もない世界なんて、なかったんだ。


 ならば、パトリックを連れ戻してあげたい。

 彼を不幸な世界から助け出してあげたい。


 エレナは手を伸ばし、傷ついた手をしっかりと握った。


 その途端。

 パトリックはニッと笑った。


 ――これは、パトリックじゃない。

 そう悟った時にはもう遅かった。


 抗えられない力が、彼女を宝玉の中に引き込む。

 思わず、エレナは叫んだ。


「助けて! マーカス」


 そして、クロノグラスを広場に投げ捨てた。

 マーカスなら、気づいてくれるだろう。

 そして、彼女の記憶を読んでくれるかもしれない。




 ――翌朝。

 マーカスは、エレナのいない広場で、クロノグラスを拾った。


 彼には、砂時計に封じられた記憶を読む術はない。

 けれども、これだけは分かった。


 エレナは、平和で幸せな世界を見つけたんだ。

 戦争も天災もない、何の心配もない世界を。

 そしてひとり、そこに行ったのだ。


 ……ズルいじゃないか。

 僕だって行きたいのに。


 それからマーカスは、天球儀を磨く事にした。

 エレナがそうしていたように、毎日、祈りを込めて。


 そんな彼に、義妹のカーラが声を掛けた。

「何をしてるの?」

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