第一章「聖者の漆黒」第四部「回帰」第3話(第一章最終話)

 目の前に広がる広い敷地しきち

 そしてその中央にする巨大な日本家屋にほんかおくの影。

 ふるいのは見て取れても、そこに感じられるのは行き届いた手入れのあと

 周囲の雑草ざっそうは短くそろえられ、それにも関わらず建物に人のいとなみは感じられない。

 前回初めてきた時から、杏奈あんなはその屋敷やしきに対して不思議な感覚かんかくを持っていた。

 一般的な廃墟はいきょとは明らかに違う。確かに普通の人々には見付けられないためにらす人間も入り込まない。しかしそれだけではない気がしていた。

 杏奈あんなの中で、その感覚かんかくが少しずつ形になっていく。


 ──…………さびしいんだ…………ここ…………


 気持ちがざわついた。

 前回の時のような明らかな気持ちの高揚こうようなど思い出せないほど。

 時間は夜。

 すでに遅い時間。

 分厚い雲にはばまれ、月灯つきあかりもその存在をかくしていた。

 そのやみの中で、西沙せいさ杏奈あんなの持つ懐中電灯かんちゅうでんとうの小さなあかりだけが弱々しくれる。

 夜は不思議としずけさをともなうのか、前回よりもあたりをくす風鈴ふうりんの音が大きく感じられた。それが全員の緊張感きんちょうかんを高めていく。

 しばらく四人は屋敷やしきを見上げていた。

 人の気配けはいがあるようには感じられない。

 やがて、草をみしめるような音に、全員が視線を落とす。それは、つないでいた西沙せいさの手をほどき、くずれるように地面にひざを着いた美由紀みゆきの立てた音。

 すぐに西沙せいさがしゃがみ込んで美由紀みゆきの顔をのぞき込むが、深いかげがその表情をかくしていた。

「…………ごめん…………具合ぐあい悪い…………」

 かぼそ美由紀みゆきの声。

 続くその声は後ろの杏奈あんな沙智子さちこまで届いていた。

「……なんで…………なんなの…………」

 その声は、明らかにふるえている。

 もはや美由紀みゆきの中にあるのは恐怖きょうふだけ。何も状況じょうきょう把握はあく出来ないまま、初めての感覚かんかくが全身をつつんでいた。しかもそれは気持ちの悪さをともない続け、すでに精神的せいしんてきえることすら出来なくなっていたのかもしれない。

 同じように恐怖心きょうふしんいだいていても、その〝感覚かんかく〟までは感じられない杏奈あんなにとってはもどかしいだけ。とても見ていられる状況じょうきょうではない。

西沙せいささん、私が美由紀みゆきさんを車まで────」

「────ダメ」

 杏奈あんなの言葉を、西沙せいさの強い口調がさえぎった。

 そしてそのままの強さで西沙せいさが続ける。

美由紀みゆきがいなきゃダメ…………私だけじゃ…………終わらせられない…………」

 西沙せいさはそう言いながら、美由紀みゆきの背中に右のてのひらを当てたまま目を閉じた。

 数秒か数十秒か、その後、美由紀みゆきの頭が少しだけ上がる。

 心配した杏奈あんな美由紀みゆきの前にけ寄ってひざを落としていた。そこにはそれまで見たことのない美由紀みゆきの表情。なか呆然ぼうぜんとしながらも、その両の目からは大粒おおつぶの涙が流れ続けていた。

 そして西沙せいさの声。

「言ったでしょ……この子は強いよ。私よりもね…………」


 ──……西沙せいささんより…………まさか…………


 呆然ぼうぜんとする杏奈あんなの前で、美由紀みゆきが立ち上がっていた。続くようにとなり西沙せいさも立ち上がる。

 ひざを着いていた杏奈あんなの上から、その西沙せいさの声がそそいだ。

杏奈あんなこわいよね…………でもね…………これが、私たちの世界…………」

 頭では分かっていたはず。しかし知識ちしき経験けいけんは違う。

 杏奈あんなは自然と視線しせんを落としていた。そこには美由紀みゆきのグレーのヒール。それまで体をふるわせていたとは思えないほどに、今は微動びどうだにしていない。

 続く声は西沙せいさだった。

「こんな世界に興味きょうみを持つなんて……ホントに変わってるよ杏奈あんなは…………でも、これで逃げ出すような人じゃないよね。だからパートナーにするって決めた。その未来みらいが見えた…………」

 杏奈あんな視線しせんを落としたまま、その声だけが西沙せいさに返される。

西沙せいささんも変わってますよ…………こんな私にれちゃうなんて」

「そっちに興味きょうみはないけど」

「どうだか」

 応える杏奈あんなの声は少し前より幾分いくぶん明るかった。

 そして立ち上がる。


 ──……まったく…………


 その覚悟かくごを持った目を西沙せいさに向けると、再び口を開いた。

「私はゴスロリに興味きょうみないですけど」

似合にあうかもよ」

似合にあいません」

 杏奈あんなはそれだけ返すと屋敷やしきに体を向ける。

 相変わらず板戸いたどがあちこち開けはなたれ、中の空気は外と何も変わらないように見えた。懐中電灯かいちいでんとうで中を照らしながら、その杏奈あんなが言葉をつなぐ。

「ここにもゴスロリは似合にあいそうもないですけど」

「だからいいんでしょ」

 その西沙せいさの声が杏奈あんなの横を過ぎていった。

「目立っててさ」

 西沙せいさは言いながら、美由紀みゆきの手を引いたままくつを脱ぎ、屋敷やしきの廊下に上がる。その二人に沙智子さちこも無言で続いた。

 そして杏奈あんな周囲しゅういに目をくばり始める。そして誰もいないことをあらためて確認かくにんすると、片足を廊下に掛けた。


 板張いたばりの

 畳張たたみばりの

 交互こうごにというわけではなく、大雑把おおざっぱではあるがエリアがある程度分けられているように見てとれた。以前、西沙せいさ杏奈あんなが入ったのはその板間いたまのエリアでも一番大きな部屋。そこから程近ほどちかい場所に、その〝祭壇さいだん〟はあった。祭壇さいだん以外に何も無いからそう思わせるのか、決してせまくはない。

 開放感かいほうかんが強いせいか、相変わらずほこりっぽさはあまり感じられない。

 しかしもちろん祭壇さいだん燭台しょくだい火種ひだねがあるわけではない。僅かにはいが残る程度。それでもかべ天井てんじょうみ付いたものか、かすかにくすぶけむりのような匂いを、全員が感じていた。

「この部屋は……普通の空間くうかんと思わないでね」

 西沙せいさはそう言うと、美由紀みゆきを部屋の中央と思われるあたりに座らせる。美由紀みゆきは正座をしながらも深く項垂うなだれ、はたから見たら生気せいきを感じられないような弱々しさ。

 それでも西沙せいさ祭壇さいだんへと真っ直ぐ進んだ。

 そして祭壇さいだん前でこしを落とした。スカートのすそ周囲しゅういに大きく広がる。

杏奈あんな沙智子さちこさんも、座って」

 西沙せいさが背中を向けたままそう言うと、二人は部屋のすみにゆっくりと座った。

 そして西沙せいさの言葉が続く。

杏奈あんな……私が指示しじしたら…………沙智子さちこさんを押さえ付けて」


 ──…………え?


 おどろいた杏奈あんなとなり沙智子さちこ視線しせんを送ると、沙智子さちこも目を丸くしておどろいた表情ひょうじょう。そして反射的はんしゃてきに口を開いていた。

「……私が…………何を…………」

 かすかにふるえる声に見えるのは、何か不安ふあんだけではないように、杏奈あんなは感じる。


 ──……大丈夫だいじょうぶ……西沙せいささんには見えてる…………


「分かりました」

 杏奈あんなが応えていた。

 そして、西沙せいさの声がやみひびく。

「じゃ、始めよっか…………来たみたいだ」



      ☆



「私は御陵院ごりょういん西沙せいさ…………御陵院ごりょういんの歴史の中で、一番の能力者…………御簾世みすよさんの、三姉妹さんしまいの能力は総て私が継承けいしょうしてる。そしてあなたは…………このときを待っていたはず…………御簾世みすよさんと同じ沙智子さちこさんの目の色…………この屋敷やしきの存在を私が知ること…………そして何より、私を上回うわまわる能力者…………その総てがまじわるとき…………やっと終わらせられると…………」

 西沙せいさの声が祭壇さいだん前にただよい続ける。

 何かあやしげな呪文じゅもんとなえるでもなく、西沙せいさは他の誰にも見えない〝誰か〟と話していた。


 ──……相手は誰だ…………


 再び杏奈あんなの中に恐怖きょうふが押し寄せる。しかし一般的な幽霊のようなものとは何かが違うとも感じていた。

 それは言葉に出来ない感覚かんかく


 ──……記事きじになんか出来るはずがない…………


「うん……今日は私だけじゃないよ……亥蘇世いそよさんがのぞんだ能力者が一緒いっしょ。私は総てを終わらせに来た。御簾世みすよさんとは〝とき〟が違うだけ…………どうだろう。もしも今、終わらせることが出来たら…………そっちの〝とき〟が変わるのかな…………だとしたらこっちも変わるのかな…………頭が混乱こんらんしそう…………もしそうだとしたら、私はここにはいないはず…………でも、ここにいる…………」


 ──………………過去かこ……?


 杏奈あんながそう思った時。


 聞こえる声。

 部屋の中央からの小さな声。


「…………西沙せいさ……」


 ──……美由紀みゆきさん…………?


 杏奈あんなおどろくのも無理はなかった。その美由紀みゆきの声は、少し前までのおびえ切ってふるえたものではない。落ち着いていながら、いつもの声色こわいろとも違う。

 いつの間にか背筋せすじを伸ばし、頭だけを大きく下げ、息をしているとは思えないほどに体が動いていなかった。

 背中を向けたままの西沙せいさおどろいた様子ようすはない。

 まるでこの事態じたいを予想していたかのよう。

 その美由紀みゆきの声が空気にけていく。

「こののろいは……すでに一人歩きをしてる…………もはや御陵院ごりょういん楢見崎ならみざきも関係ない…………〝かたち〟を持って、独立どくりつしたもの」

 その声に、やわらかく西沙せいさが返した。

「……うん…………そうだね…………その〝かたち〟が何か…………分かる?」

「…………うん……」

 そして、美由紀みゆきは少し間を空けた。


「………………ここ……」


 空気が変わった。

 少なくとも杏奈あんなにはそう思えた。

 全身に鳥肌とりはだが立つ。

 西沙せいさは何も応えないまま、微動びどうだにしていない。

 美由紀みゆきの言葉が続く。

「だからのろいを作り出した本人でも…………ましてや御陵院ごりょういんを持っていても止められない…………そう…………あなたでも無理むり…………御簾世みすよさん……」


 そして、周囲しゅういが強い光につつまれた。

 杏奈あんなの目の前、祭壇さいだんの中央の燭台しょくだい

 そこに、赤々あかあかえる松明たいまつ

 大きくれ、ほのおを上げた。


 ──…………そんなこと…………


 そう思った杏奈あんな反射的はんしゃてきに体を引いていた。

 それまでは冷たいやみつつまれていた室内を、突如とつじょとしてほのおねつくしていく。

 まるで今までのやみかくれるように周囲しゅういに強い影を作り出していた。しかもその影はほのおれに合わせてうねる。

 聞こえるのは美由紀みゆきの声だけ。

あわてても無駄むだ…………御簾世みすよさん…………のろいには〝代償だいしょう〟がともなう…………知ってるでしょ…………これからも御陵院ごりょういん楢見崎ならみざきくるしみ続ける…………私たちの〝とき〟まで……それが〝代償だいしょう〟…………とききざまれていくだけ…………絶対ぜったいに変わらない…………」


 ──……じゃあ…………〝いま〟は……なに?


 杏奈あんなのその感情かんじょうに気が付いたのか、西沙せいさが僅かだけ首を動かした。

 しかし、聞こえるのは美由紀みゆきの声だけ。


「…………私は…………変えない…………」


 松明たいまつが音を立ててくずれた。

 火の周囲しゅういう。

 その火のの一つ一つが周囲しゅういを照らし出し、影を生んだ。


御簾世みすよさん…………いま出来ることは……そこに〝のろい〟を押さえ込むことだけ…………御陵院ごりょういんの〝呪紋じゅもん〟をきざんだ風鈴ふうりんを用意して、その屋敷やしきくしなさい…………そして……そこをてなさい…………後は…………私たちの〝とき〟で…………」


 次の刹那せつな


 静かだった。

 ここには、松明たいまつあかりも、ほのおが作り出した熱もない。

 夜の冷たい空気がゆっくりと流れているだけ。

 静かだった。


 大きな衣擦きぬずれの音。

 杏奈あんなとなり

 大きく沙智子さちこの体が動く。

 足袋たび板間いたまった。

「────杏奈あんな!」

 さけんだ西沙せいさが振り返った時、そこには杏奈あんなによってゆかに押し付けられた沙智子さちこの姿。

 西沙せいさの声よりも早く、杏奈あんなの体が動いていた。無意識むいしき咄嗟とっさ判断はんだんに、一番おどろいていたのは杏奈あんな自身だったかもしれない。

 その杏奈あんな沙智子さちこの手ににぎられた小さな刃物はもの強引ごういんに取り上げ、それを部屋のすみに投げ付けた。その刃物はもの────果物くだものナイフは板間いたまの上でかわいた音を立てるだけ。

 杏奈あんなの下から、ゆかに押し付けられた沙智子さちこが声をしぼり出した。

「────変えればいいじゃない! どうして変えられないのよ! 変えれば…………未来みらいだって変えられたかもしれないのに‼︎」

 涙混じりのその声に、杏奈あんなは体をけていた。


 ──……過去かこと〝いま〟が変われば……この人はくるしむことなんてなかった…………


 杏奈あんなのその感情かんじょうは、沙智子さちこの言葉にき消される。

「どうして‼︎」

 その声は、美由紀みゆきに向けられていた。

 振り返ったままの西沙せいさ脳裏のうりに、あの運転手の顔が浮かぶ。


 ──……変えて欲しかったんだ…………

 ──…………変えられなかったら……死ぬ気だった…………?


 過剰かじょうに守られ、自由の無い生活。自由の無い人生。誰がそんなものを望むだろう。少なくとも沙智子さちこは違った。自由は様々なリスクをともなうもの。それでも、押さえ付けられた生活は、やがて自由を求めるだけ。

 そして例え楢見崎ならみざき家の人間に御陵院ごりょういんが入っているとしても、やはり巫女みこのような修行しゅぎょうをしてきているわけではない。精神的せいしんてきにこの現場での状況じょうきょうを受け入れられるとは西沙せいさも思っていなかった。沙智子さちこのように取りみだすのが普通だろう。

 たいして杏奈あんなならえられると、西沙せいさは以前から気が付いていた。

 西沙せいさ祭壇さいだんに顔を戻すと、口を開く。

「ごめんね沙智子さちこさん……私が期待きたいさせるようなこと言っちゃったから…………でもね、もう一つの世界線なんか存在しない。あるのは〝いま〟だけ。変わるものがあるとしたら…………それは〝未来みらい〟だけだよ」

 しかし西沙せいさは気付いていた。


 ──…………美由紀みゆきなら…………もしかしたら…………


 確証かくしょうはない。

 しかし、以前から、西沙せいさ美由紀みゆきにそれを感じていた。

 そして、それをはらうように西沙せいさが続ける。

「今からは…………変えられる…………まだ終わりじゃないよ。〝いま〟のときで終わらせるって約束やくそくしたからね」

 西沙せいさは立ち上がると、ゆかうずくまって肩をふるわせ続ける沙智子さちこそばひざを着いた。

「ここからは沙智子さちこさんにも協力してもらうよ。御陵院ごりょういんは私だけじゃない……沙智子さちこさんにも流れてる…………あののろいは二人分ののろい…………だから終わらせるにも二人分の〝〟がいる……だから一緒に来てもらった…………そしてそれを終わらせられるのは……別の〝〟を持った強力な能力者の美由紀みゆきだけ…………お願い出来ますか?」

 すると、少し間を空け、沙智子さちこがゆっくりと体を起こしていく。

 涙をこぼすその目を見ながら、西沙せいさつないだ。

「〝未来みらい〟を、変えましょう」

 西沙せいさはそれだけ言うと、沙智子さちこ祭壇さいだんの前にうながす。

松明たいまつほのおなんか必要ない…………美由紀みゆきにはね」

 その西沙せいさの言葉に、ふと杏奈あんな美由紀みゆき視線しせんうつしていた。

 微動びどうだにしていない。ずっと首を項垂うなだれたまま。


 ──……何が起こるの…………?


 空気が動いた。

 まるで目に見えないまま。

 しかし、杏奈あんなの目の前の空気がゆがむ。

 少なくとも杏奈あんなにはそう感じられた。

 そして、ねつを感じた。それは先程さきほどまでのほのおねつとは違う。

 その空気に流れてくるのは西沙せいさの声だった。

大丈夫だいじょうぶだよ……御簾世みすよさん、亥蘇世いそよさん……それに麻紀世まきよさん…………もう終わりにしよう。もう……らくになれるよ…………そのために私たちはここにいる…………私はその〝おもい〟も引きぐよ…………」

 つながれるのは美由紀みゆきの言葉。

「……さっきの遮断しゃだんは〝ここ〟の意思いし…………私の介入かいにゅういやがった…………」

 すぐに西沙せいさが返す。

必然ひつぜん?」

「どうかな…………いつが〝いま〟なのかは……〝いま〟の私には分からない…………」

 その声は杏奈あんなの耳まではとどくが、理解りかいまでは追いつかない。

 しかもゆがんだような空気のためか、しだいに目眩めまいのような感覚かんかく杏奈あんなつつみ始めていた。思考しこうがゆっくりとうばわれていく。

 その中で美由紀みゆきの言葉が続いていった。

「……事実じじつとはげられないもの…………おこなったこと、終わったこと、いずれも受け入れるだけ…………だから〝いま〟が見える…………未来みらいを見ることが出来るのは〝いま〟をかさねていけるものだけ…………」


 ──…………未来みらいは…………〝いま〟……ねがうもの………………



      ☆



 松明たいまつほのお時折ときおり高く上がる。

 そのたびに火のが空気に広がり、音を立て、祭壇さいだんを明るく照らす。

 その光景に相反あいはんするように、御簾世みすよは動けなくなっていた。

 すでに祭壇さいだん前に西沙せいさの姿は無い。


 ──……ち切られた…………

 ──…………〝かたち〟を持ったのろいにち切られたのか…………


 呆然ぼうぜんとし、次の動きが見えない。


 ──……私が…………これは……私が始めたのろい…………

 ──…………私には……責任せきにんがある…………


 やっとここまで来た。

 やっと西沙せいさとの接触せっしょく希望きぼうが見えた。

 やっと終わらせられると思った。


 ──……いつまで続くというのか…………


 御簾世みすよからは、西沙せいさたちの言う〝いま〟がいつのことなのかは分からない。

 しかしすぐ先で無いことは西沙せいさ服装ふくそうからも予想は出来た。


 ──…………どうして…………


 そこに、亥蘇世いそよの声が聞こえる。


     〝 残念ざんねんです……間に合いませんでした………… 〟


 低い声。

 やっと、というおもいは亥蘇世いそよも同じだった。

 やっとのぞんだ未来みらい沙智子さちこを見付けた。御陵院ごりょういんを受けいだ楢見崎ならみざき家の中に、御簾世みすよと同じ目の色の沙智子さちこを見付け、そこからならば未来みらいつなげられると感じた。そして御陵院ごりょういん家の血筋ちすじの中に西沙せいさを見付け、更には美由紀みゆきという大きな存在を見付けた。この三人ならば終わらせてくれると信じ、麻紀世まきよ御簾世みすよの気持ちをり動かしてきた。

 しかし〝かたち〟を持って一人歩きをしたのろいはそれすらもはばもうとする。


 ──……まだ……終わりではない…………


     〝 御陵院ごりょういん風鈴ふうりんを 〟


「…………風鈴ふうりん…………」


   〝 魔除まよけの風鈴ふうりんとして御陵院ごりょういんつたわっている物です 〟

       〝 ここをくせとおっしゃっていました………… 〟


「すぐに大量に作らせねば…………」

 御簾世みすよはすぐに御陵院ごりょういん神社から一緒に来た従者じゅうしゃを一人呼び、そのむね麻紀世まきよつたえる為にかごを走らせた。

 そしてすぐにまた祭壇さいだんの前へ。

 屋敷やしきくすほど風鈴ふうりんとなれば、すぐに出来るものではない。それまでには移居いきょも決めなければならない。


 ──……しかし誰かが管理していかなくては…………


 人が住まなくなって屋敷やしきちてしまえば、西沙せいさに〝のろい〟の居所いどころも見付けてはもらえないと思った。


 ──…………どうする…………


 祭壇さいだんを前にそう思った御簾世みすよは、ふと、空気の軽さを感じる。

 そして気が付いた。


 ──……亥蘇世いそよ姉様ねえさま…………?


 いつからか、声が聞こえないばかりではなく、その気配けはいまでもが無い。

 すると、かすかに亥蘇世いそよの匂いを感じた。

 目に見えない、はなをくすぐるようなその匂いを追いかけて顔を上げると、それは目の前の松明たいまつへとい込まれていく。

 無意識むいしきに、涙がこぼれていた。

 すぐに理解りかいすることはむずかしい。

 今、何が起きたのか。

 どんなに考えても、込み上げるものはさびしさだけ。

 ふすま隙間すきまから祭壇さいだんに差し込む外からの光が、いつの間にか明るさをともない始めていた。


 ──…………また…………わかれを言えなかった…………


 そして、同じおもいをせていたのは御陵院ごりょういん神社の麻紀世まきよも同じだった。

 ゆかに横になることもないままにむかえた朝。

 麻紀世まきよ準祭壇じゅんさいだんの前でひたすらに待ち続けていた。

 そして、気が付いてもいた。

 少し前から、亥蘇世いそよの存在を感じられない。


 ──……二度目こそは…………わかれくらい言えると思っていました…………


 それでも、目からこぼれる涙がなぜか清々すがすがしい。

 自分が涙もろくなったとあらためて感じた。


 ──……私たちも……としを取りました…………亥蘇世いそよ…………


 御簾世みすよの長男はすでに一年とたずにやまいくなっている。

 その直後に産まれた長女を御簾世みすよ大事だいじに育ててきた。

 やがて婿むこむかえ入れ、産まれた長男もやはり一年とたなかった。そして次の長女を大事だいじにしてきた。御簾世みすよにとっては孫娘まごむすめ

 しかしもう一人産まれたのならば────のろいを終わらせた後に、もう一人産まれたのならば、御陵院ごりょういんを戻すことが出来る。

 御簾世みすよはそう考えて御陵院ごりょういん神社をおとずれた経緯けいいがある。


 ──……のろいが終わらないのなら…………産まれないかもしれない…………


 そんなこわさが御簾世みすよおそいかかる。


 ──……無意味むいみだったというのか…………

 ──…………亥蘇世いそよ姉様ねえさまにまで助けてもらっておきながら…………


 やがて集められた風鈴ふうりん屋敷やしきくし、楢見崎ならみざき家はきょうつした。

 新しい屋敷やしきは、まるで神社のようだと世間せけんから言われるようになる。


 のろいはおさえられたのか、退しりぞけられたのか、不安を完全には払拭ふっしょく出来ないまま。

 それでも、それだからこそ御陵院ごりょういん神社での祈祷きとうは何年にも渡って続いていた。

 あれ以来、麻紀世まきよの指示もあり、準祭壇じゅんさいだん松明たいまつの火はやされたことがない。

 やすことは、再びのろいを呼びますことにつながると言われた。


 やがて、御簾世みすよの娘が次女じじょを出産する。

 御簾世みすよにとっては待ちに待った三人目のまご

 のろいの終わりをげる子供。 

 しかし楢見崎ならみざき家では、その子は死んだこととされた。

 そして、秘密裏ひみつり御陵院ごりょういん家にむかえ入れられる。

 誰にも見つからないように。

 〝風鈴ふうりんやかた住人じゅうにん〟に見つからないように。

 それは、麻紀世まきよ御簾世みすよが共にのそんだことでもあった。

 その子の母親には、死産しざんであったということにしてまでの決断。

 その子が御陵院ごりょういん神社を継承けいしょうするまでは、総てをかくす必要があった。

 その子が、御陵院ごりょういん神社のつなぐまで。


 そしてときが過ぎ、楢見崎ならみざき家で御簾世みすよまご婿むこむかえ入れる。

 それでも麻紀世まきよ御簾世みすよの不安が完全にぬぐれたわけではもちろん無い。

 いまだ〝風鈴ふうりんやかた〟には〝のろい〟が残ったまま。

 両家はその管理かんりを続けていた。

 やがて、長男が産まれる。

 

 ふすまが小さく音を立てた。

 それはふすまに手を掛けた使用人しようにんふるえる手がはっする音。その使用人しようにんは手と同じようにふるえた声をしぼり出す。

「…………大婆様おおばばさま…………」

 その小さな声に、御簾世みすよいや感覚かんかくと共に布団ふとんの上で体を起こしていた。

 障子しょうじ隙間すきまからはまだ早朝そうちょうの匂い。

 廊下の板を使用人しようにん足袋たびの音に少し前から意識いしきだけは起きていた。しかも近付く音と共にき上がる不安。

「……奥様おくさまが…………」

 いくばくかの覚悟かくごも、いざそのときには役になど立たないもの。

 もはや御簾世みすよ使用人しようにんに何かを確認かくにんするようなことはしなかった。まだおとろえてはいないその〝力〟は、間違いなく何かが起こったことげる。


 孫娘まごむすめの部屋に入った御簾世みすよは、その光景こうけいに言葉を失っていた。

 それは間違いなく長男の死。

 決して初めてではない。

 しかも覚悟かくごもしていた。

 しかし、その母親が長男を殺すことは想定などしていない。

 どう見ても、長男の首が向く方向は生きているそれではなかった。

 しかも、その首を両手で強くめ付けているのは、間違いなく母親。

 もはや、意思いしのある目とは思えなかった。

 いつもの目ではない。


 ──……どうして…………こうなった…………


 御簾世みすよは母親である孫娘まごむすめ浴衣ゆかた襟首えりくびつかむと、引きるように祭壇さいだんへ。

 くびを押さえ付け、祭壇さいだんの前で板間いたま孫娘まごむすめひたいを押し付けていた。

だれだ! 何者なにものだ‼︎」

 さけびながらも、御簾世みすよの目には涙が浮かぶ。


 ──……なぜ…………なぜ終わらない…………


 ──…………なぜですか…………西沙せいさ様………………


「…………長男は…………母親がころす…………」

 板間いたまふるわせる、小さく、低い声。

 それは御簾世みすよが押さえつけていた孫娘まごむすめの口から。

「……せいぜい長女のいのちながらえるのをいのればいい…………三人目からは…………ここに置くな…………外に出せ……くるしめてやる……そうしなければ…………長女も母親がころす…………」


 ──……おさえ込んだはずなのに…………


「どうしてだ‼︎」

 御簾世みすよは自分の浴衣ゆかたおびはずすと、母親の両手を後ろでしばった。いで母親の浴衣ゆかたおびはずして足を。

 背後にいる、おびえるだけの使用人しようにん数名に言葉を投げた。

「一人……御陵院ごりょういん神社へかごで向かいなさい…………こと顛末てんまつを…………私は…………母親の記憶を消します…………」


 ──……この子を…………守らなければ…………


 そして、祭壇さいだん松明たいまつに火がともされる。


 もはや麻紀世まきよ楢見崎ならみざき家に行かない選択肢せんたくしは無かった。

 使用人しようにんからの報告ほうこくを受けた直後、麻紀世まきよやまいほそった体に巫女みこ服をまとってかごに乗り込む。もはや自分の命がけずられても構わないと思った。

 しかし、その距離きょりと時間は残酷ざんこくだった。

 麻紀世まきよ到着とうちゃくする直前、祈祷きとうを続けていた御簾世みすよ祭壇さいだんの前でたおれ込む。

 息絶いきたえていた。

 その横には意識を失った孫娘まごむすめ

 麻紀世まきよ御簾世みすよそばにゆっくりとひざを降ろしていた。

 そこに、使用人しようにんが涙ながらに顛末てんまつを話し始める。

「……大婆様おおばばさまは……奥様おくさまの……記憶きおくを消したからと…………もう心配しんぱいはいらないと…………」

 記憶きおくを消すのは御陵院ごりょういん神社にとっても〝密儀みつぎ〟。麻紀世まきよですら簡単に出来るものではない。しかも準祭壇じゅんさいだんでなければ出来得ることではないとされてきたもの。

 麻紀世まきよ御簾世みすよの手を取った。


 ──……この小さな祭壇さいだんで…………貴女あなたでなければ出来ぬこと…………


 ──…………大義たいぎです……御簾世みすよ…………


 そして、そのやすらかな顔を見ながら使用人しようにんに言葉を向ける。

「三人目以降は……外に出せと…………?」

「……はい…………そう言われました」

 応える使用人しようにんの声はいまふるえたまま。

「……〝ころす〟とは……言われていない…………三人目以降は、総て養子ようしに出すように…………そのわり…………その子達は…………御陵院ごりょういん神社が守り続けます…………」


 ──……御簾世みすよ…………御陵院ごりょういんかならず…………


いもうと……御簾世みすよ御陵院ごりょういん神社でとむらいます…………立派りっぱとむらいます…………」

 その麻紀世まきよの声は、僅かにふるえていた。



      ☆



 ──………………杏奈あんな…………


 どこからか、自分を呼ぶ声。

 その声はやわらかい。

 やさしく手を取ってくれるかのような、そんな声が、やがて杏奈あんな意識いしきを現実に引き戻した。

「…………杏奈あんな……杏奈あんな…………」

 その声に杏奈あんなが目を開けると、目の前には西沙せいさの姿。

「……終わったよ…………」

 あたたかくも、どこかさびなそんな西沙せいさの声が杏奈あんなの気持ちの奥底おくぞこに溶けていく。

 やがて杏奈あんなは、体を起こしながら、自分が意識いしきうしなっていたことを理解した。しかしそれがどれだけの時間なのかまでは分からない。あたりはまだ暗いまま。

 部屋の中央にはゆかたおれ込んでいる美由紀みゆき

 祭壇さいだんの前には、ゆかに両手を着いてかたで大きく息をする沙智子さちこの背中。

「……何が…………」

 分からない状況じょうきょうに、杏奈あんなはそんな言葉しか出せなかった。

 西沙せいさは小さくみを浮かべて応える。

「……終わったの…………〝のろい〟が……もう御陵院ごりょういん家も楢見崎ならみざき家もくるしむことはないよ」

 風を感じない。

 あまりにも、静かだった。

 あれほどこえていた風鈴ふうりんの音も、まるでここには存在しない。

 杏奈あんな天井てんじょうを見上げていた。

 そこには微動びどうだにしない無数むすう風鈴ふうりん

 不思議ふしぎ光景こうけいにも思えた。


 ──……何も……聞こえない…………終わったんだ…………


 西沙せいさが言葉をつなぐ。

「この一件いっけん解決かいけつ。私と沙智子さちこさんはもう一回来なきゃいけないけどね」

「…………どうしてですか?」

「この敷地内しきちないには、楢見崎ならみざき家の子供たちが埋葬まいそうされている所がある…………戸籍こせきのなかった子供たち…………でも……産まれてきたことまでなかったことにしたら可哀想かわいそうだよ。だから二人で近い内にね」

「……そういうこと……でしたか…………」

 多くを理解した。とは言え、杏奈あんなにはいまなぞの部分は多い。後で西沙せいさからの説明はあると思ったが、今間違いなく感じるのは、自分が大変な世界に足をみ入れてしまったこと。一人のフリージャーナリストが関与かんよするようなレベルのことではなかった。西沙せいさと出会わなかったらとても信じられるようなことではない。

「よくえたね」

 そんな西沙せいさの言葉が、杏奈あんなの心をつつく。

 その言葉が続いた。

「普通の人なら無理。気がおかしくなっても仕方ない。だからりもしないものを見たりする。でも、杏奈あんながここで見たものは間違いなく現実。とは言っても、現実が何かなんて私もたまに分からなくなるけど……」

 西沙せいさが立ち上がってつなげる。

「行こ。だいぶ深夜になっちゃった。沙智子さちこさんをお願い出来る?」

 そう言うと美由紀みゆきそばへ。

 美由紀みゆきは完全に意識いしきうしなってはいなかった。西沙せいさがゆっくりと立たせると、つかれ切った表情を見せ、そのふるえる目を上げる。

 そして杏奈あんな沙智子さちことなりまで行き、ひざを落としていた。

「立てますか?」

 出来るだけやさしく声をかけると、まだ息はあらかったが、顔を上げた沙智子さちこの表情はどこか明るい。

「……はい……ありがとうございます」

 何かがかたから降りたのか、最初に杏奈あんなが見た表情とは明らかに違った。しかしつかれは見える。それでも、そこから不安のようなものは感じられなかった。不思議ふしぎ感覚かんかく。それでも例え西沙せいさのような力は無くとも、杏奈あんな明確めいかくに感じていた。


 ──……この人は…………もう大丈夫だいじょうぶ…………


 いつの間にか暗い雲は消え、月灯つきあかりがあたりを明るく照らす。

 四人はゆっくりと石畳いしだたみみしめていく。


 その背後から、小さな風鈴ふうりんの音が聞こえたような、そんな気が杏奈あんなにはしていた。



      ☆



 数日後。

 大量の小さな骨壷こつつぼ御陵院ごりょういん神社にはこばれる。

 それは風鈴ふうりんやかた地下ちかから見付かったもの。

 その場所は、いつのころからか楢見崎ならみざき家だけに伝わっていたものだった。


 神式しんしき葬儀そうぎおこなわれた後で、西沙せいさ本殿ほんでんにいた。

 本殿ほんでん象徴しょうちょうとも思える本祭壇ほんさいだんを前に、複雑ふくざつ感情かんじょう渦巻うずまく。

 たしかに〝のろい〟は終わった。もう楢見崎ならみざき家がくるしむことはないだろう。のろいが生み出してきた仕来しきたりにしばられることもない。それは御陵院ごりょういん家も同じ。

 しかし、それでも西沙せいさには確認かくにんしなければならないことがあった。


 ──……〝清国会しんこくかい〟は…………まだ終わってはいない…………


 おさなころから清国会しんこくかいの存在自体は母のさきから直接聞いてはいるが、西沙せいさ立坂たてさか清国会しんこくかいについて調べていることはさきは知らない。少なくとも西沙せいさはそう思いたかった。


 ──……知らないほうが不自然ふしぜんかもしれない…………


 母親の能力を、西沙せいさは決してあなどってはいない。

 今回の一件いっけんで多くの過去かこを見た。その過去かこの中で、御陵院ごりょういん神社と清国会しんこくかいの関わりは確かに垣間かいま見えた。しかしあれで終わったのなら〝今〟は無いはず。

大義たいぎでした。西沙せいさ

 姿を現すなり、本祭壇ほんさいだんに背を向けてこしを降ろしたさきが口を開いた。

「一度はあなたが関わることは危険きけんだと思いましたが、見事みごとでした。感謝かんしゃしています」

「ここの準祭壇じゅんさいだんが無かったら見えなかったよ。子供たちの葬儀そうぎもしてもらえたし……私も感謝かんしゃしてる」

沙智子さちこさんは……あれからいかがですか?」

 お互いに普通の親子関係ではない。はらさぐり合いをするような物言ものいいは常にあるが、さき沙智子さちこ心配しんぱいしているのはどうやら本心ほんしんからくるもののようだった。

「もう大丈夫だいじょうぶみたい。祈祷きとうの時にだいぶ体力がけずられたようだけど、昨日一緒に風鈴ふうりんやかたに行った時は顔色も良くなってたし…………さすがに骨壷こつつぼ屋敷やしきの地下から見付けた時にはショック受けてたけど…………今の楢見崎ならみざき家には置いておけなかったのかな…………誰もが出来ればわすれたい現実げんじつだっただろうし…………」

無理むりもありません……過去かこ清算せいさんというものは、いつでもいやなものです」

「あの屋敷やしきはどうするの? もう管理かんりする理由もないとは思うけど」

「近々取りこわします。ただの廃墟はいきょになってはやがてちていくだけですよ」

「心霊スポットって言われるようになってもよろこぶのはオカルトマニアだけか…………」

 西沙せいさはそう言うと、どことなくさびしい表情ひょうじょうを浮かべていた。麻紀世まきよ御簾世みすよの顔が頭に浮かぶ。直接聞いていなくても、誰もがちていくだけの廃墟はいきょなど求めないであろうことが想像そうぞう出来た。


 ──……これで総てが〝過去かこ〟になる…………


 そしてさきつなぐ。

「これで終わりですね…………」

 その言葉に、西沙せいさが飛び付いた。

「ホント?」

 そう言った西沙せいさの目付きが変化したのを、さき見逃みのがさない。

 続くのは西沙せいさの声。

「……色々と…………見たよ…………でもおかしいよね……清国会しんこくかいはまだ終わっていない…………あの過去かこのままなら終わったかのような雰囲気ふんいきだったけど……」


 ──……でも……御簾世みすよは、未来みらいを見てた…………


 ──…………だから…………私にたくした…………


 少し間を空け、さきが一言だけ。

「…………いかにも…………」

「……麻紀世まきよは……あきらめてなかったの…………?」

 西沙せいさのその言葉に、さきは小さく息をいた。

 お互いに〝読めない〟時間が流れる。通常なら相手あいての気持ちを読み取れる能力者同士。しかし、同時にそれをさえぎることも出来た。二人の能力が静かにぶつかり合う。

 お互い、知られたくないことが多過おおすぎた。

 そして、最初に口を開いたのはさき

「どこまで調べました? ────立坂たてさかさんと」

 しかし、西沙せいさ表情ひょうじょうを変えない。

 だまったままさきの目を見続けるだけ。

 さきも僅かながらの恐怖きょうふを感じないわけではない。綾芽あやめ涼沙りょうさでもあやつられるその目は、やはり警戒けいかい対象たいしょうたりた。

 それでもその不安がさきに口を開かせる。

「あなたが立坂たてさかさんと清国会しんこくかいについて調べていることは知っています。立坂たてさかさんがあなたの身元引受人みもとひきうけにんを買って出たのも無関係ではないはず…………」

「でもお母さんが私をしたのは事実でしょ?」

 その西沙せいさの言葉に、さきは再び口をつぐんでいた。


 ──……私は…………やはり西沙せいさおそれている…………


 ──……いずれ……清国会しんこくかいのことで西沙せいさ対峙たいじすることになるのか…………


 そこにはさまる声。

「必要が無くなったまでのこと」

 足袋たびらせた涼沙りょうさのものだった。その後ろには綾芽あやめの姿。

 再び口を開いたのは涼沙りょうさだった。

「お前はすでに〝蛭子ひるこ様〟のうわさとして相応ふさわしくない」

涼沙りょうさ────」

 強い口調になったさきが続ける。

「下がりなさい」

 しかしそこにはさまるのは涼沙りょうさの背後の綾芽あやめ

「しかし…………」

 その妖艶ようえんひびきを持った綾芽あやめの声が続く。

「それを決めるのは貴女あなたではありませんよ……涼沙りょうさ……」

 再びのさきの声は、さらに高くなる。

「二人とも下がりなさい……これ以上言わせる気ですか…………」

 そこに、西沙せいさの小さな声が空気をただよう。

「そんなにみんな…………」

 その言葉をさえぎったさきが言葉をいそいだ。

西沙せいさ……今後、清国会しんこくかいに関わることはゆるされません。あなたがそれを約束やくそくするならば、今後一切いっさい……美由紀みゆきさんには関わらないことを約束やくそくします」

 初めて、西沙せいさの表情が変化した。

 美由紀みゆきの名前に、感情かんじょうが動いていた。

 そして、僅かに冷静れいせいいた。

「……それを…………信じろと?」

 そう言った西沙せいさらぎを、さき見逃みのがさない。

「────清国会しんこくかいは今でも生きています。しかも御陵院ごりょういんは二番手の立場。おそらくは御陵院ごりょういん神社無くして現在の清国会しんこくかいは存在しなかったと言ってもいい。清国会しんこくかい復興ふっこう成功せいこうさせたのは麻紀世まきよ様…………一度うしなわれた金櫻かなざくら家と滝川たきがわ家の血筋ちすじを……復活ふっかつした御陵院ごりょういん家の血筋ちすじめ……麻紀世まきよ様が現在の清国会しんこくかいを作り上げました…………私はそれを守る立場たちば…………現在の当主として、私はあなたの謀反むほんゆるすわけにはいかない…………」

 しだいに強くなったさきの口調。

 しかしその真の感情かんじょうを、西沙せいさ見透みすかした。

 そして、まるでつぶやくように口を開く。

「……そんなにみんな………………私がこわいの?」

 素直すなおな気持ちだった。

 そして、西沙せいさは、さびしかった。

 すでに分かっていたこと。だからここを追い出された。みんなと共に生きていきたくとも、誰もがそれをのぞまない。

 家族かぞくなのに、一緒いっしょにいられない。


 ──……私は…………何を期待していたんだろう…………


 何のために産まれてきたのか。そんなおもいの無意味むいみさを西沙せいさは知っている。目的もくてきを持って産まれてくるわけではない。産まれてきたから、生きていく理由をもとめるだけ。

 そうでなければ、楢見崎ならみざき家で死んだ小さないのちの存在理由を見付けられないとも思った。

「────西沙せいさ!」

 涼沙りょうさいかりのさけびも、それは西沙せいさに向けられた恐怖きょうふからのもの。それもまた西沙せいさには手に取るように分かった。


 ──……分からないほうがいい…………

 ──…………分かりたくもない………………


 やがて、さびしくも強い目が西沙せいさ表情ひょうじょうめる。

 そして西沙せいさ無意識むいしき感情かんじょうが、こぼれ落ちた。

「……私に…………てるの?」



      ☆



 残暑ざんしょが通り過ぎていた。

 夏の終わりと秋のおとずれの季節きせつ


 杏奈あんなが車のエアコンを付けずにまど全開ぜんかいにして走り始めたのは経費節減けいひせつげん以外の何物なにものでもない。生活は相変わらず。何も変わってはいない。

 しかし西沙せいさと出会った一年前と同様どうように、杏奈あんなにとっては大事だいじ経験けいけんをした。

 あの後、西沙せいさからの説明で総てのカラクリを知ったが、やはり杏奈あんなにはむずかしい部分も多かった。感覚的かんかくてきな部分だろうか。やはり簡単かんたんな世界ではないようだ。

 世間せけんではオカルトという言葉でそれを総称そうしょうする。杏奈あんなもその中で仕事をしてきた。しかし、それは杏奈あんなの中で大きく変化する結果となった。

 そこにあったものは〝死者ししゃの世界〟などではない。

 〝生者せいじゃつながるおもい〟そのもの。


 ──……まだまだ……知らない世界がある…………


 御陵院ごりょういん心霊相談所。

 かよれたそこのとびらを開けた途端とたん杏奈あんな眉間みけんしわせていた。

「あ、お疲れ様です」

 いつもの美由紀みゆきの声。

 この光景こうけいは何も変わらないが、杏奈あんなにとって残念ざんねんなのはエアコンのかわいた空気がそこに存在しなかったこと。かろうじて空気を揺らす中古の扇風機せんぷうき懸命けんめいに首を振り続けていた。

 ソファーにはいつもの黒いゴスロリのまま横になった西沙せいさ。その西沙せいさ杏奈あんなに首だけを振って口を開いた。

「相変わらず景気けいきの悪そうな顔しちゃって」

西沙せいささんも暇そうじゃないですか」

 杏奈あんなはそう言いながら向かいのソファーにこしを降ろす。

 しかし相変わらず西沙せいさも負けない。

「昨日はいそがしかったんだよ。だから今日くらいはらくしたっていいじゃん。しかも今日はあついしね。やっと秋がやってきたと思ったのにさ」

「だったらエアコン止めることないじゃないですか。それを期待きたいしてきたのに」

「何をしに来たのよ」

 そして、その西沙せいさの前のからになったグラスを美由紀みゆきが下げ、新しく麦茶むぎちゃの入ったグラスが二人の前へ。

 その美由紀みゆきは以前と何も変わってはいない。

 あの夜、ここに戻ってすぐに西沙せいさ記憶きおくを消していた。

 美由紀みゆきは何もおぼえてはいない。自分が何をしたのか、自分が何者なにものだったのか、美由紀みゆきは知らないまま。

 西沙せいさは、美由紀みゆきを守った。

 どうやって記憶きおくを消したのかは、やはり杏奈あんなには理解出来なかった。簡単かんたんではないという西沙せいさの説明だったが、杏奈あんなが分かるのはそこまで。

 確かに簡単かんたんではなかった。

 それは自分のいのちけずるほどの〝密儀みつぎ〟。

 おそらく母親のさきだったとしても、御陵院ごりょういん神社の準祭壇じゅんさいだん活用かつようしてげられるかどうか分からないほど。

 過去かこ実際じっさいおこなわれた文献ぶんけんはどこにも存在しない。西沙せいさの見た過去かこの中で、御簾世みすよが自分のまごのためにおこなっただけ。そして御簾世みすよ実際じっさいいのちけずられた。むしろ、御簾世みすよはそのいのちささげてまでも楢見崎ならみざき家を守った。

 自分が始め、自分が作り上げてしまった〝のろい〟への〝責任せきにん〟として。

 それはときに〝代償だいしょう〟、もしくは〝見返みかえり〟と呼ばれる。

 行動や言葉、その総てに〝責任せきにん〟があることを杏奈あんなまなんだ。その意味を知ることになるとは考えてもいなかった。


 ──……ここに持ってくる仕事も厳選げんせんしないとね…………


 西沙せいさがなぜその〝密儀みつぎ〟を成功せいこうさせることが出来たのか、それは西沙せいさ自身にも理解りかいおよばない部分はあった。


 ──……やっぱり…………御簾世みすよさんかな…………ありがとね…………


 大きく開かれたまどから、少し湿度しつどともなったおもい空気がカーテンを揺らす。

 真夏まなつよりは幾分いくぶん軽く感じられた。

 その風が立てる小さな音。


 風鈴ふうりんの音。


 音を追いかけた杏奈あんなが見上げた先には、カーテンテールに下げられた鉄製てつせい風鈴ふうりん

「あれ……? この風鈴ふうりん…………」

 思わず杏奈あんなが口にする。

 すると西沙せいさが返した。

「音がすずしさをはこぶなんて不思議ふしぎだよね……ただの音なのにさ。誰もがそう感じるのに物理的ぶつりてきにはありえない…………世の中には不思議なことがまだまだあるんだね」

「これ……あそこの?」

 それは〝風鈴ふうりんやかた〟で見た物と同じに見えた。

「うん……沙智子さちこさんにもらったの。楢見崎ならみざき家に下がってたヤツ。魔除まよけにもなるからって…………いい音でしょ?」


 ──…………ホントだ…………いい音…………


 そう思った杏奈あんなの表情がやわらかくなった。

 その表情に、西沙せいさも笑顔を浮かべる。

 それに返すように、杏奈あんなが口を開いた。

「結局、どうして〝風鈴ふうりんやかた〟に自殺者じさつしゃあつまってたんでしょうね…………」

「さあね」

 風鈴ふうりんを見上げた西沙せいさが続ける。

麻紀世まきよさんや御簾世みすよさんからすれば見付けてほしかったのもあるだろうし…………でも、自殺者じさつしゃとむらってほしいって気持ちもあったんだろうね」

「思いとどまらせようとは…………」

「まあ、本人たちに聞かなきゃ分からないけど…………総てをてようとしてそこに来た人たちの…………覚悟かくご無駄むだにしたくなかったんじゃないかな…………自殺じさつを悪いことだって言うのは簡単だよ。例え宗教的しゅうきょうてきな理由を持ち出したとしてもさ。でも、それだけの覚悟かくごを持った人の気持ちにうのはむずかしいことだよ…………だからみんな宗教しゅうきょうを持ち出す…………」

 そう言う西沙せいささびしそうな目を見ながら、杏奈あんなは何も返せなくなっていた。


 ──……やっぱり……私にも覚悟かくごがいる…………


「あの屋敷やしきってあのままなんですか?」

 杏奈あんなのその素直すなお疑問ぎもんに、西沙せいさはすぐに返していく。

「取りこわすんだってさ。あやしげな心霊スポットになったらこまるでしょ」

 もちろん〝こまる〟のではなく、そうなったらさびしいというのが本音ほんね過去かこの時間と共に消えていくのが一番だと、西沙せいさはそう思った。

 杏奈あんな微妙びみょう表情ひょうじょうつぶやく。

「人がまなくなっただけで幽霊が出るようになるなんて…………どう考えたって生きてる人間に都合つごうがいいだけですもんね…………」

 その〝心霊スポット〟を仕事のネタとしてきたところもある。そんな自分が西沙せいさに何か返せるほど人生じんせいふかみはない。それでもあの場所を誰かにらされる未来みらいには抵抗ていこうを感じる。そのくらい今回のけんに関しては杏奈あんな感情移入かんじょういにゅうしていたと言えるだろう。

 やがて、そんな杏奈あんな視線しせんを戻した西沙せいさが口を開いた。

松戸まつどさんに電話でもしておいてよ。心配しんぱいしてたからさ」

「そうですね」

 杏奈あんなが何かを振り切る。

 僅かに変化したその表情ひょうじょうに、西沙せいさが入り込んだ。

「で? 何か新しいネタでも持ってきてくれたの?」

「実は不思議ふしぎに思ってたことがあるんですけどね。あそこでの会話で…………私たちの〝いま〟は過去かこの人たちにとっては未来みらい。でも私たちの未来みらいは、未来みらいの人たちにとっては過去かこ。〝いま〟って、どこなのかなって思ってて…………考えると頭が混乱こんらんしてきまして…………」

 すると西沙せいさはすぐに返す。

「だから…………過去かこいまも…………未来みらいも同じ所にある…………そういうことだよ」


 ──……あれ?


 西沙せいさの中に、初めて沙智子さちこがここをおとずれた時の光景こうけいが頭に浮かんだ。


 ──……私が長男の存在に気付いただけで沙智子さちこさんは泣き出した…………


 ──……もしかして……沙智子さちこさんの子供って、あの運転手の…………


 西沙せいさはなぜか、不意ふいにそんなことを考えていた。

 楢見崎ならみざき家の運転手のことは杏奈あんなには話していない。あくまで沙智子さちこのプライベートな部分。西沙せいさ過剰かじょう干渉かんしょうきらった。

 入り込み過ぎずに、受け入れるだけ。


 ──……そっか…………だからあんなに必死ひっしに…………


 ──……でも、あとは……沙智子さちこさんの物語…………


 西沙せいさの口にかすかにやさしいみが浮かぶ。

 しかし杏奈あんな職業柄しょくぎょうがら疑問ぎもん追求ついきゅうしたいタイプなのか、西沙せいさになおも食い付いた。 

「またむずかしい言い方して……運命うんめいは決まってるってことですか?」

雑誌ざっしのライターがそんなやすっぽい表現ひょうげんしないでよ…………かんじればいいだけ…………理屈りくつ説明せつめいが出来るなら私みたいな人間は必要ひつようない…………」

「でも…………」

 そう返しながら、みを浮かべた杏奈あんなが続けた。

「〝いま〟の西沙せいささんに会えなかったら…………〝いま〟の私はここにはいませんよ」

「エアコン動いてないって文句もんく言ってたくせに」

「私も風鈴ふうりん買ってこようかなあ」


 小さな風鈴ふうりんの音が渡っていく。

 その音は、外から少しだけ、雨の匂いをはこんだ。



      ☆



 雨の音が、私はおさなころから好きだった。

 その音は、風鈴ふうりんの音に似ている。

 そんな気がするから。





     〜 あずさみこの慟哭どうこく 

            第一章「聖者の漆黒しっこく」終 〜

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あずさみこの慟哭 中岡いち @ichi-nakaoka

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