第一章「聖者の漆黒」第三部「回天」第2話

が妹の西沙せいさが……こちらに御邪魔おじゃましたようで…………」

 そう言った綾芽あやめ依然いぜん僅かに視線を落としたまま。

 距離を置いて正面に座る由紀恵ゆきえと視線を合わせようとはしない。

 かすかに見える綾芽あやめの細い目。

 その目に、由紀恵ゆきえは恐怖にも似た感覚を抱いていた。

 理由は分からなかったが、それでもその不安のようなものを声には見せない。

西沙せいさ様の姉君あねぎみ様でいらっしゃいましたか……神社の御産まれとは聞いておりましたが…………その御実家ごじっかの方が何用でございましょう? 私共わたくしどもは神社とのえんなどはございませんし…………」

左様さようでございますか……」

 小さく息を吐いた綾芽あやめが続けた。

「我々御陵院ごりょういん神社は……古くより〝はらごと〟の為のみに作られたやしろ。しかし同時に、私たちにはせられた役割がありました……それは…………〝楢見崎ならみざき家を影ながら守ること〟…………」

「〝守る〟? 守るとは…………一体何のことを…………」

 由紀恵ゆきえは反射的に応えていた。

 突然現れた会ったこともない巫女みこ

 そしてその神社が自分たちを守ってきたという。信じられるほうが無理があるだろう。

 綾芽あやめの言葉が続いた。

「歴史から生まれた〝かせ〟のようなものでしょうか…………我々は……代々その〝かせ〟を守り続けて参りました…………神社を出た妹の西沙せいさは知りません。しかるに今回の一件、私たちに……引き継がせて頂きたいのです」

 由紀恵ゆきえと娘の沙智子さちこの求めているもの。

 それは〝楢見崎ならみざき家ののろい〟をいて欲しいというだけ。

 決して楢見崎ならみざき家を守って欲しいわけではない。そこにどんなつながりがあるのか、それは由紀恵ゆきえの思考を超えていた。何も状況が飲み込めないまま、何を信じればいいのか、その歴史はあまりにも遠い。

「私たちは……楢見崎ならみざき家に掛けられた〝のろい〟をいて欲しいだけです……それを西沙せいさ様にお願いしただけのこと…………」

「その〝のろい〟…………」

 そう言った綾芽あやめはあくまでゆっくりと、静かに続けた。

「……それこそが〝かせ〟です…………くことは妹でも難しいでしょう。妹は……その〝真実しんじつ〟を知りません…………」


 ──…………〝真実しんじつ〟…………


「つまり、御陵院ごりょういん様はその〝真実しんじつ〟を……知っていると…………?」

 知りたかった。

 ただ純粋じゅんすいに、由紀恵ゆきえは知りたかった。

 楢見崎ならみざき家にせられた〝かせ〟。それに苦しめられてきた年月ねんげつと、みずからのおかしたつみが頭をぎる。


 ──……どうして…………こんな生き方をしなければならない…………



      ☆



 久保くぼ美由紀みゆきの両親が離婚したのは物心ものごころがついたばかりの頃だったと記憶している。

 正直、美由紀みゆき自身にも明確な記憶はない。あるのはおぼろげな父親の記憶だけ。特定の思い出もなかった。

 それから母親が家にいたことはほとんどなかった。

 帰ってくることもあれば帰ってこないこともある。

 食べるものは母親が買ってきてくれるのでそれほどこまった記憶はない。

 ただ、母親と一緒に食べたことはない。

 思い返せば、決してまともな食生活ではなかった。

 しかしまだおさなかった美由紀みゆきにそんなことが分かるはずもない。それが当たり前だと思っていた。栄養えいようかたよりがどうかなど考える余地よちもない。

 他の子供の生活も、他の家庭も知らない。

 だから、母親から暴力ぼうりょくるわれるのも、そういうものなのだろうと受け入れた。

 それでも決してうれしいものではない。

 いやだった。

 いたく、くるしかった。

 それでも〝いのち〟という言葉の意味も理解出来ないままに、美由紀みゆきの世界は母親しかない。

 母親以外からの暴力ぼうりょくもあった。

 誰なのかは分からない。

 色々な男性が母親と共にやってきては、家にしばらく出入りする。

 定期的に入れ替わるが、その誰もが美由紀みゆきに対して暴力ぼうりょくるった。

 小学校にもかよわせてもらえなかったが、美由紀みゆきには小学校の存在すら分からない。

 ある日、スーツ姿の大人たちがアパートの部屋に押しかけた。

 美由紀みゆきには分からない言葉で母親と言い合っている。

 理解出来たのは、母親がヒステリックになっていることだけ。

 そして、その夜から美由紀みゆきは大きな施設しせつねむることが出来た。

 それ以来、母親に会うことはなかった。

 お風呂に入れてもらい、見たこともないような料理が目の前に並ぶ。

 食べ方も分からないような食事をとった。

 夜に部屋の電気が付いていることにすら美由紀みゆき戸惑とまどう。夜であることを忘れた。

 初めておなかいっぱいごはんを食べた。

 初めてのやわらかい布団ふとんは少し落ち着かなかった。

 まわりには同じくらいの歳の子供たちがいた。

 こんなに大勢おおぜいの人間に会ったことがない。

 それだけでも美由紀みゆきにとっては恐怖だった。

 しかし、ここに暴力ぼうりょくはない。

 白衣はくいを着た大人が身体中からだじゅう怪我けがなおしてくれた。

 ここに、くるしみはなかった。

 小学校にかようようになると、少しずつ、色々なことを知っていく。

 そして初めて、母親というものが何なのかを理解する。

 しかし、再び母親が美由紀みゆきの前に姿を現すことはなかった。

 そして、新しい家族も見付からないまま。

 中学を卒業する頃にはだいぶ世の中の仕組しくみも理解出来てきた。

 〝支援しえん〟というもので高校にも入学出来た。

 それが有難ありがたいことなのは理解出来たが、同時に美由紀みゆき選択肢せんたくしがなかったのも事実。

 自分で選んだ人生ではない。

 しかし、そうすることでまわりの大人たちもよろこんでくれた。

 自分の意思いしがあったわけではない。

 どうするべきかを考えていたわけではない。

 ただ、大人に反抗はんこうしてはいけないことだけは、母親から学んでいた。

 それでも、その感情は誰に対しても同じだった。美由紀みゆきは人と関わるのを極端きょくたんけた。自分の成長と共に、まわりの学校の生徒たちも大人に見えた。いつ自分に暴力ぼうりょくるうか分からない大人。だからこそ出来るだけ人と接するのをきらった。

 相手から接してくる時、美由紀みゆきは相手を怒らせないように意識した。それは極度きょくど美由紀みゆきつかれさせていく。


 初めは西沙せいさに対しても同じだった。

 友達のいない美由紀みゆきになぜかからんでくる。

 それでも決して威圧的いあつてきなわけでないことは分かった。

 やがて西沙せいさにも友達がいないことを知ると、美由紀みゆきの気持ちが少しずつ変化していった。

 それでも西沙せいさ美由紀みゆきのようにおびえて学校の廊下を歩くようなタイプではない。美由紀みゆきから見ても、西沙せいさは常に堂々としていた。美由紀みゆきよりも頭ひとつ分は身長が低く華奢きゃしゃに見える印象いんしょうだが、常に大股おおまたで歩き、美由紀みゆきを引っ張っていたのは西沙せいさ

 自分とは正反対のはずの西沙せいさと、いつの間にか美由紀みゆきは一緒に行動することが多くなっていった。もちろん最初に声をかけるのはいつも西沙せいさ。授業の終わりと共にいつも西沙せいさ美由紀みゆきの教室の外で待っていた。

「今日もどこか寄ってく?」

 西沙せいさがどこにらしているかは分からなかったが、いつも西沙せいさ美由紀みゆき養護施設ようごしせつまで一緒に帰ってくれた。美由紀みゆきの家が養護施設ようごしせつだと知っても西沙せいさは決して距離を置かない。他の同級生は違った。どこか美由紀みゆきさげすんだ目でいつも見てくる。それは美由紀みゆきにとっては他人からの拒絶きょぜつほかならない。美由紀みゆき西沙せいさがいつも自分を気にかけてくれているのが分かった。

 初めて他人というものを意識する。

 西沙せいさのことを知りたいと思った。初めて他人に対して興味を持った。

 それが西沙せいさだった。

「私も一人だよ。古いアパートなんだけどさ」

 西沙せいさが教えてくれた。実家じっかはあるということだが、くわしい話を聞くのはまだ先。

 西沙せいさいじめにあっていることも知った。美由紀みゆきもあやふやではあったが、自分がいわゆるイジメの対象になっていることは自覚じかくしていた。全く違うタイプなのに、どこか西沙せいさと自分の共通点を感じて美由紀みゆきは不思議とうれしかった。

「なんか言ってくるようなやつらにはさ、堂々と言い返してやればいいんだよ」

 いつものように教室の外にむかえにきてくれた西沙せいさがこう言うが、やはり美由紀みゆきには難しい。

 廊下からくだりの階段に進路を変えた時、突然け上がってきた女生徒が西沙せいさの横をすり抜けたかと思うと、そのすぐ後ろの美由紀みゆきの肩に体を当ててきた。明らかに意図的いとてきな体の動きであることは美由紀みゆきにも分かった。

 美由紀みゆきはその生徒と目が合う。同じクラス。いつもと同じ冷たい目がそそがれるが、反射的はんしゃてき美由紀みゆきは目をらす。

 そして相手の生徒の小さな笑い声が美由紀みゆきの耳に届いた時だった。

「おい」

 決して大声ではない、それでいて低く響く西沙せいさの声。

 背後の足音から、生徒の足が止まったことが分かった。

 西沙せいさが頭だけを回して生徒に目を向けた。

 その目は、初めて美由紀みゆきが見る、するどさ。

「私の友達にそんな目を向けるな」

 誰も何も返せないままに西沙せいさが続ける。

「今度、美由紀みゆきにそんな目を向けたら────つぶすぞ」

 翌日、西沙せいさが職員室に呼ばれたことを知った。まわりから聞こえてきた声では、初めてではないらしい。

 それでも美由紀みゆきうれしかった。

 初めて自分を守ってくれた。そんな人がいることがうれしかった。

 基本的に美由紀みゆきは他人を信用しない。

 出来なかった。

 そんな美由紀みゆきただ一人ひとり気持ちをゆるせる相手。

 それが西沙せいさだった。





 立坂たてさかが税理士として御陵院ごりょういん神社に入ったのは、西沙せいさがまだ中学に入ったばかりの頃。

 御陵院ごりょういん神社に税理士が入ったのは立坂たてさかで三人目だった。通常通りに前任ぜんにんの税理士から仕事を引きぐ。最初に立坂たてさかは過去の帳簿ちょうぼに目を通すことから始めたが、すぐにさき疑問ぎもんをぶつける。

 立坂たてさかの事務所に顔を出していたさきを奥の部屋に通し、立坂たてさかが口を開いた。

「毎年、他の神社におくられているお金がありますね…………この〝御見舞おみまきん〟というのは…………」

 するとさきは顔色ひとつ変えずに返す。

立坂たてさかさんは……神社は初めてでいらっしゃいましたね」

「ええ」

おそらくは特殊とくしゅな世界なのでしょう……私たちの世界はこの国の歴史と表裏一体ひょうりいったいです…………総ての神社にはつながりがあるのですよ……ですから現在は神社庁じんじゃちょうというものが存在しています。税金の面でも他の企業様とは相違そういがあるようですが…………」

「はあ……まあ、それはそうなんですが…………しかしこの金額の大きさは……このままでは使途不明金しとふめいきんと同じです…………」

 立坂たてさかとしても今回初めて神社を取引先とすることで、改めて古い書籍しょせきを何冊か読みあさっていた。確かに特殊とくしゅな世界だ。一般的な企業とは大きく違う。みずからの税理士事務所を立ち上げてからすでに二〇年近くになる立坂たてさかから見ても、やはり戸惑とまどう部分が多い。

「今までの方々は〝特殊とくしゅなやり方〟があるとおっしゃっていましたが…………」

 そのさきの言葉に、立坂たてさかの目付きが変わる。

 そしてそれは、さきに対しての見方を変えた最初の瞬間しゅんかんだった。


 ──……裏帳簿うらちょうぼか…………


 同じ頃、中学に入ったばかりの西沙せいささき祭壇さいだんへと呼び出されていた。

 夜。

 すでに遅い時間だった。

 家でもある神社では基本的に西沙せいさ巫女みこ服だったが、それは修行しゅぎょうの為。学業以外は基本的に修行しゅぎょうの時間に当てられていた。プライベートな時間はほとんど存在しない。

 それでもその夜のつとめはすでに終わり、西沙せいさも私服に着替えたばかり。相変わらずの派手はでな服装にさきまゆを細めた。

「相変わらず派手はでですね…………まあ構いませんが…………」

 二人の姉は西沙せいさに言わせると地味じみ印象いんしょうだった。というより西沙せいさだけがなぜか派手はでなものをこのんだのも事実。さきも不思議だったが、決して巫女みこ修行しゅぎょう影響えいきょうが出ているわけではないこともあり、それを個性こせいとしか見ていなかった。

「今夜はあなたに、大事だいじな話をしなければなりません…………」

 さきはそう切り出すと、向かいに正座する西沙せいさに向かって語り始めた。

御陵院ごりょういん家に伝えられる大事だいじな役割についてです…………これは天照大神あまてらすおおみかみ様からの使命しめい心得こころえなさい。われらはもとかげながらささえてきた〝清国会しんこくかい〟…………その中にあっても、われ御陵院ごりょういん家は中核ちゅうかくす存在です」

 そして雄滝おだき神社と金櫻かなざくら家の歴史が続く。

 しかしそれらを聞いても、西沙せいさは顔色ひとつ変えない。

 それでもさきが続ける。

「もちろんこのことは口外こうがいゆるされません。すでにあなたの姉の綾芽あやめ涼沙りょうさにも伝えていること…………しかし西沙せいさ……あなたには特別なことを伝えなくてはなりません…………あなたは普通の〝御子おこ〟ではありません…………あなたはイザナギとイザナミの御子おこ────〝蛭子ひるこ〟の産まれ代わり…………これはあなたが産まれる前から決まっていたこと…………〝運命さだめ〟です」

 しかし、西沙せいさおどろいた反応はない。

 そればかりか、自分の目をだまって見つめる西沙せいさの目から、さきは目を離せなくなっていた。

 西沙せいさからこんな感覚を感じたのは初めてのこと。

 僅かながら、さき西沙せいさに〝恐怖きょうふ〟にたものを感じていたのかもしれない。

 西沙せいさの口角がかすかに上がる。

 そしてその口が小さく開いた。

「…………私は…………お母さんの子じゃないの?」

 それに、さきはすぐには返さない。


 ──…………私は…………あなたの…………


「そうです…………あなたは…………この国の歴史を動かす運命うんめい御子おこ…………」

「そう…………あまり興味きょうみないけど…………勝手かってにやってよ」

 西沙せいさはそれだけ言うと、立ち上がって祭壇さいだんを後にする。

 なぜか、さきは取り残された気持ちだった。

 何かがむねの中にこびりつく。


 ──…………なんだ…………このざわつきはなんだ…………


 それから数ヶ月の間、立坂たてさか御陵院ごりょういん神社のことを調べ続けていた。

 季節はすでに秋。

 清国会しんこくかいの存在に辿たどり着くのは決して難しいことではなかった。もっとも、戦時中の資料までさかのぼったのは事実。まるで都市伝説だった。もしくは古いB級映画か。

 しかしその資料の数々が表すのは、国を裏でささえてきた神道しんとうのいわば秘密結社ひみつけっしゃ

 最初は立坂たてさかも信じられなかった。

 どう考えても子供じみて見えた。

 そして、清国会しんこくかいのことを調べているのは立坂たてさかだけではなかった。

立坂たてさかさんでしょ? 初めまして。御陵院ごりょういん家三女の西沙せいさです」

 気さくに話しかけてきた西沙せいさに、立坂たてさかも初めは何の警戒心けいかいしんも抱いてはいなかった。しかし突然事務所におとずれたことにはおどろいていた。立坂たてさかはただの税理士。中学生に興味きょうみがある世界とも思えない。

 応接室おうせつしつに通された西沙せいさは、お茶が運ばれてくるよりも先に、すぐに口を開いた。

「少し確認したいことがありまして…………」


 ──……随分ずいぶん大人おとなびた言い回しをする子だな…………


 立坂たてさかの最初の印象いんしょうだった。相手はまだ中学生。見た目の印象いんしょう華奢きゃしゃだ。堂々とした態度とその印象いんしょうは大きく掛け離れている。それが西沙せいさ意図いとしたことなのか無意識むいしきのことなのかは分からなかった。

 その西沙せいさが続ける。

清国会しんこくかいを調べてるのって、立坂たてさかさんですよね」

 後になってみると回りくどい言い回しをしない西沙せいさらしい直球ちょっきゅうだったが、さすがにこの時の立坂たてさかおどろいた。と同時に、向かいのソファーに座ったまま、身構みがまえた。


 ──…………バレたか…………


 しかし、次の西沙せいさの言葉に立坂たてさか梯子はしごを外される。

「私も調べてるんですよ。色々と…………立坂たてさかさんの痕跡こんせきがあったもので誰かと思って調べたらウチに出入りしてる人だったので来ちゃいました」

「調べてる…………?」

 そう言って僅かに身を乗り出した立坂たてさかに、西沙せいさが続けた。

立坂たてさかさん…………あちこちに手を伸ばして清国会しんこくかい辿たどり着いたってことは、神社の帳簿ちょうぼに気になる部分があったからでしょ? 立坂たてさかさんが清国会しんこくかいがわだったらそんなことするはずがない。どうせ母に〝上手うまくやってくれ〟とでも言われたんでしょうけど…………私も母から清国会しんこくかいのことは聞きました…………でも正直胡散臭うさんくさくて」

 西沙せいさはなぜか笑顔だった。

 その笑顔にどう返していいか分からないままの立坂たてさかに、なおも西沙せいさが続ける。

「私は清国会しんこくかいを信じていません。まともな組織とは思えないからです。神社に産まれた娘がこんなこと言うとおかしく思うかもしれませんけど…………神様なんて会ったこともないし、古事記こじきとか天照あまてらすとか言われても、それがリアルとは思えませんよ」

「まあ…………ええ…………」

「ですので……私は清国会しんこくかいつぶします」

 そこには変わらない西沙せいさの笑顔があった。

 西沙せいささきからつたえ聞いた〝口外こうがいしてはいけない話〟を、この時に立坂たてさかは総て聞くことになる。

 なぜ西沙せいさがそこまでするのか、この時の立坂たてさかには分からなかった。

 そして二人は清国会しんこくかいのことをさらに調べ続けた。

 御陵院ごりょういん神社の経理けいり誤魔化ごまかしながら。

 もしかしたら立坂たてさかは、西沙せいさ魅入みいられていたのかもしれない。立坂たてさか自身も感じる時がある。それでもいつの間にか、西沙せいさがしようとしていることが間違っているとは思えないと考えるようになっていた。

 しかしこうも思う。


 ──……色々な意味で、犯罪はんざいだけどな…………


 あくまで裏の活動。決してスピード感のある動きではなかったが、少しずつ清国会しんこくかい実態じったいが分かってきた。


 やがて中学卒業間近まぢか西沙せいさの力が大きなトラブルを起こす。

 そんな時、二人の娘からも神社からの西沙せいさ排除はいじょ提案ていあんされてこまっていたさきに、自分を利用することを提案ていあんしたのは立坂たてさかだった。

「私が身元引受人みもとひきうけにんになりましょう…………西沙せいささんの居場所いばしょは私のほうで作ります…………いずれは普通に就職しゅうしょくともいかないでしょうから…………」

 やがて立坂たてさか名義めいぎでアパートを契約けいやくし、そこから西沙せいさは高校にかようことになる。


 西沙せいさ美由紀みゆきに出会ったのはその高校にかよってからだった。

 西沙せいさから見た美由紀みゆきは、特別な存在に見えていた。オーラなどという安っぽい表現ではない。しかし西沙せいさは遠くからでもそれを感じていた。

 美由紀みゆきの〝力〟は間違いなく自分と同等かそれ以上。

 しかし本人に自覚じかくはない。

 目覚めざめてもいない。

 西沙せいさはしばらく声を掛けるようなことはしなかった。例え強い力を持っていたとしても、本人が自覚じかくしていないなられないほうがいいと思っていた。そのまま一生いっしょうを終えられるならそのほうがしあわせなのかもしれない。西沙せいさはそうも考えた。

 そして、ただ遠くから見守り続ける。

 関われば関わるだけ、リスクは間違いなく大きくなるだろうと考えた。


 しかし、やがてさきに見付かる。


 同級生とごとを起こした西沙せいさのために学校に呼び出されたさきは、生徒指導室でも当然のように説教を始めた。

「高校に入ってもこれでは…………私もひまな身ではないのですよ」

 そう言いながらも、こういう時は必ずさきが出向いた。それはさき西沙せいさの能力の〝しつ〟を理解していたからにほかならない。

 人をまどわせる〝幻惑げんわく〟。何の能力も持ち合わせていない父親では西沙せいさに丸め込まれることが容易よういに想像出来た。しかも西沙せいさは他人の目を見るだけで意識をあやつることが出来る。

 教師になだめられる形で学校を後にしようとした時だった。

 校舎の入り口でさきが足を止める。

西沙せいさ……私はこの学校には初めて来ましたが…………どうやら〝つよ人物じんぶつ〟がいるようですね…………」


 ──…………マズい…………


 西沙せいさは反射的に思っていた。

 西沙せいさのものと間違うわけがない。

 それは、この学校で一番の能力者のうりょくしゃの存在にさきが気付いたということ。

 そしてその西沙せいさあせりも、さきに気付かれる。

 さきはそれまでとは違うやわらかい笑顔を西沙せいさに向けて続けた。

西沙せいさ…………一度、神社までれて来なさい」

 このままでは、いつかさき美由紀みゆきに直接接触せっしょくしないとも限らない。

 西沙せいさは危険を感じながらも美由紀みゆきに近付き、そして美由紀みゆきを守り続けた。


 ──……絶対ぜったいに…………清国会しんこくかいには利用させない…………



      ☆



 杏奈あんなとホスピス医院をおとずれたその夜、夕ご飯どき

 昨日のうちに美由紀みゆき仕込しこんで一晩ひとばん寝かせておいたハンバーグ。

 美由紀みゆきとの食事の時間は西沙せいさにとっての楽しみの一つ。仕事の関係で毎晩まいばんというわけではないので、一緒に食べられる時間を大事だいじにしていた。

 楢見崎ならみざき家や去年の〝悪魔祓あくまばらい事件〟、それとは別件べっけんで〝風鈴ふうりんやかた〟に御陵院ごりょういん家がからんでいた。あまりにも複雑な状況じょうきょうおちいっているのは西沙せいさも実感するところ。正直、まだ何もまとまってはいない。どこに切り口を見付ければいいのかも分からない。

 それでも、西沙せいさは今の時間を楽しみたかった。

 美由紀みゆきは外で食事をすることをきらった。

 極度きょくど人見知ひとみしり、と言えば簡単だが、西沙せいさから見ればそれは極度きょくど感受性かんじゅせいの強さに他ならない。西沙せいさのようにコントロールが出来るなら問題はないが、他人の感情が容赦ようしゃなく意識に入り込んでくるというのは気持ちのいいものではないだろう。それが複数となればなおさらだ。

 学生の頃、美由紀みゆきにとってそれは自分にマイナスの感情を持った〝ねん〟でしかなかった。いまだにそれはトラウマのように美由紀みゆきくるしめ、現在にいたる。しかも美由紀みゆきは自分の体質の本質をいまだ知らない。

 だからこそ、西沙せいさ美由紀みゆきとの時間を大事だいじにしたかった。

「相変わらず美由紀みゆきの料理は美味おいしいねえ」

 最近は美由紀みゆきの部屋で食べることが多い。ここ半年ほどで美由紀みゆきが料理の腕を上げたことも理由だろう。元々趣味しゅみらしい趣味しゅみもなかった美由紀みゆきだったが、西沙せいさからすると美由紀みゆきに好きなものが増えるのはやはりうれしかった。

 とはいえ、これから美由紀みゆきがどうやって生きていけばいいのかは西沙せいさでも未知数みちすうな部分が多い。死ぬまで西沙せいさが見守っていけるならばいいが、そこがくずれた場合がまだ〝見えない〟。

「いつの間に勉強してるの?」

 なんとなく想像出来てはいたが、あえて西沙せいさは聞いてみた。

 しかし返ってくる美由紀みゆきの言葉は想像通り。

「ネット」

実際じっさいに料理の勉強が出来てるならたいしたものだけど……」

「間違ってるのもあるけどね……でも勉強していけばその間違いも分かるし」

 そう返しながら美由紀みゆきはハンバーグをはしくずしていく。やわらかすぎずかたすぎず。それでいてほどよく閉じ込められた肉汁にくじゅうが香りを広げた。

 西沙せいさ早速さっそくそんなハンバーグを口に運び、その度に顔がほころぶ。口の中に広がる〝やさしさ〟を感じた。それは美由紀みゆきの他の料理からも感じられるもの。味噌汁みそしるのレシピからごはんき方までに知識の集積しゅうせきを感じる。それが西沙せいさにはうれしかった。


 ──……私も少しは見習みならうか…………


 そんなことをいつものように感じる。

 おさらの上が綺麗きれいになり、二人で片付けを始めた頃、美由紀みゆきが意外な言葉を口にした。

「この間の仕事は? 黒い浴衣ゆかたの女の人…………」

 嫉妬しっとの口調でないことはすぐに分かった。あれから何も進展がないままであることは美由紀みゆきに特別説明しているわけではないが、美由紀みゆきにはそれをさっする〝するどさ〟ももちろんある。

「うん……あそこね……」


 ──……こういう返事はダメだな…………


 反射的に返したとはいえ、相手に不安を感じさせるような応え方は自分でも反省するところ。同時に、今まで美由紀みゆきが仕事の進捗しんちょくたずねてきたことがなかったということもあり、おどろいたというのも正直な部分。

めずらしいね。そんなこと聞いてくるの」

 西沙せいさは何かを振り切るように逆に聞き返していた。

 美由紀みゆきは電気ケトルに水を入れてスイッチを押すと、花柄はながら急須きゅうす緑茶りょくちゃのティーパックを一つ。マグカップ二つと共にテーブルへ。

 おたがいにテーブルをはさんで座り、最初に口を開くのは美由紀みゆき


 そして、その目が瞬時しゅんじに変化した。


「……〝風鈴ふうりんやかた〟…………御陵院ごりょういん麻紀世まきよと……楢見崎ならみざき御簾世みすよがいる…………ってる…………」


 言い終わる前に、美由紀みゆきの目を、西沙せいさの右手がおおっていた。

 左手で美由紀みゆきの背中をささえるようにしながら、美由紀みゆき意識いしきを戻し始める。

 西沙せいさの中に、美由紀みゆきの〝見えているもの〟が流れ込んだ。


 ──……総て……つながった…………


 ──……あの時会っただけで……そこまで見えたって言うの…………?


 ──…………やっぱり私以上か…………


「ありがとう……美由紀みゆき…………」


 ──……引きぐよ……後はまかせて…………もう忘れていい…………


 西沙せいさが右手を顔からはなすと、美由紀みゆきは意識が戻ったかのように目を見開いておどろく。

「少しつかれてた? 今日は早目はやめに休んで」

 美由紀みゆき意識いしきを〝うばった〟西沙せいさの声は、やさしかった。

 美由紀みゆきの中には何も残されてはいない。



      ☆



 時が過ぎていた。

 文明ぶんめい九年。

 西暦にして一四七七年。

 応仁おうにんらんいまだ終わらず。

 益々ますます世相せそう混沌こんとんとしていた。

 血生臭ちなまぐさきょうみやことは別に、清国会しんこくかい権力争けんりょくあらそいも混迷こんめいを強める。

 すでに〝かみ〟と言われた金櫻鈴京かなざくられいきょう世継よつぎが三人産まれたとの話は方々ほうぼうに広がり、その存在を〝しがる〟かくやしろの動きもせわしなくなっていた。

 清国会しんこくかいでの立場を確固かっこたるものとしたい御陵院ごりょういん麻紀世まきよにとってもそれは同じこと。

 しかし懸念けねんもある。

 楢見崎ならみざき家にいる妹────御簾世みすよ

 御簾世みすよ御陵院ごりょういん神社に世継よつぎが産まれないようにのろう────と言い、事実、婿養子むこようしを入れて何年にもなるのに麻紀世まきよいまだに世継よつぎを産めないまま。

 〝のろい〟とは、ねんじたからとて簡単に実現出来るものではない。密儀みつぎおこなうことの出来る御陵院ごりょういんの人間でもむずかしいもの。その為の準祭壇じゅんさいだんが用意されているほど。


 ──……準祭壇じゅんさいだんも使わずに……おそろしいいもうとだ…………


 従者じゅうしゃの一人、楢見崎ならみざき家への隠密おんみつ活動をさせていた者がいた。ほどなくその従者じゅうしゃからの〝御簾世みすよ男子おのこが産まれた〟とのほうが入る。


 ──…………ころす…………


 まよい無く、麻紀世まきよは思っていた。


 ──……何人世継よつぎを産もうとも……それは御陵院ごりょういんの〝〟ぞ…………


 麻紀世まきよ連日れんじつ準祭壇じゅんさいだんの前を動こうとはしなかった。

 ただただいのり続けた。

 産まれたばかりのいのちつ為。

 みずからと同じ、御陵院ごりょういんの〝〟を受け継いだ小さないのちつ為。

 一度はさらうことも考えた。しかし御簾世みすよの顔が頭に浮かぶだけで、それは殺意さついへと形を変えていく。


 ──……死ね……死ね…………死ね………………


 ──………………くるしめ………………くるしめ………………


 なぜか、亥蘇世いそよの顔が頭に浮かんでいた。


 ──…………これが……亥蘇世いそよの望んだ未来だと言うのか…………


 燭台しょくだい松明たいまつが揺れた。

 大きく起き上がったかと思うと、火のき散らしながら、その光のかたむいた燭台しょくだいと共に麻紀世まきよの上へ。

 またた巫女みこ服をほのおつたう。

 その大きな音にけつけた使用人によって麻紀世まきよ一命いちめいを取りめた。しかし体の半分程と、顔に、大きな火傷かけどあとを残す。

 そして、もはや子供を産める体では無くなった。

 それを麻紀世まきよは〝のろいの代償だいしょう〟だと感じた。


 ──……かまわぬ…………御簾世みすよの子供を殺せれば…………


 その〝ねん〟の強さを、楢見崎ならみざき御簾世みすよはまだ感じていなかった。

 しかし男子が産まれて六月むつきほど。

 それは何の前触まえぶれも無く、突然とつぜんだった。

 午後、使用人が昼寝をさせようとしていた時。

 突然とつぜん、血を吐いてくなる。

 すぐに御簾世みすよは感じた。

 全身でこと顛末てんまつを感じる。


 ──……かえしおったか…………麻紀世まきよ…………


 一年ほどのち

 女子おなごが産まれる。


 ──……殺させぬぞ…………麻紀世まきよ…………


 御簾世みすよは総ての力をけずられてもかまわないと思っていた。

 御陵院ごりょういん神社の準祭壇じゅんさいだんなど必要の無いその能力の強さをみずかおそろしくも感じながら、三日三晩いのり続けた。その〝見返みかえり〟さえも一度はけた。麻紀世まきよの〝のろがえし〟など御簾世みすよにとっては簡単にね返せると感じていた。

 しかし、その日々は恐怖につつまれる。

 いつ子供が突然とつぜんいのちたれるかと考えながらの日々は、まさに〝地獄じごく〟。


 ──……これがのろいの〝代償だいしょう〟だというのか…………


 毎日が、神経しんけい精神せいしんけずっていく。


 産まれない恐怖きょうふか、殺される恐怖きょうふか。

 二人の思いえがく〝おもい〟がぶつかり合っていた。


 ──…………これが麻紀世まきよ姉様ねえさまのやり方か…………


 ──……やはり…………残酷ざんこく御人おひとだ…………


 そして、更にときぎていく。





     〜 あずさみこの慟哭どうこく 第一章「聖者の漆黒しっこく

                第三部「回天かいてん」終 

                第四部「回帰かいき」第1話へつづく 〜

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