第一章「聖者の漆黒」第三部「回天」第1話

 吉原よしはら美優みゆが兄の優作ゆうさくくしたのは三歳の時だった。

 優作ゆうさく────五歳。

 先天性せんてんせい血友病けつゆうびょう症状しょうじょうが分かったのは二歳の時。それからはほとんど病院のベッドの上での生活。体内の出血に幼い体がえられないままにくなる。

 一般的な子供としての生活はもちろんなかった。

 二歳年下の美優みゆにとっては、残念ながら兄の記憶はほとんど無い。おぼろげなものだけ。

 小学校に入る頃に両親の憲一けんいち優子ゆうこから説明を受け、やっと仏壇ぶつだんの写真の意味を知った。

「あなたには、二つ年上のお兄さんがいたのよ」

 母の優子ゆうこは、もう理解出来る年齢だろうからと、美優みゆ優作ゆうさくのことを話し始めた。

「お仏壇ぶつだんに男の子の写真があるでしょ? まだ五歳だったのに…………病気でくなったの…………あなたが三歳の時…………二歳の頃からずっと病院だった…………」

 遠くを見るようにして話し続ける母の顔を、まだ幼い美優みゆは見つめ続けるだけ。

「……外で遊ばせてあげることも出来なくてね…………あなたが元気に育ってくれて……それだけでもお母さんはうれしいの…………」

 まだこの時の母の感情を理解出来るほど、美優みゆ精神的せいしんてきに大人ではなかった。

 死因しいんとなった血友病けつゆうびょうのことを理解出来たのは高校を卒業して社会人になった頃。父方ちちかた親族しんぞくに過去に血友病けつゆうびょうくなった者が数人いることを知る。

「……お前もいつかは誰かと結婚して子供を産むだろう…………」

 いつもの夕食の席で、父の憲一けんいち優子ゆうこ目配めくばせをしてから話し始めた。

「お前のお兄さんのことだ…………血友病けつゆうびょうだったって話は前にしたと思うが……あれは遺伝性いでんせいがある病気なんだ。とは言っても滅多めったに出るものではないらしい。実はお父さんの家系かけいに何人かいてな…………お父さんは大丈夫だったし、お前も問題ない…………でも、お前の未来の子供に無いとは言えない。おどかすわけじゃないけど…………記憶のどこかには覚えておいてくれ…………」

 父のその時の表情を、その先も美優みゆは忘れたことはない。

 もちろん父に責任せきにんが無いことは分かっている。例えそこに責任せきにんを押し付けたとしても、むしろ自分の息子をその病気で亡くしている時点で充分だと美優みゆには思えた。

 社会人になってすぐ、両親を安心させたい感情もあって美優みゆは病院で検査を受けた。結果、美優みゆにその兆候ちょうこうは見られなかったが、血友病けつゆうびょうには後天性こうてんせいのものもある。社会人になってこれから家庭を持つに当たって、一応、覚悟かくごだけはした。

 地元のスーパーマーケットを数店舗経営する会社の事務員として働いていた美優みゆは、二一歳の時に結婚して専業せんぎょう主婦となった。おっとは同じ会社で働いていた男性。兄と同じ二歳年上。無意識の内に記憶の中で作り上げていた兄の面影おもかげかさねていたのかもしれない。

 美優みゆに他に兄弟きょうだい姉妹しまいがいないことから婿養子むこようしになることもおっとから提案ていあんされたが、おっとも一人息子。娘へのい目もあったのか、憲一けんいち優子ゆうこ美優みゆよめに行くことに反対はしなかった。

 そしておっとの実家は何代も前からのキリスト教徒。強制されたわけではなかったが、美優みゆまよわず改宗かいしゅうを決める。両親も反対はしなかった。決してあやしげな新興しんこう宗教しゅうきょうでもない。元々多くの日本人と同じように、それほど深く宗教しゅうきょうというものを考えたことがない。

 子供が産まれたのは二三歳の時。男の子だった。

 そしてすぐに、血友病けつゆうびょう発覚はっかくする。先天性せんてんせいのものだった。

 そのまま二歳の誕生日の直前にくなる。

 悲しむも無いままに、おっとの両親からめられる毎日が始まった。

遺伝いでんの可能性があるのをかくしていたのね…………葬儀そうぎの時にご両親から頭を下げられたわ」

 義理ぎりの母からのその言葉は、美優みゆ絶望感ぜつぼうかんあたえるには充分なものだった。

 意図いとしてかくしていたわけではなかったが、美優みゆは専門的な知識まで持ち合わせていたわけではない。自分にその兆候ちょうこうが見られない中で、自分の子供に先天性せんてんせいのものが現れる可能性はゼロに近いと思い込んでいた。ゼロではないというだけだと思っていた。

 そして、最初は美優みゆのことをかばってくれていたおっとにもめられ始める。もしかしたら、この時点で美優みゆはしだいに精神的におかしくなっていたのかもしれない。この頃の記憶がほとんどないくらいだ。

 おっとだって精神的にはキツかったはずだ。美優みゆはそう思いたかった。そんな状態の生活につかれた結果だったのだろう。子供をくして悲しんでいたのは美優みゆだけではない。

 しかしその時の美優みゆに、そう考えられる精神的な余裕よゆうはない。

 美優みゆ離婚りこんをして実家じっかに戻ったのは二六歳の時。

 そして美優みゆは、しばらく実家じっかこもり続けた。

 両親は美優みゆやさしく受け入れる。そのやさしさだけは、美優みゆは理解することが出来た。

 それでもやはり、すでに美優みゆの中で何かが変わっていた。両親から見ても、よめに行く前とはまるで別人のようなその印象いんしょうに悲しさが込み上げる日々。

 両親は娘に対してい目を感じ、娘は両親に頭を下げ続けた。

 いつの頃からだろう。

 家の中には暗さしかなかった。

 その暗さが呼んだのか、美優みゆはしだいに、落ちていく。



      ☆



 もう少しで、あれから一年。

 昨年の秋。

 世間せけんさわがした〝悪魔祓あくまばらい事件〟の現場となった場所。

 新興しんこう宗教しゅうきょう団体────〝神波会しんわかい〟の経営する医療いりょう法人ホスピス医院〝安寧あんねい病院〟。

 患者かんじゃの一人────吉原よしはら藤一郎とういちろうくなる。

 その家族が病院の実態じったいをマスコミにリークしたことで問題が発覚はっかくした。最初は小さなテレビニュースだったが、病院の母体が宗教しゅうきょう団体であることと、そのリークの内容がセンシティブであったことで途端とたん世間せけん注目ちゅうもくを集めることになる。

 ホスピスとは終末期しゅうまつき医療いりょうのための病院。不治ふじやまいとなる難病なんびょうや、余命宣告よめいせんこくされた患者かんじゃがほとんどだ。回復かいふくして退院たいいんすることはほとんどない。数字だけで言えば当然通常の病院よりも死亡率は高い。

 しかし吉原よしはら藤一郎とういちろうの家族のうったえは特殊とくしゅだった。

 患者かんじゃ悪魔あくまかれているとして病院が〝悪魔祓あくまばらい〟をおこない、その結果、非科学的な施術せじゅつで死亡したというものだ。そのベースになっているのが宗教しゅうきょう的な要素ようそから来ているという。

 杏奈あんな雑誌ざっし社から取材の依頼いらいを受けた時には、すでにマスコミの取材が加熱し始めていた。雑誌ざっし社からの要望ようぼうは事件のうったえの真相しんそうはもちろんのことだが、それ以上にマスコミ他社の情報で出て来ていない新たなネタ。ゴシップ的に求めるものとしては〝悪魔祓あくまばらい〟の詳細しょうさいだが、その情報がきられる前に次の進展しんてんが欲しかった。

 当然杏奈あんなは現在のマスコミとは違う切り口でネタを集めていくしかない。その頃の報道の中心になっているのは、その派手はでさからかやはり悪魔祓あくまばらいの話題が中心になっていた。母体ぼたいである宗教しゅうきょう団体の実像じつぞうと、誰が悪魔祓あくまばらいをおこなっていたのか。そして、マスコミ報道の〝真実しんじつ〟の部分と〝うそ〟の部分がどこなのか。

 杏奈あんなはマスコミ各社かくしゃさきんじて団体の実態じったいの部分に切り込もうと考えた。

 その過程かていで出会ったのが西沙せいさの母であるさき

 御陵院ごりょういん神社は神波会しんわかいとホスピス医院の相談そうだん役という立場でもあったからだ。

「ウチの神社がからんでなければ私も関わることはなかっただろうけど…………そう思うと今は不思議な感じもするよ」

 背後からの西沙せいさのそんな言葉を聞き、思わず口元に笑みを浮かべていた杏奈あんなは、医院の正面玄関げんかんかぎこしを落として開けながら応えていた。

西沙せいささんがそんなこと言うなんて珍しいですね」

 杏奈あんなにとっても西沙せいさとの出会いにつながったことだけに、そこにまた二人でおとずれているというのが少し不思議な感じはした。

 建物自体はまだ売りに出されているわけではない。宗教しゅうきょう法人と医療いりょう法人の両方の解体を進めている段階だった。解体の中心となっていたのは団体の副代表である田原たはら貴子たかこ

 そのおっと、代表だった田原たはら達夫たつおは自殺した。

 その時にしるした遺書いしょが総てを解決にみちびいた。

 結果的には、事件性だけでなく、オカルト的な要素ようそも存在しなかった。

 西沙せいさ杏奈あんなの出会いは不思議なきっかけを作り出した。

 そして、二人はその後も関わり続けることになる。


 時間的には夕方。

 とは言ってもこの季節。まだ意識しなければ陽のかたむきを感じる時間でもない。

 湿度しつどのせいか、杏奈あんなかぎを回す音もそれほど響かないまま、やがて立ち上がった杏奈あんなが両手で自動ドアを開けていった。電気はすでに通っていない。現在は定期的に施設しせつ内に残された備品びひんを少しずつ持ち出している状態だという。そのたび清掃せいそうもしているのか、決してよごれている印象いんしょうはない。それでもやはり空気は湿度しつどたずさえ、よどんでいた。

 それでも不思議と二人の足音が響く。音を吸収する物質が少なくなることで、さえぎられずに空気に溶け込んだ音が二人の耳まで届いていた。

 二人ともここに入るのは初めてだった。

 杏奈あんなも取材で関わっていたとはいえ、当時は施設しせつ周辺に張り付くマスコミ関係者の数に、遠くから望遠レンズでのぞき見ていただけ。

 それでも西沙せいさには見えていた。

 それはこの施設しせつで働いていた浅間あさま美津子みつこ接触せっしょくしたため。

 その時の記憶は、二人にとって、とても忘れられるものではなかった。



      ☆



 浅間あさま美津子みつこのアパートは街の郊外こうがいにあった。

 周囲には田畑たはたも多い。

 病院からは少し距離があった。

 民家みんかやアパートが並ぶ住宅街。たまに車や人影を見かける程度。

 その中でも、雨樋あまどいが所々はずれかけているような、そんな古いアパート。壁の色も変わってしまったのだろう。暗くくすんだ印象いんしょうが二階建ての建物全体からただよう。

「部屋は?」

 アパートの二階を見上げながら西沙せいさがそう聞くと、となり杏奈あんなも同じく二階を見上げていた。

 そして応える。

「そこの階段を登って……一番奥の部屋です」

 言いながら足が動いていた。

 先頭に立って階段を登り始める。

「────情報ではここに引っ越したのは一年くらい前……何も変わってなければ独身どくしんのはずです…………」

 完全にびついた階段は、杏奈あんなのスニーカーでも大きく空気をらした。それ自体も不安定にグラつく。そのままつながった二階の手摺てすりも、すでに元の色すら分からない。おそらく今はさわる人もいないのだろう。かすかにもったちりがそれを物語っていた。二階の廊下にもそれは目立つ。そのちりを見る限り、周囲に足跡は多くない。一階、二階共に三部屋ずつ。満室ではなさそうだ。二階で玄関の前に足跡があるのは、一番奥の美津子みつこの部屋だけ。

 表面が何箇所なんかしょもヒビ割れ、かどからびついたドア。

 りんは無かった。

 杏奈あんなは迷わずドアをノックする。

 玄関げんかんの郵便受けにはチラシが詰め込まれていた。


 ──……いるのかな…………


 ドアの奥からは何も聞こえない。

 独特の嫌な時間が過ぎていく。

 途方とほうもない長い時間に感じられた。

 やがてドアの向こうからの小さな声。

「…………はい…………なんでしょうか…………」

 目をせたままの、やつれた顔がドアの隙間すきまからのぞく。

 強い影が、その顔の大半をかくす。

 杏奈あんなは、あまり意識せずに口を開いていた。

「……浅間あさま……美津子みつこさんですね…………」

 ドアの奥の影────美津子みつこはさらに深く目をせる。

 その表情に、杏奈あんな慎重しんちょうに言葉を選んだ。

「……病院でのこと……お話を、うかがえませんか? ご迷惑めいわくはお掛けしません…………」

「────…………すいません……………………」

 小さく低い声と共にドアが閉まり始め、さびの匂いがした時、そのドアは隙間すきまに差し込まれた杏奈あんなのスニーカーにさえぎられる。


 ──……今を逃したらもう助けられない…………


 ──……? ……助けられない……?


 美津子みつこがドアノブをにぎる手に力を入れた直後、杏奈あんなが続けていた。

「────本当のことを知りたいんです」

 それに続くのは、杏奈あんなの背後の西沙せいさ

「あなたは何も悪くない!」

 杏奈あんなは驚きのあまり、咄嗟とっさに振り返っていた。

 そこには、予想だにしなかった、両目をうるませた西沙せいさ

「あなたには何のつみもないの! あなたを守らせて! 美優みゆさんのことも…………」

 他人の過去、感情が見える。

 それが西沙せいさの能力であることは確かに杏奈あんなも聞いてはいた。そして美津子みつこ美優みゆの存在自体を最初に教えてくれたのも西沙せいさ

 しかし、それは杏奈あんなにとっては唐突とうとつ過ぎた。


 ──…………西沙せいささん……?


 その西沙せいさは、突如とつじょとしてわれに返ったような表情を浮かべると、そのほおなみだ一筋ひとすじこぼれていく。

 西沙せいさにも理解が追い付いていなかった。みずかはっしようとした言葉ではない。まるで誰かに言わされたように感じる。しかし感情はたかぶっていた。


 ──……守らなければ…………


 そんな感情だけが西沙せいさを包み込む。

 そして、ドアが開いた。



      ☆



 現在は事件そのものは解決したとはいえ、あれ以来西沙せいさは、頭の中にくすぶるものがあった。

 どうして自分はあれほどまでに美津子みつこを守ろうとしたのか。

 なぜあれほどの感情が込み上げてきたのか。

 そこにあるであろう〝意味〟がいまだ見付かっていなかった。


 一階は診察しんさつ室と多目的たもくてき室。職員の休憩きゅうけい室と更衣こうい室。

 二階は食堂と厨房ちゅうぼう入居にゅうきょ室は一号室から五号室。

 三階は六号室から一二号室。

 入居にゅうきょ人数は代表の田原達夫たはらたつお意向いこうで一〇人までと決められていた。しかし入れ替えのタイミングや緊急時きんきゅうじの対応のために入居にゅうきょ室自体は一二部屋。

 事件の中心となった吉原よしはら藤一郎とういちろう入居にゅうきょしていたのは一二号室。三階の一番奥。

 吉原よしはら入所にゅうしょ当時八五歳。後天性こうてんせい血友病けつゆうびょう発症はっしょうしたのは八四歳の時。

 元々八〇歳で甲状腺癌こうじょうせんがんわずらい、高齢でもあることからがん治療ちりょうですら難しく、延命治療えんめいちりょうおこなっていたにぎなかった。後天性こうてんせい血友病けつゆうびょう発症はっしょうした時点で認知症にんちしょうは見受けられず、本人と家族の意向いこう延命治療えんめいちりょう拒否きょひする。

 そしてホスピスにやってきた。


 誰もいなくなった現在は、どの部屋のドアも開けはなたれたまま。

 西沙せいさ杏奈あんなが開ける必要もないまま、ベッドですら無くなったいくつもの部屋を横目で見ながら、やがて廊下の一番奥────一二号室の前。

 かつて、その部屋には吉原よしはら藤一郎とういちろう入居にゅうきょしていた。おそらくはこの部屋の最後の利用者だろう。そしてここでまご吉原よしはら美優みゆ介護かいご職員の浅間あさま美津子みつこが〝悪魔祓あくまばらい〟をおこなっていた。

 血友病けつゆうびょうという、まるで目に見えない時限爆弾じげんばくだんかかえていた血筋ちすじから、まご美優みゆにとってそれは〝悪魔あくま〟の存在そのものに見えたのだろう。

 そしてもう一人の浅間美津子あさまみつこ介護かいご職員として働いていたが、その人生は決して平坦へいたんではなかった。空虚くうきょという言葉しか見付けられないような自分の過去の中に何の価値かち見出みいだせず、初めて心をかよわせられたのが美優みゆだった。

 いつの間にか、入所者にゅうしょしゃの家族と職員というつながりをえ、まるで姉妹しまいのような関係まできずいてしまっていた。いわば、美津子みつこは入り込み過ぎた。

 悪魔祓あくまばらいと言っても、何か体を傷付けるような行為こういがあるわけでもない。美優みゆ納得なっとくするならと、美津子みつこ美優みゆ行為こうい加担かたんし始めるが、それは他の家族から見ると異常いじょうな行動にしか見えなかった。

 やがて、吉原よしはら家が医院をうったえる。

 その現場となった室内。

 そこに足音を響かせながら、先に口を開いたのは杏奈あんなだった。

「まず楢見崎ならみざき家ですけど、戸籍こせきの時点でおかしいんです。西沙せいささんが聞いた話では────」

 話し始めた杏奈あんなの言葉を後ろの西沙せいさつなぐ。

「最初に長男ちょうなんが産まれて、でも一年以内にくなって、次に長女ちょうじょが産まれて、その後は一人も産まれないから血筋ちすじのためにその長女ちょうじょは大切に育てられる……ってことらしいんだけど」

 その西沙せいさの説明をめるように聞いた杏奈あんなは、すぐに応えた。

「まず電話で言ったように、その長男ちょうなんの存在がそもそも戸籍こせきに存在しません。出生しゅっしょう届けも死亡届けもです」

「どういうことなの……?」

 返しながら西沙せいさの目がするどくなっていた。

「まさかとは思いますけど……」

 すぐに返した杏奈あんなが続ける。

「……情報が間違っているのか、楢見崎ならみざき家がうそをついているのか……」

「でも楢見崎ならみざき家がうそをついてたとしたら、どうして私は気が付かなかったんだろう…………」

 西沙せいさの一番の疑問ぎもんはそこだった。自分が意図的いとてきに見ようとして見れないのは、同じ能力者が意図的いとてき遮断しゃだんしている場合のみ。楢見崎ならみざき家の人間にそこまでの力があるようにも思えない。

 確かに由紀恵ゆきえの中に〝うそ〟はあった。

 と言うよりは〝まだ言えないこと〟。

 でもそれは、杏奈あんなが持ってきた〝うそ〟とは違った。

 西沙せいさの気が付かなかった〝うそ〟。

「……うそをついていないとしたら…………」

 西沙せいさつぶやくようにそう続けると、杏奈あんながさらに西沙せいさを追い込んだ。

「誰かに邪魔じゃまされてませんか?」

邪魔じゃま?」

 西沙せいさ疑問ぎもんつつまれた目を杏奈あんなに向ける。

 その杏奈あんなの中でも疑問ぎもんふくれ上がっていた。

西沙せいささんがこの一連のことに気が付かないなんておかしいですよ。電話で言ったこと覚えてます? 浅間あさま美津子みつこ…………」

 すると、西沙せいさは無意識の内に重い口を開いた。

「……楢見崎ならみざき家の出身だったって、本当なの?」

 偶然ぐうぜんにしては出来過ぎた話だ。

 しかし関連かんれんが見られない限りは偶然ぐうぜんつながりに過ぎない。

戸籍こせきで簡単に分かりましたけど……」

 すぐに返した杏奈あんなも、そうは言ってもスッキリとはしない表情。

 西沙せいさ疑問ぎもんをぶつけ続ける。

「ただの偶然ぐうぜんってことは?」

ほかにもいるのでその線はうすいかと……」

「ほか?」

「自殺した代表の田原たはらさん…………この部屋でくなった吉原よしはら藤一郎とういちろう…………つまりはまご美優みゆさんもです」

「……まさか…………」

 西沙せいさも反射的に返していた。

 杏奈あんなは集めた疑問ぎもん西沙せいさにぶつけていく。

執拗しつようなまでに楢見崎ならみざき家がからんでます…………何かおかしいですよ……あの時は楢見崎ならみざき家なんて知らなかったので、戸籍こせきの資料のすみに見ていただけです……というより古い情報だし、関係がないだろうと思ってましたし…………楢見崎ならみざき家って何なんですか?」

偶然ぐうぜんにしても…………」

 西沙せいさはそういうと、カーテンすら無くなった窓に近付き、かたむきかけて色を変え始めた陽の光を感じながら続けた。

「ちょっと多すぎ…………そもそも存在しないはずの楢見崎ならみざき家の人間がそんなにも身近みぢかに存在していた事実が、まずは気持ち悪い。しかも楢見崎ならみざき家の人間はそのことを知らない……知っていたとしても……異常なほどに娘を守ってきたのは事実だし…………」

「今回のけんと去年の〝ここ〟の事件自体、関係があるんですか? その……楢見崎ならみざき家ののろいって…………」

 その杏奈あんなの言葉に、西沙せいさは部屋の中心の杏奈あんなに体を回し、ゆっくりと返していく。


 ──……御陵院ごりょういん神社が法人ほうじんの相談役だったのは偶然ぐうぜんなんかじゃない…………


「あの浅間あさま美津子みつこって女の人……別に記事に必要ないだろうと思って、私が見たあの人の過去までは話さなかったけど、若い時から介護かいごの世界で働いて、鬱病うつびょうになって、その後に結婚したけど……おっとにも親友にも裏切られて離婚して……最後には他人のつみかぶって逃げるように色んな所を転々としてたみたい。未来になんの希望も見出みいだせなかった人生……友達も知り合いもいないままの孤独こどくな生き方…………田原たはらさんの遺書いしょにあったでしょ? あの人に笑顔が増えてきてうれしかったって…………」

「あのあと浅間あさまさんのメンタルケアは確かさきさんがしてたはずですけど、あれから────」

「死んだよ…………」

 その西沙せいさの言葉は、杏奈あんなの中でちゅうに浮かんだ。

 他には何も聞こえない。

 聞こえるのは西沙せいさの声だけ。

「…………自殺……」

 予想していなかった西沙せいさの言葉。

 杏奈あんなは無意識に目を見開いたまま。

 僅かに、ゆっくりと下がっていくまぶたにすら気が付けない。目の奥がほのかに熱い。

 西沙せいさつなぐ。

「少し前…………つたえるべきかなやんでた……私たちは一度会っただけだし、あの事件自体は終わったものだしね。でも、よく聞くよね…………頑張がんばればいつか、とか……信じればいつかは、とか…………そりゃあさ、あの人にだってしあわせな瞬間しゅんかんはあったと思うよ。でも、あの人の最後がしあわせだったとは思えない…………何もむくわれないまま死んでいく人がほとんど…………あの人もそうだったんじゃないかな…………少なくとも私はそう思った」

 視線しせんを落とし、その目を僅かにうるませている杏奈あんなの顔を横目で見ながら、西沙せいさがさらに続けた。

「間違っても……私たちのネタの一つのために産まれてきた人じゃない…………あの人にはあの人の人生があったはず……でもそれを今からどうにか出来るわけじゃない…………でも彼女の人生の始まりが楢見崎ならみざき家だとするなら……それは絶対に無視むし出来ない……最後まで関われってことなんじゃない?」

 西沙せいさの言葉に、杏奈あんながやっと顔を上げる。

 西沙せいさと目を合わせると、小さくうなずいた。

 言葉は出てこない。

 つなぐのは西沙せいさ

「ちなみにこのあいだの〝風鈴ふうりんやかた〟……〝ウチ〟が関係してるみたい。でもお母さんからは何も聞き出せなかった」

「…………複雑ふくざつになってきましたね。どうして御陵院ごりょういん神社が…………」

 杏奈あんなは自分の頭が回っていないことをみずからの言葉で理解した。整理出来ていない。

「危険だから関わるなってさ……わざわざ私に伝えてまで…………ますます手を引くわけにいかないじゃんね。もう私の仕事なんだから……それに、楢見崎ならみざき家も絡んでる…………」

「────待ってくださいよ西沙せいささん。いったい…………」

 許容範囲きょようはんいえていた。

 西沙せいさの言葉は杏奈あんなのまとめられる理解度を間違いなく上回っている。

「この間の一枚だけ残ってた写真の風鈴ふうりんに……〝家紋かもん〟があったでしょ?」

 その西沙せいさの言葉に、杏奈あんなの意識が追いつく。

 やっと言葉を返せた。

「待ってください…………でもあれ、家紋かもんじゃないかもしれません」

「分かるよ。でも、楢見崎ならみざき家に下がってた風鈴ふうりんに……同じマークが付いてた……家紋かもんって普通は左右対称たいしょうだけど、あれは〝風鈴ふうりんやかた〟と同じ非対称ひたいしょうだった…………」

「調べましたけど、実際にあれと同じ物って見つからなくて……だから家紋かもん以外のマークみたいな……何か別の意味があるような…………」

「……家紋かもんって元々は大陸文化だったんだろうね。向こうは左右対称たいしょううつくしいとされたけど、日本文化は非対称ひたいしょうの中にうつくしさを見出みいだしてきた。ヨーロッパとかのユーラシア大陸の人たちからすると日本文化が独特どくとくに感じられるのはそのせいだろうね。日本家屋にほんかおくにしてもおしろにしても、まるで考え方が違う」

 その日本文化の象徴しょうちょうのような神社の産まれである西沙せいさらしい言葉だと杏奈あんなは感じた。同時に疑問ぎもんく。

「あれ? でも、神社の鳥居とりいって左右対称たいしょうじゃないですか」

「そうだよ。元々は向こうの文化だもん」

「え…………」

 再び杏奈あんなの理解がくずれ始めた。

 それをおぎな西沙せいさの言葉が続く。

「〝鳥のる所〟……今と違って、人間にとって夜のやみは恐怖そのもの。〝の時間〟とも考えられてきた。朝の鳥のき声が待ち遠しかったんだろうね。その声にホッとして朝を迎える…………ヨーロッパの教会にね、日本のおしろ鯱鉾しゃちほこみたいに鳥のぞうが屋根に付いてたりするんだよね。もしくは壁に鳥の絵がってあったりさ。神道しんとうは日本独自のものって言われてるけど、結構そのベースに一神教いっしんきょうの考え方が入り込んでる。歴史の中で融合ゆうごうしてきたんだろうね。胡散臭うさんくさい霊能力者がよく鳥居とりいを見て結界けっかいがどうとか真ん中は神様が歩く所だとか…………結局はただの宗教なのにね。宗教って人間が作ったものだよ。自然に存在するものなんかじゃない。昔からの風習ふうしゅうとしての宗教は確かに必要だしそれは大事だいじにしていいと思うけど、そこに無理矢理むりやりに不思議な力を感じさせるような設定を付け加えるのはナンセンスだと思うよ」

「よく鳥居とりいくぐる時は右を歩けとか左を歩けとか聞きますけど…………」

 オカルト界隈かいわいではよく聞く話。杏奈あんなはついそんな覚えたての知識を口にしていた。

 それを分かっても、西沙せいさみも浮かべずに応える。

「真ん中歩いてたら他の人の通行の邪魔じゃまでしょ? それだけ。ただの社会規範きはんを教えただけだよ。今以上に神社が地域のコミュニティの中心になってた時代にさ。その規範きはんを教えるためにどこかの神社の神主かんぬしさんが考えたのかな……おかしなもんだね、今より昔の人たちのほうがマナーの意味を知ってるなんて…………」

「もしかして夜の神社がこわいって言われるのって」

「お賽銭さいせんぬすまれないため。そう言っておけばこわがって普通の人は近付かないでしょ」

「ああ……なるほど……」

風鈴ふうりんも元々は大陸文化。日本文化に溶け込んでいるとは言ってもね。もちろん魔除まよけってのもある意味では風習ふうしゅうみたいなもんだけど、そこに左右非対称ひたいしょうの日本文化のマークっていうのが不思議だった…………」

「アンバランスですよねえ」

「何かの呪文じゅもんみたいなものかな」

「それこそ魔除まよけですかね?」

「かもね。どっちにしても楢見崎ならみざき家に同じ物があるってことは話は単純では終わらない…………思った以上に大きな仕事持ってきたねえ。やすい仕事じゃないなあ」

 そう言った西沙せいさの口角が上がる。

 目元めもとを光らせた西沙せいさが、強い目を杏奈あんなに向けていた。

 気軽きがる西沙せいさに相談していた単純たんじゅんなオカルトネタと違うことを、さすがの杏奈あんなも感じざるを得なかった。西沙せいさとの〝出会い〟はまだ始まったばかりなのかもしれない。そうも思った。しかも杏奈あんなの想像以上に御陵院ごりょういん神社の存在は大きい。間違いなく杏奈あんなは、大きな何かに巻き込まれていた。

 背中に冷たいものが走る。

 そして、次の西沙せいさの言葉に、杏奈あんな覚悟かくごを決めた。

「でも……私はもう一度行くよ。あそこにいる人に約束したからね。〝風鈴ふうりんやかた〟は間違いなく御陵院ごりょういん家と楢見崎ならみざき家がからんでる…………どんな〝のろい〟だって関係ない…………これはもう仕事とは関係ないよ。私の〝血筋ちすじ〟もからんでる…………だから……まだ手伝ってもらうよ」

 西沙せいさの目は、それでもいま疑問ぎもんつつまれていた。

 しかし、力強い。



      ☆



 その日の昼前。

 朝から強い陽差しが降り注ぐ日。

 すでに陽と同じ、気温も高い。

 楢見崎ならみざき家に来客らいきゃくがあった。

 予約があったわけではない。

 しかし突然とつぜんわか巫女みこ来訪らいほうに、出迎でむかえた由紀恵ゆきえ身構みがまえた。

 疑問ぎもんばかりが浮かぶ中で客間きゃくまへと向かう。

突然とつぜんのことで……申し訳ありません…………」

 その巫女みこは僅かに視線を落としたまま、由紀恵ゆきえの目を見ることなく続けた。

 巫女みこ服の白と朱色しゅいろまぶしい。

「私は御陵院ごりょういん神社よりまいりました…………当主、御陵院ごりょういんさきの娘、綾芽あやめと申します」

 そして、深々と頭を下げた。

 衣擦きぬずれの音が座敷ざしきに流れていく。





     〜 あずさみこの慟哭どうこく 第一章「聖者の漆黒しっこく

                第三部「回天かいてん」第2話へつづく 〜

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