第6話 『CLANNAD』(クラナド)

『CLANNAD』(クラナド)


 言わずと知れた、名作ですね。

 名作だという事は、良く知っています。

 でも、見た事がありません。

 いや、・・・・途中で見れなくなりました。

 

 辛過ぎて。


 先日、ある方のおすすめレビューを見ていて「雅志くんが異世界にいっちゃったあとのお話」という小説を読みました。(リンク張っておきますね→https://kakuyomu.jp/works/16818093093266868731

 短編で、良くまとまっていて読みやすく、とても勉強になるな、って思っていましたが、小説のテーマがこれから書くことと共通点が多くて、実は感慨深く読んだ作品でした。


 息子は、私と同じくサブカルチャーが大好きで、音楽や小説と言った分野にも幅広く嗜好の領域を広げていました。

 彼が不治の病に侵され、闘病生活が4年半続き、皮肉にも私は彼と話す機会を多く得ました。

 それまでの私は、とにかく仕事人間で、子供と話すどころか、まともに起きている子供を目撃することすら稀なほどでした。

 後年、妻から「どうしてうちのお父さんだけ、いつもいないんだろう、他のお父さんはキャッチボールやサッカーを一緒にやってくれるのに」、と少年時代の彼がこぼしていたと聞かされました。

 妻としては、私に最大限の嫌味を言いたかったのでしょう。一番辛いのは自分なんだと。

 私は自分の仕事には誇りをもっていましたが、家族は職場の人間ではありませんね。

 そんな事情を穴埋めするように、慌てて沢山の話をしました。

 息子がイチオシのアニメ作品、それが『CLANNAD』(クラナド)です。

 特にテレビ版は最高傑作らしく、お父さんとそんな話が出来る日が来るなんて、と言いながら興奮していた息子を思い出します。

 

 本当に申し訳ない。



 父は、君が亡くなった時も仕事をしていて、一周忌も三回忌も、泣きながら仕事をしていた愚かな人間です。

 だから、まだ見られません、『CLANNAD』(クラナド)



 もう何年も経っているのに、未だに心の整理がつかないのですよ。

 

 『CLANNAD』(クラナド)って、泣けるアニメで有名らしいじゃないですか。

 今見たら、涙腺、本当に崩壊してしまいましからね。


 麻枝准さんの関係作品って、泣けるの多いです。

 「Angel Beats!エンジェルビーツ」や「Charlotteシャーロット」も、本当に良かったですし、エンジェルビーツの物語の仕組みは、流石ゲームシナリオだなと感心してしまいました。

 え? あれより泣けるアニメ・・・・無理ですね、今の私には。

 もう少し待ってから、ハンカチ・・タオルを準備して、密室で見ますよ、覚悟を決めて。

 

 そうですか、 『CLANNAD』(クラナド)は、出崎 統さんが監督だったんですね。

 この奇跡のコラボレーションに、ただ感謝しかありません。

 きっと、新しいメッセージを私に授けてくれると思います。


 息子も小説が好きでした。

 書くのもトライしていたようですが・・・・読んだことがありません。見つけられませんでした。

 以前の私は、小説があまり好きではありませんでした。架空の話に感情移入出来ずにいたのです。

 ですから、人生の前半は、小説をほとんど読んだことがありません。


 小説の事が解らないのに、小説を書いています。

 

 レクイエムみたいですよね。

 独りよがりで。

 彼が、どんな物語を描いていたのか、親としては気になるところです。

 だから、私が書いている小説は、彼とは無関係です。

 それでも、このモヤモヤしたものを書いてみたいと思うのです。

 彼が亡くなった後、私を震わせる短い文章を、彼の遺品である生徒手帳の中から見つけました。


「しゅうがくりょこうにいきたい」


 平仮名で小さく、ひっそりと書かれていた言葉。私には究極の文章。

 闘病生活が長かった彼の青春時代は、同級生と宿泊を伴った旅行など、行く事は許されませんでした。

 そんな事を口に出したことなんて一度もないのに、きっと我慢に我慢を重ねて、つい生徒手帳の片隅に書いてしまったのだと思います。

 聞き分けが良く、なんでも我慢してしまう子でしたから、私達に心配かけまいと必死に。

 だから、彼は生前、写真をとにかく嫌いました。

 私達家族が、その写真を見て泣く姿を想像していたんじゃないかと。

 できるだけ自分の死で、人を悲しませないように配慮していたんだと思うのです。

 長文でなくとも、人の心は揺れる。

 思い知りました。

 


 子供の頃、作文が嫌いでした。

 

 母親参観日に、感想文を皆の前で読んだ時の事。

 感想文のテーマは、孤児の太郎君が大冒険をして、やがて成就してゆく冒険ものです。

 クラスメイトは、それを読んで感動したと書いていました。

 私はあまり感動できず、孤児の太郎君に誰が太郎と名前を付けたんだろうと思いました、と書いて、お母さん方は笑ってくれました。


 家に帰ると、きっと母は笑ってくれると信じていたら、ドアを開けるなり、ぶん殴られました。

 

「どうしてお前は、人と同じく感じられない? どうして普通に出来ない?」


 激しく叱責され、訳が解りません。

 人と同じじゃなきゃダメなのかな?

 普通って、そんなに大切なのかな?


 子供の頃の私にはよく解りませんでした。

 ただ、作文は嫌いになりました。

 なので、まさか自分が小説を趣味にするなんて、夢にも思わなかったのです。


 そんな母も、東日本大震災発生から二週間後に亡くなりました。(津波ではありませんが)

 計画停電の中、葬儀の打ち合わせをしながら。

 私は、仕事のプロジェクトから、葬儀を理由に外されました。

 上司に直談判し、日本中が泣いている今、私事で泣く訳には行かないと。

 それでもそれは通らず、上司は気を遣って私を外しました。

 

 今、進む事を拒んではならないと思っていました、だから自分は行かなくてはと。



 息子の片方の足が、ほとんど骨を摘出されて、金属になってしまいました。

 その手術はとても長くて、半日も夫婦で病院の待合室で待ちました。

 その時間が堪らず、書いた小説が「決戦の夜が明ける」でした。

 前にも、これは書いたかもしれません。

 とても辛く、息苦しい思い出です。

 だから、怒りと叫びに満ちた始まりをしています。今読んでも息苦しいくらい。

 

 苦しい時、悲しい時、前へ進めと教えてくれたのは、出崎監督の作品たちでした。

 

 息子の遺骨は、大きな金属の足だけは原型を留めていました。

 まるで壊れたロボットの部品のような彼を見て、立ち止まってはダメなんだと自分に言い聞かせて。

 その週のうちに、新しいプロジェクトを開始しました。

 立ち止まらないように、進み続けるように。


 困難な事に、自分から進もうと思い、誰もやった事の無い事でも、始めてみようと。


 だから『CLANNAD』(クラナド)を見るのは、もう少し先になりそうです。


 その時は、ゆっくりと故人を偲んで、観たいと思います。

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