第23話 仏W杯 チケットが無い!3

1998年6月10日、日本では大手旅行会社が、がん首を並べて共同記者会見を開いた。

その日はフランスW杯の開幕日である。


そしてのたまった。

「W杯ツアーに用意できるチケットが入手できていない」


こういう時に言ってはいけないのは

「だから言ったじゃん!」

という言葉であるが、自分は言う資格があったし、それまで放送に乗せられなかったことに忸怩たる思いがあった。

それは勇気を以って告白してくれた旅行会社の担当者への申し訳なさでもあった。

(この巨大利権の前では人が何人死んでもおかしくない事態だったのである)


ツアー申込者も国民も、当然W杯ツアーを旅行会社が企画したのだから、チケットは取れていて当然だと信じていた。

旅行会社は、それをW杯開幕のその日まで黙っていたのである。


旅行会社の立場は分からないでもない。

何せ、自分に告白してくれた担当者も、最後の一刻までチケットを手配するために駆けずり回っていたし、

パリのホテルのロビーでは、真っ青になったスポンサーや旅行会社のお偉いさんがしきりに電話をかけまくり、どうにかしようとしていた様子は、パリで内偵したアリスから聞いていた。


だが、当然のように、会見場は騒然とし、大混乱となった。

この時点で大手各社はツアー客の10分の1のチケットも取れていなかったのである。

しかしツアーに申し込んだ人々は、当てもなく、とりあえずフランスへ飛び立った。

その後どうしたのであろう?


確実なのはFIFAとチケット販売業者が出し惜しみをしたばかりか、闇市場にチケットを放出し、莫大な上がりを獲得しようとしたことである。

これはまさに、ワタナベに「報道をしてほしい」と依頼してきた旅行会社の担当者の言う通りだったのだ。


もう知らん。

あれほど東京には調べてくれと何回も頼んだ。

フランス・パリの状況も伝えた。

報道の力で何とか事前にツアー申込者に伝えることはできたかもしれないのに、東京はそれをしなかった。

自分もロンドンからでもフランスからでも東京の大手旅行会社に確認をしつこくすれば良かったのだ。


ワタナベは情報提供者である旅行代理店の担当者に連絡を取った。

彼は現地の試合会場でツアー客を待ちながら電話の向こうで言った。

「ツアー参加者のチケット、ギリギリでやってます。正規で回ってこないので、闇市場との取引。数百枚手配したけど、あと数枚が大変です」


彼は我が身を投げ捨て、顧客を守ろうとしていた。

FIFAにもチケット代行業者にも負けずに。


顧客がサッカー場の門の前で彼の周りを取り囲む中、あと数分のギリギリで彼は顧客全員のチケットを手にした。

その刹那まで顧客第一でクマを作っていた彼のおかげでどれだけの人が救われたか!


その後ワタナベはあらためてサッカーほとけW杯の取材のため、パスポートを失くしたくせに、ほぼ強行突破でフランス入りし、フランスVSブラジル戦をリポート。リポート途中で後ろの興奮した群衆の中に飲まれる映像が世界に配信された。

そいつはあの旅行会社担当者が報われたことを思えばおまけみたいな瞬間であった。

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あるテレビ報道記者の慟哭 @bentbean

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