第5話 昭和
「お父さん、さっきの電話、芳久からだった?」
久美子が居間に戻ってきた芳久を見上げた。
「そうだ」
健蔵は久美子の前にゆっくりと腰をおろし胡座をかいた。
「やっぱり」
久美子は両手で顔を覆った。
「留守だと言っておいたぞ」
健蔵は湯呑みに口をつけた。
「ありがとう」
「めずらしいな」
健蔵が湯呑みをテーブルに置いて、久美子の顔を覗きこんだ。
「なにが?」
「お前が高山くんの電話に出ないことがだ。いつもは、わしが先に電話に出たら怒るじゃないか」
「今日は特別なの」
「ケンカでもしたか。それともあいつのことが嫌いになったか。父さんはその方が嬉しいがな」
「そんなんじゃないけど」
「なんだ、違うのか」
健蔵は残念そうに口を尖らせた。
「お父さんは芳久とわたしの交際を今も認めてくれてないのね」
「あいつのことは、どうも好きになれん。今日も礼儀知らずだったしな」
「いい人なんだけどな」
「なら、お前はなぜ今日は電話に出なかったんだ。お前も別れるつもりなんだろ」
「そうじゃないよ」
「わしはてっきりお前が別れるつもりかと思った」
「実はね、今日は芳久とデートの約束してたの。でも目を覚まして時計見たら、すでに約束の時間過ぎてたの」
「お前が約束をすっぽかしたのか」
「昨日、眠れなくて明け方まで起きてたのよね。それがいつの間にか眠ってて気づいたら、十時過ぎてたの。すぐに芳久の家に電話したんだけど、さすがに誰もでなくて」
「それで居留守をつかったのか。それはお前が悪いな。遅れてでもデートに行くべきだし、さっきの電話に出て謝らないとダメだろ」
「そうなのよね」
「わしはお前をそんな風に育てた覚えはないぞ。高山くんに申し訳ないことしたな」
「たしかにね」
「たしかにねじゃない。お前が一番悪いぞ」
「怒ってるだろうなー」
「これでお前はフラれるな」
「それは困る。お父さん、どうしたらいい?」
「わしは別れた方がいいと思ってたが、あの男からの電話は昼をとっくに過ぎてた。あいつはお前が来るのをずっと待ってたわけか」
「三時間以上待ってくれてたのかも」
「もしかすると、あいつはいい男なのかもしれんな」
「急にどうしたのよ。お父さん、芳久のこと嫌ってたのに」
「お前の寝坊のせいで三時間も待たされた上に、わしから冷たくあしらわれたのなら、少し可哀想な気がしてな」
「もしかしてお父さん、芳久に同情してるの」
「同じ男として同情するな。お前と奴との交際は認めてやってもいい気になった」
「ほんとに」
「ああ、しかし、お前が寝坊した上に居留守をつかったことがばれたら、お前が奴にフラれるかもしれんがな」
「お父さん、今日のことは内緒にしてて。墓場まで持っていって」
「わしからは何も言わんが、お前はどう言い訳するつもりだ」
「なかったことにする」
「なかったことだと?」
「うん。今日のことは何も話さない」
「奴からきいてくるだろ」
「たぶん、きいてこないと思う。芳久はそういうとこ優しいの。わたしから言わなければ、きっと今日のことは何も言ってこないわ」
「女は怖いと思ってたが、自分の娘までがそうだとは思わなかった」
「まあ、いいじゃない。お互いが幸せになれればさ」
「そういうことにしておこう。その代わり幸せになれよ」
「わかった。幸せになる」
「じゃあ、来週にでも奴をここに連れてこい。交際を認めてやる」
約束の場所 まつだつま @sujya
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