第4話 令和
「お父さん、ボケてきたんじゃない。お父さんが阪神の改札って決めたんだよ」
店員に生ビールを二杯注文した後、愛美が口を尖らせ言った。
「スマン。約束の場所は阪急の改札のつもりだったんだが、なぜかお前に送ったメッセージは阪神になっていた」
芳久は頭を掻いた。
「阪神の改札の前っておかしいとは思ったんだよね。お父さんの会社からだと阪急の方が便利なのに」
「そう思ったなら確認しろよ」
「あたし、そんなヒマじゃないし。それより、なんで間違えたのよ。お父さん、ボケてきたんじゃないの。大丈夫?」
「大丈夫だ。父さんはボケてなんかいない」
芳久はなぜ間違えたのかと考えた。確か、愛美にメッセージを打ちながら、阪神の近本のヒーローインタビューをテレビでみていたことを思い出した。それで阪急と阪神を間違えたのだ。自分はボケたわけではないと、一人納得した。
そこで店員が生ビールを持ってきた。愛美が適当に料理を注文した。
愛美が注文を済ませた後、ジョッキを合わせ乾杯した。
「祐輔くんとはうまくいってるのか」
芳久は枝豆をつまみながら言った。
「当たり前でしょ。お父さんとお母さんとは違うから」
「父さんと母さんだって、仲良くやってたぞ」
「そうかな、ケンカばっかりしてたイメージしかないんだけど」
「あれはケンカじゃない。お互いの意見をぶつけてただけだ」
「お母さんはいつも愚痴ってたけど。お父さんは物忘れがひどいって言ってた」
「ふん」
芳久は鼻を鳴らした。
「そっかー」
愛美が手を合わせパッと笑みを浮かべた。
「なんだ」
芳久は娘の顔を訝しげに見た。
「お父さん、ボケてきたわけじゃないんだ。昔からそうだったんだ」
「父親をバカにするな」
「お父さんのことだから、お母さんと付き合ってた頃にも今日みたいなことしてたんでしょ」
「そんなことするか」
そこで、芳久は四十年前の久美子とのデートの日のことを思い出した。そしてその日のことを愛美に話した。
「やっぱり、お母さんとのデートでも、お父さんは今日と同じことをやってたんだ」
「あの時と今日とは違う。俺は今日は遅刻していない。遅刻したのはお前の方だろ」
「あたしの遅刻は退社寸前に急な仕事が入ったんだから仕方ないじゃない。お父さんの四十年前の寝坊とはわけがちがうわ。それに、ちゃんと遅れるってメッセージも送ったでしょ。お父さんはお母さんに遅れること連絡しなかったわけでしょ。それって待つ側からしたら最悪よ」
「それはわかっている。しかし昔はメッセージなんて送ることは出来なかった。携帯やスマホなんてないし、連絡するには自宅に電話するか、駅の伝言板に残すくらいしかなかったんだからな」
「昭和って不便な時代ね」
「今が便利すぎるんだ。俺たちの若い頃は、別に不便だとは思わなかった。それが当たり前だったからな」
「でも、その日、お母さんはどこにいたんだろ」
「今となってはわからん」
「お父さんが今日みたいに阪神と阪急を間違えたんじゃない」
「うーん、あの時は映画館に行く予定だったから、阪急の改札と言ったたはずだがな」
芳久は四十年前の久美子にデートの約束の電話をした時のことを思い返した。電話しながら阪神巨人戦をテレビで観ていた。ちょうど、阪神の岡田選手がバックスクリーンに三連発目のホームランを打って興奮していたことを思い出した。まさかあの時も久美子に阪神の改札と言ってしまったのかと思ったが、目の前にいる娘には決して言えない。
「さすがにお母さんの家には電話したんでしょ」
「電話したよ。けど、久美子は家にいなかった。久美子のお父さんが出て、めちゃくちゃ嫌味言われたよ」
「お爺ちゃんは怖かったもんね。それでお爺ちゃんになんて言われたの。なんか面白そう」
「人の不幸を喜ぶな」
「喜んでないけど、気になるわ。お爺ちゃんはお父さんになんて言ったのよ」
愛美は嬉しそうにテーブルに両肘をつき前のめりになった。
「たしか、電話してきたなら、まずそっちが名前を名乗るのが礼儀だろとか言われたかな」
「ハハハ、お爺ちゃんらしくて面白いわ」
「笑うな。面白くなんかない」
「その後、お母さんは映画が観れなかったことでお父さんには怒らなかったの」
「それが不思議と久美子からは怒られなかった。あの日のことについては久美子とはまったく話したことがない」
「お母さんは怒りをグッと堪えてたのかな。それとも呆れて言う気になれなかったのか」
「今となっては何もわからん」
「その日、お母さんはどうしたんだろうね。お父さんが十分待って来ないから帰っちゃたのか、それとも待合せ場所が違っててずっと待ってたのか」
「それもわからん」
「映画館にもいなかったわけでしょ」
愛美が首を傾げた、
「そういえば、次の日の夜に久美子から電話があったな」
「電話があったんだ。その電話でお母さんは怒ってなかったわけ」
「怒ってなかったな。前の日のデートの話もまったくしなかった」
「じゃあ、お母さんはなぜ電話してきたのよ」
「それが不思議なんだ。来週の日曜日に家に来ないかって言われたんだ」
「お母さんの家に?」
「そう。それもお義父さんに挨拶をしてくれと言われた。だから、俺もデートのことどころじゃなくなったんだ。お義父さんに挨拶に行かなければならなくなったからな」
「お爺ちゃんは二人の交際を認めてなかったんでしょ。会ってもくれなかったのに、どうしたんだろ」
「不思議だろ」
「挨拶行った時はどうだったの。お爺ちゃんに何度もデートに遅れてくる奴に娘はやれんとか言われたんじゃないの」
「それが違うんだ。すごくなごやかで、お義父さんは俺と久美子の交際を認めてくれたんだ」
「えっ、ほんと不思議。完全に別れ話のパターンかと思ったけど」
「だろ、俺も久美子がお義父さんに俺が遅刻ばかりすることをチクって別れを切り出すつもりなのかと思った。次の日曜日まで暗い気分だった」
「お母さんとお爺ちゃんの間で何があったんだろうね。今の時代にアレがあったら、あたしがその時代にいって確かめるのに」
「アレったなんだ」
「アレよ。バックトゥザフューチャーに出てきたタイムスリップできる車よ」
「ああ、アレな。なんていったかな」
「ちょっと待って」
愛美がそう言って、バッグからスマホを取り出し操作を始めた。
「デロリアンだ」
愛美がスマホの画面を見たまま言った。
「そうだデロリアンだ。けど、今の時代にもそんなもんあるわけない」
「じゃあ、明日、お母さんにその時のこときいてみようかな」
「そうだな」
「お父さんは謝っておいた方がいいわね」
「今さらか」
「ところで、祐輔くんは明日来てくれるのか」
「うん、明日朝イチの新幹線でこっちに来るって言ってた」
「祐輔くんも忙しいのに申し訳ないな」
「お父さん、そんなの気にしなくていいよ。お母さんの三回忌なんだから」
「久美子が逝ってから二年か」
芳久は宙に視線を向けた。そこには久美子の笑顔が浮かんだ。
久美子、あの時はごめんなと手を繋ぐ合わせた。
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