「スイッチ」 後編
私の焦りを打ち消すかのように、ひとつの言葉が私の脳内を駆け巡った。これは?この全身を地獄の炎が走って行く!?なんなんだ?これはどうしようもない恨みと怒りの感覚だ!
どうしたんだ、わ、た、し、は!
これほどまで他人に絶対赦せない感情など持ったことはなかったのに!
…すうっ。
人生最大の焦りはすぐに遠のいた。まるで完成された芝居を見ているかのようだった。合図を確認して押した。いや、押すためにカラダ全体を動かした、というべきか。同僚二人もし損じることなはかった。白い手袋をはめた指に、ぐいっとその反動を感じた。いやそのはずだった。妙に実感が遠い。
バタン!と霧谷の足下の板がはずれたのも見ている。霧谷の首にロープがくいこみ、大きく無残に反動で揺れたのもわかった。直下で同僚二人が霧谷のカラダを支えているはずだ。
ただ見ている。感覚は希薄だった。いや、まったく何も感じていないようだった。透明なベール越しに存在する空間のなか、何度も繰り返される芝居を見つめているだけのような気さえしてきた。私は自分の感覚、いや意識の異常さにとまどいながらも職務とむきあうしかなかった。
時間はゆっくりと早く流れていく。
意識の妙な防衛本能の現れか、現実感がとぼしいまま、階下へと降りていった。死なせる直接の引き金を引いただけでは終わらない。私たち3名は必ず、霧谷が絶命するまで見届けねばならない。ただ見届けるだけだ。何もしない。房で居住している間は自殺防止に神経をはらい、この執行時には死にゆくことを妨げない。
瞬間で一工程が終わる仕事もあれば、このようにいつまで続くのかわからない、辛抱強く時間が過ぎ去るの待つだけの仕事もある。
何かが薄く流れていった。身体は支障なく動いていた。Iグラスを通じて、私の頭に一度入った映像は、外部記憶のメモリへといったん保管され、刑務所内の映像記録へとアップされていった。
私が私を取り戻したのは、処刑室を出たときだった。よろめいて壁に手をついたとき、
やっと頭の重さから解放された。Iグラスを通じて、ただ続く平坦な廊下が見えた。執行を見届けた検察官の後ろ姿も見えた。ふらつく私を支える同僚田坂の顔が目前にあった。ただ私を心配するだけの表情だった。
執行は、問題なく遂行されたのだとわかった。
「間宮、今晩いくか?」田坂にうなずくのがやっとだった。この執行に関わった者には特別手当が出る。家族に執行に関わったことも知られてはいけない。高価なものを家族に買ってしまえば悟られることもある。だから、この執行で受けた精神的負担を、何回かに分けてすべて酒につぎこむのが職員のあいだでは慣例になっていた。
……今日、ひとつの宇宙が消えた。
田坂は、所内での実りのある情報からヨタ話とも思える話をしてくれる同僚だった。一番気がおけない同僚だとも言える。
そんな田坂と痛飲したのは高級すぎない小料理屋の個室だった。会話は少なかった。ビールよりも強い冷酒を選んだ。どっしりとあぐらをかき、お互い杯を満たし合いながらの時間を消費していった。
帰宅したら冴子の顔を見ずにすむなと思いながら田坂に酒をついだ。さりげなさを装いつつ、尋ねてみることにした。
「次移送する死刑囚の5856、通り魔で11人殺傷したヤツだが、俺が処刑するからお前たちはしなくていいっていろんなヤツから何度も代表の電話あっただろう、前に」
「……あぁ、あったな」
「今日の9589にも前あったか?」
「なんで今きくんだ……」
「いや、ちょっと気になって」
「9589の被害者家族は、せいぜい生き残った息子くらいだ、なんとか通常の生活送ろうとしているんじゃないかな」
「確信ありそうだな、なぜわかる?」
「TVの株情報番組、これからのIT企業どこが買いか?ってやつを見たんだ」
「はあ?」
「いや、手堅くてしかも最先端の技術力をもったIT企業グループBRAIN GATES(ブレインゲイツ)の技術者集団の中にいたんだよ。技術力アピールのところで『チームリーダー水野圭』って実名テロップ出てて」
ブレインゲイツという社名には聞き覚えがあった。冴子との雑談からだったろうか。たしか国家プロジェクトにも関わっている超優良企業だ。
「よくわかったな」
「俺、9589の裁判時のエピソードを9589自身から聞いたことあってさ、名前覚えてたんだよ」
「!?」
「9589、いつ”執行”されても仕方ねえって毎朝覚悟決めてたんだ」
今朝のあの抵抗のなさは、やはりそういうことだったのか。
「死刑確定したとき、息子の圭くんが言った言葉が忘れられない、自分が上司に持ってた殺意が同じだった……」
「それ、なんて言ったんだ!?」
声を荒げてしまった。
私は自分の焦りを隠せなかった。田坂はそんな私に息をのんだ。杯を置き、腕を組んだ。うつむき加減で、9589とのやりとりを私に話してくれた。私は田坂の話に身をのりだしていった……。
やがて電撃をくらった。ある一つの確信がはしったのだ。私は脳内ハッキングされたと。暴風のなか、雷雲からくらった電撃で樹木に炎があがっていく映像が見えた。この炎は止められない。犯人を捜しだすまでは。
引っ越し当日以来、新居には行かなかった。冴子ともスマホでメッセージを交わすだけの日が続いた。退職金がフイになる可能性を覚悟しつつ、私はただ自分の推測を裏付けることに尽力していった。
もちろん通常の職務もこなしていきつつだ。誰が私の執行を知りえたか、例え直前だとしても、また私のIグラスへアクセスできる候補者をリストアップした。
いちばん可能性のある容疑者は、やはり同僚・上司・部下だったが、水野圭の遠縁や関係者はいなかった。睡眠不足をおしつつ一週間は費やしたころ、やっと結論へ近づいた。
けっきょく、状況がよくわかり私へ個人的なアクセスができたのは…もうあの男しかいない。
そうして、非番だというのにまるで一世一大、死を覚悟した戦場におもむく兵のように官舎を出た。
とんとん、とウーロン茶のグラスが二つ置かれた。カラオケボックスの個室からすぐに店員が出て行くのを見届けると、城崎は選曲しているふりをやめた。
今日はうすい水色のボタンダウンシャツにジーンズ。前回逢ったときと雰囲気は変わっていない。慎重さと清潔感を兼ね備えている。
真正面から私に向きあい、城崎は口を開いた。
「今日はお休みのところ、ご足労いただいてありがとうございます」
「いえ、私のほうこそ。お話しするのを今日に早めていただいて」
「気が気じゃなかったんです、実は。今日の取材を断られるんじゃないかと…」
本当にそうだろうか。こんな日が来るのを予感していたのでは?
いや、まだこちらの動きを悟られてはいけない。私の堅い表情を見たのか、城崎に一瞬とまどいが見えた。しかし、城崎は録音のためのスマホを取り出し、取材はすぐに始まった。
「今日は、刑務官・職務の重責さを感じた回顧録をお聞きしたいんですが」
しっぽを出させてやろう。
「あなたが聞きたいのは回顧録、そんな生ぬるいもの?」
お前の正体はフリーライターではないだろう?そんな牽制球になっただろうか。
「回顧録だなんて。そんな思い出になるような状況、もう私にはやってこない」
城崎は私から一瞬だけ目をそらした。
「私が背負った十字架は目に見えずとも、確実に存在する。ボタン、いやここではスイッチと言おうか……あのスイッチを押したんですから」
城崎は確実に息をのんだ。「スイッチ」と聞いて、思いつくことがあっただろうか?
私は9589の執行詳細を語り始めた。語りつつ城崎の表情を探っていく。私が体験したことは、本当に初めて聞くことなのかどうか?
もしかしたら二回目なのではないか?と。
「”執行”時のあの頭の重さはストレスなんていうものじゃなかった。まるで処理負荷がかかって動けないようだった」
「処理負荷?CPUへの負荷が重かった、のと同じ意味ですか?」
動じないようだった。声にうわずりはない。だが合成皮のソファがたわむ音が聞こえた。私の話に冷静に耳を傾けていた城崎の姿勢は前のめりだった。
城崎は眉ひとつ動かさず、私をとらえていた。いやとらえられるのは私じゃない、お前だ。お前が俺にしたことは高くつく。そう心の奥底にわきあがる血をおさえた。
やっと、ひと呼吸おいて言った。
「脳内ハッキングされたと考えています」
「まさか」
呼吸の乱れがない。あまりうろたえているようには見えない。
「上には報告を?」
首を横にふった。
「確証がない、だが、これから作る」
「はい?」
城崎は芝居がかったように返した。やはり、そうなのか。確証をえるために私は賭けに出た。
「オレに殺させろ」
城崎の頬がぴくりと動いた。私が私でなくなった瞬間に聞こえた台詞だ。
覚えがある台詞のはずだ。城崎が水野圭ならば。あの水野家ただ一人の生き残りであるならば。
「霧谷の死刑確定の判決が出たとき、水野さん、あなたはそう叫んだと聞いた」
城崎が頭をたれ、横にふった。額をおさえた。
「どうして、そう思うんです」
「水野さん、あなたは超一流のエンジニアだと聞いている。政府機関の重要なプロジェクトにも関わっているともね。だから、政府機関のハッキングなんてお手のものだろう。霧谷の執行日なんて極秘にしようとしても、事前の書類手続きや検察官のスケジュールを監視していればあたりはつく。拘置所内の刑務官のシフトを私が死刑執行に関わるように絞り込むように設定もできるだろう。
そして、きわめつけは執行当日の全刑務官のシフト変更だ。スケジュール変更AIが稼働すれば、その日が死刑執行だと確実にわかる。だから、あのとき変なノイズが走ったんだ。 その後は私のIグラスを通じ、霧谷の死刑執行のボタン、いやスイッチを押してから霧谷が死ぬまで、すべてリアルタイムの映像情報から私の肉体感覚までも解析し、私の全感覚があなたへと”スイッチ”したんじゃないのか?」
時間が止まったような気がした。しかし、城崎はほんのわずかにひるんだだけで、すぐにぽつりとつぶやいた。
「ひとつ穴がありますよ。先日もこうやって間宮さんに向かいあいました。でもそれだけで、Iグラスの送受信機能を都合よく変更できるでしょうか」
「……ああ」
言われる覚悟はしていた。この推理の重大な欠点だ。私はIグラスを肌身離さず持っている。データを送受信できる機能を持っているとはいえ、Iグラスのハード面を改変しなくて、私の肉体感覚、神経回路まで高速度でデータ化できるのか?だとすれば、このIグラスを一時的にせよ私から引き離す必要がある。
ぞっとして両手で自身をおおった。私は何らかの外科的手術さえ施されてしまったのか。 それは私が自宅で眠っているときが一番のチャンスだろう。妻の協力なくしてはこれはできまい。
「冴子をひきずりこんだ、のか?」
冴子はIT業界に身を置いている。たぐりよせれば、脅すなりなんなりで冴子を協力者にできるだろう。しかも冴子の仕事は職業の体験学習教材だ。仕事をシミュレーションし、子供たちに仕事の面白さを伝え、責任感を養わせる。この技術を応用したのだ。なぜ、気づかなかったのだ。
城崎はうつむいたまま、肩をふるわせていた。自白の証にみえた。
次の瞬間、くぐもった笑い声がカラオケ個室内に響いた。
「なんにもわかってない」
水野ではないのか?もしくは十数年前執行した死刑囚の被害者遺族が今頃になって、私を執行に関わった刑務官だとかぎつけ、話を聞き出そうとした?
城崎は頭に手をやるとぐいっと髪の毛をひっぱった。ウィッグだった。小粒のピアスをつけた形が良い柔らかい耳まで見えた。襟首のシャツのボタンをはずした。バンドエイドのようなものも見えた。はがした。喉に直接貼り付ける簡易ボイスチェンジャーだった。
「あなた」
ひとすじの痛みが頭の中を走った。
何日ぶりに聞いた声だろうか。
まさか、と思いながらもIグラスをはずさないわけにはいかなかった。あのボタンを押したときでさえ、ここまで手が震えたか?
たどたどしくつまみ、やっとのことではずした。小さな音なのに、接続を切るOFF音がいやによく聞こえた。
視界の色が薄まりながらも、強く相手の存在を感じた。服装は変わらずとも、顔はさっきまで見ていたものと違った。
裸眼でみる妻は、奇妙にも力強いオーラをまとっているようにさえ感じられた。
Iグラスは冴子の顔や姿を男性のものに変換し、私にまったくの別人物だと偽情報を与え続けていたのだった。いくら偽情報を与えられていたとしても、どうして冴子に気づかなかったのだ?いや、見ていなかった。囚人を監視することが仕事だったから、妻まで監視するように見ているのではないかと怖くなったのだ。
冴子を見ることを無意識に避けていた。それが今精算されようとしているのか。
「どうして……脅されたのか、あの水野に」
冴子は首をふった。
「いいえ、私がつてを頼って、水野さんに逢ったの」
口を開いたが、何を言ったらよいのかわからなかった。まぬけな顔をさらしながら、私は冴子の話を聞き続けるしかなかった。
「私、賭けたの。あなたがまた”執行”に関わることに。
そして水野さんとはお互いの目的は一致してた。あなたの頭のなか、経験を知りたかったの。水野さんはもちろん、霧谷を自らの手で処刑したという感覚を得るため、私はあなたの苦しみを知り尽くしたかった」
「お、おれは……」
やっと声が出た。
「ボタンを押したことは、きみに知られたくなかった」
情けないほどにつっかえ、声が裏返っていた。
冴子はうなずきながらも、強く言った。
「十数年前、あなたが”執行”に関わったんだってすぐにわかったわ。それからあなたは私を見つめてくれなくなった」
責める口調ではなかった。むしろ「悲しい」、「寂しい」と叫んでいるかのようだった。「仕事をやめても、あなたは解放されないと思った。私ときちんと向き合おうとするのから逃げて、別れることも考えていたでしょう?」
なにもかも、冴子はお見通しだった。罪悪感に等しい気持ちがあふれ、涙がにじんできた。
冴子が触れてきた。その手をはねのけるべきか、握るべきか私は悩みはじめた。
手をはねのければ、完全な別れを意味する。握れば、私は不正アクセス禁止法など妻の罪を受け入れることになる。
冴子を見つめているうち、ピアスが妙に気になった。ぐっとのぞきこんだ。
「水野君、そこから見ているのか」
音質は悪かったが若い男の声がピアスから聞こえてきた。
「……そうです。それから、あなたの脳内情報ですが、冴子さんのピアスに見えるやつと同様の送受信機能をお使いのIグラスに組みこませてもらいました」
カラダをいじられてはいなかった。安堵した私を水野は見逃さなかった。
「ひと昔まえのUFOに拉致されたアブダクションみたいなことはしていませんよ、ご安心を」
笑えないジョークには無言で返した。冴子の小さなピアスが穴のように見えはじめた。ブラックホールを連想した。すいこまれそうな不安。それを感じつつも頭は回り出す。
水野は戯れ言を言うほどに肝が据わっている。それなら話はしやすい。ひとつ腑に落ちないことをきいた。
「”オレに殺させろ”という台詞で、私にはどうしようもない感情がせりあがってきたときがあった。あれは、わざとそうした?」
「……さすが刑務官ですね、僕は知って欲しかった。何をやっても僕の背中にどうしようもない感情がはりついている。それは一生消えない」
私はうなずくしかなかった。三者三様の宇宙のなかに十字架が見えた。
「告発しますか」
どのくらいの時間、黙り込んだだろうか。やっと口を開いた。
「……しません……お互いの胸のうちにしまいこむことにしましょう」
水野は無言だった。了解の合図のように、ほんのかすか、通信がとだえた音が耳に響いた。
次にとるべき態度は、冴子の手をとることだった。
作り出してしまった互いの罪、十字架を背負って生きていくことのはずだった。
声をやっとしぼりだした。口からついて出た言葉も姿勢も、予想すらつかない、ひどいものだった。
あのマンションは好きに使っていいよ、冴子にそう言って私はカラオケボックスを後にした。
逃げてしまったのだ、冴子から。
私は意気地なしの最低野郎だった。
今まで囚人と真正面から向き合うことが出来ても、たったひとりの妻に自分の不安どころか愛情さえもさらけだすことをためらい、まったくできなかったのだ。
自分で自分がわからなかった。
皮肉にも罪人の胸のうちを完全に感じ取った。おいうちをかけるように、人生最大の過ちを犯したと思い知ったのは、酷暑になりかけた翌々日だった。 私は家宅捜索を受けた。
両掌は自然とアクリル板へと近づいていった。のぞきこむような姿勢で、向こうにいる冴子を見つめた。ほっそりとし、やつれもしていたが瞳には力強さをたたえていた。冴子はわずかに唇の端をあげた。わたしの掌へと自分の掌を重ねていった。
外は真夏だというのに、中はひんやりとした拘置所の面会室のなか、体温はすぐに伝わってきた。悪かったと冴子を抱きしめたかったがもうできない。何を話したらいいのかさえもわからなかった。
冴子はそんな私を理解していた。ただじっと掌をあわせ続けた。奥さんは自主しましたが、初犯でもアクセスした情報を考慮すると実刑判決は免れない。見せしめも含めて相当重い求刑がされるでしょうね。弁護士の言葉を思い出す。
それを伝えても、冴子の顔に不安の影は見つからなかった。自分の罪を隠す必要がなくなった開きなおりの心境なのだろうか。
いや、ちがう。この表情は違う。もっと安らかな顔つきだった。
それでわかった。もう冴子と私は別れることはないのだ。塀の外と内との関係だったとしても。
私は私の脳をハッキングした罪人を追っているつもりが、追われていた。冴子は私に追われながら、私を追っていた。私は囚人になった冴子から逃げることはできない。よく考えたなと思う。私が告発してもしなくても、状況は変わらず私を捕まえたままの道があったのだ。
私は囚人を監視する立場から入れ替わり、冴子という宇宙の囚人へと化していた。
<FIN>
スイッチ 音宮 まい @Babel-eleven-nine
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