第2話 疑問だらけの異動
ヴィシグラド共和国、首都シグムントは戦時下と思わせない透き通った青空と、市民たちの活気で溢れていた。
道沿いに綺麗に並び立つ石造りの高層建築物。メインストリートには数多くの店が並び、老若男女問わず人々が行きかっている。道の中央には路面電車が走り、その横を車が通り過ぎていく。
市庁舎の黒い屋根には、共和国の青い国旗が風になびく。自由と平等を意味する青色に中央には盾が描かれており、平和を表す。何年も掛けた復興計画により出来上がった、石畳のストリート。それには一切のズレが無く、精巧に作られている。
大きい交差点にはさらに多くの人が行きかっている。
幼い子どもを連れた親子が、手を繋いで楽しく笑い合う。
隣にはひと組のカップルが腕を組み、話しながら通り過ぎていく。
交差点の先。そこには、中世ヨーロッパの宮殿を彷彿とさせる建物がそびえ立っていた。この宮殿こそ共和国の軍本部であり、多くの共和国士官の職場であった。
宮殿の門には銃を持った警備が立ち、中に入る人を監視していた。門は多くの軍人が出入りしており、全員が青い詰襟の軍服を身に纏っていた。
その中に、共和国軍士官服を着る女性が、栗色の髪をなびかせながら門をくぐった。シャルロット・ライム、それが女性の名前である。服の襟には少佐を意味する階級章がつけられており、その階級章を見たものが次々に敬礼する。栗色の長髪は腰付近まで伸びているが、毛羽立ちは一切なく綺麗な髪である。同じ色の瞳は、多くの人種が存在する共和国にとっては特に珍しいものでもなかった。
シャルロットは宮殿の広場を過ぎ、そのまま宮殿内へと入っていった。
宮殿内は外の見た目とは異なり、とても近代的であった。
ロビーには受付があり、その横には改札に似たゲートが置かれていた。
シャルロットはゲートをくぐると、奥にはテレビを前に多くの軍人が集まっていた。聞こえてくるのは、激戦区のベネルクス連合王国の戦況報道であった。足を止めて耳を澄ますと、女性キャスターの声が聞こえてくる。
『現在、我ら共和国と連合王国の連合軍は大変優勢であり、先の戦闘で王国西部の
旧ナイメーヘン地区を帝国の手から防衛に成功。今回の戦闘でも、二足歩行兵器バヨネットの活躍により、死傷者を最小限に抑えることに成功しています』
共和国は現在、同盟国であるベネルクス連合王国に加勢する形で隣国のガレリア帝国と戦争状態であった。数年前から帝国とは因縁があり、同盟国への加勢を口実に戦争を仕掛けている形である。
帝国との戦争状態ではあるが、実際に戦闘が行われているのはベネルクス連合王国であり、共和国と帝国は国境を接しているものの領土内での戦闘は起こっていない。自国が攻め込まれていないせいか、共和国軍人には戦時下という緊張感は一切ない。報道を見ている軍人たちも、他人事のように戦況報道を聞いていた。
「おはよう、シャル」
横から声をかけられ、振り向くと同期のコーネリアが立っていた。
階級は中尉で士官学校を次席で卒業した秀才で同期。特徴的な水色の髪を手で払い、士官学校時代のように続けて話す。
「階級はそっちが上だから……おはようございます、シャルロット少佐」
「やめてよコーネリア。普段通りにお願い」
急に真面目な顔で敬礼してくるコーネリアを見て、いつも通りに言葉を返す。
敬礼していた手を
挨拶を済ませると、2人で並んで歩きだすがシャルロットは戦況報道が気になっており、その姿にコーネリアは肩をすくめる。
「戦況がそんなに気になるの?」
「うん……。聞いてるほど優勢とは思えないし……」
「その件で、参謀次長に呼ばれているんじゃないの?」
「そうなのかな……」
考えながら歩いていると、呼ばれていた参謀次長の部屋の前まで着いていた。
横を見るとコーネリアは既にいなくなっていた。後ろを振り返ると遠く離れたところで手を振っていた。シャルロットは顔を赤くしながら扉へと向き直す。
扉を数回ノックすると奥から「入れ」という低い声が扉越しに耳に入った。
「シャルロット・ライム少佐、入ります」
扉を開け部屋に入ると部屋中に充満した葉巻の煙が鼻に入る。咳き込むのを我慢しながら歩き、参謀次長が座るデスクの前で敬礼する。
アンドリュー・ダグラス。共和国軍参謀次長、階級は中将。白髪混じりの黒い髪に、広い肩幅、筋骨隆々な体に、目元には戦場で負ったであろう古傷が残っていた。そして友人であるコーネリアの父でもある。
派手な装飾のない白い壁紙の参謀次長の執務室。デスクの上には、多くの書類が積み上げられており、書類作業に追われている様子であった。
アンドリューは葉巻を吸って一息つくと、口に咥えていた葉巻を取り淡々と話し始める。
「ライム少佐、君には前線のある部隊の指揮官として着任してもらう。部隊名は第66特殊戦技大隊通称”ハウンド”。その第1中隊〈フェンリル〉を君に任せたい」
「特殊戦技大隊……」
特殊戦技大隊という名前に覚えが無かったシャルロットは、アンドリューに続けてその名を発した。
フッと鼻で笑ったアンドリューは、部隊に関する書類をシャルロットに渡し読むよう促した。
書類には第66特殊戦技大隊についての内容が書かれていた。シャルロットはその場で資料を読み始める。
第66特殊戦技大隊〈ハウンド〉。バヨネットを主力とする参謀本部直属の特殊部隊。任務内容は前線での戦闘から遊撃に潜入工作など多岐にわたり、特殊部隊の名に相応しい部隊である。
しかしそれは表向きの情報であり、実際は懲罰部隊として運用されている。戦果は全て記録されず付近の味方部隊のものとなる。自主判断での撤退は許されず、敵前逃亡し作戦領域を離脱した者は、機体に取り付けられた爆薬が爆発する仕組みが取り付けられていた。さらに、部隊員の大半は収容所にいた者達であることが資料には記されていた。
シャルロットは読んでいた資料からアンドリューへと顔を向ける。すると、アンドリューは椅子から立ち、葉巻片手に後ろにある窓から外を眺めながら部隊の現状について話始めた。
「先の旧ナイメーヘンでの戦闘で、部隊が壊滅した。その補充を兼ねて新しい指揮官を配置したかったのだよ。それに君は前線希望だったからな、丁度良かったのだよ」
「他に、適任者がいなかったということですか?」
「言っただろう丁度良かったと。君の士官学校の成績とこれまでの戦果を加味した上での判断だよ。主席で卒業した君の実力をね」
確かにシャルロットは、数回戦線に赴き戦果を挙げている。だがそれも、補給部隊の護衛と現地指揮官の補佐のみで、これといった功績は無い。そんな自分に部隊を任せるというアンドリューの言葉を疑っていると、続けて口を開く。
「安心したまえ。先の戦闘で部隊の
言葉を失い黙っていると、続けてアンドリューはシャルロットの目を見て話す。
「副官には、そうだな……コーネリアを着けよう。君も気心知れた者がいたほうが安心できるだろう……いいな?」
言葉の端々に威圧のようなものが込められている。拒否することは許されない。
シャルロットは、唇を強く引き結び、敬礼を行う。
「了解しました。全身全霊をもって任を全うする所存です」
「よろしい。活躍を期待するよ少佐」
「……それで、明後日から一緒に最前線なのね? 忙しくなるわね」
最前線への異動となれば、色々なことを準備しなければならない。荷物の準備であったり、部隊員の名前や情報を頭にいれなければならない。副官との情報共有もその一つだ。
情報共有はシャルロットの部屋で行われていた。部隊が特殊なため、他人に聞かれる可能性を考え、自室にしたらしい。
「ごめんね。巻き込んじゃったみたいで……」
「私はその部隊への異動は決まってたから。上官だけ決まって無かったから、シャル
でよかったわ」
幸いにコーネリアには事前に異動に関する通知が送られており、部隊に関する情報を先に調べていたようだった。
コーネリアの調べによると、今回の壊滅で生き残ったのは2人。しかも、部隊の壊滅は今回で4回目らしく、過去の4回も同じ2人が生き残っているようだ。
生き残った2人については、部隊員が記された資料の最初のページに載っていた。
「リオル・アレキサイア。部隊の隊長で階級は大尉。年齢は18歳。12歳から軍に所属って、若すぎるわ。軍に入れるのは18歳以上からじゃ……」
「収容所出身のヴォルグ人はみんなそうよ。酷い人だと10より下で入隊するのもいるわ」
ヴォルグ人。それは、この世界における被差別民族。生きていることが許されない人種。それは、過去に栄えた文明がヴォルグ人によって滅ぼされたと伝えられており、その結果として世界各地で迫害や虐殺が行われた。
共和国では、国内のヴォルグ人を全員収容所に入れ、強制労働や兵士として戦地へと送っている。元々戦闘民族であったため、戦闘能力が非常に高く簡単には死なないため、体に爆弾を着けて戦闘させるなどが横行した。
ヴォルグ人への暴行などは正当化され罪に問われないなど、人として扱われることがないのである。
そんなヴォルグ人が、中隊長を務めるという異様な部隊、それが第1中隊〈フェンリル〉であるのだ。
2人目は、女性の兵士であった。
ナタリア・ベルセルガ少尉。年齢は同じく18歳。北方の狩猟民族とヴォルグ人の
彼女もリオルと同じく収容所出身であり、同じ年に入隊していたようだ。
この2人以外の22の隊員は、新たに補充された人員のようだ。
資料の項目には、転属理由が事細かに書かれている。命令違反、上官への暴行、金の横領、故意の誤射など数多くの理由を持った者が補充されるようだ。
「資料を見て改めて思ったわ。この部隊を指揮するのは至難の業ね」
「そうだね……。でも、やるしかないよ。コーネリアにも手伝ってもらうからね」
「わかったわ。とことん付き合ってあげるから、裏切るんじゃないわよ?」
コーネリアの返しに笑いながら、資料へと視線を戻し読み進める。
窓から差し込む夕日が、少し暗いシャルロットの部屋を照す。夕日は炎のように燃え盛り、首都シグムントの市街をも赤く染め上げる。
―———
共和国軍本部の参謀次長の執務室。
アンドリューは窓から夕日を見ながら、誰かと電話をしている様子であった。
「あぁ、当初の予定通り彼女をあの部隊へ送った。そのまま死んでくれれば楽なのだがね」
アンドリューの言葉に電話の相手は大きな笑い声を響かせた。声の主はアンドリューと大して変わらない男の低い声だった。
『本音を漏らすなよアンドリュー。誰が聞いているかわからんのだぞ?』
「その時は、次にそいつを向かわせればいいさ」
『相変わらず怖い奴だな。それより、娘のコーネリアも向かわせたようじゃないか。いいのか? 自分の娘だろう』
男との会話にコーネリアの名前が入ると、アンドリューは苦虫を嚙み潰したような顔つきとなった。
「出来損ないはダグラス家に必要ない。元より、あの隊で処分する予定だった。それが早いか遅いかの違いだ」
『恐ろしい男だよ、お前は。あとの事はこちらに任せろ。猟犬の扱いには慣れているからな』
「頼むぞ。こちらも手を回しておく」
電話を切ったアンドリューは椅子に腰かけ、デスクに置いてあった1枚の封筒を手に取る。封筒には極秘と書かれた印が押されていた。
「すべては計画完遂のため……、利用させてもらうぞ。シャルロット・ライム少佐……」
―———
日付は一瞬で過ぎ去り、明後日の異動日になっていた。
首都郊外の軍用飛行場。シャルロットとコーネリアは、まだ日が昇っていない朝の基地内に荷物を持って搭乗までの時間を待っていた。
建物から見える滑走路には、待機中の爆撃機や輸送機などが停まっていた。
外を眺めて待っていると、2人のもとに1人の男が駆け寄ってくる。
「搭乗の御用意ができました。どうぞこちらへ」
この基地の軍人の案内のもと外へと出ると、大型の輸送機がバヨネット2機を積み込んでいた。輸送機は明かりに照らされながら作業をしており、輸送機への搬入もスムーズに行われていた。そして、積み込んでいる輸送機まで案内される。
中は以外にも広く、席も大量にあった。先に荷物を所定の位置に置き固定したコーネリアが、座席に座ると渋い顔をした。
「シャル、これはお尻が痛くなるわよ」
コーネリアが座席の批評を行うのを横目に、自分の荷物を固定する。
そして、いざ座るとその座り心地は最悪であった。固い座席で、何時間も座ってられない椅子ではあったが、我慢するしかないとシャルロットは自分に言いつける。
「コーネリア、これからはこんなこと言ってられないよ。覚えてるでしょ? バヨネットのシートの方が酷かったの」
「まぁ……確かに……」
「それに、今後は腐るほど乗る羽目になるかもしれないから、今のうちに慣れておきましょ」
コーネリアを言い聞かせていると、輸送機の奥からパイロットが声をかけてきた。
「まもなく離陸します。安全ベルトなどは忘れずにお願いしますよ」
安全ベルト着用の注意があった数分後、輸送機は大きな音を立てながら離陸する。
離陸後しばらくしたあと、再度パイロットがこちらの方に来て到着予定時間の報告を行う。パイロットによると到着は昼頃らしく、それまでの間ゆっくりしてほしいとのことだった。
パイロットの話を聞き終わると、後ろの小窓から日の出の光が差し込む。
すでに雲の上であったが、それが余計に綺麗に感じた。
横のコーネリアは既に寝ており、起きる気配はなかった。
ベネルクス連合王国東部ゲルダーラント。復興都市アルン。現在の東部方面軍の司令本部が置かれている大都市。この都市が突破された日には、東部戦線は完全に瓦解する危険がある。それほど重要な拠点なのだ。
復興都市というわりには、復興はあまり進んでおらず、輸送機から見える街並みはシグムントとは比べるまでもない荒廃ぶりだった。
復興都市アルンの飛行場に着陸した輸送機から降りた2人は、施設内でベネルクス連合王国軍の兵士の案内に従って移動した。
日はすっかり登り切り、軍用ジープで移動するシャルロット達を上から照らしている。道路のあちこちに水たまりが残っていることから、最近雨が降ったのだろう。
15分ほど車に揺られると、アルンにある連合軍基地に到着した。
基地内に入り、応接室で待っていると、基地の司令官が現れる。
すぐさま、敬礼を行うが基地司令は腕を振り座るよう促す。
「よく来てくれたね。ライム少佐、ダグラス中尉。私が派遣軍東部戦線司令官のグレゴ・クラレンス少将だ。着任を歓迎したいが、とりあえずこれを見てほしい」
シャルロットはグレゴから渡された資料に目を通す。そこには、このあと行われる作戦計画が書かれていた。
「これは……?」
「数週間後に予定している反攻作戦の計画だよ」
「反攻作戦ですか?」
「そうだ。来てもらって早々悪いが、君が指揮する部隊にある作戦を行ってもらう。先の旧ナイメーヘン市街での戦いで我が軍は敗北したが、味方部隊の活躍によりナイメーヘンの制圧まではされておらず、中立地域となっている。そこで、君の部隊に旧ナイメーヘンの奪還を行ってもらう」
「たった1個中隊でですか!?」
グレゴの作戦説明に驚きを隠せず大きな声を出してしまうシャルロット。
グレゴはそれを特に注意するわけでもなく、説明を続ける。
「猶予日数は2週間。それを過ぎれば、我が東部戦線は各地で行われる反攻作戦に遅れることとなる。しっかり頼むよ」
「待ってください少将! 1個中隊で市街の制圧など無茶にも程があります!!」
シャルロットの返答に一切顔を動かさず淡々と言葉を返す。
「これは決定事項なんだよ少佐。それに、君がこれから指揮する部隊はそういうとこなんだよ」
シャルロットはその一言で何も言えなくなってしまった。自身がこれから指揮する部隊がどういうものか、今この瞬間に理解したのだ。
「部隊の補充はすでに済んでいる。作戦成功を祈っているよ少佐」
「……ありがとうございます」
グレゴとの話を終えたシャルロットとコーネリアは、自身のバヨネットと共に部隊の駐屯地に向けて車を走らせる。
車を運転するコーネリアの後ろには、基地から共について来ている督戦官が乗車していた。
懲罰部隊のため、作戦行動中も督戦官が随伴するようだ。規則のため仕方がないが、非常に邪魔である。
シャルロットがそんなことを考えていると、コーネリアが独り言を声に漏らす。
「絶対生き残る……」
その一言に同意するように小さく頷き、視線を窓の外へと戻す。
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