第2話 黒と白がフィッシュアンドチップスを食うだけの話
パブ「トライパンプキンズ」
大通りから一つ外れた裏道沿いに、小さく佇むそのお店は、その名の通り3つのカボチャがシンボルのパブであるようだった。
少女を担いだ私は、いつだったか仕事関係で知人が口にしていたそのパブへと足を運んだ。
ちなみに、倒れた少女は先ほどから「うげえ」とも「うがあ」ともつかない、うめき声のような何かをつぶやきながら微動だにしない。
ので、担いでいる途中から気にしないことに決めた。
煤けた黒色の扉を引くと、ギイッと重たく軋んだ音と共に、徐々にシックな店内が眼前に広がる。
店内は、壁、床、天井、それに椅子やテーブルまでもがダークブラウンな木製で揃えられており、いくつかの棚には、審美眼がまるでない私には到底存在が理解ができない小物が置かれている。
「いらっしゃい」
カウンターにいる店主が手元で何かしらの料理をしながら背を向けたまま客である私たちを歓迎した。ドアの開く音で入ってきたことを認識したようだ。
足を踏み入れると、広がっていたのは何かの揚げ物だろうか、香ばしい香りが店内には漂っていた。と、その瞬間
「フィッシュアンドチイイイイイイップス!!!!!!!!!!!!!!!!!」
肩に担いでいた少女が大声を上げてもぞもぞと動き始めた。
今ままでどこにそんな元気を残していたんだ。
静かな店内に突如として響き渡る少女の声。
店主も、もちろん少女を担いでいる私も当然驚く。
「ああ、お二人さんでしたか。いらっしゃい。」
目が合った店主は口周りに蓄えた白髭を撫でながら、私たちに優しく微笑んだ。
「こちらにおかけになってください。」
案内されたテーブル席の片側座席に、もぞもぞ動いている彼女をゆっくりおろすと、そのまままるでスライムのようにへなへなとテーブルに溶け込みながら、それでも目だけは飢えた獣の形相だった。
「すまない、彼女に何か食べるものを」
反対側の椅子に腰を下ろした私はそう店主に告げつつ、内心では自分の行いに戸惑いを感じていた。
何をしているのだと、もう一人の自分に尋問を受けているような、そんな心境ではあったが、勿論そんなことはおかまいなしに、店主は支度を始めた。
「それでは、彼女のオーダーに応えた一品を」
確かこの腹が減ってふにゃふにゃになっている少女は「フィッシュアンドチップス」と言っていた。
フィッシュアンドチップスは、ロムドンでは有名な食べ物である。
しかし、私は人づてにそれを知っているだけで一度も口をしたことがない。
ゆえに心が躍るというのは過言だが、少しばかりの興味は湧く。
料理を待ちながら、ふと彼女を見ると、偶然にも彼女と目が合った。
「楽しみですね!!!」
よほど楽しみなのか、にっこりと微笑む彼女の笑顔はあまりに眩しかった。
「おまちどおさま、うちの看板料理だよ」
なるほど、先ほどの揚げ物の香りは魚と芋を揚げていたからか。
私たちの目の前には、キツネ色に揚がった魚のフライと、これまたこんがりキツネ色に揚がった大きく切られたポテトが大皿に盛り付けられていた。
皿の上には、フライやポテトを浸けるものだろうか、白いソースが入った小鉢も載っていた。
「うひょー!」
いつの間にかナイフとフォークを握りしめ、目をキラキラと輝かせ、今にも目の前の料理にありつこうとした少女を、店主はそっと制した。
「空腹だったようだし、外は寒かったろう。まずはポタージュから飲みなさい。」
そう言って、店主は私たちにミルクの優しい香りのする、湯気が昇るマグカップを2つ差し出した。
私には、食べる順番も含めて食に関する知識は皆無に等しかったため、店主の言うことに従った。郷に入っては郷に従えという言葉は、標的に応じて手段の手を変え品を変える殺し屋の私が好きな言葉だ。
「ありがとう」
礼を言って、マグカップを受け取ってそのままそれを口にした。
「……!」
なんだ…?
なんだこれは…?
「…うまい」
私は思わず感嘆のため息を漏らしていた。
「なにこれ!?めっちゃおいしいです!!!」
目の前の彼女は恍惚な表情を浮かべてうっとりと、それでいて興奮気味に
舌鼓を打っている。
私たちのそんな様子を見たからか、店主はまたも微笑み、
「このポタージュはね…」と解説を始めた。
ニンジンやジャガイモといった野菜と鶏肉の風味、それからチーズのような旨味、
それらを生クリームで優しく包み込んだ丁寧なスープである。
といったようなことを言った気がするが、むろん私にはいまいちピンとこない。
だが、ただただひたすらにこのポタージュは美味しく、私たちはあっという間に平らげた。
さあそして次は今回のメインディッシュだ。
ナイフで魚のフライを一口サイズに割き、それを白いソースに浸して口に運ぶ。
「うまい…!」
”感動”という表現でしかこの味を語ることが出来ない自分を一瞬でも不甲斐なく感じるほど、サクッとした触感と白身魚のふわっと口どけるような舌触りは絶品だった。
おまけにこのソース。酸味が主体となりながらも、ほのかにスパイスと塩味を感じ
濃厚のようでまるでくどさがない。
衝撃のあまりついついフィッシュアンドチップスの大皿とにらめっこしていた私がふと顔を上げると、
「うう…ひっく、美味しい…です…ひっく」
なんということだ、少女が泣いていた。それもとてつもなく幸せそうに。
一口、また一口と彼女は大粒の涙を流しながらフィッシュアンドチップスを食べ続ける。
感情のジェットコースターっぷりには驚くばかりではあるが、数十分前の干からびていた姿を考えると、まあこれでよかったのだろう。
「人がおいしそうに食べる姿こそ生きがいなんだよね」
言葉の主のほうを向く。店主はニコニコと優しい表情を浮かべていた。
「~♪」
いままで心中にて自分の行動に戸惑いを覚えることでいっぱいだったからだろうか。
ここで初めて、私は店内でどこかで聞いたことがあるような音楽が奥の蓄音機から流れていることに気がついた。これは確か…
「これは『愛の挨拶』という異国の曲です。」
胸の内を読んだかのように、店主が言葉を添える。
異国より曲を持ち込むのが流行りであることは知っていた。
「いい曲だ」
胸の内を読まれたからか、食に初めて感動を覚えたからか、それとも目の前の少女の
幸せそうな姿に安堵を覚えたからか、私は私らしからぬ言葉を発していた。
愛の挨拶。
今になって思えば、これほどまで彼女との出会いにふさわしい曲はなかっただろうと
心からそう想う。
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