黒と白が食堂で飯食うだけの話

著弧くろわ

第1話 黒と白が出会って飯を食う

殺し屋という職業は、意外にも暇なものである。

依頼があれば空の上だろうと海の底だろうとどんなに時間がかかろうとも目標を処分するまでは業務を遂行し続けなければいけない。


が、それはあくまで依頼があればの話であり、依頼さえなければ十二分に自分の時間はある。


が、あくまで時間はあるだけであり、実際には、業務に関連して恨みを買った輩から命を狙われる危険が、常に身の回りに潜んでいるため、意外にも自由に羽を伸ばす方法は絞られてしまう。


私もその例外ではなく、これといった趣味を持つことは一切なく、休日は大抵、追手に居場所を特定されないための新しい拠点への移動時間に費やされた。

そんな私も殺し屋稼業歴15年である。


さて今夜も一仕事…といつものように標的が住まうロムドンの街にあるとある宿場を拠点に、早速殺しの準備に取り掛かろうとしたところ、依頼元からキャンセルの連絡が入り、私のルーティーンは「ル」の字の段階であっさりと瓦解した。


予想外の時間が生まれた。


さて、どうするか。


宿場の一部屋にポツンと、まるで最初からこの部屋の置物であるかのような佇まいで、私はシングルベッドの傍らに突っ立っていた。


人は没頭するものが無くなると、自分の内側と向き合うしかなくなる。そしてその瞬間、初めて自分の中身がえらく空っぽであることに気がついた。


この空虚をどう埋めようか。


まず考えたのは、人間が誰しも抱くという三大欲求を満たす案だった。

だが私は殺し屋だ。

睡眠は、寝首を掻かれる危険を避けるため、

性欲は、美人局を回避するため、

食欲は、毒殺を回避するため、

人間の三大欲求には縋れない。


ならば…と私は部屋を出た。


本日の暇つぶしが決定した。


散歩だ。


ロムドンの町並みは夕暮れ時が一番美しいとどこかで誰かから聞いたことを思い出した。

これまで何度もロムドンには仕事で訪れているが、今みたいにゆっくり街並みを観ながら目的もなく歩くなんてことをしたのは初めてだった。

確かになるほど。夕日のオレンジ色の光、空の薄紫色、それらに包まれたレンガ造りの街とかすかに灯り始めた街灯が醸す景色は、何ら芸術に造詣が無い私でも、美しいとため息が漏れる。


行き交う街の人々もその景色の一部であるかのように溶け込んでいた。


と感慨にふけっていたところでふと足を止めた。


一人の少女が路端に俯せに大の字で倒れていた。


「…」

「…」

「……」

「……」

「………」

「………」


驚いたことに全く動かない。

死んでいるのかと一瞬思ったが、呼吸はしている。


「…おい」


あまりに動かなかったため、根負けして声をかけてしまった。


「…」


返事がないが、ただの屍ではない。


「ァァァアアアァァアアア…」


次の瞬間、おぞましいうめき声のような怪物の鳴き声のような海鳴りのような地響きのような雷の轟きのような、言うなれば、この世のものとは思えない地獄のような音が近くで鳴り響いた。


「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」


というか、音はこの少女から出ていた。


「ヴぉ…ヴぉヴァががヴぇりまじた…」


急に俯せのまま話し出したので、つぶれたカエルのような声で、言葉のような言葉でないような音を出したが、おそらく一番近くにいた私に話しかけられたであろうことは状況から理解できた。


「なんだ…何を言ってる…?」


私はこともあろうに少女に応答した。

普段なら絶対に素通りしていたであろうが、偶然に生まれた空虚な時間が私の普段を破壊した。これはバグである。


尋ねてもうめき声を上げるのみではあったが、言葉の端々から意図が読み取れた。


「ごはん」「おなか」「動けない」


要するにこの少女は腹が減って力が出ずに倒れこんだのだ。


「なんという阿呆だ…」


呆れて私は天を仰いだ。

こんな人間が現実にいたという事実にひたすら世界の広さを感じるばかりである。


「…来い」


気づけば私は少女を抱えていた。


ありえない。いったいなぜ?


暇だったから?少女の姿に憐れみを覚えたから?私自身腹を空かしていたから?

それともロムドンの街並みに身の程に合わない感慨を抱いたからだろうか。


正解は分からないが、いずれにせよ私はここで道を踏み間違えた。

あろうことか、私は少女を連れて食堂へと足を運んだのだ。


私は約15年ぶりに他人と食卓を囲むことになったのだ。



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