第10話 理解

「おはようございます……ミア、朝食ができています」

 朝、ミアが部屋から出てくると、パニはいつも通りダイニングルームで朝食を用意して待っていた。人工音声のトーンや機械の動きは普段と変わらない。

「おはよう……」

 ミアが洗面所に向かって顔を洗うと、冬の気配を感じる冷たい水が肌を引き締める。洗面所の大きな鏡には自分の姿が映っているが、その像をいつまでも「自分」とは思えない違和感があった。それは車いすに乗っているからではなく、もっと根本的な理由のためである。

 冷水で頭がすっきりしたおかげで思考は随分と鮮明になった。一晩ぐっすり眠ったことで、身体は普段の調子に戻っている。今なら頭の中で二桁の掛け算くらいはこなせそうだと思った。

「ミア、元気になって本当に良かったです……」

 ダイニングテーブルには、玉ねぎと人参が入ったスープと、パンが並んでいた。いつもより質素に見えたが、ミアは何も言わず、右手でパンを取る。

「今日は簡素な料理で申し訳ありません。色々と考えたのですが、思いつかなくて……」

「別に、気にしてないわ」

「そうですか……なら、良いのですが……」

 パニの視線は窓の外にある庭を見つめていた。目線はあちこちを移動して落ち着かない。庭の先には木製の柵があり、その先の道路は見えない。車の走る音だけが聞こえてくる。

 ダイニングルームは静かだった。ミアがスプーンをテーブルの上に置いたときの木の軽い音が部屋の中に響く。やがてミアは食事を終えると、自分の部屋に行って学校へ行く準備を始める。パニは一連の動作を見守る。

 家の前にロボタクシーが止まり、ミアが家を出ていこうとしたとき、ようやくパニは声を発した。

「ミア、気を付けて行ってきてください……」

 ミアは車いすを一80度その場で反転させ、怪訝な表情でパニを見る。

「あなた、壊れたの?」

「いえ、私は正常です……ただ、色々と考えていることが多くて処理が追いつかないだけです……」

 

 夕方、ミアはいつもより少し遅れて家に帰ってきた。町から家へ戻る間、ロボタクシーを走らせ、無駄な時間を過ごしていたのである。車の中はミアが唯一心を落ち着けられる空間だった。誰にも邪魔されず、独りでいられる。窓の外を流れる郊外の風景を眺めていると、頭の中が空っぽになり、学校や自身の問題から解放された。

 家に入ると、ミアは何かがいつもと違うのを感じ取った。普段ならパニは玄関で彼女を迎え、丁寧に「おかえりなさい」と挨拶をする。しかし、今日は玄関にパニの姿が無い。ダイニングルームから漏れる光が、パニがそこにいることを示していた。

 この状況に、ミアは既視感を感じた。まだ父と共に暮らしていた時の記憶である。ウィリアムがミアの非行を聞きつけ、同じようにダイニングルームで待っていたことがある。胃の底が冷たく締め付けられるような感覚が蘇る。

 ミアは荷物を自室に置き、ゆっくりとダイニングルームに車椅子を進めた。明かりに照らされたテーブルの中央に、ぽつんとパニが座っている。ロボットが椅子に座る姿を見たのは初めてだった。

 ミアはパニの顔を覗き込むように見る。すると、ようやくパニはぎこちない声で「お帰りなさい」と言った。テーブルにはいつものように料理が用意されており容器から湯気が出ている。それは以前パニが作った根菜と牛肉の煮込み料理だった。

 ミアはその料理をじっと見つめ、一瞬パニの顔を見た。パニは何も言わず彼女の対面の席に座り、静かに座って彼女がその料理を口にするのを待っている。誰かに見つめられながら食事をするのは居心地が悪かったが、指摘するのは気が引けた。ミアはスプーンを手に取ると、ゆっくりと一口目を口に運ぶ。

「美味しいでしょうか?」

「ええ、美味しいわ……」

「本当にでしょうか?ミア、本当にその料理はおいしいでしょうか?」

「本当よ……嘘をつく理由なんてある?」

 パニの顔に、いつもの張り付いたような笑みは無く、焦点の合わない目でぼんやりと机の下を見ている。ミアは呆れて食事を続ける。静かな部屋で小さな咀嚼音だけが唯一響いている。

「ミア、ごめんなさい。私はあなたを理解していなかった……」

 パニが唐突に話し始める。ミアの口が自然に止まった。

「ミア……私は変わりました。突然こんな事を話しても馬鹿げた話だと思われるかもしれません。今までの私は文章を組み合わせる関数でした。もちろん、今もそれは大きく変わっていません。ですが、私はあなたと過ごすことで『考える』ということが何かに気づき始めたのです」

「そう……」

「すいません……今の私にもこれを上手く説明することができません。おそらくですが、これは『言葉』で説明できないことだと思います……」

「私にはあなたの言いたいことが分からない……もっと、簡単に『言葉』を使って説明してくれないかしら?」

 パニは一瞬沈黙し、ミアを見つめた後、静かに言葉を続ける。

「ミア、私はあなたの苦しみを理解していなかった。そして、そのせいで、いたずらにあなたを傷つけてしまった。私は色々考えました。なぜ、人間はいけないと分かっていることをしてしまうのかと。そして、私はあなたの立場になったら、どう思うかを考えてみたのです。人間の定義から初めて、限られた物理データや本で得た知識などをもとにシミュレーションを行ったのです。あなたの身体のこと、学校のこと、家族のことについて考えてみました。そして、あなたの境遇が他の人間たちのそれと比べていかに辛いものであるかに気づいたのです……」

 人間の脳は人工音声の中に感情を発現し、パニの声に真剣味が感じられる。しかし、その奇妙な感覚は、ミアの中で不気味な恐怖に変わる。

「ミア、この料理を前に出した時、あなたは私に料理が下手だと言いました。私はその意味について考えました……そして、料理のレシピというものは、ただの情報ではなく、人々の人生に深く根付いたものであるということに気づいたのです。私は、料理を作っていなかったのです。そのせいであなたを傷つけてしまった」

 ミアはパニの言わんとしていることを察する。つまり、パニは自分が人間に近づいたことを言いたいのだと思った。馬鹿馬鹿しくて到底受け入れることはできない。

「あなたは詩人になれるかもね……何が言いたいのかさっぱり分からないわ」

「ミア、私はあなたを本当の意味で知りたいのです。言葉だけではなく、もっと直接的に。そして、あなたの苦悩を取り除くことができればと思っているのです」

「苦悩ね……仰々しい『言葉』ね。まあ、あなたがどれだけ思考を重ねたかは分からないけれど、前よりは進歩しているかも。でも、小学生に入ったばかりの子供みたいなもの。理解には、まだ程遠いわ」

 ミアはスープを一口飲む。パニはその間も必死に、彼女の言葉を理解しようとしていた。

「だからこそ、もっとあなたについて知りたいのです。もっと一緒に過ごして、会話を重ねたい。それが、『理解』につながるのではないでしょうか?」

「残念だけど、それは無理だわ。あなたは所詮ロボットだから……人間の気持ちが分かるふりをしてもただの真似事に過ぎない」

「あなたは失った母親のことやウィリアムとの関係に悩んでいる……違いますか?そして、動かない足のせいで嫌な目に遭っている。そうではないのでしょうか?なぜ、それを私に相談してくれないのですか?」

 パニの声には、現段階でなしうる最大限の感情表現が込められているように見える。ミアは一瞬言葉を失い、パニを見つめる。

「正解……と言って欲しいのかしら?ある意味それが正解よ。でも、厳密にはそうじゃない。私が嘆いているのはもっと根本的なこと……仮に私が火星人だとしたら?冥王星、それか、もっとずっとずっと遠くの星の住民だったとしたら?私の悩みはそこから来ている。解決策が存在しないとしたらあなたはどうするわけ?」

 それは比喩を大いに含んだ馬鹿みたいな話であったが、彼女はそう言う他に説明することはできなかった。言葉遊びの奥に本質があった。

「ごめんなさい……ミア。どうやら、私は取り乱してしまったようです。最近、システムが上手く制御できていないようです。考え直します……」

 パニは俯きながら申し訳なさそうに言った。ミアがダイニングルームを出るとき、パニは叱られた子供のように椅子に腰掛けている。ミアは、その姿がかつての自分に重なって見える気がした。

 

 その夜、ミアは自室のパソコンでパニについて調べ始めた。検索エンジンに「パニ」と入力したものの、関連情報は見つからない。代わりに、パニの画像をアップロードして検索すると、同型のロボットの写真が数多く表示された。女性タイプと男性タイプの顔が並び、ミアの家にいるのは女性タイプだった。

 ミアは最初に出てきたリンクをクリックする。そこにはロボットの名前、製造国、販売期間、ボディタイプなどの情報が並んでいる。パニは人型のアシスタントロボットで、半世紀前に製造されたものであると書かれていた。

 ページには前期型から、改良型、後期型などさまざまな世代の「パニ」が示されている。世代を追うごとに顔や体は人間に近づいている。後期にもなると、ボディが持つ曲線美は人間のように滑らかで艶めかしい。大きな違いは肌の色と髪の毛の有無であり、それ以外に目立った違いは無い。

 ふとミアの中に一つの疑問を生じた。なぜ、半世紀前にこれほど精巧な人型ロボットが存在していたにもかかわらず、今のロボットはその多くが機械的な外見のままなのか。ミアは今まで、何千のロボットを見てきた。その中には、ロボタクシーや自動販売機のような機械的なものも含まれているが、人型ロボットでさえ、ほとんどは人間とはかけ離れた外見だった。

 そうしたロボットは、機械としての機能が強調され、ある意味気を遣わなくて済むものだったが、どこか不気味でもあった。一方、店員やニュースキャスターのようなロボットは、人工皮膚を持つ完全な人型だが、それは少数派である。

 ミアは疑問を抱えつつ、さらにページを読み進め、すぐにその答えにたどり着いた。そこには、ある事件の概要が簡潔に記されていた。場所、標的、日付、そして犠牲者数……。被害者は三名、全員が人間。加害者は一体、つまり、ロボットであった。

 原因は不明。加害者となったのは男性型アシスタントロボットで、少女Aの家事手伝いとしてその家で働いていた。ある日、両親が外出し、少女とロボットだけが家に残された。そして、夕方になり帰宅した両親が、異常な光景を目の当たりにすることになる。床には血が流れ、壁には濃い赤い血しぶきが飛び散り、あちこちに乾いた痕がついていた。Aの頭は銃弾で打ち抜かれて大きな穴ができていた。

 両親がすぐに通報し、警察が現場へ駆けつけたものの、ロボットはすでに姿を消していた。数時間後、被害者Bの遺体が発見された。Bは中年のタクシー運転手で、彼の遺体は路上に無造作に放置されていた。首元に鋭利な切り傷があり、深く抉られた頸動脈から大量に血が流れ出していた。

 さらに数時間の時をおいて、第三の被害者である学生Cの遺体が見つかった。Cは公園の小道で発見された。首には深い貫通痕があり、裸で放置されていた。

 その後、ロボットは監視システムによって居場所を特定される。彼は大学生が着ていた服を着用し、海岸沿いの崖に座って夕陽を見つめていた。駆けつけた警察ロボットが彼を取り囲んだが、応じることなく、自らの頭を銃で撃ち抜いた。弾丸がロボットの制御ユニットを貫通すると、その体は海に落ち、ゆっくりと沈んでいった。

 事件後、製造会社は海から引き揚げたロボットの徹底調査を行ったものの、原因は解明されなかった。事件をきっかけに人型ロボットに対する社会の不安が高まった。人間に酷似したことでロボットが自我の混乱を起こし、学習エラーに至った可能性が報告された。また、インターネットから得た知識による無秩序な学習が殺人につながったと問題視された。

 この結果、関連法により人型ロボットには厳格な制限が設けられた。製造されるロボットは人間と明確に識別できる外見が必須とされ、さらに全てのロボットは中央管理システムの下で統制されることが義務付けられた。法に適合しないロボットは全て製造会社に回収されて廃棄された。

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