第11話 学校
ロボタクシーを降りてターミナルを抜け、ミアは歩行者用の高架を進む。車いすはオートパイロットで静かに道を進んでいく。このエリアはロボットの移動は制限されており、歩いているのは人間だけだ。高架の終点にあるガラス張りのエレベーターに乗り込むと、周囲から丸見えの視線に晒される感覚がわずかに羞恥を誘ったが、足が不自由なミアにとって、この機械に頼る以外の方法はない。
地上に降り立ち少し歩くと、ようやく学校が見えてきた。無機質なコンクリートの四角い建物が、青空の下に不釣り合いにそびえている。その規則正しく並んだ窓だけが特徴の外観は、まるで監獄のようだ。ミアは、生徒の情操教育を掲げる場にふさわしいとはとても思えないこの建物を、見るたびに不思議に感じていた。
他の生徒たちと共にミアも校門をくぐった。校門には全方位を監視するカメラが取り付けられており、通る生徒たちの顔を次々と認証していく。生徒たちの中には、朝から仲間と楽しげに談笑する者もいれば、憂鬱な顔で俯き加減に歩いてくる者もいる。ミアにとって、学校が意味を持たない以上、そこに憂鬱も喜びもなかった。
授業中は決まって廊下のドアに最も近い席があてがわれる。その方がスペースが広く、出入りが楽だからという理由だ。こういった配慮は行う側からしてみれば善意かもしれないが、ミアは屈辱を感じた。「指定席」という言葉が「障害者」という言葉と同じ意味を持つのである。
昼休み、ミアは一人カフェテリアに向かい、パニについて考えを巡らせていた。「一人」でいることは学校ではみじめに映るが、彼女は孤独に慣れていたし、考え事をするにはむしろ都合が良かった。
中庭に面したカフェテリアには四人掛けのテーブルが並んでおり、彼女は端の壁に近いテーブルにいた。もちろん、それは配慮を必要とした者たちのためのスペースだった。
彼女のトレイには電子レンジで温めただけのピザ、申し訳程度に添えられた野菜、そして紙パックの牛乳置かれている。学校の昼食というものはどうやら百年前から変わっていないらしく、科学技術の発展からは取り残されていた。しかし、それもミアはどうでもよかった。味には何の意味も無い。
カフェテリアは騒がしい。口先だけで威勢を張る男が、同じく気取った化粧女に話しかける。そして、顔を赤らめたり、大げさな態度をとって何の意味もないゲームに身を興じている。うるさい男と女たちは同じ口で料理を食べながら、意味の無い言葉を口に出す。それは興奮を維持するための掛け声であり、動物たちの鳴き声とほとんど変わらない。ミアはうんざりして持っていたデバイスで聴覚を遮断する。
すると、ふと目の前の席に一人の男が腰を下ろした。ミアはゆっくりと視線を上げ、右手に牛乳のパックを握りしめながら相手を見つめる。続けて、もう一人の男がその左隣に座った。二人ともポケットに手を突っ込み、ランチのトレイは持っていない。
「……元気だったか?」
彼女は耳からデバイスをとる。そして、にらみつけるように彼らの目を見る。
「何の用?さっさと視界から消えたら?」
「まあ、そうじゃけんにするなよ。俺たちは仲間じゃないか?」
右側の男はがっしりとした体格で、ミアを見下ろしながら堂々と答えた。
「仲間?よくそんな言葉を口にできるわね」
「同じようなもんだろ?……」
左のドブネズミのような男がミアの身体を見てにやりと笑う。着古した黒色のパーカーの下に骨と皮だけのみすぼらしい身体が透けて見えそうである。
「それでどうだった?感想を聞かせてみろよ……」
「別に、そこまでアッパーな気分にはならなかった。あなたたちが言っていた『ぶっ飛ぶ』からは程遠いわね……」
「じゃあ、金はナシってことか?お試しだけして俺たちはタダ働きか?」
「当然でしょ?あなたたちが言う『クスリ』の品質が悪いだけ。もっと他のはないわけ?」
「何だと?調子に乗りやがって……」
ネズミ男は顔をしかめる。しかし、大きい方の男は顔を変えずにミアを見ていた。
「なあ、ミア。お前は脚が動かないから憂鬱なんだろ?だから、アッパーな気分になって夢の中で空を飛びたいんだ……」
ミアは内心怒りが湧き上がるが、顔には出さない。彼らに自分の感情を見せる価値はないと思った。
「あれは失敗作だよ。こいつが薬局で売っていたクスリを改造しただけの砂糖の塊だよ。そんなゴミに金を払う価値は無い……」
大きい方の男が言った。ネズミ男は奥歯を噛みしめ、不服そうな顔をした。しかし、反論せず黙って聞いている。
「だから、お前にはもっと別のクスリをやる。こんどのは本当に『ぶっ飛ぶ』こと間違いなしだ。これは、俺が確かめた本物だ……」
ミアたちのいるテーブルは異様な様相をしていた。異様な身なりの男が二人と車いすの女が一人である。周りにはちらちら様子を見る者もいた。
「へへ……奴ら俺たちのことを見てやがる。障害ていうのは、汚れた扱いだもんな。お察しするぜ。これだったら、俺たちの方がよっぽど善人だな」
ネズミ男は周りを見渡しながら言った。確かにそれは的を得ていた。
「心配してくれて感謝するわ。替わってほしいなら替わってあげるけど……」
それを聞くと、大きい方の男が微かに笑った。
「そうだ、そんなことはどうでもいい。それより、こっちのクスリは本物だ。こいつが薬局のクスリを改造したものなんかじゃない……聞きたいか?」
「合いの手が欲しいならしてあげるけど?」
男は話を続けた。
「そいつは数十年以上前につくられた本物のドラッグだ。つまり、今では規制された化学物質が使われている……」
男はそう言うと鞄から円筒の瓶を取り出した。ラベルは無く透明のガラスの中に白い錠剤がジャラジャラと入っている。「本物」という言葉はいささか滑稽だった。
「俺はこいつを恐る恐る飲んだ。そうしたら、今までになくぶっ飛んだ!文字通り意識が飛んで、気が付いたら血だらけで路地に倒れていた!」
ミアは男の言葉はでたらめだと思った。自分にドラッグを買わせるために馬鹿げた作り話をしていると。
「何都合のいい話をしているのよ。そんなことがあるわけないじゃない」
「何だったら今試してみるか?」
男は小さなビニール袋をミアの前に堂々と差し出した中には小さな白い錠剤が一粒入っている。
「口に入れたら噛んで飲み込むことだ。それくらいの方法は知っていると思うが……」
ミアは自分の近くに置かれたその物体を見たが、手には取らなかった。もう一度男の方を見てにらみつけて答える。
「馬鹿じゃないの?こんな白昼堂々やるわけないじゃない。逆にアンタが今この場で召し上がってくれた方がいいんじゃない?」
「面白いジョークだ。別に今すぐと言っているわけじゃない。家にかえってママと一緒に楽しめばいい。ああ……ママはいないんだっけ?」
「Bitch……」
男は冷静にミアを見つめ返した。
「俺も生まれが良ければこんなことはしていないさ。勉強したって俺たちには未来がない。クズで結構……」
ネズミ男も大きい方の男に合わせてじっとミアをにらみつける。
「それで、私のような弱者に付け込んでいるってわけね。まあ、別に良いわ……私にはどうでもいい問題だし。私が気持ちよくなれたなら金はあげるわよ」
ミアは錠剤の入った袋を引き寄せ、ゆっくりとポケットにしまい込んだ。それを見て、男たちは満足そうに笑った。
「じゃあ……感想を待っているからな」
男たちはそう言うと席を立ち、人ごみの中をかいくぐって出て行った。ミアは一人取り残されて冷めたピザを口にした。レンジ調理で柔らかくなりすぎた食感だけが伝わってきた。
ミアにとって、男たちのような社会の底辺にいる連中などどうでもよかった。どの学校にも、青春を謳歌し、人生が永遠に続くと信じている者がいれば、彼らのように最下層で這いずり回るドブネズミもいる。もちろん、それは見た目のことではない。
だが、彼らにも利用価値はある。もしミアの脚が動かないなら、空を飛べるのは夢の中だけで、ドラッグがその最も簡単な手段だった。
ミアにとって、人生には何の意味もない。生まれた時から運命は決まっていた。彼女は、動かない脚という十字架を背負って生きるしかない。
多くの人は、人生を努力や選択で切り開けると信じている。あのドブネズミのような連中でさえも。しかし、実際には、ゲームに参加した時点で結果が決まっている者もいる。連中は、ロボットによって家族が職を失い、自由主義の名のもとで家を奪われた者たちだ。自由主義は教育の機会を平等にしたが、平等な競争は彼らを必ずふるい落とす。ミアは彼らとは違って家も金もあったが、長い人生を生きるつもりはなかった。
ひとまず、ミアの楽しみはポケットに入れた一錠のドラッグだった。彼らの宣伝文句を信じてはいなかったが、今夜の暇つぶしにはなるだろうと思っていた。
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