第6話 新居
ドアの認証システムがウィリアムを認識し、金属的なロック解除音が響いた。ドアが開くと、外からは雨がアスファルトを叩く音が家の中に響く。ウィリアムは傘を上に掲げながら、ロボットのパニを右手でそっと押して家の中に入れた。
「さあ、入って。早くしないと体が濡れてしまう」
ウィリアムパニの後に続いて、家の中に入った。ドアが再び閉まるとさっきまでの騒々しさは消えてしまう。
「すみません。本当は私があなたを濡れないように手助けするはずなのに……」
「いいや、気にすることでもないさ」
パニは女性の人工音声で申し訳なさそうにウィリアムに答えた。頭には人間のような髪の毛は生えていないが、身体は女性らしい曲線を意識して作られている。その造形は不思議と官能的ではなく、人間に不純な感情を抱かせることはない。しかし、その顔は異常に精巧で、止まっているときのパニはまるで人間と見間違えるほどだった。
明かりのついていない家の中は、天気のせいでまだ昼だというのに薄暗い。パニは玄関で律儀に直立不動を保っていた。ライトのセンサーがウィリアムの体温を感知して、家の中が明るくなる。大きな吹き抜けのあるリビングには暖炉もあった。ウィリアムは一旦部屋を見回してからパニに話しかける。
「ここが僕の家だよ。君は初めてだから勝手が分からないだろうけど。君ならすぐに覚えてしまうだろう」
「ええ、ウィリアム。私はあなたに喜んでくれるように頑張ります」
パニの人工皮膚が繊細な皺を形作り、微笑みを表現する。ウィリアムはパニの顔を見ながら指で頭をかいて、何を言うべきかを探している。
「とりあえず、君にはこの家のことを全て任せるから。よろしく頼むよ」
「もちろんです。精一杯やらせていただきます」
ロボットは、決まった場面で高速に処理を行うことができた。むしろ、人間であるウィリアムの口調の方ががたどたどしく聞こえる。
「それじゃあどうしようか。早速本題ということになるけど……」
ウィリアムの声は自信なさげであり、顔は玄関のドアの方を見つめている。パニの音声処理システムは小さな声はっきりと聞き分けて答えた。
「ミアのことですね。それが、私がここへ来た理由ですから。ウィリアム、早速私を彼女に会わせてください。ロボットとして自己紹介をしないと……」
パニが話している間も、ウィリアムはどこか不安な顔をしている。しかし、パニはその表情の裏にある意味を考えようとはしない。
「この家にはミアが1人で住むことになっているから、全てがミアの部屋と言えばそうだけど……とりあえず、寝室はその部屋だ」
パニはその言葉を聞くとすぐに、頭の中に家の間取りを思い浮かべて即席の地図を作る。そして、ミアがいる場所をしっかりとマークする。
「ミアのことは全て君に任せるよ……いいね?」
ウィリアムは強く念押しする。真剣な眼差しがパニの顔を見つめている。
「ええ、分かりました……しかし、私はあくまでも家事をアシスタントするロボットです。上手くできるかは分かりませんが……」
「大丈夫だよ。現に君は僕とこうしてちゃんと話しているじゃないか。健全なコミュニケーションは人間でも苦労するものなんだ。君ならすらすらとこなしてしまうに違いない。それに、君は他のロボットたちと違って特別なんだ……」
ウィリアムの目はどことなく悲しみを含んでいる。パニは、その表情の意味を計算しようとはしない。ロボットにとって人間の真意よりも言葉のほうが重要であった。
「了解しました、ウィリアム」
「じゃあ、パニ。僕はここには長居しないことにするよ。本当に君のことを頼りにしているんだ。だから、頼むよ。ミアのことも家のこともね」
ウィリアムは玄関のドアを開けて外へ出ていく。雨音の中に彼の足音がゆっくりと消えていく。車の赤いライトが家を照らした後、エンジン音が遠くへ走り去っていった。
パニがウィリアムに出会ったのは今日が初めてのことだった。パニは、車の中でウィリアムから彼がパニを買ったこと、そして、これから家のアシスタントロボットとして働くことを教えられた。購入されたばかりのロボットは一般常識を除いて記憶領域が空っぽであり、電源を点けることでようやくロボットとしての存在を獲得する。
「私はアシスタントロボットとして人間の家庭に奉仕するロボットであり、その為だけに存在する」
パニはゆっくりと廊下を歩いてミアの部屋の前に立つ。ドアは閉じていて、人間であれば入りにくそうな雰囲気を醸し出していたが、パニは気にすることなくドアをノックする。
「失礼します。ミアさんはいらっしゃいますか?私はアシスタントロボットとしてこの家であなたの身の回りの世話をするよう申し付けられました。今、部屋を開けてもよろしいでしょうか?」
返事は無い。無機質なドアがパニの前にそびえ立っている。
「ミア、いるのなら返事をお願いします。私はウィリアムからあなたをお世話するように言われました」
パニは目をドアに当てるとセンサーを部屋のなかに放った。パニの処理システムには人間の体温の濃淡が映し出される。
パニは手をドアノブにそっと掛けるとゆっくりと開け、隙間から中の様子を確認した。先ほどセンサーで確認した部分には布団があって盛り上がっている。先の方から、人間の後頭部のようなものがわずかに確認できた。
「あの……眠っていたのですか?だとしたら迷惑をかけてしまい申し訳ありません……」
パニは、小声になりながら布団に向かって話しかけた。少しだけ布団が動いたがやはり返事は無い。
「私はパニと申します。今日からこの家でアシスタントロボットとして働くことになりました。よろしくお願いします」
パニはまたもや何の返事もないと予想したが今度は返事があった。シーツと布団が擦れた音がした後に、小さな声がするのをパニのセンサが捉える。
「パニ……?」
「ええ、パニと申します。あなたのお父さんがつけてくれた名前ですよ……」
「そう……」
「ミア……もしかして、あなたは病気でしょうか?そうであればウィリアムの言っていたことも辻褄が合います。どうやら、彼はあなたには近づけない様子ですから」
すると、また布団が動いて止まると、声がした。ミアはさっきよりわずかに大きな声で話していた。
「病気……誰かがそう言ったの?ロボット……にしては面白い冗談ね」
彼女は嘲るように布団の中からパニの方を見ずに話す。
「誤解してしまい申し訳ありません。健康であればよかったです。でも、もうすぐお昼ですよ。布団から出て話しませんか?」
「世話好きなのね……たかが機械のくせに」
「私は家事用のアシスタントロボットとして製造されました。子守りも仕事のひとつです」
「『子守り』……そうね、私は子供かも。それに、確かに私は病気よ。言葉の定義ではね」
ミアの音量が大きくなるのをパニは感知する。しかし、その現象が何を意味するのかまでは理解できなかった。
「すみません、始めてで何も分からなくて……」
立ち尽くすパニに対してミアは「出ていって」と小さな声で言った。
パニは家の中をいったん見終えると昼食の準備に取り掛かる。ロボットと違って人間は食事を摂取しなければいけない。冷蔵庫を開けると、一人暮らしには多すぎるくらいの食品が中に詰め込まれていた。
パニは最善のレシピを検索するために自分の中の検索システムをインターネットに接続しようとする。記憶領域にない情報はインターネットから探してくるようプログラムされていた。しかし、接続は失敗する。パニの検索システムが電波を探そうとしたが部屋の中に電波を感知することができない。衛星システムを用いても無駄に終わる。
パニは困惑した。どんなに高性能な計算機能を持っていようが、インターネットに接続できなければロボットは、いつまで経っても生まれたての赤ん坊と変わらない。
すると、パニの後ろの方でドアの開く音が聞こえた。パニがゆっくりその方向を見るとミアが部屋の中から車いすで出てくるところだった。
その時、パニは先ほどミアが言っていた言葉の意味を理解した。確かに彼女は定義上「病気」であった。
ミアはオレンジ色の長髪を肩の位置まで伸ばしていて、紺色のパーカーを身に付けながら器用に車いすを操作して洗面所に入っていく。
「ミア、起きたのですね。遅い朝ですがおはようございます」
鏡越しにミアの不満気な顔が見える。その後ろに移るパニの顔は微細な皴までもが精巧に作りこまれており、人形のように美しい顔をしていた。瞳は光に照らされて水晶のように光り輝いている。ミアは、パニの存在を認識していないように、鏡に映る自分の不満げな顔を見ながら朝の支度をしている。
「ミア、……この家の通信システムはどうなっているのでしょうか?私には先ほどから電波を認識できないのですが……」
「あなたがおかしいんじゃない?この家にも電波くらいはあるわよ」
「どうしたことか私の通信システムは電波を検知できないようです。もしかしたらインターフェイスに問題があるのかもしれません……とにかく、このままではあなたを助けるために必要な情報を得ることはできません」
「だったら、本がこの家にあるでしょ?それを読めばいいじゃない。それとも、あなたは本も読めないなんて言うのかしら。やっぱり機械は柔軟性が足りないのかしら……見た目だけは頭のいい振りをしているくせに……」
パニは仕方がなく洗面所を出て書斎へ行く。玄関を入ったすぐ左の部屋のドアを開けるとそこには天井まで届くような大きな本棚が並んだ部屋があり、どの棚にも大量の本が詰め込まれていた。パニは、いったいそれらの本棚をどうやってドアを通してこの部屋に入れたのか、これだけの本をウィリアムたちが実際に読んだかなどは気にしなかった。今必要な情報は料理を作るためのレシピだった。
パニは本棚に並ぶ本の背表紙の文字を画像認識して取り込み、何か料理に関係のある文字列がないかを検索した。パニは初めてこの作業を行ったので、首を動かして本棚をスキャンする動作はぎこちない。
全体的に古い本が多く、背表紙がないものも多くあった。パニのはそれらが本棚に詰め込まれた本であるということは理解しているが、本を読むとなると話は別だった。本のような古い技術はロボットの一般常識に含まれておらず。パニは本の中に情報が書かれていることなどは知らない。結局、背表紙から読み取ったタイトルのリストの中に有意義な情報は見当たらなかった。
「ミア、申し訳ございません。レシピ本がどこにあるのか御存知でしょうか?」
パニはダイニングで遅い朝食を食べている所だった。スプーンを使って色とりどりなシリアルをほおばっている。パニが呼びかけても振り返らず、皿の中をじっと見つめている。
「普通のロボットだったら、探し物くらいすぐに見つけるものなんだけどね……」
「私は最新型のロボットのはずですが……ただ、本棚にはあまりにも本が多くて探し出せないのです」
それを聞くとミアは一瞬黙った後、スプーンを皿に置く。
「私は別にアレルギーも無いし、なんだっていいわ。別にあなたの料理なんてあてにしていないから。生活だってそうよ。私は一人でも生きていけるのだから」
パニのシステムは、その言葉の裏にある彼女の虚勢に気づかない。ミアの感情を無視して同じトーンで話しを続けた。
「私はウィリアムからあなたを任されました。あなたの好きなものを作るのが私の仕事ですから……」
「じゃあ、あなたが美味しいと思うものを作ればどうかしら?私はそれを好きだと言うわ」
「私に味覚はありません。私が美味しいと思うものなど存在しません。そのような問いかけに答えることはできません」
ミアは深くため息を吐き、呆れたような口調で話し始める。
「サンドイッチくらい作れるでしょ……」
「ええ……それなら私のシステムの基本情報に含まれているはずです」
「じゃあそうして」
パニはミアの指示に従ってサンドイッチを作ろうと冷蔵庫を開くが、そこで止まってしまう。システムがたくさんの具材をどのように組み合わせるかを計算していたが、計算内容が膨大に鳴りすぎて収束しなかった。それに、冷蔵庫の中にはパニの辞書には載っていない食材がたくさん入っていた。
「申し訳ありません……もう少し丁寧に指示して頂けると助かります……組み合わせ問題は不得意なのです」
ミアは不満を口に出すことなく、ただ冷たい目をパニに向ける。
「そこに、トースターがあるわ。パンを焼いてちょうだい。食パンは冷蔵庫の横の机にある。そうしたら、卵を使って目玉焼きを作って……それから……ハムを一緒に焼いて」
「了解しました。ありがとうございます……トースト……ハムエッグ……」
ミアの顔は再び窓の外に向けられている。彼女の視線の先には、真っ黒な雨雲が空を覆い尽くし、まるで世界を押し込めるかのように重く垂れ込めていた。暗い雲の隙間からはわずかな光も漏れず、空全体が沈んだ色に染まっている。水しぶきを上げて走る車の音が遠くから響き、その音は時折強くなり、また遠ざかっていく。冷たい雨は無数の粒となり、アスファルトに激しく打ち付ける音を立てては、地面に染み込んでいった。
パニの処理システムはパンの厚みや水分量を的確に計算し、トースターの出力から最適な時間を導き出した。さらに、ハムや卵についても画像から焼き加減を計算し、フライパンを器用に動かして全体に熱がまんべんなく通るようにした。
「ミア、昼食ができましたよ」
「今、朝食を取ったところよ。まだおなかが空いていないわ」
「でも、先ほどはトーストとハムエッグが食べたいとおっしゃられて……」
「そんなこと言った覚えはないわ。私はあなたの質問に返しただけ。『食べたい』とは言っていない……」
パニは記録されたミアとの会話を参照する。ミアの言っていることは屁理屈であったが、論理的な筋は通っていた。
「あなたはさっきまで私が遅めの朝食をとっていたことに気づかなかった?人間はそんなにすぐにお腹綺麗が空かないものよ。それくらい分からないの?」
「申し訳ありません。全く考えていませんでした」
パニは反省しながら、皿に綺麗に盛り付けられたハムエッグとトーストを見て、それをどうするべきか考えた。そして、あっさりと作ったゴミ箱に捨ててしまった。ダイニングテーブルは綺麗さっぱり片付いて元の何も無い状態に戻る。
パニは、片付けが終わった後は他の部屋の掃除をしながら、どうにかミアと上手くやっていく方法がないかを考えていた。しかし、インターネットに接続できない状況ではその思考は限られた情報を何度もこねくり回すしかなかった。パニのシステムは延々と同じ場所を行き来して計算を繰り返した。
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