第5話 夢
ミアは草原の中に立っていた。裸足の足裏に伝わる芝生の柔らかな感触が心地よい。右手には、何か温かいものが触れているのを感じた。見上げると、風になびく長い髪を持つ背の高い美しい女性が、そっとミアの手を握っていた。顔は見えないが、ミアにはその人が母だとすぐにわかった。
「そうだ、母の顔は思い出せないんだ。だから後ろ姿なんだ……」
ミアは、これは夢だろうという奇妙な確信を抱きつつも、母と草原を歩き続けた。ふと後ろを振り返ると、父のウィリアムがいつものようにゆっくりとついてきている。何故か、その姿がいつもよりも大きく見えた。彼は微笑んでいたが、何も言わなかった。
ミアは何か話しかけようとしたが、声が出ない。気づけば、彼女の姿は幼い頃に戻っていた。おそらく3歳くらいだろう。昔の写真か何かで見た記憶が、夢に影響しているのかもしれない。
心地よさに包まれたまま、ミアは草原を歩き続けた。どこまでも続く草原、変わらない景色に、時間が止まったような感覚を感じる。
やがて周囲は徐々に暗くなっていった。空の青さは次第に消え、重く垂れ込めた灰色の雲が広がり始めた。足元の芝生は、いつの間にか冷たく湿った泥へと変わり、ミアの足はその中に沈み込んでいく。裸足が泥に絡まり、思うように動かなくなっていく。焦りと恐怖がミアを襲った。
「お母さん?」
ミアは母に助けを求めようとしたが、声は出なかった。振り返ると、父ウィリアムは相変わらず微笑んでいるが、少しずつ遠ざかっていくように感じた。恐怖が増し、再び声を出そうとしたが、喉が詰まったように声は出なかった。
足元はどんどん泥に沈み、今や膝まで埋まっていた。必死に足を引き抜こうとしたが、動かない。泥は彼女の体をますます飲み込んでいく。すると突然、周りから子供たちの声が聞こえてきた。ひそひそとした笑い声が次第に嘲笑に変わり、ミアを囲むように響き渡る。
「見て、また動けなくなってる!」
「立てないの?足が悪いから?」
「泥の中で沈んでいくよ、ミア!」
その声は次第に増え、あたりを埋め尽くすかのようだった。まるで姿の見えない子供たちが四方からミアを取り囲んでいるかのようだ。耳元で笑い囃し立てる声が、彼女の心に重くのしかかる。
「お願い、やめて……」
心の中で叫び続けるが、声はやはり出ない。冷たい泥が腰まで達し、体はますます動けなくなっていく。再び両親の方を見たが、彼らは何も気づかずに進み続けるばかりだった。ミアは叫びたくても叫べないまま、嘲笑はますます大きくなり、恐怖と焦りが胸を締め付ける。
「ママ、パパ……!」
心の中で絶叫するが、誰も応えてくれない。突然、目の前に顔のない子供たちが現れ、彼女を囲んで指をさし、冷たい笑みを浮かべている。
「見て、また動けない!」
「誰も助けてくれないよ、ミア!」
「お前の身体は汚れているんだ!」
笑い声が響き渡り、ミアは必死に足を引き抜こうとしたが、泥は彼女を飲み込んでいく。体は肩まで沈み、やがて顔が泥に埋もれていった。視界が暗くなり、呼吸が苦しくなる。ミアは必死にもがいたが、泥は彼女を飲み込んでいった。
そして突然、ミアはベッドの上で目を覚ました。汗で体が覆われ、荒い呼吸とともに心臓が激しく鼓動している。夢だったのだと気づくのに、少し時間がかかった。
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