第3話
夜の使いの言ったことは、間違っていなかった。そこは、針葉樹のとげとげしい森と霧をまとった山の中腹にあった。美奈は、運転しているレンタカーがそこに近づくにつれて、妙な寒々しさを覚えた。もうすぐ日が暮れる。
そこには、人の記憶にも残っていないような洋館が、ひっそりと佇んでいた。周囲を取り囲んでいる木々は高く、日の光が入り込む隙間はない。まるで、洋館を隠す屋根のようである。壁は一部崩れており、窓からは杏色の光が覗いている。重く見える木製の扉には、ツタが絡んでいる。まるで、時間に取り残されているようである。美奈は、入口へ続く飛び飛びの石畳を踏みしめながら、自身をここへ動かした好奇心が委縮していることを感じ取った。
ツタをちぎりながら、やはり重たい扉をゆっくりと開けた。一歩足を踏み入れると、冷たく湿った空気が鼻を濡らした。床は木でできており、歩くたびにどこかが軋んでいる。壁には、年代物の絵画が数枚張られていたことのわかる額縁と、長針と短針の両方が止まった時計が掛かっている。アンティーク調の家具たちはほこりをかぶっており、ほのかな明かりに照らされて揺れているようにみえる。美奈は、夜の使いの指示通りに、真鍮でできた灯りを頼りに中を進んだ。
灯りは、一つの部屋へと美奈を導いた。美奈は、入口と違い温かみのある扉を開けた。そこは、左右の壁一面を本棚が覆っていた。そして、美奈の正面にはまるで大学の教授が弁をとるような荘厳とした机と椅子、さらに奥には窓があった。机の上には手帳と万年筆が無造作に散らかっている。それらは、杏色の光に照らされている。光を放っているのは、金属でできた白い電灯である。美奈は、ここは外から見えていた場所か、と納得した。その時、電灯の脇にある詩集の表紙に自身の電話番号が書いてあるのを見つけた。妙な高揚感が、部屋を包んだ。
美奈は、試しに手帳を開けてみた。すると、中からくしゃくしゃにしわが付いた紙が出てきた。それを広げ、読んでみた。
ー静かな夜に、私は夜になれる。その時、すべてを知ることができる。
文章はそう始まっていた。この部屋、洋館の主であった男の半生が、綴られていた。美奈は、杏色の光と妙な高揚感に包まれた暗い部屋の中で、ただひたすらに文字を追った。そうすることで、彼女は男と一つになれる気がした。
美奈は、紙を丁寧に折りたたみ、外套のポケットにしまった。そして、一言、声に出して呟いた。窓を覗くと、月が寂しそうに笑っていた。満月だった。
先日、男が一人死んだ。男は、詩人だった。
静かな夜 鴨乃 疎汀 @wataridori-8
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