2話

 一時間後、車は墓場のように静かな住宅街の中を走っていた。崩落した家と比較的綺麗な家が、ほとんど交互に並んでいる。動植物たちの巣になったり、コミューン同士の小競り合いに巻き込まれなかった家と、そうでない家の違いだ。どちらにしても一切の人影がない。この通りに住んでいる人間および生命体、および機械類は昌子たちのみだった。

 やがて通りの一角を占領する家に到着した。数世帯は同時に住めそうな家で、灰色の瓦屋根が数個剥がれ、白壁はくすんでいるとはいえ立派な家だ。玄関口にはスロープがあり、広い庭に面して縁側がついていた。昔は裕福な、恐らくは老人が余生を過ごしていたのだろう。庭先だけでなく、あちこちの段差が均され、古い割には暮らしやすい家だと昌子は思っていた。

 昌子がスロープの横に車を停めると、一行は各自の荷物を抱えて家の中に運びはじめた。長いドライブの果てに愛は眠ってしまったので、パパが抱えて部屋に連れて行った。

 黙って荷物運びをこなしていたサナを、由美と昌子が手伝った。アルミケースの中に食料や衣服がごちゃ混ぜに入っている。廊下に運びこむ最中、不意に由美が箱の端で丸まっていたピンク色の物体を引っ張り出した。


「可愛いだろう。愛に見せようかと思うんだ」


 由美が頰をほころばせながら見せてきたのは、ピンク色のワンピースだった。埃まみれだが、一見して汚れや破損は見受けられない。珍しいほどの美品だ。


「綺麗だな」


「そうだろう? オヒメサマのようだろう。この腰とか肩についたやつ、魚のようだろう? エラとか、ヒレとか……」


 状態が良い、という意味合いだったのだが、由美は勘違いをして嬉しそうに話し続けた。昌子はワンピースを見下ろした。本当に良い品だ。今の世の中で手に入れられる服は、旧世代で縫製された衣服か、正式には大気層安全管理局と呼ばれており、今はただ中央局と称される団体から過去配布されていた真正の防護服、もしくはそれを模したものしか無い。

 中央局とのコネクションがあるコミューンであれば、防護服を手に入れることが出来るのかもしれないが、昌子たちのように、どこに中央局があるのかも分からない小さな集まりにおいては、大抵が旧世代の服をそのまま流用していた。

 それでもさほど困らないのは、旧世代が終わって幾星霜も年月が経つというのに、人々がまるで過去のことを思い出せない程度には人間の数が減り、無駄に安全で管理された無人倉庫にたくさんの未使用品が残っているためである。


「愛に見せるの?」


 階段を上がっている際に、不意にサナが口を挟んだ。


「着せるのではなく?」


 由美は不思議そうに首を傾げた。


「だって、愛には大きすぎるだろう」


「でも服は着るものでは? 見せて喜ぶとは?」


「美しいものを見ると女の子は喜ぶものだろう? オヒメサマは美しい。そのため、これを見た愛は喜ぶ。着なくてもな。そういう寸法だ。そうだ、サナが着て、見せてやればいいんだ。そうしよう」


 由美がワンピースをサナに渡そうとすると、サナは身をよじって避けるそぶりをした。


「趣味じゃない」


「わがまま言うな。愛のためだぞ」


「……美しさが喜びに繋がるのであれば、トアが着る方がいい。わたしたちの中で、一番顔の配列が整備されているのは、トア」


「そうかもしれんが、オヒメサマは黒髪じゃないんだ」


「愛が大きくなったら着せてあげればいいだろ。すぐに大きくなるんだし」


 昌子がそう言うと、サナと由美は不思議そうに顔を見合わせた。


「大きくなる?」


 昌子は目を細め、話を続けることを諦めた。


「ほら、どうせすぐには使わないんだから、さっさと運ぼう」


 そう声をかけて仕事に戻る。

 家の間取りは、一階にリビングとキッチン、浴室、物置があり、二階に女たちと愛の部屋、地下室がパパの部屋となっていた。旧世代の暮らしであれば、七人家族の彼らであっても持て余すほどの広さだったが、今日のような遠征で得られた物資や、庭先も同様だが、彼らの作りかけの機械部品およびガラクタが積み上がっているため、家中が雑然としている。

 昌子がコンテナを階段脇に置くと、パパが一階から声をかけた。


「昌子、腕の修理をしよう」


 彼は階段の下から手招きをし、地下室を指さした。昌子は素直に階段を降り、パパの後をついていった。地下室と一階をつなぐ階段もスロープになっており、短い廊下には手すりも付いている。二重扉を開くと、昼間とも思えない暗い部屋が広がっていたが、パパがスイッチを押すと広い地下空間が照らし出された。かつては核シェルターとして設計されていたようで、コンクリートに四方を囲まれている。鉄部屋の半分に本棚やテーブル、ベッドが置かれており、パパの生活スペースとして使われている。もう反対側には工具や作業台が置かれていて、女たちのメンテナンスや、敵対的なコミュニティや動植物たちから家を防衛するための機械を設計するための場所となっていた。

 昌子は鉄枠にマットを敷いただけの固いベッドに浅く腰かけ、左腕の断面を差し出した。パパは鼻歌でも歌い出しそうな様子で、機嫌よく壊れた腕の断面にある減速機を取ろうと指を突っこんでいる。


「アンパンチ」


「ん?」


「昌子がアレを殴ったときにさあ、愛がアンパンチって言ってて。見なかった?」


「殴ってたんなら、見てるわけないだろう」


「そうかあ。可愛かったんだよ」


 男の顔は微笑んでいたが、青ざめて見えた。蛍光灯の光の下だと、奇妙に肌が白く見えるのだ。人間に歓迎されるべき太陽の光の下では、柔らかく健康的な肌に見えるのだが、この不穏な光の中では、男が一体何者なのか、昌子は時折怪訝に思う。それくらい男の指の動きは驚くほど正確に破壊された端子を除去し、新たな端子をハンダ付けし、千切れた電線を新しいものに交換してくのだ。生まれついての技術者の手つきだった。

 パパは昌子の横に座り、肩先にぶら下がっている不要なコードを交換した。昌子はしばらく黙っていたが、暇になり声をかけた。


「どうしてアンパンマンは、敵を殴るときにアンパンチって言うんだ?」


 自分で言いながら、妙なことを聞いていると思う。パパと二人きりになると、奇妙な気まずさを感じてしまうので、それを誤魔化すために奇妙な質問をしてしまうのだ。

 パパは手を動かしながら「そうだなあ」と言った。


「ただ殴るだけだと物騒だからじゃないかなあ。昌子も言ってみたら? 昌子パンチ」


「だれが言うか」


「愛が喜ぶよ」


「ちょっとはあの子を喜ばせないほうがいいのさ。うちのやつらは、あの子を甘やかしすぎだ」


「そう思うかい?」


「そうプログラムされているんだから当然か。あんたの調整の腕をほめるつもりじゃない」


 昌子は不機嫌そうに呟き、ベッドに横たわった。すかさずパパが片手を顔の前に掲げる。かすかな鉄の臭い。鼻孔のセンサーが反応し、昌子の小鼻がひくつく。自分の腕から漏れるオイル、青い血を拭きとった、その臭い。

 パパが昌子のまぶたに取付けられたスイッチを押した。意識が一瞬で途切れるがメモリーの再生は続いている。それは人間が呼ぶのであれば夢という名前で、昌子たち機械にとってはストレージセンサーの処理であり、データのインポートだ。

 昌子のデータ内で、覚醒した日が再現された。

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