第三章 才の舵取り

3-1

 その後、しばらくの間は特に大きな出来事はなかった。

 葵は育成プログラムでの生活にすっかりなじみ、伸び伸びと成長していった。稲葉の仕事も通常の業務のみに戻り、子供たちのサポートに専念することができた。

 あっという間に半年以上が過ぎ、季節を二つ超えて、冬の気配がするようになっていた。空気は肌寒くなり、施設の庭で過ごす子供が段々と減っていく。中には未だに半袖で駆け回っている子もいるが、それは例外だ。東京は基本雪が降ることはないが、気温はかなり下がることが多い。必然的に皆温かい制作室に籠ることが多くなる季節だった。

 冬場は制作室の巡回が特に多くなる。稲葉も例に洩れず、担当している子供の制作室を順に回っていた。

 作曲家志望の笹垣風馬は、部屋にこもるようになってからなかなか楽曲制作がうまくいっていない様子だった。元々外で過ごすのが好きな子なのだろう。早く暖かくなってほしいとぼやいていた。

 陶芸制作の古川麻里は、いつもと変わらず制作にいそしんでいた。冬場は水が冷たくて嫌だと小言をもらしていたが、それでも制作の手が止まることはなかった。どうやら新しい考えが色々と浮かんだようで、作りたいものが多くて手が足りないとも言っていた。

 それぞれの部屋を回った後、稲葉は葵の制作室を訪ねた。ノックして扉を開けると、葵は部屋の真ん中でキャンバスに向かっていた。

「葵さん、こんにちは。調子はどうですか?」

「こんにちは。最近はすっかり寒いですけど、この部屋はすごい暖かいので全然快適です」

 葵はそう言いながら、サイドテーブルに持っていた鉛筆を置いた。稲葉がキャンバスを見ると、下絵を描きかけている段階だった。

 紙やスケッチブックにしか描いたことがなかった葵だが、学ぶうちに色々な道具・手法を用いて絵を描けるようになっていった。今は水彩画にはまっているらしい。

 最初の頃は小さな紙にしか描けなかったのに、今や葵自身よりも大きいキャンバスに自由に描けるほど成長している。元々持っていた鉛筆のみでの表現力や独創性に稲葉はほれ込んだのだが、葵は色彩感覚も申し分なかった。

「今は何を描いているんですか?」

「寒いので、夏の絵を描こうと思って。郊外の自然の風景と、子供の冒険をテーマに描いてます」

 説明を受けた上でキャンバスを見ると、うっすらとした線で葵の言う絵が描かれているのが見えてきた。自然に浸食された人工建造物と、崩れかけた道路。そこを二人の子供が歩いている。下絵の段階でもやはり葵の絵は美しい、と稲葉は思った。

 葵は、技法だけでなく描くジャンルも多彩になっている。最初は宗教画をベースにしていた影響からか人物のみの絵が多かったが、今では写実的な風景画や抽象的な絵も描けるようになっていた。葵本人はあまり分野の違いを意識していないのだが、稲葉からすればこれは特別な才能だった。何人も絵を描く子供を見てきたが、基本的にはその子が描きたい絵や得意な絵に特化して伸ばすことが多い。本人がやりたくないことを無理にさせることはないため、必然的にそういった成長になる。

 だが葵は違う。葵には絵が描きたいという単純な欲求しかない。だからこそ、それが葵にとって絵であり表現であるならどんな手法でも取り入れる。結果どんな表現方法になっていても、風景画も抽象画も葵にとっては同じ「描きたくて描いた絵」なのだ。

 稲葉は最初、葵が迷走しているのかとも心配したが、決してそういう事ではないのだと気づいてから口を出すことをほとんどしなくなった。

「これまでで気に入ったものや、これだ、というものはありましたか?」

 稲葉はタブレットの画面を葵に見せながら質問する。そこには、葵がこれまで描いた絵のデータが表示されていた。そこには宗教画やスケッチブックに描かれた「神様」の絵から、最近完成させた抽象的な油絵まで、全て揃っていた。とはいっても、葵がプログラムに参加してからまだ半年程度である。ほとんど毎日作業していると言っても、休んでいる日もあれば別の事をしている日もある。ここに来てから描いた絵はそう多いわけではなかった。

「どちらかというと油絵よりも水彩画の方が好きかなという感じはしますね……。でも、他にもやっていないことが沢山あるので試してみたいです。特にデジタルイラストとか」

「なるほど、デジタルですか……慣れるまでに時間がかかるかもしれないけれど、葵さんならきっとすぐものにできると思いますよ」

 確かに葵が言ったように、これまで描いてきた絵はどれもアナログ画だ。絵を描く子供の中には初めからデジタル画に触れている子も多く、アナログ画を経験せずに卒業する子も少なくない。だがやはり、アナログ画とデジタル画、両方での手法を身につけることができれば、それは大きな力になると稲葉は考えていた。いつかはデジタル画に挑戦してほしいとも思っていたので、葵からその提案が出てきたのは稲葉にとって嬉しいことだった。

「時間がいくらあっても足りないです」

 そう嬉しそうに言いながら、葵は再び鉛筆を持ってキャンバスに向かう。鉛筆の先とキャンバスが擦れる小さな音だけが制作室に響く。稲葉はそっと制作室を後にした。あの絵が完成するのを見られるのはいつになるだろう、とふと考える。葵の才能がどこまで伸びるのか稲葉には楽しみだった。こんな風に担当している子供の成長を早く見たいと思っているのは初めてかもしれない。何より、葵の中に秘められたものが、その技術や能力を使って最大限出力されたときにどんな形をしているのかを早く知りたいと思った。

 自分のこれまでの仕事の仕方と少し違っているかもしれない、と稲葉は心の内を振り返って思う。稲葉はどちらかというと他の同僚に比べて、客観的に物事を進め、消極的に見えると言われてきた。今の稲葉の様に、積極的に子供と関わり、その成長を間近で観察するようなタイプのサポート員もいる。だが自身のこの変化も、それも子供の成長になるのなら良い変化だと感じた。子供が健やかに成長し、その夢をかなえてくれることが、稲葉にとっての仕事のやりがいであるのだから。



3-2

 本格的に冬に突入したある日。稲葉は私服で外を歩いていた。今日は休日である。

 国家公務員は基本的に土日に加えて指定の曜日が休日として与えられている週休三日制だ。しかし、稲葉の仕事である芸術家育成プログラムは施設が年中無休のため、休みの曜日が決まっていない。決して休みの日数が少ないというわけではなく、同様に週休三日は設けられているのだが、不定期になったり曜日が変化したりするため不規則な休みになることが多い。長期休暇も同じサポート員同士で被らないように日程をずらして取るように言われている。

 特に稲葉は冬の長期休暇を毎年早めにとるように指定していた。家族がいる人は長期休暇を年末年始に集中させたいとの希望を出していることも多い。稲葉自身が年末年始にどこかに出かけるという事をしない人間だからということで、その時期は普通に仕事をするようにしていた。稲葉の両親は大阪に住んでいるが、よほどのことがない限り帰ることはない。これは決して稲葉が出不精というわけでも、家族との関係が悪いというわけでもなく、現代においてそういった文化になっているというのが大きい。

 昔は盆と正月、という二大行事に合わせて家族が元暮らした家に集まるというのが主流だったらしい。だが、今は成人して大人になれば家を出て、一人で暮らしていくのが当たり前になっている。大人が子供の養育に関して面倒を見るのは就業プログラムの卒業までで、それ以降は大人は子供に対して責任を負うことはない。もちろんその段階で家族との縁が完全に切れるということではなく、家を出た後も普通に仲良くしている人たちが大半だ。しかし、就業プログラムを卒業した人と、その両親の関係を「親子」とは呼ばない。そう呼ぶのは古臭く、時代錯誤だと言われている。人が「子」であるのは社会に出る前までだという言外な共通認識が人々の中にあるからだ。

 そんな文化もあり、稲葉は十二月の頭に長期休暇を取っていた。長期休暇と言っても一週間のみで、稲葉の希望で仕事の定期連絡は来るようになっている。また、稲葉には現在パートナーと呼べる人もおらず、長期休暇の間に遠出をする気もない。結局のところ、普段の休日と変わらない日々を過ごしていた。

 稲葉には主な趣味が二つある。それは運動と散歩だ。ちなみに同僚に同じことを言ったら「散歩も運動だろ」と言われたのを未だに覚えている。

 そんなことを考えながら、稲葉は街中を歩いていた。今日は朝からジムで十分な運動をして、昼は近所のカフェでパスタを食べてきたところだ。満腹の状態で、ビル群の間の街をのんびりと当てもなく歩いていた。

 

 十二月に入ると、街路樹や店頭にイルミネーションが増える。今はまだ昼過ぎなので光っているところは見えないが、稲葉は冬の街の風景が好きだった。

 東京に住んで長く、何度も歩いている道ではあるが、稲葉はこの散歩の時間が楽しかった。それは稲葉が散歩を趣味にしているのに、もう一つ理由があったからだ。

 ふと街で見かけた壁に出ている電子公告に目がいき、タブレットを取り出して写真を撮る。

 稲葉はこの、歩きながら風景や気になったものを写真に撮るのが好きなのだ。

 公園などの自然は、分かりやすく季節の変化によって風景が全く変わる。建物や人の営みは、ささいな変化していることがある。綺麗に整えられた東京という大きな器の中で、少しずつ変わっていく街。季節ごとの装いをし、流行に合わせて広告やお店に並ぶものが変化する。

 街は人と同じだ、と稲葉は思った。

 道端を見たり途中で公園の中を散策したりしながら街の中を歩き続ける。気になるものや心惹かれるものがあれば、気が済むまで写真を撮り続ける。

 広告、売り物、建物、自然、道路、移動車、信号。意味の有る無しに関わらず、稲葉は何度もカメラを向けて撮り続ける。この時間が稲葉にとって何より自然に暮らしていると思える時間だった。

 ずっと歩いているうちに徐々に日は沈み、気づけばすっかりと空は暗くなっていた。街の中心部は特に夜になっても明るい。高層ビルの明かりが年中無休で光り続けている。街灯が一斉につき、先ほどまで薄暗かった道が一気に明るくなる。

 そろそろ家に帰ろう、と稲葉は自宅の方向へ足を進めた。街路樹や店の扉につけられたイルミネーションが点灯しているのを見て、またそれを写真に撮る。満足することには、すでにとっぷりと日が暮れていた。

 自宅に戻り、今日撮った写真を確認する。街を歩いていたのは半日もしないくらいだが、その時間だけで二千枚ほど写真を撮っていた。稲葉にとってはいつものことである。いつの日だったか、珍しく郊外の廃墟に行った時はあまりの興奮に写真を撮りすぎてしまい、動作の不具合を疑われたこともあった。それくらい、写真を撮り、その後写真を眺める時間が稲葉は好きだった。

 以前に撮った写真も見ようと画面をスクロールしていると、ある写真が目に留まった。ついその写真を選択して拡大する。

 それは、西山葵の昔の絵を撮った写真だった。宗教画の方はまばらにしかとっていないが、スケッチブックの方の絵は全て写真に収めている。もちろんプログラムの仕事の方では作品管理も行っているので、データベース内には葵の全ての絵が登録されている。ここにあるのは、稲葉が個人的に撮った写真だ。宗教画の方は葵を保護したその日に稲葉が仕事場に持ち帰ったときに撮ったものだ。スケッチブックに描かれた「神様」の絵は、後日葵に頼んで、改めて見せてもらって写真に撮ったのだった。

 絵の写真を見ながら、稲葉は椅子に座ってため息をつく。何度見ても、相変わらず素晴らしい絵だと思う。実物を見たのは数回だけだが、未だにあの絵を見た時の感動が忘れられない。写真におさめることのできない何かがあの子の絵にはある、と稲葉は思う。

 葵は今はまだ成長段階で、際限のないスポンジのような吸収力を発揮している。元々持っていた才能を十全に発揮できるようになった時、葵の絵は稲葉にどんな衝撃を与えてくれるのだろうか。そんなことを考えていると、タブレットに一件の通知が入った。

 それは葵からのメッセージだった。初めの頃は毎晩送ってきていたメッセージも、今では稲葉が長期休みであったり別の業務で長期間会えないとき限定になっていた。メッセージには、仲良くなった子と一緒に制作をしたという文面と共に写真が添えられていた。写真には、一緒に陶芸用の土にまみれている葵と女の子が笑顔で写っていた。そのメッセージに、「出来上がったらまた見せてください」と返信する。

 タブレットを閉じて、稲葉は立ち上がった。時計を見るとすっかり夜になってしまっている。晩御飯は何にしようかと考えながら、稲葉はキッチンへと向かった。


3-3

 年も明け、冬の気配が少しずつ薄れ、暖かい日も増え始めた頃。稲葉は日に日に焦りを感じ始めていた。それを焦りと表現していいのか稲葉には判断がつかなかった。だが、稲葉には今のところそうとしか言えない状況にあった。

 いつものように、稲葉は葵の制作室を訪ねた。葵は窓際に置かれた机に向かって、扉に背を向ける形で座っている。だが、扉が開く音がするとくるりと頭を向けて、ぺこりと挨拶をした。

「こんにちは、稲葉さん」

「こんにちは」

 葵は持っていたペンを机に置いて、部屋の冷蔵庫の中からペットボトルを取り出してコップに注いだ。稲葉は机の横の小さな椅子に座り、礼をしながら葵が差し出したコップを受けとる。それに口を付ける前に、稲葉は口を開いた。

「葵さん、制作の方はどうですか」

「とっても楽しくて、ずっとここに住んでいたいぐらいです」

 葵はそう言いながら、ペンを再び手に取った。机の上には大きなタブレットが一つと大きなモニターがいくつも並んでいた。

 以前に描いていた水彩画を完成させた後、葵は望んでいた通りデジタル画の環境を一通り揃え、その使い方を学び始めた。稲葉が焦りを感じ始めていたのはその頃からだった。

 予想していた通り、葵はすぐにデジタル画の技法も身につけた。だが、その成長速度はこれまでのものとは段違いだった。デジタルでしかできない表現を身につけ、変わった絵を描けるようになった。更には水彩や油絵、スケッチで培った表現をデジタル上で表現する方法も身につけた。デジタル画を始めてたった三ヶ月ほどで、他のデジタル画を何年も続けている子供と彩色ないほどになっていた。

 しかし、これまでに身につけた技法やジャンルの中で葵が最も気に入って描くようになったのは、いわゆるイラストと呼ばれる、細い線とカラフルな彩色と光の表現が特徴の絵だった。以前まで描いていたような淡い水彩画でも、濃く深い油絵でもなく、大衆向けのイラスト画だった。

 もちろんそれが悪いことなのではない。だが、稲葉の中にはどこか、葵の才能の本質はアナログ画での表現にあると感じていた部分があった。また、葵はこれまで習得していた技法を使いたいときに好きな方法で絵を描いていた。だからこそ葵がここまでデジタル画一本にのめりこんでいることが意外だった。

 葵はタブレットとモニターを見ながら、一生懸命ペンを動かしている。その動きは確かにこれまでキャンバスに鉛筆が向かっていた時と同じものだ。画面を見つめる葵の表情もキラキラと輝いている。その表情はずっと変わらない。葵にとっては、これが今やりたいことなのだろう。

 であれば、稲葉にそれを止める道理はなかった。

「画面に顔を近づけすぎると、目を悪くしますよ」

 稲葉がそう声をかけると、葵ははっとして稲葉の方を見た。

「つい集中してしまうとこうなるんですよね」

「デジタルの作業をすると、皆特に猫背になりやすいです。難しいとは思いますが、姿勢や体調には気を付けてくださいね」

 稲葉はそう言って立ち上がる。流しの前でお茶を一気に飲み干して、シンクの中にコップを置いた。

「お茶、ありがとうございます。コップはここに置いておきますね」

「あ、ありがとうございます」

 葵は振りむきながら礼を言う。稲葉は笑顔で手を振って制作室を出た。

 葵の部屋は変わった、と稲葉は思う。以前はあんな風にコップを置いていることはなかった。描いている絵に水が飛んではいけないから、必ず容器からそのまま飲んでいた。流し台からは絵具の汚れが消え、以前は置かれていた筆も無くなっていた。最近はアナログで絵を描いていないからだろう。

 そんなささいな変化に、稲葉はどこか焦りを感じていた。言いようのない不安が、稲葉の鼓動を早くさせる。だが、当の葵自身は何も変わっていない。新しいことを積極的に学び、それを自分のものにして、ただ自由に絵を描いている。稲葉への態度も変わらず丁寧で慕ってくれていることは明白だった。

 ここ数日、葵との交流を欠かさないようにしていたのだが、稲葉は自分がいったい何に焦っているのか結局のところ分からなかった。わかったのは、葵の技術が一日ずつでも目に見えるほど成長していることだけだった。稲葉はこのことを考えるのはもうやめにしようと心に決めた。




3-4

 稲葉がそう心に決めて、数日後。

 ある日突然、葵の絵の評価はプログラムの職員内で一気に知れ渡るようになった。曰く新進気鋭の才能だとか、イラスト界の新星だなんて陰で呼んでいる人もいるくらいだった。だが、稲葉は葵に対するその評価は遅すぎるくらいだと思った。隣の席の同僚は葵がアナログ画を描いていたころから葵の絵の事を評価していたが、ああいった職員は稀だった。数多くいる職員の大半が葵の事を知ったのはある一枚のイラストがきっかけだった。

 それは、葵が先日夢中になって描いていた絵だった。東京の街を描いた絵だが、評価されたのは絵の内容ではない。まるで写真や映像だと疑うほどの正確さ。実物がそこにあるのではと疑うほどの質感の再現。それでいてただの正確な写真には無い、美しさを兼ね備えたきらびやかな光の表現。リアルさと表現力を兼ね備えたその絵は、瞬く間に職員の中で話題に上がった。

 稲葉も最初にこの絵を見た時は驚愕した。こんなに美しく、正確なイラスト画は見たことがなかった。この構図が、葵の部屋から見える東京の街だと気づいたとき、最初は写真が送られてきたのかとさえ思ったほどだった。だがこの絵が職員の中で評価され始めた時、その評価に対して稲葉は何か違和感を感じ始めた。

 この絵は本当に、葵の才能を正しく評価できる絵なのだろうか。葵自身が表現している絵自体ではなく、絵の正確性を評価することは本当に正しいのだろうか。

 もちろんこの絵は風景画として素晴らしく、ただ単純な正確性のみでなく美しく描こうという工夫がされている。それでも、稲葉はこの絵は葵の才能の全てが出ている絵ではないと思った。そしてその違和感を以前も同じように抱いていたことを思い出した。

 稲葉は既視感の正体を思い出すために、自分のデスクで葵の作品ログをタブレットで見返す。葵の成長を巻き戻すように動かしていた指が、ある一つの絵の前で止まった。それはログの一番初めにある、葵が過去の宗教画を模写した絵だった。その絵は大昔の宗教画を鉛筆のみで模写したものだったが、元の絵にはない独特な美しさがあった。

「これじゃあ、同じじゃないか……」

 ふと声が漏れたことに焦って周りに人がいないか確認したが、今はちょうどお昼時だからか他の職員はいなかった。ほっと胸をなでおろしながら、稲葉は再び作品ログに目を戻す。

 稲葉が感じた違和感は、今の葵のイラストはこの時の絵と同じなのではないかということだった。葵の才能はこんなものではないのに、未だ多くの人が才能の一部しか認識していないことを、稲葉は悔しく思った。

 どうにも、誰もいない職務室にはいたくないと思って、稲葉は施設の中を歩き回った。葵のあの絵を讃える話を施設内で聞くたびに、稲葉はそうではないと口を出しそうになった。だが、結局のところ葵が作り出したものが人々の心を掴み、評価され、こうして注目を受けていることは変えようのない事実だった。

 実際、葵の能力判定に関するポイントも上がり続けている。芸術家育成プログラムは担当制ではあるが、決して職員一人が子供の将来を左右するものではない。最終的にはその子供がやりたいことと、社会にその作品が受け入れられるものであるかという評価によって決まる。その最終的な評価の部分が稲葉たち職員全員による能力判定だ。これは稲葉一人が支持する作品よりも、その他大勢が支持する作品の方がポイントが高くなる仕組みになっている。それは当然の決まりだ。

 この先出来ることなどない、と稲葉は思った。だが、そう思った直後、「出来ること」とは何なのだろうと思い返した。

「稲葉さん、どうしたんですか?入らないんですか?」

 突然呼びかけられた声に驚いて顔を上げると、そこには葵が立っていた。なぜこんなところに、と思ってあたりを見回すとそこは葵の制作室の前だった。意識していなかったが、自然とここに足が向いていたらしい。なぜこんなところに、と言われるのは自分の方だと思って、稲葉はふっと笑みをこぼした。その稲葉を見て、さらに葵は首をかしげる。

「どうしたんですか、稲葉さん」

「いや、何でもない。今部屋に入っても大丈夫ですか?」

「ええ、どうぞ」

 葵に迎えられるままに稲葉は部屋に入る。数日前に来た時と同じように、葵の作業机の横の小さな椅子に座った。

「稲葉さんがあんな風に扉の前で立っているだけなんて初めて見ました」

「え、ああ……おどろかせてしまいましたね。この前の絵、見ました。凄く綺麗でした。もうすっかりデジタル画のほうも得意になりましたね」

 葵も自分の椅子に腰を掛ける。稲葉のその言葉に葵は嬉しそうに答える。

「そうなんです。いろんな人にすごいねって言ってもらえて。でもまだまだ描きたい絵はいっぱいあるので」

 そう言いながら葵はパソコンを操作する。モニターを見ると、そこにはラフや下描き、さらには白紙の画像の上に殴り書きのように文字が書かれているだけの作りかけのファイルがたくさん並んでいた。

「ここにいていろんな物を見ていたりいろんな人とお話していると、描きたいものが沢山湧き上がってくるんです。ここからの風景の絵も、大昔にあったって聞いたフィルムカメラの話を聞いて思いついたんです」

 そう言いながら葵は新しい下描きのファイルを開いて、タブレットに向かってペンを動かし始めた。

 その葵の姿を見て、稲葉は考えていたことが吹き飛ぶ感覚に襲われた。先ほどまで感じていたほの暗い感情も、以前から感じていた何かに対する焦りも、全てどこかへ行ってしまった。同時に、それらの感情の正体がいったい何であるかも気づいてしまった。稲葉は顔を手で覆い、うつむいた。

「はは……」

 稲葉の口から、小さく声が漏れる。それは笑い声のようでもあったし、呆れた声の様でもあった。

「どうかしましたか?」

 葵が手を止めて稲葉の方を見る。稲葉は顔を手で拭うようにしながら頭を上げた。

「なんでもないです。葵さん、そのまま伸び伸びと成長してくださいね」

「?はい、ありがとうございます」

 葵は稲葉の言葉の意味がよく分からず、ただお礼を返した。言葉の意味を聞き返そうかと思ったが、稲葉がすぐに席を立ってしまったので、葵は部屋から出ていく稲葉を見送ることしかできなかった。

「稲葉さん、最近あんまりお話してくれないな」

 扉が閉まった後、葵はぽつりとつぶやく。

 葵にとって以前の生活と違い沢山の人と話すことができる今の環境はとても楽しかった。自分が思っていたより、自分は人の話を聞くのが好きなのだという事も知れた。だが、それを最初に引き出してくれたのは間違いなく稲葉だった。

 口数は少なく、自分から積極的に話す方ではなかった葵と何度も会話し、時には葵が自分から話せるように引っ張ってくれた稲葉がいたからだった。だからこそ葵は稲葉と話す時間が好きだった。話を聞くのは好きになったが、自分の話をすることはまだ苦手意識があった。でも、稲葉といる時は自然に自分の気持ちを話せているような気がした。

 そんな稲葉との会話が最近は少なくなり、葵は寂しさを感じていた。だが、稲葉にも仕事があるのだろうし、忙しそうにしているところを突然邪魔するわけにもいかないと思った。

「今度散歩かお茶に誘ってみよう」

 自分から誰かを誘うなんてことはこれまでしたことがない。それでも、稲葉相手ならば勇気を出せると葵は思った。今すぐには連絡できなくても、今度であれば、きっと。楽しみなことが先にあると思うと、葵は嬉しくなった。鼻歌を歌いながら、再びタブレットに向かってペンを動かし始めた。


 稲葉は部屋を出た後、すぐに荷物をまとめて自宅に帰った。その間も、先ほどまで自分が抱えていた感情の中身の事で頭がいっぱいだった。

 葵がデジタル画に挑戦し始めた時に感じた気持ちは、焦りなどではなく恐怖だった。際限なく成長していく葵の才能に、稲葉は喜びながらも心のどこかで恐怖を感じていた。自分すら知らないものになってしまうのではないか。ほんの少し目を離した隙に視界から居なくなってしまうのではないか。そんな恐怖を、自らが置いて行かれる焦りだと感じていたのだ。

 蓋を開けてみれば馬鹿みたいな話だった。たった二十六年生きてきただけで、人の能力を完全に推し量ることができるようになったと思い込んでいた自分が愚かだった。葵はそんな愚かな自分の目を覚まさせるほどの人間だったというだけのことだ。それを恐怖し、更には恐怖という感情から目を逸らして違う感情にすり替えていたなんて、稲葉は自分が恥ずかしくてたまらなかった。

 だが認識してしまえば、この焦り、もとい恐怖は綺麗に消えてしまった。葵の才能を自分の目で測れる範囲でとどまっているなんて考えは、自分の思い上がりだとふっきることができた。葵は、きっとこの先も際限なく成長し続けるだろう。自分はただ、それを横から眺めているだけでいいのだと、稲葉は思いなおした。

 家に帰る間に考えがまとまり、すっかり晴れやかな気持ちに稲葉はなっていた。しかし部屋に入ると、途端にほの暗い感情が頭の中を支配し始めた。それは、稲葉の人生にずっとついて回っている暗い霧のようなものだった。

「本当、嫌になる……」

 稲葉はスーツのジャケットとネクタイをベッドにほおり投げて、キッチンへと向かう。こういう感情におそわれた時の対処はすっかり手慣れてしまっていた。稲葉は冷蔵庫からワインボトルを取り出すと、キッチンに立ったままグラスに注いで一杯煽る。葡萄の渋みが舌にざらつく。アルコールが喉を通り胃にじわじわとしみ込んでくる。稲葉はアルコールの香りがする深いため息をつくと、ボトルとグラスを持ってテーブルの方へ移動した。

 思考への対処は一つしかない。考えないようにすることだ。だが人間というのはそう簡単な作りになっていない。考えないようにと思うほど、その考えが頭から離れなくなる。ならばどうすればいいか。それは、考えられなくなるまで何かに没頭することだ。

 稲葉にとって手っ取り早い方法が、つまるところ酒だった。稲葉は普段アルコールを飲むことはない。だがアルコールには強く、かなり飲まなければ意識を失うことはない。これは大人にだけ許された特権だな、と思いながら稲葉はワイングラスに赤ワインを注いでいく。子供の頃に好きで飲んでいたぶどうジュースと色は変わらないのに、味も香りも全く違う。でも、この飲み物が稲葉にとって魔法のような飲み物であることは、ぶどうジュースと同じだなと思った。そんな考えも一緒に飲み干すように、稲葉はワイングラスを大きく煽った。




3-5

 葵がプログラムに参加して一年が経った。

 一年という時間は葵にとってあっという間だった。これまで表に出すことのなかったやりたいことを、全てやりつくしてきたような毎日だった。それでもまだまだ葵のやりたいことは尽きる気配がない。時間が足りないと思うことはないが、自分が何人もいればいいのにとは思うようになった。そうすれば何倍も楽しいことができるのに、と。それくらい、葵にとってこの一年の生活は、楽しみに満ち溢れた物だった。

 稲葉にとってもこの一年はあっという間だった。春終わりに葵を保護してプログラムに勧誘してから、葵の成長を隣で見てきた。その成長速度に稲葉は衝撃を受けた。それまで鉛筆一本のみで絵を描いてきた少女が、一年のうちにアナログとデジタルの両方の画法を全て身につけてしまった。葵の成長はとどまるところを知らない。

 そんな、春も過ぎ梅雨の気配が近づいてきていたころ。稲葉はいつもの見回りをしようと施設の中を歩いていた。

「あれ、もしかして稲葉?」

 後ろから突然呼びかける声に、稲葉は振り返る。そこには普段施設では見かけない私服姿の大人の女性がいた。赤茶色のショートボブの髪が揺れる。その姿にどことなく思い当たる節があった稲葉は、人違いでないことを祈ってその名前を呼んだ。

「赤坂紅葉?」

 稲葉の回答に赤坂は頷く。

「そうだよ。久しぶりだね~何年振り?」

「八年……くらいかな?」

 稲葉は記憶を引っ張り出す。最後に赤坂を見た時は、もう少し幼く感じたような気がした。改めて今の赤坂の姿を見ると、薄手のニットにタイトスカートを履き、すらりとした印象を受ける。

「もうそんなに経つんだっけ。時間の流れって早いなぁ。そうだ、稲葉は今時間ある?」

 赤坂は思いついたように稲葉に質問する。

「急ぎの用はないけど」

「じゃあ、ちょっとお茶しようよ。久しぶりに知り合いに合ったんだもの。話したいこともあってね」

 赤坂はそう言って、食堂がある方を指さした。断る理由も見つからず、稲葉は頷いて赤坂と共に食堂へと向かった。


 お昼時以外の食堂に人はほとんどおらず、赤坂と稲葉は飲み物だけを頼んで席に着いた。

「それで、赤坂はなんでここに?」

 施設内に職員とプログラム参加の子供意外がいることはほとんどない。業者の人間などは稀に入ってくることがあるが、そういった場合は職員と行動しているのが常だ。

「ちょっとした、相談?みたいな感じで。卒業生として進路相談に乗ってほしいって」

 その赤坂の答えになるほど、と稲葉は頷いた。赤坂紅葉は今を時めく有名小説家だ。ペンネームの方で言えば読書家の中に知らない人はいないというほどの有名人である。その赤坂も当然この育成プログラムの卒業生である。

 卒業生が、育成プログラムを経験した者として子供たちの相談に乗ったりすることもあるとは聞いていた。赤坂も、ある小説家志望の子供から申請を受けて今日ここに来たのだという。

「でも、稲葉がここで働いているなんて意外だったな」

 その赤坂の言葉に、コーヒーを口に運びかけていた稲葉の手がぴたりと止まった。

「てっきり、もう芸術家になって暮らしてると思ってたよ」

 カップが机と軽く当たり、カンと音がする。カップの中のコーヒーが揺れる。白いカップの内側に、コーヒーが波打った軌跡が淵のように付いては消えていくのを稲葉は見つめていた。

「俺は卒業じゃなくて期間終了だったから……」

 するりと出てきた言葉に、赤坂は驚いた表情をする。

「えっ、そうだったの?」

 赤坂の言葉に稲葉は頷いて、もう一度カップを手に取った。コーヒーをすすると、苦みが舌の上に広がっていく。苦い思いなんてあの頃に一生分味わったはずなのに、大人になってもコーヒーの苦みにすら慣れないんだなと稲葉は心の中で苦笑した。

「稲葉、あれだけ優秀だったからなにかしらでデビューしてると思ってたよ。まぁ、ここじゃ皆お互いの年齢なんて気にしないし、外に出たら偽名で活動する人がほとんどだから確かに卒業なのか期間終了なのか見分けはつかないけどね」

「満期までいなくてもやめる子もいるからね」

 そんな風に答えながら、稲葉は自分の事を振り返る。

 稲葉も、かつてはこの芸術家育成プログラムに参加していた子供だった。十歳の時に参加し、十八歳の時に期間が終了したのだ。

 満期までいたくせに結果を残せず、ここを出ていくことになったあの日。八年間の努力も評価も全てが一瞬にして無に帰す瞬間は、稲葉にとってどれだけの時間が経っても忘れられない瞬間だった。いや、その日だけではない。同じ年に入った子供が先に卒業していくのを見送っていたのも。あとから入ってきた子にすっかり追い抜かれてしまうのも。どれだけ努力しても自分の力が伸びていないのではと焦り続ける日々も。全てが苦い思い出だった。大人になってもコーヒーが苦いのと同じように。

 お互いの年齢を気にしないのなど、幼い子か赤坂のように気にする暇もない天才たちだけだ。稲葉のような凡人は、年々周りの年齢が気になって仕方がなかった。そう言い返す気力など全く起きなかったが、稲葉は心の中でぼそりと呟いた。心の中だけでも、悪態をつかねばここでの自分を保っていられる気がしなかったのだ。

「ここの仕事は二十歳から?」

 赤坂はそんな稲葉の様子に気づくこともなく、話を続ける。

「そうだよ。十八で終了して、その後二年間就業プログラムに編入。でもその時に偶然ここのスタッフに誘われて」

 その話は本当だった。十八歳までという通常より短い期限を設けられている芸術家育成プログラムを卒業ではなく期間終了という形で出ると、その後通常の就業プログラムに編入する必要がある。つまり、二年間で芸術家以外の仕事を探さなければいけない。稲葉はその際に、元々プログラムで担当してもらっていたサポート員からの推薦を受け、国家公務員への道を進んだのだった。

 詳細を省くために「偶然」とは言ったが、満期終了の子供には、元担当者から仕事の紹介がされることが多い。途中であきらめてプログラムを辞める子供と違い、満期終了の場合は子供に芸術家以外の仕事の知識や興味が無い場合がほとんどだからだ。だからこそ、満期終了まで残る子供は少ない。途中で自分の実力を悟り、何らかの形で卒業するか、通常のプログラムに編入することが大体だ。

「この仕事はどう?」

 赤坂は机に片肘をつきながら稲葉の方を見つめていた。その姿は最後に見た時よりずっと大人らしくなっているのに、しぐさは子供の時のままだった。

「まぁ、楽しいよ。やりがいもあるから」

 稲葉も頬杖をついてそう答える。普段は仕事場でこんなにだらける姿をすることはない。赤坂も稲葉も、姿勢が悪いだの態度が悪いだのと注意されてきた子供だった。赤坂とは偶然制作室が隣同士で仲良くなった。仲がいいと言っても出会えば会話をし、たまに一緒に食事をとる程度だったが、稲葉にとっても赤坂にとってもそのような友人と呼べる子供は他にいなかった。

 赤坂は気難しく、自分と全く違う分野を志望している子や、能力値が大きく開いている子と接するのが苦手な子供だった。その点、赤坂にとって稲葉は珍しく気にせずに会話ができる相手だった。それはひとえに稲葉の特殊性にあった。

「確かに、稲葉は何でもできたもんね」

「何でもできた、ね」

 赤坂が思い出したように発した言葉に、稲葉は苦笑する。そんな風に言われるような子ではないと稲葉自身は自分の事を振り返った。

 自己評価とは別に、実際稲葉は特定の分野に絞ることなくありとあらゆる芸術分野をで成果をあげていた子供だった。音楽、絵画、工芸、文学、映像など、大体のメインジャンルにおいてそれなりの能力を発揮していた。歌は上手く、弾ける楽器は何種類もあった。絵画ならば人物画が得意だった。陶芸や木工、彫刻なども手先の器用さを生かして繊細な作品を作っていた。考えつく物語はどれも面白かった。作り出す映像はスマートでかっこいいものだった。

「結局どれもうまくいかなかったけど」

 それでいて、稲葉はどのジャンルにおいても卒業可能な能力まで達しなかった。一言で言ってしまうのならば器用貧乏を体現したような子供だったのだ。

 だが稲葉はもちろん、どの分野においても才能を伸ばすための努力はした。何が足りないのかを考え、それを補うために勉強や練習に励んだ。しかしそれでも、稲葉の才能は全てどこかで頭打ちを迎えてしまった。結局どのジャンルにおいても芸術家としてデビューすることはできず、稲葉は今国家公務員として働いている。

「でも確かに、稲葉にはこの仕事向いてそうだなって思うよ。だって真面目だもん」

 赤坂は笑顔でそう言った。その笑顔は屈託なく、まるで子供のような笑顔だった。稲葉は赤坂のこういうところが気に入っていた。正直に思ったことを話すくせに、そこに嫌味らしさがない。赤坂は子供の時から姿勢の悪さも、素直さも変わっていないのだと感じた。まるで稲葉まで子供の時に戻ったかのような感覚でつられて笑みをこぼした。

「そろそろ帰らなきゃ。ありがとうね、久しぶりに話せてよかったよ」

 赤坂は時計をみて、そう呟きながら立ち上がった。稲葉もつられて立ち上がる。

「こちらこそありがとう。昔の知り合いと話したのなんて俺も久しぶりだったよ」

 赤坂をエントランスの出口まで送って、稲葉は手を振る。その時、赤坂が何かを思い出したように口を開いた。

「稲葉さ、まだ今でも写真撮ってる?」

「え、たまに撮ってるけど……」

 稲葉の写真を撮る趣味はここに通っていたころからなので、当然赤坂はそのことを知っていた。稲葉の返答に、赤坂は嬉しそうに表情を明るくさせた。

「本当?じゃあまた今度見せてほしいな。稲葉の撮る写真、綺麗だったから」

 そう言って赤坂は手をひらひらと振って施設から出ていった。自由気ままにヒールで飛び跳ねる赤坂の後ろ姿を、稲葉はじっと見ていた。

 赤坂に自分が撮った写真の事を褒められたのは、これが初めてではなかった。施設に通っていたころも、赤坂はことあるごとに稲葉が撮る写真を見たがっていた。いつでも気にせず話しかけくる赤坂が、稲葉が写真を撮っているときだけは気にかけて話しかけてこなかった。そんなことを思い出して、稲葉はぼそりと呟いた。

「本当に物好きだな、赤坂は」

 今の社会では「芸術」と呼ばれないものを、純粋に「綺麗」だと言ってくれる人は赤坂くらいしかいなかった。赤坂はどんなに大人びても、中身は子供の時のままだった。自分はもう子供の時には戻れないのだと思いながら、稲葉は施設の中へと戻っていった。

 


3-6

「もう諦めようかと思うんです」

 そう笹垣が言い出したのは、ある日相談を受けてほしいと言われて制作室へ行った日だった。稲葉は笹垣からその言葉が出てきたことに特別驚きはしなかった。以前から今後の進路についての話は何度かしていたし、いつかは本人が決めなければいけない事でもあった。

 だが、稲葉はその笹垣が言い出した様子の方が気になった。てっきり落ち込んでいるものだと思っていたのだが、当の本人は既に割り切ったような表情をしているからだ。

「作曲の方を諦めるっていう事でいいんだね?」

 稲葉の質問に、笹垣は頷いた。その頷き方も仕方なくという風ではなく、断言するような様子だった。

「そう決めた理由を聞いてもいい?」

 もしこれが、誰かに何かを言われただとか、実害を受けたことによって不可能になった、などがあれば即座に問題として扱わなければならない。

 子供本人の意思で、自由に進路が決めることができるのが何より優先されるこのプログラムでは、こういった確認は必須だった。

「元々僕ってスカウトされてここに来たんですけど、最初は歌手希望だったんですよね。それで、色んな歌を歌ったり練習してるうちに、自分でも歌が作れたらもっと楽しいんじゃないかなって思って、作曲の勉強をさせてもらってたんですよ」

 笹垣はこれまでの経緯を話す。これに関しては稲葉も、笹垣を最初から担当しているので知っている内容だった。稲葉は頷きながら、笹垣に話の続きを促す。

「ギターはそこそこうまくなったんです。評価点も結構貰えるようになって。でも、やっぱり作る曲にセンスがないみたいで、それが足を引っ張っちゃってるなっていうことに気づいたんです」

 確かに笹垣の言う通り、ギターでの弾き語りには才能があった。だが、作曲の方にはどうにも一線を越えられない何かがあった。音楽を奏でることと、音楽を作り出すことに必要な知識やセンスは違う。笹垣は、自分の力でそのことに気が付いたのだった。

「前に稲葉さんが、歌だけなら今すぐにでもデビューできるって言ってたのを思い出して。自分が何でここに入ることに決めたのかを思い返してたんです。そしたら、別に僕がやりたいことに曲作りは必要不可欠なわけじゃないんだなって思って。それが原因でデビューできなくなるくらいなら、俺は自分が作ったものじゃなくても、色んな歌を歌って人を元気付けたいです」

 笹垣は、稲葉の顔をまっすぐ見てそう言い切った。その瞳は力強く、後悔や諦めなどの陰りは全くなかった。ただ、もう自分はこの道に決めたのだという硬い意思がそこにあった。

「じゃあ、デビューはなるべく早くがいいんだね?」

「はい。もちろん、基準値に達するまでしっかり歌の方も練習を続けたいですけれど、許可が下りるのならば今すぐにでも」

 笹垣の歌のポテンシャルは決して下がっているわけではない。申請をすればすぐに卒業許可が下り、デビューするまでの環境を整えられるだろうと稲葉は思う。だが、ついこの間まで作曲に打ち込んでいた笹垣が、その努力を一瞬で捨て去って自分で道を決めているのが稲葉にはどこか不気味に思えた。

「本当にいいの?申請はすぐできるけど、一度プログラムを卒業したら、その後は個人の仕事に専念することになる。君はまだ十五歳だし、もう一年くらい頑張ってみても……」

「いいんです」

 稲葉の心配を、きっぱりと笹垣は切り離した。その言葉には、笹垣の重い感情が込められていた。いつもの笹垣の明るい雰囲気とは違い、稲葉を同じ目線でまっすぐと見つめる笹垣に、稲葉は一瞬体を硬直させた。

「この前の相談会で、笹垣さんに言われて自分のやりたいことや能力を振り返った結果です。僕はこの決断に後悔してないです」

 そう言って笹垣は笑う。その笑顔に稲葉はもう何も言うことはないと思った。

「わかりました。では後日申請書を送りますから、必要な場所に記入して提出してください。今後の予定や仕事についてはまた連絡します」

 稲葉は立ち上がりながらそう言った。部屋を出る前に、笹垣の制作室を見回す。

 どちらかというと笹垣は外で作業を行うのが好きだったので、稲葉はこれまで笹垣の制作室にほとんど入ったことがなかった。制作室には笹垣がこれまで申請していた楽器や機材がたくさん積まれていた。だが、そのどれもが部屋の隅の方に寄せられて埃をかぶっていた。唯一、ギターだけは厳重にケースに入れられて、笹垣が座っている椅子の横に置かれていた。

「また、君の歌を聞かせてください」

 稲葉が制作室を出る時にそう言うと、笹垣は嬉しそうな笑顔で答えた。制作室の扉が閉まり、稲葉は廊下に一人になる。笹垣の笑顔にどこか感じていた既視感に、稲葉はふと廊下の窓を見て気が付いた。

 あの時の笹垣の笑い方は、稲葉自身の笑顔に似ていた。笹垣はきっと明るさや真っ直ぐさだけではどうにもならないことに気が付いたのだ。その純粋さを失って、割り切ることを覚えて生き残っていく道を選んだ。自分の才能の限界を自覚して、進むべき道と進みたい道と分けて考えることができたのだ。先ほどの笹垣の表情は、それができるようになった大人の笑顔だった。

 その姿にどこか寂しいものを感じながら、稲葉は制作棟を回る。笹垣のような子供は少なくない。自分の能力の限界にぶつかり、プログラム自体を辞めてしまう子供だって当然いる。そんな環境の中で、あのように自分で判断ができる笹垣は立派だと、稲葉は思った。



3-7

 笹垣の制作室を出てから、稲葉は葵の制作室へ向かうことにした。少し前に葵からお茶や散歩の誘いが来ていたのだが、忙しいと断っていた。だが、笹垣がここを卒業することになれば、少し自由な時間が取れるかもしれない。謝罪と提案も兼ねて、久しぶりに葵と話そうと稲葉は思い、葵の制作室を訪ねた。

「葵さん、こんにちは」

「あっ、稲葉さん!」

 稲葉が扉を開くと、葵は稲葉の元へと駆け寄ってきた。

「ちょうど絵ができたところで、稲葉さんに連絡しようと思っていたんです。すごい偶然ですね」

 葵は嬉しそうに稲葉の手を引いて、制作室の中へ迎え入れた。葵の制作室の真ん中には、大きなキャンバスがイーゼルに立てかけられていた。そのキャンバスには、様々な色の油絵を用いて人のような姿の生き物が抽象的に描かれていた。

「最近はずっとデジタル画ばかりだったので、久しぶりに油絵をやりたいと思ったんです」

 葵はそう言いながら、キャンバスを稲葉の方へ向ける。確かに葵がアナログで、加えて抽象画を描くのは久々だった。だがその作品の質は全く落ちることなく、それどころか色遣いや全体の構成において以前よりもうまくなっているように稲葉には見えた。

「稲葉さん、この絵どうですか?」

 その言葉に、稲葉はぴたりと視線を止めて葵の方を向いた。

 葵から、絵についての感想を求められたことはこれまでなかった。何か心境の変化か、考えでもあるのだろうかと思い葵の表情を見るが、葵はいつもと変わらない笑顔で稲葉の方を見ている。

 とりあえずはもう少しじっくり絵を見ようと、稲葉は再びキャンバスの方を向いた。

 一見カラフルに見えるが、絵全体からは暗い雰囲気を感じる。沢山描かれている人のように見えるモチーフは、あえてはっきり輪郭や決まった形には描いていないのだろうと稲葉は推測を立てた。背景には手前の不定形なモチーフとは反対に、正確な図形が沢山散りばめられている。その図形は全体の中でも明るい色が使われており、より前面の不気味さが際立っている。

 稲葉は一通り見渡して、頷いた。

「すごく、良い絵だと思います。色彩と図形の不安定さがうまく表現に落とし込まれている。これは最近思いついたテーマですね?」

 葵は少し前からデジタルで描きたい絵が沢山あると言っていた。それを完成させるより前に油絵を描きだしたという事は、突然描きたくなったものなのだろうと稲葉は推測した。稲葉のその答えを聞いて、葵は嬉しそうに頷いた。

「そうなんです。少し前に描いたデジタル画を色んな人に褒めてもらって、もちろん嬉しかったです。人に褒めてもらえるのは嬉しいです。でも褒めてもらうことと、描きたい絵は別物だなと思ったんです」

 葵はそう言って、キャンバスを眺めた。葵が指したデジタル画というのは、以前話題になった精巧な写実画の事だろうと稲葉は思った。

「私はまだ描きたい絵が沢山あるんだなって、思いました」

 キャンバスを眺める葵の目は、キラキラと輝いている。自分の絵の出来に満足しているのだろうかと思ったが、稲葉はそうではないということに気が付いた。

 葵は、まだ絵を描くことを純粋に楽しみ、ただ自分が描きたいものを描いている最中なのだ。その瞳は、デジタル画にのめりこんでいた時と全く同じ輝きを放っていた。

 その葵の表情を見た時、稲葉は心の中でため息をついた。それは葵のこれからの活動に心配することなど何もなかったのだという事への安堵のため息だった。突然注目を受けることで、葵の制作へのモチベーションや、行動原理が変わってしまうのではないかとどこか心配している部分があった。だがそんな心配はするだけ無駄だったようだ。

「そうだ。稲葉さんと、お話ししたいなってずっと思っていたんです。今お時間ありますか?」

 葵は思い出したようにそう言った。稲葉もこれまでの葵の誘いを断っていたことを謝るためにここに来たという事を思い出した。

「今日はもう予定がないので大丈夫ですよ。これまでずっとお誘いを断ってしまっていてすみません」

「いえ、稲葉さんがお忙しいのは知っているので……せっかくなので、お庭でもいいですか?」

「もちろん」


 稲葉と葵は制作室を後にして、施設内の中庭に出た。時刻は夕方だが、もう夏前という事もあり外はまだ明るかった。二人で軒下のベンチに並んで座る。夕食の時間が近いからか、中庭には誰もいなかった。

「葵さんとこうして制作以外の事をお話しするのは久しぶりですね。最近生活の方で何か困ったことはありませんでしたか?」

 そう聞かれて、葵は一瞬答えに詰まった。特段困っていることもないし、大きな事件があったわけでもない。葵が話題を探している間、稲葉は急かすこともなく、ただ静かに横で見守ってくれていた。しばらくして、葵があ、と声を上げた。

「最近は人とお話しすることも増えたんですけど、中々稲葉さんとお話しするときみたいにうまく話せなくて……」

「というと?」

 稲葉は葵の切り出した話題が意外な内容だったので首を傾げた。

 葵は以前から考えていたことを稲葉に打ち明けた。人の話を聞くことは好きだが、自分の話をするのは苦手だという事。稲葉といる時は自然と自分の話ができるので、何かあるのではないか、という疑問を稲葉にした。

 その考えを聞いた稲葉はしばらく考え込んだ後、口を開いた。

「要は慣れと、相手がどういったタイプか、ということに限ると思います。単純な話にはなりますが……」

「慣れとタイプですか」

 葵は稲葉の言葉を復唱しながら、稲葉の顔を見る。

「葵さんと私では関わっている時間が長いですから、それが会話のハードルの低さに直結しているのは間違いないでしょう」

 稲葉は人差し指を立て、まず一つ目の要因について説明する。話を聞いて頷く葵を見て、二本目の指を立てる。

「タイプ、というのは相手がどのような話し方をする人か、という事ですね。この施設で自分から関りを持とうとして動く子供たちは、自分の話をしたがる子が多いです。反対に、自分の話をするのがあまり得意ではない子は、受け身に回りがちになります。葵さんはどちらかというとこちらのタイプでしょう。ですが、私たち職員はどのような子供とも接しないといけません。ですから、受け身に回ることも、会話が得意ではない子供の話を聞きだすこともできるように練習しているんです」

 練習、と稲葉は言ったが、決して職員になるためにそのスキルが必要不可欠というわけではなかった。これは稲葉がここで働いていく中で自然と身につけた仕事法だった。

 稲葉の話を聞いて、葵はぱちぱちと小さな手で拍手をする。

「稲葉さんはやっぱりすごいんですね」

「……どういうことですか?」

 突然の葵からの賞賛の言葉に稲葉は固まる。稲葉自身には特にすごい話などをした覚えはないのだが、葵はやけに感心した様子だった。

「前に他の職員さんが言っていたんです。稲葉さんはとっても仕事ができて、すごい人だって。稲葉さんが担当した子供は皆すごい芸術家になるんだって言ってました」

 葵から発された言葉に稲葉は開いた口がふさがらなかった。

 その理由の一つ目は、そのような職員間の評価などを子供に直接話すような職員がいるという愚かさにだった。もちろんそういった話をしてはいけないという決まりはないが、稲葉の中では大人の話を子供の場に持ち込むことは御法度だった。そもそも仕事ができるという評価はこのサポート員という仕事において実際には存在しない。担当した子供が芸術家として大成しても担当者の手柄にはならず、反対にその道を諦めても失敗にはならないからだ。子供が自分で決めて進んだ道に優劣をつけること自体が間違っているのだ。

 だが他の職員が葵に話した通り、稲葉の仕事ぶりが職員や当局の中でも噂されていたのは確かだった。かつて芸術家育成プログラムに自身も通い、そこで培ったあらゆる芸術に関する知識をもって、どんな子供でも必ず芸術家として卒業させる仕事のプロ。それが職員内での稲葉に対する評価だった。稲葉自身はそんな風に言われていることは全く知らないのだが。実際稲葉が働き始めからの六年間、担当した子供全員が何らかの形で無事卒業をしていた。

 稲葉が驚いた理由の二つ目は、葵からそのような評価をされているとは稲葉が全く思っていなかったからである。稲葉にとって、葵はとんでもない才能を持った一人の子供だ。才能を持っているという点で、稲葉は葵の事をどこか遠い人だと思っていた。もちろん子供という点でしっかりと接して支えなければいけない存在だとは思っていた。だが、まっすぐ前だけを見つめて進む葵を、後ろから支えるのが稲葉だと考えていた。

「そんな稲葉さんとこうやってお話しできて、やっぱり私、稲葉さんのことすごいなって思います」

 前だけを向いて、脇目も振らず一人で走り抜けていると思っていた才能ある子供が、自分の方をまっすぐ見ている。その事実に、稲葉は頭が真っ白になった。

 それから葵とどんな会話をしたのか、稲葉はあまりはっきりと覚えていない。こんな状態になるのは初めての事だった。ただ葵が不思議がっていた様子もなかったので、いつものように普通に話していたのだろうということは理解できた。葵は最近食べておいしかったものや、興味のある友人の制作物の話を楽しそうにしていた。しばらく話した後、屋根の淵の照明が点灯した時に、稲葉はふと空を見上げた。明るかった空は、すっかり夕暮れ色に染まっていた。

 稲葉につられて葵も空を見る。

「ここからの景色、綺麗ですよね」

 広がる自然の緑の向こう側に、沢山の小さな光を灯した高層ビルがミニチュアのように並んでいる。さらにその向こう側に、沈んでいく太陽によってオレンジ色になった空が広がっている。

「もうこんな時間になってしまいましたね。お腹すいたでしょう。今日はお開きにしましょうか」

 そう言って稲葉は立ち上がる。葵も頷いて立ち上がり、二人は建物の中へ戻っていく。

「いつも食堂で晩御飯を食べているんですけど、稲葉さんも一緒に食べますか?」

 葵の質問に、稲葉は申し訳なさそうに首を横に振った。

「すみません、今日は家に帰ってやらなければいけないことがあるので……」

 稲葉がそう答えると、葵は明るい顔で首を横に振った。

「いえ、いいんです。お話しできただけで充分楽しかったですから。今日はありがとうございました」

 葵はそう言って礼をすると、笑顔で手を振りながら駆けていった。

 稲葉は葵の姿が見えなくなったことを確認して、自分のデスクへと戻る。荷物をまとめ、足早に家に帰った。帰り道の間、鮮やかなオレンジ色の空が段々と暗くなっていくのをずっと見つめていた。

 

 家に着いた途端、稲葉は部屋の扉に背中を預けて、靴も脱がずに玄関にしゃがみこんだ。やることがあるなど嘘だった。あんな風に嘘をついたのは初めてで、稲葉の鼓動は早くなっていた。

 だがそれよりも、葵が稲葉にかけた言葉が、ずっと稲葉の頭の中でリフレインしつづけている。葵が、才能を持った子供が稲葉の事を評価し、信頼してくれているということに気づいたとき、稲葉の心の中に沸き上がったのは喜びでも悲しみでもなかった。それはゆっくりと心の底から滲みだした、得体の知れない感情。

 もしも、稲葉が今日見た葵の絵を評価しなかったら葵はどう思ったのだろう。もしも、稲葉が葵がデジタル画を始めることに反対していたらどうなっていただろう。もしも、最初に出会った時に思ったように、葵に鉛筆画一本で育てるように誘導していたら、葵の絵はどうなっていただろう。

 沢山のもしも、が稲葉の頭の中を一瞬で駆け巡る。

「もしも、子供の才能を思った方向へ導けるなら……?」

 自然と自分の口から零れた言葉が信じられず、稲葉は誰もいない部屋の中ではっと口に手を当てた。だが、この感情を稲葉は何度も抱えてきた覚えがあった。六年も働いていて、自分が進むことのできなかった道を自由気ままに進んでいく才能ある子供たちを見ていて、思わなかったはずがない。

 これは六年、いや稲葉の人生二十六年間じっくりと煮詰められた嫉妬だ。

 葵の才能を、自分が惹かれた才能で皆に認めさせたい。自分の目に狂いはないのだと信じたい。なぜなら今の自分にはこれしかないのだから、と稲葉は納得した。ありとあらゆる芸術で大成できなかった自分には、教え子を大成させることでしか自分に自信を持てない。自分が今吐き出した言葉は、確かに自分の中から産み落とされたものだと稲葉は受け入れた。稲葉はゆっくりと膝に手をつきながら立ち上がり、窓際に立った。

 窓を開けると、冷たくなった風が稲葉の頬を撫で、真っ暗になった空にビルの明かりが激しく光っていた。どこからか、煮詰め切ったワインのような芳醇な香りが鼻先をくすぐったような気がした。






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