四十四幕 本音

 

 何故自分だったのだろう。

 

 この世界に召喚されてからずっと、その疑問が頭を回っていた。

 『王の素質があったから』

 それをあのエルフに言われて知った時、怒りが湧いた。素質があっただけでこの世界になんの因果も無いのに喚ばれ、理不尽な戦いを強要された。どうしても魔王にならなければいけないような、強い理由が自分に眠っているなら無理にでも納得した。

 それなのに、ただ運が悪かっただけ。ユートが今ここに居るのはただの不運の結果で。

 

 召喚魔法なんて余計なものを残しておいて『かわいそう』などとうそぶくあの女が気に食わなかった。あの時のユートは確かにこの世界を憎み、壊してしまいたいという強い衝動と戦っていた。

 

「……おれは、すでに勇者の手で救われた世界へ、その勇者を殺すためだけに、喚ばれたって事ですか……?」

「……? 何を言っておる?」

「おれは……おれがこの世界に喚ばれたのは、何の意味も無かったって事ですか!?」

 

 バチンッと激しい音がして、指につけていた制御装置のリングが弾け飛ぶ。膨れ上がった魔力にセレフィスが目を丸くした。高密度に圧縮された魔力が可視化され、火花のように周囲に飛び散る。

 顔を手で覆ったユートは、それに気付くことなく続ける。

 

「おれはっ、魔王になんてなりたくなかった! こんな世界にも来たくなかった……! 何でこんな目にあわなきゃならない。こんな目にあうような事をおれがしたって言うのか……!?」

「おぬし、まさか……」

「この世界の歴史が何だ、初代魔王なんかクソ喰らえ! 世界が憎いなら壊しちまえば良かったんだ!! 関係ない人間巻き込んで高みの見物か、何が魔王だ、何が運命だ! おれには何の関係もないじゃないか……!」

 

 ガタガタと揺れる本棚から物が落ち、床に積まれていた本が居場所を追われるように吹き飛ぶ。周囲に飛ぶものがぶつからないように、セレフィスは二人を包む結界を張った。はじめに掛けた強い制約と棟を包む結界が無ければ、とっくに建物ごと吹き飛んでいた事だろう。

 

 ユートの中ではこの世界に喚ばれてすぐの事が頭を廻っていた。

 勝手に呼んでおいて向けられる警戒した視線。戦いの訓練だと称して連れられた先にいた魔物。怯え逃げ惑うユートに向けられる落胆の視線。対人訓練で剣すら扱えないと分かった時のため息。

 

 勇者が来るまでの一年間、慣れない戦闘の訓練にユートは逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。弱みを見せられる人もいないから虚勢だけを貼り付け、なんて事の無いように振る舞いながら、充てがわれた自室に戻るといつも震えていた。ジャズ達が来るのがもう少し遅ければ、ユートはあの城を抜け出していただろう。

 

「なんで、なんで、なんで……っ!」

 

 素質があれば誰でも良かった。魔族はただ本物の勇者に怯えていただけ。代わりに戦ってくれる誰かが欲しかった。

 初代魔王が国なんか興さなければ。

 あのエルフが召喚魔法なんて作らなければ。

 魔法使い達が聖剣なんて作らなければ。

 

 ジャズが勇者として目覚めなければ。

 

 ぐっと強く噛み締めた口から血が溢れる。爪を立てた指をそっと抑えられて、ユートはようやくセレフィスに抱きしめられていることに気付いた。押し付けた手のひらの隙間から部屋の惨状を他人事のように眺めながら、ユートはぽつりと言った。

 

「ジャズだけだったんです。おれを魔王とか異世界人とかレッテルを貼らずに見てくれたのは。ジャズだけがおれを何も知らないただの人として接してくれた」

 

 か細い声と共にぽとりと涙が溢れる。セレフィスは黙ってユートを強く抱きしめた。

 

「おれが怒りでどうにかなりそうな時も、ジャズは黙って支えてくれた。寄り添ってくれた。おれが気持ちに折り合いをつけるまで、じっと待っててくれた……」

 

 ユートが宿にこもってしまった時、ジャズは強い結界を張り、二階を丸々貸し切った。大金を払い宿の店主に口止めまでして、毎日ユートのために食事を用意してくれていた。ユートの魔力がいつ暴走するのかわからない状況で、見捨てて逃げることもユートを殺すことも出来たのにただ待っていた。

 

 雪山で野営していたある時に聞いた。見捨てたら嫌な予感でもしたのかと。ジャズは肩をすくめて『そんな事考える余裕も無かった』と言った。

 

 ジャズは物知りで、頭が良いのに不器用で、強くて、この世界で会った誰より優しかった。本当は学者になりたくて、戦いは嫌いじゃないけど実際は本を読んでる事の方が好きで。

 ジャズだって、勇者になりたくてなったわけじゃない。

 それが分かるから悔しかった。

 

「セレフィスドミナール。あなたなら分かりますか? この世界の魔法で、おれが元の世界に帰れる可能性はありますか?」

「……断言しよう。今ある魔法の理論でも、古代魔法の理論でも、それは絶対に不可能な事じゃ」

 

 力が抜けもたれかかるユートの目に、そっと押し付けられた皺くちゃに乾燥した温かい手。ユートはその手の下でそっと目を閉じた。

 

  

 感情を思い切り爆発させた後、ユートは抜け殻になったようにぼんやりとしていた。セレフィスはそんなユートをずっと抱きしめ、「すまんなあ、すまんなあ……」とひたすら謝り続けた。

 別にセレフィスに怒りはない。当時の五人の魔法使いの傲慢と身勝手さには辟易するが、セレフィスは記憶があるだけで実際にそれをした人物ではない。

 

 それにこの世界の住人に同情されるのは気持ちが悪かった。まるで自分がこの世界の犠牲になったようで、その事に怒りが込み上げる。まだ波のように揺れる感情を宥めながら、セレフィスの言葉を止めると、ユートは一抹の望みをかけて最後の質問をした。

 

「セフィ爺さん、もう一つ教えてください。聖剣は聖域から落ちてきた剣を元にしているとありました。聖域とは何なんですか?」

「ふむぅ……実態はまだよく分かっとらんが、聖域とはそれ自体が一つの空間なのではなく、この世界に突如出現する穴のようなものだと考えられておる」

 

 それこそセレフィスがレオニードだった頃には、稀に空からどこの文明とも違う不思議な物が降ってくる事があった。それは聖なる贈り物として大事に保管されていたが、何度かの戦争でいつの間にか失われていた。

 今では聖域が確認される頻度も減り、不思議な物が落ちてくることも無い。

 

「ヨアネスはこの世界が不完全なものだと言っておった。だから時には穴が空き、運命を狂わす綻びが生じる。運命星は神がそれを少しでも制御するために生んだものというのが奴の持論じゃった」 

 

 つまり聖域が現れなくなってきたという事は、この世界の綻びも減ってきたということ。落ち込むユートを慰めるように、セレフィスは肩を叩き明るい声を出した。

 

「聖域はこの世界に空いた穴じゃ。しかし現れる穴の先は、その時近くに居た者の願いを汲み取ると言われておる。あれは神の気まぐれじゃが、もしユートが元の世界に帰れるとしたら、それを可能にするのは聖域くらいじゃろう」

「……そうですか」

 

 きっとその聖域が、ジャズに〈災厄の魔物〉を討伐させようと全てを導いた。まるで運命を神に操られているようで吐き気がする。それでも今は、その望みにすがるしかなかった。

 

 

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