三十九幕 探し物

 

 机に伏せたままうとうとしていると、不意にコツリと静かな足音が響いていることに気付いた。すでに辺りは暗く、差し込む月明かりだけではほとんど物のシルエットしか分からない。

 以前学院の生徒と話しているときに、研究に熱中して学院に泊まり込んだという話を聞きかじっていた。奥まった本棚の陰までは見回りも来ないと聞いていたのでここを選んだのだが、足音は徐々に大きくなる。

 

「これって見回りの人……だよな?」

 

 不意に浮かんだ想像に、背筋がゾクリと泡だった。曰くこの学院には人ならざるものが棲み着いているらしいとか、そういった日本の学校のような噂はここにもあった。流石に幽霊という存在の言及は無かったが、頭の中で勝手に霊と結びつけてしまったユートは暗闇に一人という状況も相まって怖くなってしまう。

 

 恐怖に身を縮めている間にも足音は徐々に大きくなり、やがてこの書庫に入ってくる音がした。思わず口を手で抑えながら、出入り口側の本棚を凝視する。

 まさかまさか、と思っている内にどんどん足音は近付き、ついに本棚の後ろからランタンの明かりが見えて来た。明かりを持っているという事は、見回りのはずだ。見つかった時の言い訳を探そうと頭を巡るが、考えてみればユートはこの学院の生徒ですらない。

 もし泥棒だと思われてしまったら? ジャズやセルドゥル達に迷惑が掛かったらどうしよう。

 

 想像はどんどん悪くなり、ほとんど泣きそうな状態で両手の隙間から目を覗かせていると、本棚の影からにょきっと現れたのは小柄なお爺さんだった。

 

「ほっほっほ、ここにおったかの」

 

 笑いながらたっぷり蓄えた白い髭を撫でる。その好々爺然とした雰囲気に、ユートは一気に力が抜けてしまった。

 

「ああ、あの、おれ、調べ物をしてたらこんな時間になってて……」

「うん、うん、良いのじゃ。わしはおぬしに会いに来たんだからの」

「へ? 会いに来た……?」

 

 「ここは寒かろう」そう言って手招きする老人に、しばらく呆然としたユートは慌てて立ち上がりついて行く。迷いのない足取りで進む老人の後を追えば、いつもの研究棟とは別の棟へと入っていった。薄くなり読めなくなった棟の名前は、ここがもうあまり使われていない事を物語っている。

 

「あ、あの、あなたは……?」

「おお、そうじゃったそうじゃった。名乗っとらんかったの」

 

 ぽ、と明かりの灯った部屋は狭く、しかし高い天井に至るまでびっしりと壁に本が敷き詰められている。暖炉の前の椅子に座りながら指をさし、ユートにも座るよう促すと老人はゆっくりと背を傾けくつろいだ。

 

「わしの名はセレフィスドミナール。長いからセフィ爺さんとでも呼んでおくれ。ここは真星学の研究室じゃったが、今はほぼ使われておらんでな。時々ふらっと遊びに来るんじゃ」

 

 真星学。星や天体に関する研究は無いのかと尋ねて回るユートに、何人かの先生が歯切れ悪く漏らした言葉。星の賢者となった人が興し、彼が学院を出るのと同時に廃れてしまった学問。すでに研究する人間も居なくなり、いつか壊されるのを待つだけの棟。

 

「〈忘れられた学問〉……」

「ふぉっふぉ。忘れられてなどおらぬよ。進みもしてないがの」

 

 悪戯っぽく笑う老人。すっかりこの棟の主のように振る舞っているが、今の言い方からするに普段からここに居るわけではないのだろう。それより引っかかるのは、

 

「セレフィスドミナール……?」

 

 初めて会うはずなのに、やけに既視感のある名前。デジャヴにも似た奇妙な感覚に頭を悩ませていると、視界に入る本棚に目がいった。

 

「あ、あっ! セレフィスドミナール……!」

 

 バッと立ち上がったユートが、震える手で指をさす間ものんびりお茶をすする老人の名は、ここに来てからも、ここに来る前にもよく目にしていた。まさしくユートがこの学院に来た目的のひとつでもある。

 

「魔法理論の権威、セレフィスドミナール教授……!」

 

 数々の魔法理論を発見、提唱し魔法研究を数十年は早めたと言われる偉大なる賢人。唯一古代魔法の使い手と呼ばれるその人は、学院に来てからというもの探し続けたのに一向に見つけることが出来なかった。

 学外に出ていることもあり神出鬼没だと聞いてからは、もう出会いは運に任せるしか無いとほとんど諦めていた人物。

 

 こんな所で、こんなタイミングで出会うとは。

 

「ふぉっふぉ。全ては運命の星の巡り合わせよ」

 

 驚愕するユートを前にのんびりとした様子を崩さない老人は、一度も開かない目を歪めて食えない顔で笑った。

 

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