第2話 少しは自分で考えろ

「ちょ、ちょっと待ってください。キサラギ先生それどういう意味ですか?!」

「どういう意味? 何がだ」

「その、才能が無いと本気で思ってるのかって……今見ましたよね! 私は魔法が使えないんですよ?!」


 まず始めに口をついて出た言葉はそれだった。キサラギ先生にそんなこと言っても意味が無いというのに、私の中で堰き止められていたものが溢れてくる。自分の口が、まるで自分のものじゃないかのようだった。


「《フレア》は火の玉を放出する魔法です! それなのに、何も起きなかった! こんなの魔術師になれるはずがない!」


 父様や今までの先生に幾千、幾万と言われたことを、正確無比に反芻する。それは紛れもない事実であり、この世界のどうしようもない現実。


 魔法が使えない無能、それが私なんだ。


「何を言っている、貴様は魔法を使えているではないか」


 なのに、目の前に立つ一人の教師はその現実を真っ向から否定する。


「え……?」

「確かに貴様は火種にすらならん矮小な火花一つしか出せていない」

「矮小……まあそうですけど」

「だが、魔法陣は出ていただろう。あれは魔法を理解していなければ出ない代物だ。中等部で習わなかったのか?」

「それ、は……」

「さらに、だ。見る限り魔法陣の構成式自体に明確な誤りは見られない。それどころか、単純な式だというのに洗練されている。よく勉強している証拠だ」


 褒められているのだと気づくのに時間がかかった。それは、私にとって全く馴染みのない言葉だったから。

 けれど、キサラギ先生が発したその言葉は、否定や失望の言葉よりも私の心を燃え上がらせていた。


「でも、あ……あんなの《フレア》じゃない!」


 体中が熱い。どうしてこんなに強い感情が頭を支配するのかわからない。確かに私はそれを待っていたはずなのに。


 私の言動はおよそ生徒が教師にしていいものではなかった。だけど、キサラギ先生はそんな私のことなど毛ほども気にせず、教壇に立っているかのように説明を続ける。


「それは貴様の主観的判断にすぎん。事実、煙や火花は出ている。確かに一般大衆どもが想像する《フレア》とはかけ離れているが、学術的に言えば貴様のそれも《フレア》に該当する」

「そんなの嘘です!」

「嘘だと? 何故こんなことで私が嘘を吐かねばならん」

「だって……」

「貴様は勘違いをしている。そもそも魔法というのは魔法陣に定義した事象が発生すれば成功なのだ。《フレア》の要件は発生させた熱を発射させることのみ。威力や熱源の大小、飛距離などは周辺環境によって決定されるのであって、成否には関係がない。そして、貴様の魔法は貴様が定義した通りに実行された。ただそれだけだ」


 キサラギ先生の口から淀みなく流れ出てくるそれは、まるで魔法学の講義を聞いているようだった。ワッと浴びせられた言葉の量に圧倒されてしまい、体の中の熱が少しだけ治まる。


 ぽかんとしている私に気づいたキサラギ先生は、喋りすぎたことを恥じらうようにコホンと一つ咳をした。


「これで納得したか?」

「……だ、だとしても! 現に今の私はそのみんなが想像する《フレア》が出せていないじゃないですか!」

「確かに、貴様の考えていたものと出力された魔法が乖離しているのは少し問題ではある。今後の課題だな」

「なんですかその軽さは! そんな、まるで私がいつか、みんなみたいな普通の魔法を使えるようになるみたいな言い方……」

「私はそのつもりで言っているのだが。……というかなんだ、さっきから何故そう意固地になって否定する?」

「だって……私に才能なんて……!」


 言葉が詰まる。先生が私の目をまっすぐに見つめていることに気づいたから。綺麗な瞳だった。

 そして、その瞳に映る私が見える。その私は、とても怯えた表情をしていた。


 ……あ、そうか。


 その時になって私はようやく理解する。この熱の正体が何なのか。


 怖かったんだ、私。


 もしそれが哀れみなら、私の現実は何も変わっていないと絶望してしまうから。


 もしそれが同情なら、そんなことでちょっとでも希望を持ちたくなかったから。


 だから、否定した。


「アオ・セイブル、貴様には魔法の才能がある。貴様の歳であれほど見事な魔法陣を構築できる者を私は見たことが無い。貴様自身がどれだけ否定しようが、これは変わらない事実だ」


 でも、この人は私の境遇を思って慰めるわけでもなく、取り入りたくてご機嫌を取ろうとしているわけでもない。

 ただ純粋に事実を述べているだけなんだ。先生が発するその言葉には、混じりけが一つも無い。


 私は瞳に吸い込まれるようにキサラギ先生に一歩近づく。


「本当に……本当に魔法を使えるようになるんですか」

「だから貴様は既に……はあ、まあそういうことだ」


 先生は呆れ混じりにそうこぼす。涙がこぼれそうだった。


 たとえ嘘だとしても、これまで出来ると言ってくれた人は一人もいなかった。ここまでちゃんと私を見てくれる人は誰もいなかった。

 なのに、この人は心の底から私は魔法が使えると思ってくれている。それが至極当然の事だと疑っていない。


 だから、こんなに心が動かされる。ほんの少しだけ信じてみようと思ってしまう。


「……じゃあ、私はどうすればいいんですか」


 この人の元で学びたい。この人なら、私を導いてくれる。


 これが、私の学園生活で……いや、私の人生で初めて光が差した瞬間だった。


「何をしたら、他の人みたいなちゃんとした魔法が使えるようになるんですか」



「知らん」



「…………え」


 ……え? 知ら……何、え、聞き間違いかな?


「ちょ……ちょっと待ってください。今なんて言いました? 知らないって聞こえたんですけど」

「その通りだ。会って数分の私が知るわけないだろう、少しは自分で考えろ」

「え、ええ~~~!!」

「私は用事があるので席を外す。今日は帰っていいぞ」


 そう言ってキサラギ先生はスタスタと学舎を去っていった。荒れた中庭に一人の私を置いて。


 そのあまりの無感情さに、思わず私は心から叫んだ。


「何も解決してないじゃないですかああああああ!!」


◇◇◇


「アオ、貴様まだ残っていたのか」

「キサラギ先生……」


 私が中庭で杖を振っていると、私をほったらかしにしていた先生が何冊かの本を脇に抱えて戻って来た。


「既に日は暮れた。貴様は寮生だろう、そろそろ寮の門限も過ぎるぞ」

「え、もうそんな時間ですか」


 周りを見ると先生の言う通り空にはいつの間にか夕暮れの赤すらも消えており、暗闇の中で先生の持つランタンの光が足元を照らしていた。


「すみません……一度やるとつい夢中になっちゃうんです。それに、今の私にはこうやって杖を振るしかできませんから」

「ふむ、良い心がけだ。私が去ってからどれくらいやっている?」

「どれくらい……先生がどっか行ってからずっとですけど」

「ずっと、か。貴様はどの程度の間隔で休憩を取っている?」

「いえ、特に休まずやってますけど」


 そう私が先生の質問に答えると、先生は何故か険しい表情を浮かべる。


「……これまでも空いた時間はこのように杖を振っていたのか?」

「? まあ、はい。そうですね。ほぼ毎日……中等学校に入る前からですかね、暇があればやってます。出てくる魔法陣のチェックくらいにしか役立ってませんけど……」


 すると、先生は黙り込んで考え事を始めてしまった。


 キサラギ先生は何故そんなことを聞くんだろう。正直これだけやってきて何も変化がないからあんま深堀してほしくないんだけど……。


「というか先生、先生が言ったこと本当なんですよね。嘘だったら私、承知しませんから。絶対に責任取ってくださいよ。じゃあ私帰ります」

「……」


 持っている杖を腰に提げ、そのまま寮に戻ろうとしたその時だった。


「ちょっと待て」

「なんですか? ……きゃあっ!」


 突然、キサラギ先生は私の顔を右手でぐいっと掴む。


「顔を見せてみろ」

「え、え!?」


 そして、ランタンを掲げて私の顔を至近距離で覗き込む。


 なになに近い近い近い……!


 少しの吐息さえかかる距離、視界いっぱいに先生の顔が映る。誰かの顔をこんなにじっくり見たことなかったからか、何故か妙に緊張する。


 薄暗い髪色に日の当たっていない青白い肌、大きく開かれた瞼の奥にある澄んだ海のような濃い青の瞳。眉間に深い皺を刻んだその顔はイケメンとか整っているとかではないのだけれど、その真剣な眼差しに見つめられるとどうしてもドキドキしてしまう。


 そのまましばらくじっくり観察された後、先生は乱雑に手を離す。そして、暗い夜空を切り裂くように高らかに笑いだした。


「フ、フハハ、フハハハハハハハハ! なるほど、そうかそうか。実に興味深いな」

「せ、先生?」


 悪役のような笑い声がそこらじゅうにに響き渡る。こんな夜に騒音を立てるのは迷惑ではと思ったが、この廃墟まがいの建物の周囲には特に何もなかったことに思い至る。


 先生はひとしきり笑うと私の方に向き直り、私の肩を強く掴んだ。その拍子に先生の持っている本が落ちたのだけれど、先生はお構いなしに口を開く。


「喜べアオ! 貴様が矮小な火花一つしか出せん原因が分かったぞ」

「……え、本当ですか!?」

「ああ本当だとも! そして恐らく、簡単な方法でその原因を取り除ける!」


 私は耳を疑った。これまでの人生で影のようにずっと付き纏ってきた問題を、キサラギ先生は簡単に解決できると言ってのけた。


 子供のように喜ぶ先生とは対照的に、私の胸の奥からは恐怖と不安がこみあげてくる。それは、もしキサラギ先生のあてがはずれてしまったらを想像する恐怖。


 だけど、私はそれをグッと飲み込んで覚悟を決める。


「そ、それで、その方法というのは……?」

「それはだな……」


 得意げに話す先生を前に、先生が一体どんなことを言うのか、私は固唾をのんで次の言葉を待った。


 すると、キサラギ先生は驚くほど簡単なことを、ぽとっと何かを下に落とすかのように言った。


「今すぐ帰って寝ろ。それだけだ」

「…………え?」

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