第3話 実地訓練
「ふぁあ……」
大きな欠伸は出るが早朝というには少し遅い時間、私はあの廃墟まがいの建物ではなく本館の方に来ていた。時間的に授業中だろうか、人の出入りの少ない入り口付近にキサラギ先生は立っていた。私は昨日の帰り際、この時間にこの場所に来るようにと先生に言われたのだ。
「おはようございます、キサラギ先生」
「おはようアオ、時間丁度だな。体調はどうだ、昨日はよく眠れたか?」
「はい、たぶん……というかあの薬、何なんですか?」
「眠れたのならいい。薬の事は今は気にするな。じゃあ行くぞ」
朝だというのに陰気そうな顔をしたキサラギ先生は、私の方をちらりと見るとそのまま中へ入っていく。呼び出された用件が何か全くわからないが、とりあえずついていくしかない。
「えっと、どこへ行くんですか?」
「決まっている。実地訓練だ」
それだけ言って先生は黙ってしまう。それだけじゃわからないですともう一度質問をしようとした時、私が口を開く前に先生の足は止まった。
「ここだ」
先生はピッと指をさす。意外に近かったなー、なんて思いながらその指をさした方を見ると、体が固まってしまった。
それは、イリウス先生の教室だった。
「たのもー!」
固まっている私を意にも介さず、先生はずかずかと中に入っていく。突然の訪問者でざわつく教室の中、キサラギ先生は隅で座って本を読んでいるイリウス先生に向かって大声でここに来た用件を叫んだ。
「イリウス教員、うちの生徒が対抗戦を申し込みたいらしい! 対戦相手は……あー、そっちの一番強いやつをお願いする!」
「ちょちょちょ、キサラギ先生! 何してるんですか!」
「何って、貴様は今から対抗戦を行うのだが?」
「行うのだが?じゃなくて! そんなの聞いてないですけど!?」
「だろうな、言ってないし」
言ってないし?! 何言ってんのこの人?!
「……それに、百歩譲ってやるとしても、流石に急すぎますって! もっと準備とか!」
「実際に訓練を行うならより緊張感があるほうが良いだろうと思ってな。なに、貴様が負けても骨くらいは拾ってやろう」
む、無茶苦茶言ってる……! しかもなんか楽しそうだし!
正直今私は先生のことをかなり疑っている。
先生に言われてやったあんなことで魔法が使えるようになると思えない。せめて一回は本当に使えるようになったか確認したかったのに、先生に絶対にするなって強く言われたからやらなかった。
でもこの感じ、やっぱり先生は私に恥をかかせたいだけなのでは……?
うーん……だけど、私を見る先生の顔は私を騙すような感じには見えないし……。
私が一人で悶々としていると、仰々しく座っているイリウス先生は持っている本をぱたりと閉じて立ち上がる。そして、キサラギ先生の方を見るとわざとらしくため息を吐いた。
「……君ですか、キサラギ・ランネイブ。噂はかねがね聞いていますよ、オルピオンの貧乏教師殿」
「待て、金が無いわけではない。あの禿げ……学園長のやつがこっちに予算を回さんだけだ」
「そうですか。残念ですがあなたに構っている暇はありません。今はレブラント様が特別講師としていらっしゃって、ここで授業をしていただいていますので」
「え、え!?」
イリウス先生今レブラント様って言った!? それってもしかして、神秘の賢者シルリィ・レブラント!?
二年前に弱冠25歳にして賢者に抜擢された天才中の天才。類稀なる才能で魔法の新しい道を見つけ、神秘の分野を設立した歴史に名を遺す賢者様!
そんな人からも教わることができるって、オルピオンってやっぱりすごい……!
私が賢者の名前を聞いて興奮する一方、キサラギ先生は特に驚いた様子も無く話を進める。
「ああ、シルリィ・レブラントか。なるほど、それはちょうどよいいな」
「……話聞いてました? それとも、邪魔だから今すぐ帰れと言わないとわからないんでしょうか」
「いいんじゃないですか、イリウスさん」
その凛とした声は、私たちの背後から聞こえて来た。振り返るとそこに立っていたのは可憐な体躯の女性。丁寧に編み込まれた長く艶のある髪に、宝石のような瞳。濃い青のローブを身に纏うその人の腕には、この国の紋章が刻まれた銀の輪っかが巻かれている。
それは、帝国の賢者である証明。私は理解した、この人が神秘の賢者シルリィその人なのだと。
シルリィ様はかつかつと靴音を立てて私たちの横を通り、怪訝な表情を浮かべているイリウス先生の前に立った。
「授業を心配してくださるようですが、今は休憩時間です。それに、学生同士の諍いは学園の華ですよ。ぜひやりましょうよ」
「……レブラント様」
突然現れたシルリィ様は、どうしてかわからないが私たちの肩を持つようなことを言った。
しかし、イリウス先生の反応は悪い。彼はまるで我儘な子供を相手するように頭を抱えた。
「あのですね……オルピオンの生徒は帝国を担う魔術師として、常日頃から相応しい行動をしなければなりません。そんなくだらない理由で程度の低い遊びにかまける時間などないのです」
「そうでしたか。私はてっきりイリウスさんの研究の助けになるとも思ったのですが……余計なお世話でしたね」
「っは、学生の魔法なんて我が魔工研の資料の一文字にすらなりませんよ。というわけで、お引き取りをお二方」
賢者シルリィ様の説得も効かず、イリウス先生は対抗戦を許可しなかった。隣のキサラギ先生は残念だと漏らすが、ほっとしている自分もいる。魔法が使えるかどうかわからないのもあるけど、イリウス先生の前にいると嫌な緊張を覚えるから。
「そうかわかった、なら他を当たろう。邪魔したな。行くぞアオ」
「あ……はい」
「……ちょっと待ってください」
キサラギ先生の後を追って教室を出ようとしたその時、イリウス先生は何かに気づいたように私たちを引き留めた。
「なんだ、やっぱり対抗戦をやってくれる気になったのか?」
「そうではなく、まさかとは思いますが……そこにいるアオ・セイブルに対抗戦をさせようとしていたのですか?」
「そうだ」
キサラギ先生が簡潔にそう答えると、イリウス先生は貴族という外聞を剥がすように大声を上げて笑い出した。
「く……くははははは! いやいや、話には聞いていたのですが……そこまで酷い教師だとは思ってもいませんでしたよ、ランネイブ殿」
そう言ってにたりと笑う。私はイリウス先生のその姿を見て、心の底から恐怖した。目は全く私の方を見ていなかったが、その笑い声は確かに私を向いている。
それは、これまで私を無能と断じてきた人たちのものと全く同じ笑い声。
……やばい、しっかりしないと。
自分を奮い立たせるも、自然と体が震えだす。世界がぼやけ、真っすぐ立てているかもわからなくなる。
まずいなと思ったその時、真っ白になっていく視界の端でキサラギ先生が私の前に立つのが見えた。
「イリウス教員、それはどういう意味だ?」
「あなたも知らない訳が無いでしょう? その生徒は魔法がまるで使えない無能だ。私はもう2年ほどここにいますが、それ程までに才能が無い者は初めて見ましたよ」
「ふむ……」
「これは一級魔導士である私からの忠告です。その子を生徒にするのはやめたほうが良い。有って無いようなものでしょうが、あなたの経歴に傷がついたら大変でしょう?」
もっともだ、と思ってしまった。自分の教え子が卒業すら出来ないなんて、先生にとって一番の恥だというのは私でもわかる。
だから、私は怖くなった。イリウス先生の話を聞いてキサラギ先生がちょっとでも納得してしまったら、本当に私の居場所が無くなってしまうから。
……いや、きっと大丈夫。この先生はそんなこと思わない……はず、だよね。
……。
少し不安になった私は、前に立つキサラギ先生の横顔をそっと覗く。するとそこには、驚くべき光景があった。
「……?」
なんかよくわかってなさそうだった。
え、嘘、なんでこの状況でそんな分からないみたいな顔が出来るのこの先生。
「えーっとすまない、私が貴様に酷い教師と言われる意味がよくわからないんだが」
「……はあ? はぁ……これだから頭の悪い低級魔導士は嫌いなんだ。だから、そこにいるそいつは魔法を使えない無能で、魔術師になるなんて不可能だって言ってるんですよ」
「いや、そこまでは理解できている」
「あ……?」
自分のペースで話を進めるキサラギ先生に段々と苛立ちを隠せなくなっているイリウス先生。彼は少しでも平静を保つためか、本の背表紙を指でトン、トン、と叩く。
その音が教室に響くと生徒たちの間に緊張が走る。しかし、真正面に立つキサラギ先生はいつもの様子で滔々と話を続ける。
「貴様が今つらつらと喋ったのは、貴様がアオ・セイブルに才能は無いと判断したという話を長々引き延ばしたものだろう。そこはどうでもいい。私はそうは思わんが、人の主観的判断にわざわざ口を出す意味は無いからな」
「…………」
「だが、それと私を酷い教師と断じたこととのつながりが分からんだけだ。二つの事柄に関係性を見出せん。別に私を煽るため適当に言ったのであればそれでいいのだが、そうでないならそこをもう少し詳し教えてくれないか?」
「………………」
キサラギ先生が口を開くたびに本を叩く音が強くなっていく。どうしようもない空気が流れる中、ついには見てられなくなったシルリィ様がやんわりとこの場を収めようと口挟む。
「えっとですねキサラギ先生、イリウスさんは恐らく”魔法が使えない人が対抗戦に出ても確実に負ける、にもかかわらず対抗戦を生徒に強要させるのは酷い”、と言いたいのだと思いますよ」
「ああ、なるほど。そういうことだったか。ありがとうシルリィ。イリウス教員、これは忠告なのだが、そのように婉曲に物事を伝えるのはやめたほうが良い。会話をする生徒も困ると思うぞ」
「……ええ、覚えておきますよ」
イリウス先生が本を叩くのをやめ、これで終わったかと思って胸をなでおろすが、キサラギ先生の話はまだ続く。
その姿はとても堂々としていて、ただ見ているだけで心の底から熱い何かが湧いてきそうだった。
「それともう一つ、勝てないと思っていたらそもそもこんなことなどやっていない。ここにいる誰と戦っても勝てると考えたからこそ、この場にアオを連れて来たのだ」
「随分大言壮語を吐きますね」
「もちろんだ、私が見込んだ生徒なのだからな。そして当然――」
キサラギ先生はその指の先端を、突き付けるようにイリウス先生に向ける。
「――マクリダ・イリウスラット、その誰かには貴様も入っている」
わずかな沈黙の後、張り裂けるような笑い声がイリウス先生から聞こえてくる。
「は、はははははははははは! 一級魔導士の私が、学生風情、それも魔法を使えない無能に? そんな面白い冗談、久々にききましたよ!」
知らなかった、イリウス先生ってこんなに笑う人だったんだ。
そんなことを考えていたせいだろうか、その話の中心が私であることに私は気づけなかった。
「……いいでしょう。対抗戦を認めます。ただし、条件があります」
イリウス先生は今日初めて私に目を向ける。その目は生徒や同僚、ましてや無能と断じた者に向けるようなものではない。
むき出しの敵意。その視線に籠っていたのはそれだ。
だけど、不思議なことに体の震えは止まっていた。
「対戦相手は生徒ではなく私が務めます」
そうか、相手はイリウス先生が……え。え?
「それと、彼女に勝ったら次はあなたと決闘をさせてください」
「対抗戦ではなくてか?」
「はい、学園のお遊びではなく純然たる貴族の決闘です。いいですね? キサラギ・ランネイブ三級魔導士さん」
「構わんぞ、アオに勝てたらな」
「ちょ、ちょっと待ってください! 勝手に話進めないでください!!」
私の叫びは教室に虚しく響き、合意が取れたと言わんばかりに二人の先生は怪しげに笑いあう。
私が、イリウス先生と戦う? それで、負けたらキサラギ先生とイリウス先生が決闘!?
なんかどんどん話が大きくなっている気がする。絶対そんなわけ無いのにキサラギ先生は想定通りみたいな顔してるし、あーほんとに先生信じたの間違いだったかも!
イリウス先生は本を教卓に置くと、怒りを秘めた足取りで教室を出る。
「ついてきてください、修練場に向かいます。とっとと終わらせましょうこんな茶番」
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