第2話
気づけば、真っ昼間の草原で尻もちをついている私たち三人。庭園も池もガゼボも見あたらない。展開が忙しすぎておかしくなりそう。そして、気づけばスーツの男からもらったはずのカードは、いつの間にか手の中から消えてなくなっていた。
「あたた、お尻打ったし。マシュー、
気を取り直したふみちゃんが、私たちを気遣ってくれる。ホントに優しくて大好き。
「ありがとう。うん、私は大丈夫。七五三木さんは? ねえ! ほら、あの丘のところに道が見えるよ。誰か人が通るかもだし、ちょっと行ってみない?」
私たちの背後には真っ暗で薄気味悪い森、私の視線の先には緩やかな丘のふもとにカーブを描いた道が見える。このままここで過ごすわけにもいかないし、移動するなら道のほう一択だよね。
「そうね、後ろの森に入るのは怖いし。芋ジャーで人に会うのは嫌だけど、そうも言っていられないものね」
七五三木さんも同意して、私たちは街道を目指して、みっしりと生えたひざ丈の雑草をかき分けて歩く。ひんやりとした肌寒さを感じていたけれど、
「ねえマシュー、七五三木さん、これどっちに行こっか? お水も食べ物も持ってないし、ウチらそんなに遠くにいけないよね」
右も左も、どっちを見ても地平線にまで続く道をみて、ふみちゃんがため息をつく。
「ええ。誰か通るかもしれないし、まずはあの木の陰ですこし休まない? 野原を歩いて疲れちゃった」
七五三木さんが指さした先には、大きく枝を広げた立派なケヤキの木が生えている。確かに日陰で休むにはちょうどいい感じ。やみくもに動いて体力を消費するのも怖いし、私たちはとりあえず木の下に座った。
「そういえばさ、あの斡旋者のお兄さんからもらったカードってなんだったんだろうね。ウチ、中を見る前に失くしちゃったけどさ。スキルとかジョブとか、えっ!?」
話していたふみちゃんが、突然驚いてかたまる。どうしちゃったの? そうそう、あのカードどっかにいっちゃったんだよね。なにが書いてあったのか、もう分からないけど。
「マシュー、七五三木さん。あのさ、ちょっとジョブのこと考えてみて?」
我に返ったふみちゃんが、さっきの話に戻った。そう、失くなったカードにはジョブやスキルのことが書いてあるはずだった…あっ! 「ジョブ」 という言葉に反応するように、急に頭になにかが思い浮かんでくる。
ジョブ:霧
魔力を使って霧を発生させる
「わ、ふみちゃん! 今、頭にジョブが思い浮かんだよ! ふみちゃんもなの? 七五三木さんは? どういう仕組みなの、これ?」
「ええ、私は巫女のジョブだって。家が神社なのと関係あるのかしら?」
七五三木さんが、顔をしかめて嫌そうに首を振る。つられてお団子が頭の上でゆらゆらと揺れた。お家が神社って何か嫌なことがあるのかな。あんまり想像つかないけど。
「へえ、七五三木さんってご実家が神社だったんだ! 巫女ってかっこいいじゃない。時々いい匂いがしてたのはお香だったの? あ、ウチは家政のジョブだって。ウチ、お父さんと弟と三人暮らしで家事してるからかなあ?」
「私のジョブ、霧だって…あの斡旋者め、適当にもほどがあるよ。私のジョブ、ただのあだ名じゃん」
そう、私の名前は桐野真知子。おばあちゃんのお友だちと会ったり、ひいおばあちゃんのお見舞いに行くと、必ず、絶対、毎回、百パーセントこう言われる。
「あら、真知子ちゃんっていうの? おばあちゃんの若い頃のテレビドラマで、真知子巻きってマフラーの巻き方が流行ってね…」
知ってます。二万回は聞きました。巻いたことないけど。小さかった頃は、優愛ちゃんとか陽菜ちゃんとか、みんなみたいなかわいい名前がいいって泣いて、お母さんを困らせた。そして私のあだ名がマシューになったのは、小学校の社会の時間。北海道の勉強をしていた時、隣の席だった橋本って男子が叫んだ。
「霧の摩周湖! お前桐野マシューコだ!」
何が面白いのか、地図帳を指さしてゲラゲラ笑う橋本のことを睨んだけど、それからすっかりマシューが定着してしまった。今では本名よりマシューの方がしっくりくるようになってしまったくらい。外国人みたいでちょっとかっこよくない?
ふみちゃんと仲良くなったのも名前がきっかけだった。ふみちゃん、本名:馬場ふみは、小さい頃に関西に引っ越して、名前のことでとても嫌な思いをしたんだって。引っ越しの自己紹介で、すごく緊張して名乗っていたことを覚えている。あとで聞いたら、関西ではババはう〇ちのことだって。お互い自分の名前のことが好きじゃなかった私たちは、すぐに仲良くなった。
これまでほとんど接点のなかった、大人しい系女子の七五三木さんを修学旅行の同じ班に誘ったのも、名前で苦労してそうな仲間だと思ったのが理由の一つ。
木陰でそれぞれのジョブのことを話していたら、ガラガラと音が聞こえてきて、道の向こうから荷馬車がやってくるのが見えた。異世界に詳しい七五三木さんが、もしかして悪い人たちかもしれないから、隠れて様子をみようと言い出して、ケヤキの木の後ろに回る。
馬に乗った男の人が、荷馬車に先行して辺りを警戒しながらこちらの方へやってくると、私たちが隠れている木の少し手前で止まった。もしかして、もう見つかってるのかな。
「そこに隠れている者、出てきなさい。出てこない場合は、野盗とみなして攻撃する。いいか、十数えるうちに出てくるんだ」
ひえー、いきなりバイオレンスの香り! なんにも悪いことをしてないのに攻撃されたら大変だ。私たちは顔を見合わせると、手を挙げてあわてて木陰から街道に飛び出した。
「なんだ? 武装もしていない女の子が、こんなところでいったい何をしているんだ。野盗も魔物も出るというのに、危ないだろう!」
ホント、私だってそう思うよ。男の人の親切心からのお説教を聞いたあと、斡旋者の手によって異世界から連れてこられて、こんな場所に落っことされたことを説明した。
「我々は商会に依頼されて行商の荷を運ぶ途中で、俺はその護衛を引き受けた冒険者なんだが、落ち人だというのなら捨て置けないな。荷主にどこか途中の街まで送れるように頼んでみるよ」
親切なお兄さんはサヴェリオと名乗った。異世界から来た人たちは、落ち人と呼ばれて、たまに現れるらしくて、国で保護されることになっているみたい。話を聞いた荷主の商人さんは、快く同行を認めてくれた。
私たちは、荷馬車の積荷の端っこに乗せてもらうことになった。いろいろあり過ぎて疲れてしまって、とても歩いて着いていく元気がなかったの。次の宿場まではそう遠くなくて、今日中に着くみたい。お水をコップに分けてもらって一息つく。
「わあ! 冷たくて美味しいお水」
一口飲んだふみちゃんが、弾んだ声をあげた。
「ふふ、そうでしょう。私の魔法で出したお水なのよ。水魔法を使える人は少なくないけど、温度や味まで工夫するのは難しいの。こだわりに気づいてくれて嬉しいわ」
荷台のへりに腰かけた、いかにも魔法使いらしいトンガリ帽子をかぶったお姉さんが、得意げに胸をはる。魔法が使える世界なんだ! そういえば私の霧も魔力を使うって書いてあった。
魔法使いって、なんだかワクワクするね。
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