ゆるふわ異世界じゃなかった

伊東有砂

第1話

「あの、高校に入ってからずっと好きだったんです。こんな機会修学旅行最終日じゃないとわたし、気持ちを伝えられなくて…」


 これはもちろん私のセリフじゃない。私の後ろで告白しているのは、同じ班の七五三木しめきさん。私と、小学校からの親友ふみちゃんはホテルのゲームコーナーで、就寝時間を過ぎた見張り兼やじ馬付き添いをしている。


 勢いこんで告白をした七五三木さんだけど、すっかり落ち着いてお話ししてるみたい。ふみちゃんと二人で見守るのにも飽きて、どっちが言い出したかプリクラに百円玉を滑り込ませていく。学校指定の芋ジャーにお風呂上がりのすっぴんじゃ、ぜんぜん盛れないけどね。


 いろんな変顔を撮って二人で笑って、それでまたキャンセルを繰り返して。時間つぶしで遊んでいると、カウントダウンと同時に七五三木さんが入ってきた。フラッシュに目をやられて、つまづいた七五三木さんの手が、決定ボタンを押しぬいた。


「落書きコーナーに移動してね~♪」


 無情なアナウンスに、肩を落としてブースを出る私たち。普段は背中まで届くロングの髪を下ろしている七五三木さんが、告白のために気合を入れて、お団子にして大人ぶったをアピっている。そんなお団子の横からモニターに映ったプリを見ると、おちゃらけた私とふみちゃん、そして躍動感あふれるバカ殿みたいな七五三木さんが写っている。


「もうだー!」


 お付き合いの願いが叶わなかったっぽい七五三木さんが、何事もなかったようにプリクラに混ざろうとした気遣いが台無しだよ。私もふみちゃんもかける言葉が見つからなくて、誰も落書きのペンを取ろうとしない。


 うつむいた七五三木さんの目から落ちた大粒の涙が、ぽたぽたと画面を濡らしたとき、エントランスの方から大きなダミ声の叫び声が響いた。


「こらー! 就寝時間に出歩いてるのは誰だ! そこ、動くな」


 あの声は体育のクマ先熊田先生だ。毛深くて太っててタバコ臭いおじさん先生! このまま見つかったら反省文か、抜け出して男子と会ってたなんてバレたら、停学になっちゃうかもしれない。緊張で耳の奥がキーンとする。ゆっくりとしゃがんで、プリクラのブースの中に隠れるよ。


「好きなフレームを選んでね♪」


 プリクラが空気を読まずにのんきな声で案内する。あっ! 画面には大きく私たちの変顔が写されたままだ。ドスドスと怒りのこもった足音が近づいてくる。もうどこにも逃げ場がない! ふみちゃんと手をつないで、祈るような気持ちで身を縮めて、ぎゅっと目をつむった。そんな私たちの頬を、甘い花のような香りがふわりとなでた。


 恐る恐る目を開けると澄んだ池のほとりに建ったガゼボのテーブルに着いている。なんで? 私の右隣にふみちゃん、左隣に七五三木さん、向かいには、真っ白のスーツにサングラスをキメて、中折れのハットをかぶった美しい人が座っている。昔お母さんと見た映画の、マフィアのボスみたい。


 男性とも女性ともつかない、彫刻のように整った目鼻だちに見惚れていると、薄いサングラスの向こうの目と視線がぶつかった。


「やあ、桐野真知子さん、馬場ふみさん、七五三木明日香さん。君たちの『ここじゃないどこかへ逃げたい』という強い願いが聞き届けられた。わたしは地球から異世界への斡旋をしている者だ。これから君たちには異世界へと行ってもらうことになるが、準備はいいかな?」


 意外に低い、渋めのバリトンボイスでそんなこと言われても、準備がいいわけがないよ? 二人とも目をまんまるに開いて、フルフルと首を振っている。私もシンクロするように首を振った。


「そうか、まあいいだろう。ではお茶でも飲んでリラックスしなさい」


 パチンと指を鳴らすと、いつの間にか彩りの美しい九谷焼の湯呑みが置かれている。この絵付け、いい仕事してますねえ。隣にはつやつやの水ようかんも添えてある気のきかせようで、思わず嬉しくなった。


 クマ先熊田先生から隠れていた緊張で喉がカラカラだった私は、勢いよくお茶を口にした。うまぁ! ほどよい渋みが染みわたる。トゥルリと喉ごしよく水ようかんがお腹に収まって、余韻をもう一度お茶で流すと、三人の視線が私に集まっていることに気づいた。


「けっこうなお手前でした」


「マシュー、がっつきすぎだよ! 口元にようかん付いてるし」


 ふみちゃんが、小声で注意しながら口のきわを拭うしぐさで教えてくれる。おっといけねえ、乙女としたことが。おしとやかなそぶりでテーブルのナプキンを取って、口の周りを整える。


「あの、私、異世界もののストーリーを読むのが好きなんですけど、これってジョブとかスキルとかもらえるシチュエーションですよね。そういうのはないんですか?」


 気を取り直した七五三木さんが、スーツの男に問いかける。そうだ、ようかんの美味しさにすっかり忘れてしまっていたけど、なんだか異世界に行くって話だった。


 スーツの男はちょっと面倒くさそうに、眉根にしわを寄せる。


「スキルを与えるのにも、神力を消費するのでね。最近はどこで聞いたのか、誰も彼もやれスキルだ、ジョブだと要求してきてまいってしまうよ…」


「ちょっと! アンタ斡旋や言うてんやんか。仕事でやってるいうことは、アンタにも得があるんやろ? それならケチケチせんとウチらにもちょうだいよ」


 ふみちゃんは、小さい頃にお父さんの仕事の都合で関西で暮らしていたから、無料のものには自動的に反応する。そして興奮すると関西弁が出てしまうの。そうだよ、わけもわからず異世界に行くなら、なにか見返りぐらいもらわないとね。


 男はしぶしぶ胸のポケットからカードを取り出して、こちらに向けて差し出す。いち早く反応したふみちゃんが、カードを引き抜こうとする。


「こら、一人一枚だ」


 よく見ると、ふみちゃんの指が二枚のカードをしっかりとつまんでいる。


「へへ、バレたか」


 舌を出して照れ笑いをしながら、ふみちゃんがカードを胸の前にしっかりと抱えた。私たちが引くまで中を見るのを待ってくれているみたい。それじゃ私も引いてみよ。七五三木さんの方を見ると、先に引いていいよと頷いてくれた。


 向かって右のカードを引き抜いて、ふみちゃんと同じように胸に押し当てる。七五三木さんが残ったカードを受け取った。


「ふむ、コモンにアンコモン、それからレアか。その程度なら神力も大して消費はあるまい。よし、では異世界ライフをエンジョイしてくれ」


 男がパチンと指を鳴らすと、世界が反転して私たちはどさりと草むらに尻もちをついて、まぶしい青空を見ていた。

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