5【行灯庵】
神木町に宿屋は【行灯庵】一つしかない。のだから、仮に他に旅客がいたならば靴であったり声であったり、いくらかの形跡を見つけられそうなものだが、果たしてそんなものは見当たらない。
湯舟に口元まで沈めてから考える。
平穏なる神木町に異物は現状三名。
第一に俺。イケメン詐欺師・網島修理くん。
次に十二年ぶりに故郷に帰ってきたナイスでバッドっぽいガイ・火村浄太郎さん
そして全日本なんでお前いるの選手権堂々の一位、遺書代筆屋・天伊
──思い返してみると白金黒と色味の賑やかな面子である。金持ちの財布かよ。経験則的に大抵の場合、一色に特化した人間というものは奇異の視線で見られる。特に田舎においては排斥されがちなものだ。
しかして眼前にて未だくどくどと浄太郎さんに絡む出水(?)さんには、感じが悪いとかそんな所感は現状無い。
「お前はタイミングが悪いんだよ。思う返せば昔からそうだ。ほたるちゃんの誕生日に限って風邪をひいたり腹痛を起こしたり」
「いやあれはだな……」
「照れ隠しだろう。知っている。だがそれで納得できると思うなよ。彼女の笑顔はお前の物なのだから! くそう!」
出水さんは微妙な面持ちのままバシバシ浄太郎さんの背中を叩いた。めちゃんこ仲良しである。俺もこんな友達が欲しかった。
思い返してみれば俺には男の友達というものがとても少ない。小学生と社会人を換算してもよいなら二人ほどいるが、同年代と言うと首も曲がる。高校一年の春から学業を放棄した人間に青春を望む資格があるのかと問われれば首はもっと曲がる。ただし後ろの方向へ。そんなこと言うやつと目は合わせたくない。選り好みできる立場でないことはわかっていても、人と人との繋がりにおけるベクトルは相互のものではければならぬ。友情も恋愛も、そして恐らく憎しみも。一人で壁に向かって愛を囁こうとそこに出来上がるのは泥人形であってチョコレートではない。
十九歳にして友達の作り方をググってしまうのは大変憚られた。やはり難しい問は先駆者に尋ねることが一番の近道であろう。ぼこぼこ音を立てながら意識と共に浮上すると、未だお二人は会話に花を咲かせていた。と言っても穏やかな菫の花とかそういうのではない。どでけえ花火である。どどんばばんと派手に意見と気持ちをぶつけ合う様は、やはりどうにも羨ましい。
はてこのお二人は斯様にして仲良しになられたのだろう。
「修理ィ!」
などと茹っていると火村の兄貴がお声を掛けて下すった。
「あ、へい。なんスか」
「どうもこうもコイツ引き剥がすの手伝え! 弱いなら飲むんじゃねえよ!」
「酔わずにいられるかッ!」
「そこで我慢できるのが大人だろーがあ!」
しっちゃかめっちゃか舌戦に身を投じる、たった二人の騎馬戦に身体を割り込めるほど俺の肉体はたくましくないし、ぶらんもぼろんも興味が無いので露天風呂の方へと逃げる。
「待て修理!」
「待て浄太郎!」
雨がざんざか降り注ぐ中、岩屋の真下の露天風呂に身を浸す。やはりぬるいが、物思いに耽るには丁度良いようにも思われた。これくらいなら血行も落ち着き、二人の酔っ払いもある程度正気を取り戻すのではなかろうか。
全く以て酒とは恐ろしいものである。
酒癖悪いと聞いて真っ先に思い浮かぶのは遺書代筆屋だった。彼女は自分を酒に強いと思い込んでいるが、その実低い度数でべろべろになる、タチの悪い酒乱である。元来悪い口はもっと悪化し、人の傷を抉ることも辞さなくなる。俺限定かもしれないが。ちょっと素直になるという利点はあれど、アレに酒を飲ませようとしてはいけない。
「なんでいたんだろうなあ」
半年ほど前の再会も唐突なもので、鞄で頭を殴られた。夏の出会いもこれまた唐突で、その時は首を絞められた。今回は雨に降られただけなのでだいぶ軽傷だが、アイツに会うと毎回碌な目に遭っていない気がする。
「……まーそれはお互い様か」
不幸の狼煙を目印に訪れる二つの援軍。白軍と黒軍は、そんな煙の背伸びばかり見上げていて、目的地を同じとするお互いにはギリギリまで気付けない。
そして協力はし得ないのだから、俺たちの相性は終わっているのだ。
黒く美しい遺書代筆屋は、こんな夜雨の中でも一層黒く、何者にも紛れない。
対してこんな軟派な詐欺師は、たかが湯気にも染まれるくらいに白紙で、どうにも色が好きだった。
そりゃ嫌われるよねえとか考えて、もう一度口元まで湯船に沈めてぼこぼこやっているとデカい声の二人が駆け寄ってきた。
滑って転ばぬようにと大股で走るそいつらは、室内からの逆光も相まってコメディの様相を呈していた。成人男性二人が酒を飲んで笑える世界は、きっと明日も平和である。
唯一
懸念があるとすれば火村さんの言葉だ。
『この町は荒れる』
現状、全く荒れる要素の無いこんなまぁるい世界が、恒久に続きますようにと願いを込めて星に願う。
灰色の雨雲に遮られて、その祈りは届かない。
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