4【倉木ほたる】

 銃も剣も、盾すら焼失した現代社会において、【守る】という言葉はどれだけ重たいものだろう。例えば親が子を守るように──もしくは守るという弁明をしながら監視対象に置くように、支配の形式を取る場合ならば幾らでも存在する。

 しかし、【守る】。相手と対等な立場でありながら、相手の生存を支配し、同時に敬意を払うその在り方は、果たして。

 水島出水という男が、その言葉を吐くに至った経緯はまったくの不明である。しかし、その勇気が何処に起因するものであるのかは、対照的に明確であった。勇気とは恐怖を乗り越えた意欲のことを言う。だから勇気と恐怖は表裏一体であり、同時に存在するものなのだ。

 水島出水は恐れている。何者かを、何事かを。

 けれども火村浄太郎が共にいるならば、そんな恐怖も乗り越えられると彼は知っている──或いは信じているからこそ、彼は【守る】と断言したのだ。

 火村は迷わなかった。

 出水さんの手を熱く握る。それは極小でありながら、再開の抱擁であった。


 しばしして、ほたるさんが戻ってくると彼女はぎょっとした。目を真っ赤に泣き腫らした出水さんが火村に縋りつきながら泣き叫んでいたからである。恐ろしきは酒の魔力であった。こういう惨状を目撃するたびに、自分が酒に強いことに感謝する。

 ──熱き抱擁の果てに、我に返った出水さんと火村は、何処か照れ隠しのような様子で日本酒を開けた。お互いに十二年ぶりの再会でありながら、しかし迷うことなく滾々と盃に透明な酒が注がれる。

 誤算であったのは、互いに見栄を張って酒に強いフリをしていたという点である。

 火村は笑い上戸だった。箸が転んでも面白いようで、うろうろ熊のように宿を歩き回っては下品に笑う。対して出水さんは泣き上戸だった。べしょべしょに泣きながら立てなくなった脚を引き摺って火村を追いかける。

 地獄の様相であった。食べ尽くした(殆ど憎き網島修理が食べた)鉄鍋を厨房のおばちゃまに返すと、囲炉裏に残る篝火で暖を取りながら、そんな地獄を引き続き鑑賞する。

 酒癖の悪い大人ほどみっともないものは無い。しかしなに故か、その光景は面白おかしくもあった。十二年という、干支が一周するほどの歳月を経てなお、ここまで心を開いてはしゃげる仲間は羨ましくもあった。

 彼らのアルコールに浸されて虹色に歪んだ視界は、かつて遊びまわった山々や冷たい川が見えているのかもしれない。

 その地獄を終焉に導いた閻魔様はほたるさんだった。彼女は二人の頭を一発ずつ殴ると、そのまま冷や水を注ぎ込む。おぼぼぼと叫ぶ少年二人を困ったような、それでいて嬉しさの隠しきれていないやさしい瞳で暫く見つめると、その視線はこちらに向いた。正確に言えばぼたん鍋を堪能し終えてうつらうつらとしていた網島修理に向けてであった。

「お風呂、ぬるめにあっためておきました。この二人も放り込んでおくので溺れないように見張っておいてください」

 それだけ言い残すと猫の母親のように後ろ首を二人分掴んで、浴場へと運搬していった。

 おいて行かれた網島修理は突然の令状に呆然としてから、はたと思い出したかのようにのこのこ付いてゆく。そのまま帰ってこなければいいのに。

 しかし奴は一度立ち止まり、遠慮がちにこちらを見つめた。

 真白い肌と髪は、ほとんど乾いていたがぺったりと元気もやる気もありはしない。そしてそんな白紙の上で一際目立つ、あらゆる綺麗な色を混ぜて固めたような虹色の瞳は、素材を台無しにするように澱んでいた。

「なに」

 私は苛立って訊いた。網島修理と関わると碌な目に遭わないというのは世界の常識であった。少なくとも、私の世界に於いては。だから怪訝な視線で刺してやると、しかし網島修理は憎たらしく笑う。

「こんな山奥に来てまで会うなんてさあ」

「不幸」

「そうそれ。終わってるよな」

 終わってる。は奴の口癖である。この世に終わったものなどありはしないから、諦めの言葉である。しかしそれもどうせ嘘なのだろう。幸福であれば嘘も真実も方便でしかない網島修理という詐欺師において、言葉などというものは言霊ではなく、やはり言葉でしかない。

 広い食事処にぽつねんと残された私は、ほたるさんが帰って来るまでの間、しばし瞑想をすることとした。形而の上下の両方が温まって仕方がないこんな状況で、湯冷めしてしまわぬようにと目を閉じる。

 時刻は午後六時半を指していた。そろそろ、日の光を蝕む雨雲も意味を失くす頃である。





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