このまちで待ってる
春の気配が一歩、また一歩と近付いてくる。今年も開花前線は最速を更新し、このまちのあちこちの桜も、蕾を膨らませつつあった。東北に春一番は吹かないというけれど、強い風がトレンチコートの端を攫い、それを奪い返す、これは、じゃあなんなのだろうか。
このまちで生まれ育った。そして今もこうして、このまちで生きている。なんでもあるけれどなんにもない。なんていう地方都市の決まり文句が似合う、大きくて小さな世界。つまらないと思うような若い時期を過ぎれば、住みやすく、去る気にもならない。
良いまちだと思う。あなたにとっては、そうじゃなかったけれど。
ちょうど桜の咲くころに出会って、一年を過ごし、そしてまた桜の咲くころには、さようならをしていた。あなた。元気でいますか。
私は今日も呼吸しています。待っていてと、あなたが言ったから。
「ねえ。何時に行くの」
「んー、東京行きのこと? それなら、始発に間に合うくらい」
いつものように他愛なく、私の小さな1Kでくつろいでいた。明日から東京旅行に行くあなたに、一応、出発の時間を確認した。始発、早いな、と思った。じゃあ帰りは何時だろうと考えて、
「帰りはいつ?」
と、たずねた。
「帰らないよ」
そう、答えたあなたは、いたって落ち着いていた。どことなく、つきものが落ちたようですらあった。
そのころには、あなたがこのまちが好きではないことを知っていたからか、ああ、出ていくのか。と、あなたの言う意味がすぐわかった。たずねなければ、きっと、黙っていなくなって、そうして私を置いていく気であったことも。
「……そっかあ。あっちで仕事、見つかったの」
「うん。わりと良い待遇のところ。荷物もまとまっていて。あとは、行くだけ」
「そっかあ」
続く言葉があるかと思って黙っても、あなたはそれ以上、何も言わなかった。黙っていてごめん、くらい、言うかと。期待みたいなものがあった。けれどそれはなかった。
隣のあなたが、黙っている間、私も、一言も発さなかった。
不思議と声を荒げて責める気にならなかった。本当に。よく責めなかったなと、振り返るたび、なぜだろうと思うけれど、きっと、止めても無駄だから、だったのだろう。あなたのなかで、引き留めるだろう私との関係より、このまちから解放されることが、優先されるべきことだと、知ってしまって。あの瞬間、あなたを想う私は、おそらく一度、死んだのだ。
一生、一緒だと思っていた。なんの約束があったわけでもないけれど。ずっと一緒にいてね、と、不意に言って、うん、もちろん、とかえってきたから。勝手に信じていたのだ。
馬鹿な女であった自分。勝手な人だったあなた。どちらも愚かだった。でも、好きだから信じてしまうのは、そこまで大きな間違いだったろうか。
しばらくの沈黙の後に、あなたが口を開いた。
「嫌いとかじゃないんだ」
たぶん、私のことを、ということだ。
「でも、君はこのまちが好きだから……連れ出す気にはなれなかった」
どういう言い訳なのだろう。それは、恋人に黙って、引っ越しをして、置いていく理由になるだろうか。
「君には、君の生活があるし。慣れないまちで、新しいことばかりのなかで、君を大切にする余裕が、きっと僕にはないだろう。だから」
生唾を飲み込んだ音が、あなたの喉からした
「君がいつか、このまちを去る気になるまで……もしかしたら、僕がまた、このまちを訪ねる日まで。愛していてほしいとは言わないから、待っていてくれないか」
「それは」
あまりにおかしな話だった。自分本位な都合で置いていく人が、いったい何を言っているのだ。けれど、あなたは本気で言っているようで。まるでわがままな、頑是ない子供がそのまま大きくなったかのようで。私はそんなあなたに弱かった、想いが死んでも情は残るのだなと、新しい発見をした気分だった。
結局、私がいつだって折れる側なのだ。
だから私は一つ、提案をした。しっかりと、あなたの目を見つめて。
「それじゃあ、私は、あなたを待つよ。いつかまた会ったらその時に、私たちの未来を考えよう」
あなたが泣いたのは、そのときが最初で最後。泣きながら、ありがとうと繰り返していた。私が、あなたの道行を寿いでいるかのようで、微笑ましいほどだった。
結局のところ、十年経ったいまも。あなたは帰って来ないし、私も、このまちから出ることはなかった。遠い噂で、東京で良い人ができて、だから惜しんで帰省もしないのだと聞いた。
それでもあなたを待っている。愛していなくてもいいから、待っていてほしいと願ったあなたを。永遠に待つ。
いつかその良い人を連れて帰ってきてもいいし、私を迎えに来ても。それでもいい。もしも私たちがまた出逢ったとき、やっと私たちは、お別れをするのだから。
あなたを待った時間が、むなしく、空々しくあって、誰とも寄り添えず、孤独であること。それが私なりの、置いていったあなたへの復讐だった。
あなたの、ごめんなさいが聞きたくて、私は今日も、このまちで呼吸をしている。
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