第19話 奇妙な卵 5
夢の中で最初に見えたものは、真っ白な光だった。それ以外には何もなく、音すら聞こえない状況にある。
僕は今、どこにいるのだろう。そんな疑問を口にしようとした時、聞いたことのある声が耳に入る。
「仁太君、来てくれてありがとうね」
そんな声が聞こえたと同時に、一気に視界が開けた。そして見えたものは、壁から天井に至るまで真っ白な部屋だった。
壁には染み一つ無く、無菌室のような清潔感すら覚える。また、周囲にはカーテンやベッドが並んでいた。どうやら、今は病室の中にいるらしい。
それが分かると同時に、声のした方に視線を向ける。その先には、奥のベッドに横になっている女性の姿があった。
僕は彼女の名を呼ぶ。
「沙耶」
沙耶はにこりと微笑みを浮かべながら、僕を見つめている。そのガラス玉のような美しい瞳には、煌々とした光が讃えられていた。
短く切り揃えられた、栗色の髪。どこか童
女のようなあどけなさを残した、愛らしい表情。雪のように白い肌。
それらを見ている内に、懐かしい気持ちが湧いてくる。また、それと同時に再会できたことへの喜びも覚える。
どうして、僕がここにいるのか。そして、何故沙耶が生き返ったのか。そんなことは、何一つ分からない。ただ僕は、眼前の光景に深い感動を覚えていた。
「沙耶、ようやく会えたんだね」
僕がそう言うと、沙耶は訝しがるような素振りを見せる。そして、何も聞かなかったかのようにこう言うのだった。
「来てくれて嬉しいよ。普段は一人きりだからさ」
「ああ、僕だって会いたかったよ。僕だって、普段は寂しいしさ」
「仁太君は学校に行けるのに?」
「学校行ったって、沙耶に会えなきゃ意味ないよ。友達だって少ないしさ」
「そう」
沙耶はそう言うと、口を閉ざした。そして、少し俯くのだった。
そういえば、沙耶は無口なのだった。必要以上に何か喋るような子ではなく、周囲には静かな時間が流れている。そんな子だったのである。
そして今もまた、病室は静寂に包まれている。十円玉をここに落とせば音が良く鳴り響くような、そんな空間。
他のカップルなら、この静寂に居心地の悪さを感じるだろう。けれど、僕達にとってはむしろ心地良いのだ。この感覚もまた、久し振りに味わった。
ずっとここに居たい。例え、一生ここから出られなくなったとしても──。ふと、そんな思いが頭を過るのだった。
そんな折、ふと気になるものが目に映った。ベッド脇の机の上に、幾つかの本が置かれていたのである。
そういえば、沙耶は読書が好きなのだった。故に、病室には幾つかの本が置かれていたのである。
僕の視線の先に、本があることに気づいたのだろう。ふと、沙耶はこう尋ねるのだった。
「仁太君も本を読むようになったの?」
僕は慌てて首を振る。
「読まないよ。活字を読んでると、麻酔銃を打たれたように眠たくなるんだ」
沙耶はくすくすと笑う。何も可笑しなことを言っていないのに。
「大袈裟だよ」
「大袈裟じゃないよ。本当に眠たくなるんだ。よくあんなの読めるよな」
沙耶は話を聞いてなかったのだろうか。分厚い本を手に持つとこう尋ねるのだった。
「ねぇ、これ読んでみる?」
「嫌がらせか?」
沙耶はそれを聞くと、またもくすくすと笑った。甘く擽ったい声が、僕の耳に入ってくる。
それを聞くと、またしても懐かしい気分になってきた。また、それと同時に何故か切ない気持ちにもなるのだった。
そんな折、ふとあることに気づく。というのも、こんな会話を以前したことがあるのである。
そうだ。沙耶の生前に、正に同じ会話をしていたのだ。つまり、今は当時と同じことを繰り返している訳である。
もしや、僕は過去の世界に戻ったのだろうか。ということは、また沙耶と共に時間を過ごせるのだろうか。そんなことを思うと、微かな希望が胸に灯る。
僕が一人でそんなことを考えていると、沙耶はふとこんな質問を投げ掛ける。
「ねぇ、好きな動物は何?」
あまりにも突拍子のない発言で、僕は驚かせられる。ただ、それもまた以前聞いた疑問だった。
さて、僕は何と答えただろうか。過去を再現する為、当時の答えを思いだす。
「鳥かな」
暫し考えた後、そう答えた。確か、過去にもそう答えたはずである。実際に鳥が好きで、自由に空を飛べることに憧れすら抱いているのだ。
その答えを聞き、沙耶はどう思ったのだろう。それは分からないが、沙耶は何か思案するような表情を見せる。
「分かった。ありがとうね」
「何でそんなこと聞いたんだよ?」
「秘密」
そういえば、以前もその答えを話してくれなかった。そして、今日もまた理由を教えてくれなかった。
一体、どうしてそんなことを隠すのだろう。そもそも、それを聞きどうしようと言うのだろう。予想もつかないが、それ以上詮索する気にはなれなかった。
それから暫くの間、僕達は病室で同じ時間を過ごしていた。その間に交わした会話は、極僅かなものである。
けれど、僕はそれでも良かった。お互い、それ程会話が好きな方でもないからだ。それに、会話等無く共同じ時間を過ごせるだけで幸せだった。
このままずっと、こんな時間が過ぎれば良いのに。僕は沙耶のことを見ている内に、またもそんなことを思うのだった。
そんな幸福な時間を過ごしていた折、不意に視界が揺らいできた。沙耶の顔すら、モザイクがかかったように不明瞭になっていく。そして、間もなく視界に映る全てが見えなくなるのだった。
程なくして視界に入ったのは、部屋の天井だった。どうやら、今まで見ていたのは夢だったらしい。不思議なことに、夢を見ている最中はそれに気づかなかった。
「沙耶」
僕は理由もなく、その名を呟く。そして、どうしようもないような虚無感に襲われた。自分の作った砂の城が風に吹き飛んでしまったような、そんな気分だ。
「こんな気持ちになるなら、楽しい夢なんて見なきゃ良かった」
僕はそんな言葉を呟くと、身体を起こす。そして、憂鬱な朝を迎えるのだった。
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