3章 形代

1

 人任せにしてばかりではいられない。どうにかして、他に翠の命を救う方法を見つけなければ。

 そう決意してすぐに連絡があった。聞き覚えのある若い男の声だった。

「形代が出来たので、以前教えていただいた住所に速達で送りましたよ。超特急で作りました」

 これを幻来山げんらいさんという山を流れる川の上流から流せば、翠にかかった呪いは解けるだろうと彼は言った。天ケ瀬の先祖は嘗てその方法で一人だけ十四の朝を越えたという。しかし喜びもつかの間、やがて産まれた彼の子は重い障害により、すぐに死んでしまった。彼自身も絶望し自ら命を絶ったという。形代を流しても家に伝わる呪い自体は解けなかったのだ。だが今は、最後の呪いの子である翠に効果があれば充分だ。

「天ケ瀬は、形代を使い続けて呪いを回避しようとしなかったんですか」

 ふと浮かんだ疑問を翔は口にしていた。そうすれば、家系自体は呪われていても、それぞれが形代を使って個人の呪いを解けたかもしれない。

「父によるとね、そう簡単に作れる代物じゃないそうですよ」

 電話の向こうの声は、間延びした声で又聞きの説明をする。

「僕はまだ修行中……というか、家業を継ぐかも疑問ですけど、この形代を一つ作るのには相当な力を注ぐ必要があるらしくて。漫画チックですけど、退魔師としての力を根こそぎ奪われてしまうんです。だからそうそう量産できるものではないんですね」

 えっと翔の喉から声が漏れた。

「そんなに負担だったなんて、思わなくて……」

「いいんですいいんです、父も引退を考えていた歳なんで、丁度よかったって言ってます。最後の仕事で誰かの命が助かるならって、満足そうですよ」

 そして彼は、お代はいらないと言った。

「もし気が咎めるなら、後で呪いは解けたって電話の一本もくれればオッケーです。職人の幕引きにはこれ以上ない報酬ですから」

 翔は何度も礼を言い、呪いが解けた暁には必ず連絡をすると言って電話を切った。そして七月三十日の午後、郵便配達員から速達を受け取った。封筒には人形の白い紙が入っており、胴の部分には達筆で翠の名と生年月日が記してある。電話で説明された通り、翠はそれを手にし、腕や胸、そして目元を形代で拭った。

「これでいいのかな」

 あまりにも簡単な方法だ。天ケ瀬を呪う者たちに形代が翠だと思い込ませ、神聖な川に流して浄化する。翔と翠はリビングのテーブルに地図を広げ、幻来山へのルートを模索した。可能な限り、過去と同じ状況を作る必要がある。川を遡れば頂上付近に大きな滝があり、陽が傾く頃にそこから形代を下流へ流す。あと一歩で全てが終わる。

 以前訪れた明昂村からほど近い距離にあり、そう遠い場所ではない。観光客向けのホームページには、麓から滝まで片道三時間と書いてある。翠の体力がないことを鑑みて、一時間は余分に考えておいた方がいい。

「あ、悪い、亜香里さん。明日の夕方、モモに餌やっといて」

 ラックから雑誌を引き抜いてリビングを去ろうとする亜香里に、翔は声を掛けた。彼女はテーブルいっぱいにプリントアウトされた地図が広がっているのに、怪訝な顔をした。

「この暑いのに、今度は山登り?」

 翔や翠に彼女は特に興味を示さず、遊びまわっているとしか認識していない。明日は真夏の山登りに向かうと知った声は呆れていた。

「夏だからいいんじゃん」

「あたしには理解できないわ。遭難だけはしないでよね、迷惑だから」

 これ見よがしに眉を顰め、彼女は部屋を出ていった。彼女があれこれと詮索しないのは幸いだった。自分たちが翠の呪いを解こうと奔走していることを孝雄に知られれば、全力で阻止されるだろう。彼の命があと僅かだと知れば、限界まで誰かを殺させようとするに違いない。

 明日で翠の呪いは終わる。信じられない気持ちで、翔は形代の入った封筒に目をやった。テーブルの隅に鎮座するこれを流せば、翠は何の力も持たない少年になる。

「あと一日だ」

 翔が呟くと、隣で翠もこっくりと首を動かして大きく頷いた。

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