7

「ところで、違っていたら申し訳ないんだけど……」

 当の幸也の声に顔を上げる。彼は言い難そうに続けた。

「翠くん、その目、見えてるよね」

 同時に三人の手が止まった。当然食器の触れ合う音も消え、一瞬の静寂がその場を支配する。

「あの、手探りで……」

 目を布で覆っているのに、前が見えるはずがない。おどおどと翠が返事をしかけるのに、幸也は座敷の壁にかかるホワイトボードを指さした。

「千沙ちゃんが肉じゃがを頼んだ後、すぐにコロッケを注文したよね。誰も声にしてなかったのに。見えてないと、今日のおかずは分からないよ」

 彼の言い分は間違いのない正論で、こちらが完全に油断していた。箸を握ったままどうしようと言いたげにこちらを向く翠に、翔も誤魔化しようがないことを知る。食事や歩行は慣れで押し切れても、書かれた文字を読むことだけは本来不可能だ。

 頭の中で言い訳を目まぐるしく考えることをやめ、その通りだと翔は答えた。千沙が心配そうにこちらの様子をうかがっている。

「不思議だったんだ。どうも目の前が見えているようにしか見えなくて。やっと確信したんだ」

「翠は、その……」

 横目で見やると、翠は小さく頷いた。幸也たちになら、少々話しても構わないだろう。それに百パーセント信じてもらえるとも思えない。

「呪われてるんです」

「呪われてる?」幸也が素っ頓狂な声をあげる。

「先祖代々呪われてる、天ケ瀬家の末裔で。呪いのおかげで、瞼を閉じていても白黒で前が見えるらしいです」

 信じられるわけがない。幸也は一体どう返事をするのか。唖然とする彼の返事を待っていると、佐久間が先に声を発した。

「その目に見られた人間は、死ぬっていう呪いだね」

 今度は翔たちが驚く番だった。千沙までがぎょっとして佐久間を振り返る。彼は座布団に座ったまま、いつも通り温和な表情を崩していなかった。

「何で、それを……」

 翔ははっと口を閉ざしたが、もう遅かった。翠が佐久間のいう呪いの目の持ち主だと認めたのと同義だ。

「界隈では、天ケ瀬家の呪いはちょっと有名なおとぎ話なんだよ。信じてなどいなかったけど、翠くんの様子を実際に見てしまえば、納得せざるを得ない」

 佐久間は笑って顔の横で軽く手を振る。

「大丈夫だよ、だからって追い出そうなんて思っちゃいない。見たところ、翠くんはとても優しい子だ。ここに来る誰かを……だなんて思わないだろう」

 翠が何度も大きく首を縦に振った。ならよし、と佐久間も頷く。

「界隈……って、なんの界隈?」

「大人のね、ビジネスの世界だよ。この会を立ち上げる前、私はいち会社員としてあらゆる会合に出席していた。そこで聞いた不思議な話が、それだったんだ。当然、半信半疑にも満たない、信じちゃいなかった」

 だけど、とこめかみをかいて続ける。

「いま現役の会員の中にも、明昂村の出身者がいるんだ」

「村の……」

 翠が思わずといった風に声を漏らす。昨日三人で訪れたばかりの村の名だ。

「彼女から同じ話を聞いて、ただの妄想話ではないような気がしたんだ。そして、やって来た君の名字を知って、もしかしてとは思っていたんだ。珍しい名字だからね。だけど確証は持てなかった。もし君たちが無関係だった場合、私の正気を疑うだろう」

 それはそうだ。翔も千沙も、翠の不可思議な力を目にしているからこそ、真実だと信じられる。翠に出会わないまま呪いの話など聞いたところで、微塵も信用しないに違いない。

「その人は、天ケ瀬の家を知っているんですか」

 翠がおずおずと口を開く。

「本人は、まるで見てきたような口ぶりだったよ。というのも天ケ瀬家の……翠くんの親御さんをご存じとのことでね」

 翔の横で、彼がはっと息を呑む。彼が殺めてしまった、記憶にない両親。そういえば萩野とは呪いの話ばかりで、彼の親の話はほとんど出てこなかった。そんな余裕もなかったし、釘をさされてしまった今では、こちらから無闇に再訪問するわけにもいかない。

「翠くん……」

 千沙が翠に目を向ける。彼は唇をぎゅっと結んで、戸惑っている。顔を知らないからといって、彼が両親を愛していないはずがない。それでも自分が彼らに及ぼした仕打ちを思えば、複雑な心境になるのは当然だ。

「もしかして、話を聞いてみたいかな。親御さんの」

 佐久間が様子をうかがうように、優しい口調で翠に尋ねた。彼は一度佐久間を見て、千沙を見て、最後に翔を見上げる。翔は彼の背を軽く叩いてやった。大丈夫、という意味を込めて。

「……聞きたいです」

 彼は消え入りそうな声で、確かにそう言った。

「恐いけど、ぼくには知りようがないから……。お母さんとお父さんのこと、知りたいです」

 翔が頷いて佐久間に視線をやると、彼も軽く自分の膝を叩いて「よし」と言った。

「なら、一度おいで。そうだ、折角だから一泊ぐらいしていけばいい」

「いや、流石にそれは……」

「嘗て旅館だった施設を譲り受けててね、会員が共同で暮らしてるんだ。彼女もその一人だから、じっくり話を聞いたらいい」

 せめて数時間顔を合わせることを想像していた翔の口から、咄嗟に辞退の言葉が零れかかる。入ってもいない組織の施設に一泊するのは様々な面で気が引ける。

「大丈夫だよ、不安なら俺も一緒に行くよ」

 幸也の言葉に振り向いた。正直なところ佐久間よりも、歳が近く何度も顔を合わせた彼の方が信頼に足る。

「勧誘なんてしないし……というか、未成年だけの入会は禁止なんだ。ただの旅行って考えでいいよ」

 先ほど完璧だと内心で評した幸也がいてくれるなら、これほど心強いものはない。翠にとっても遠出は気晴らしになるだろう。何より、微かな希望を持って自分と幸也を見比べる翠に、両親の話を聞かせてやりたい。

 それならばと翔は幸也と佐久間に承諾した。ありがとうと、翠がほっとした顔を見せた。

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