6

 体力のない翠はすっかり疲れ果ててしまい、帰路では列車のシートにもたれて眠ってしまった。千沙も頻りに目を擦り、緊張が解けたせいか翔も欠伸を繰り返した。

 翌日の夕刻に、翔のスマートフォンが鳴った。こちらから連絡しないことを条件に、萩野が連絡先を教えてくれていた。何度も礼を言った後、翔は続けて電話をかける。過去に、天ケ瀬家に依頼されて形代を作った家だ。

 電話に出たのも、嘗て形代を作成した者の子孫だった。一から説明しようとする翔に、萩野から既に話は聞いていると言った。

「うちの父なら作れると言っていますが、お時間かかってしまいますよ。構いませんか」

 若い男の声は翔の質問に、一ヶ月くらいかなと答えた。

「お願いします、もう少しだけ早くできませんか」

「それはね……父によると手順があるらしいんです。今すぐにというのは難しいそうで」

「でも、一ヶ月かかったら意味がないんです」

「聞いてます聞いてます、何でも、命がかかってるんでしょう」

 どことなく間延びした口調に翔は不安を駆られたが、頼み込むしか方法はない。彼の父親という人物が無理を押してくれるのを祈るだけだ。

「父には超特急でって伝えてあるんで。住所と電話番号、教えてください。出来たら届けます」

 翔は自分の電話番号と家の住所を伝えた。繰り返して確認すると、電話はあっさりと切れた。

 傍らで不安げに話を聞いていた翠と、千沙の待つ食堂に行くことにした。今はもう、これ以上できることはない。

「翔くんは、どうしてここまでしてくれるの」

「あ? 俺は別に何もしてねえだろ」

 道中、手を繋いだ翠は、翔の言葉に首を振る。

「こんなに味方をしてくれるのは、翔くんと千沙ちゃんが初めてです。そのうえ、村の場所まで探して連れて行ってくれるなんて」

 嫌味もなく不思議そうな翠の言葉に、翔自身が首をひねる。最初は確かに、彼を気味の悪い存在だと思っていたはずだ。なのに二ヶ月足らずで、自分はここまで真剣になっている。

「俺にもよく分からねえな」

 考えた末の結論は、そんなまとまりのない言葉だった。

「強いて言えば、そうしたくなったってとこかな」

 根拠はわからないが、翠のためだけでなく、自分の望む行動である気もする。翠も戸惑った風に首を傾げた。

 食堂につくと、既にカウンターに座っていた千沙が「いらっしゃいませー」と手を振る。まるでスタッフとして馴染んでいる彼女の横に座った。今日は時間が遅いせいか、まだ陽は明るいのに他の子どもの姿はない。

「ラストオーダーの時間だよ。何にする」

「私、肉じゃが!」

 カウンターを挟んだ幸也に、待っていてくれた千沙が返事をし、早く早くと急かすように二人を見る。

「ぼくは、コロッケ……」

「俺も同じのでお願いします」

 壁にかかったホワイトボードによると、メニューは肉じゃが定食かコロッケ定食だった。「オッケー」と、彼はそのまま調理にかかる。幸也はかなりの頻度で食堂にいるが、他のスタッフの顔ぶれはまちまちだった。今日は、芽佑会の会員である主婦と二人だけのようだ。

 長い暖簾をくぐり、奥から佐久間がひょっこりと姿を現した。暖簾の向こうには、事務的なスペースや二階への階段があるのだろう。

「あ、おじさん、こんにちは」

 千沙が笑って挨拶をし、二人もぺこりと頭を下げる。佐久間は翔と翠のことを覚えていて、「いらっしゃい」と返事をして座敷に上がった。翔は既に、千沙の笑顔が佐久間に対する時だけ、ほんの僅かに強張ることを知っていた。芽佑会は母親が今も昔も傾倒し、生活を苦しめる原因だ。その会長である男に純粋な笑顔を向けるのはあまりに困難だった。だから翔は佐久間に恨みがなくとも、彼がいる時の千沙の心境を思うといたたまれなくなる。

 座卓にノートパソコンを広げ、作業をしながら近況を尋ねてくる。コミュニケーションのつもりだろうが、作業なら奥でやっててくれと返事をしながら思ってしまう。

「翔くんは、この時間になって怒られたりしないかい。高校生だから、そんなことないか」

「別に、誰も気にしませんよ。親父は仕事人間だし、うちには母親いないし」

 千沙まで目を見張り、場が一気にしんとする。しまったと思った。隠すことではないが、もう少し言い方があったはずだ。

「そうなの。知らなかった」

「いやまあ、隠してたわけじゃないけど。事故で亡くなって」

「それなら、どんどん利用してくれたらいいよ。千沙ちゃんにも会えるしね」

 千沙が分かりやすく頬を膨らませて、はははと笑う佐久間をじとりと睨む。同時に、「出来たよ」と幸也から声がかかるのに救われた。盆の上には白飯に梅干し、豚汁とだし巻き卵。そして選んだおかずが並んでいる。相変わらず美味しそうだ。

 いただきますと手を合わせ、各々箸を取る。早速肉じゃがを口に運んだ千沙が、「おいしー」と幸せな声をあげた。

 箸でそっとコロッケを挟む。ほかほかと白い湯気を立て、衣のサクサク具合が箸からも手に伝わる。噛むと肉汁が滴った。コロッケは幸也が揚げているのが見えた。格好良くて気遣いができて、おまけに料理まで完璧にこなす。コロッケの味に浸ると同時に、千沙の心が揺るがないか不安になる。何もないという彼女の台詞を信じるしかないが、彼に惚れない女性がいるのだろうかとも思ってしまう。

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