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「なくはないが、これも確実とはいえん。何より、間に合わんかもしれん。……おまえ、生まれは夏やったよな」
「はい」翠はきちんと正座をしたまま、「八月六日です」と答えた。その台詞にまたも翔は絶望的な気分になる。そうだ、翠の誕生日を知らなかった。今日は既に七月九日。あと一ヶ月もない。
「一人だけ、天ケ瀬の長男で生き残った者がおった。それは、
「かたしろ……って、なんですか」
「呪いっちゅうのは、遥か昔から存在するもんや。それに対抗して、人はあらゆるものにその呪いを移して難を逃れようとした。
千沙に返事をして説明をする萩野に、翔はなんとなくと頷いた。アニメか漫画で見たような気もするし、実際に神社で目にしたかもしれない。視線を向けると千沙もこくんと首を動かした。
「簡単にいえば、身代わりやな。これで身体を拭って穢れを移し、川に流したり四ツ辻に埋めたりする。実際に形代を使って、十四の朝を越えた一人がおった。そんでも呪い自体は次代に受け継がれて、本人も結局は自死したらしいがな」
「でも、最後の呪いっていうなら、翠には効果がある」
希望を持ちかけた翔に、早まるなと萩野は手をかざした。
「そん時と同じ形代は、よほど強い力を持った者にしか作れん。ひと月の内に完成して、当時と同じ場所で処理できる時間があるかは分からん」
これだけは翔たちの努力ではどうにもできない。だが、諦めるにはまだ早すぎる。このままぼうっと過ごしていれば、翠はひと月も経たずに死んでしまうのだ。
「その人の連絡先って、分かりますか」
「わしにそこまでしろと言うんか?」
眉間にも額にも皺を寄せる萩野に、翔も千沙も懇願する。
「お願いします。それしか方法がないんです」
彼自身も、大事な身内を翠の力で亡くしてきた。翠の意志ではなかったとはいえ、恨むには値するが救い立てする義理はない。だがここで糸が切れてしまえば、あとは翠に人殺しをさせるしか生き延びる方法はなくなってしまう。彼は絶対に、その道を選ばない。
「おい、他人に頭下げさせて、いいご身分やな」
背を伸ばして座ったままの翠に、萩野が吐き捨てるように言った。彼は翔と千沙の間で、ただじっと話を聞いている。嫌味な言葉に、伏せ気味の視線をようやく上げた。
「わからないのです」
鼓膜をすり抜けるような、静かで透明な声だった。
「ぼくに、そこまでの価値があるのか。そこまでして生き延びるべきなのか、わからないのです」
「馬鹿、おまえ……この馬鹿!」
咄嗟に下手な罵倒をする翔に、翠はほんの僅かに頬を緩めた。だがその笑みもすぐに消し、モノクロの視線で萩野を見つめる。
「ぼくは、生きていていいんでしょうか」
「偉そうなこと言いよって……親さえ死なせたっちゅうのに」
「何度死のうと思ったことかわかりません。けれどその度に、ぼくはぼくのやるべきことを済ませていないと思ったのです。自ら死ぬのは、呪いから逃げること。逃げてしまえば、天ケ瀬に殺された人々の恨みは、どうなるんでしょうか」
まるで子どもの外見で発する台詞は、重く心に沈む。彼の運命をもって、自死を考えないはずがない。だが彼は、今日まで確かに生きてきた。
「この十三年、呪いへの責任感で生きてきました。そのつもりでした。……でも、翔くんと千沙ちゃんがいてくれて、ぼくは本当は、ただ死にたくないことに気が付きました」
彼の声の震えに気付く。もしも目隠しがなければ、彼はいま涙を頬に零しているのかもしれない。
「死ぬのが怖い。生きていたい。生きて、色のついた綺麗な景色を見てみたい。生きていれば、いつか願いが叶うかもしれない。ずっとそう思っていたんだって、気付いたんです」
翠は両手をついた畳に、額を押し付けた。
「どうか、一度だけ……一度だけ、我儘をお許しください」
誰も何も言わなかった。翠はずっと、頭を下げたままでいた。
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