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 街では屋敷とも呼べる広さの家だったが、この村で見かける家々はどれも同程度の大きさを持っていた。土地が有り余っているうえに、先祖代々の家を受け継いでいるのだという。古いが手入れは行き届いていて、涼しい風が縁側から家の奥へと抜けていく。

「おまえら、ちょっと外で遊んで来い。ついでに畑に水まいといてくれ」

 座敷で寝転がって携帯ゲーム機で遊んでいた少年たちは、突然の来客に驚きながら、渋々腰を上げた。日に焼けた健康そうな二人は、ゲーム機を掴んだままサンダルをつっかけ、自転車にまたがって庭を出ていく。外の犬小屋に繋がれている雑種犬がわんわんと吠えた。年長の少年は翔や千沙と同年代に見えた。少なくとも翔には、彼らに何らかの病気や障害が隠れているようには見えなかった。

「うちの坊主どもには、呪いはかかっとらん」

 彼の考えを見抜いたように、座卓の前に腰を下ろした萩野が言った。彼の妻が気を利かせ、人数分の麦茶を出してくれる。呪いについては、きっと子どもたちには秘密の話なのだ。

「二百年の長きにわたり呪ってやる。血反吐はきながら、そう言い残した村人がおったという話を、わしも親父から聞いた。その村人が死んだ途端、天ケ瀬は自分らの仕打ちを見逃していた上の人間に裏切られ、あっという間に没落した。それでも村八分にされんかったんは、天ケ瀬にかけられた呪いの力を周りが認識したからやろな。石を投げすぎて、今度は自分らが天ケ瀬に呪われたらかなわん」

「もしかして、今がその二百年にあたるってことですか」

 翠を挟んで右側に正座している千沙が言った。三人の背後の縁側から差し込んだ陽光が、青い畳を照らしている。

「それが、最後の呪いや」萩野が顔をしかめて翠に顎をしゃくった。「ちょうど二百年目にあたる。やから、わしの子には呪いは届かんかったんやろ。兄貴は他に子どもを作れんかったし」

 翠は最後の呪いの子。天ケ瀬を呪った人間は、二百年目にとっておきの呪いを彼の目にかけたのだろうか。

「それで、さっき言ってた十四で死ぬっていうのは……」

 翔は口を開きながら、隣りの翠の様子をちらりと横目で見た。彼は委縮したように細い肩を強張らせ、じっと座っている。

「誰もが十四を迎えた夜明けに死ぬ。勝手に心臓が止まるんやから、周りにもどうにもできん。大人になれずに死ぬっていう呪いやな」

「それは……もしかして、翠も」

 萩野の言葉に、翔の声は掠れた。絶句する身体から無理やり絞り出したのが、乾いたそれだった。彼は既に十三だ。これまで通りなら、一年もおかずに死を迎えることになる。

「……仕方ないです」

 返事をしたのは萩野ではなく、当の翠だった。彼は正座の膝においたを両手をぎゅっと握りしめたまま、隠した瞳を座卓の天板に伏せて呟いた。

「これで、全部終わるのなら。仕方がないです」

「んなわけあるか! 馬鹿!」

 諦めきった翠の肩を右手で掴み、怒鳴りつける。そして気が付いた。翠の身体は微かに震えていた。

「ぼくが今までしてきたことだから。ぼくの心臓が止められるのは、自業自得なんです」

 彼は今まで、見知らぬ相手の心臓を止めてきた。その目で見るだけで、死に至る罪のない人間を幾人も死なせてきた。けれど、それは彼の意志ではない。力を利用されてきただけだ。そうしなければ彼自身が生きられなかったのだ。

「自業自得とか、そんなわけないだろ」

 翠は確かに怯えている。直に迫る自身の死を恐れ、震えている。それでも受け入れようと言い張るのは、罪悪感と諦めがあるからだ。この呪いが解けるはずなどないという。

「何か、方法はご存じないですか。ヒントだけでもいいんです」

 千沙が泣きそうな顔で萩野に訴える。

「先祖の呪いなんて、今の翠くんに関係ないのに。こんなのひど過ぎる」

「関係ないわけないわ。血筋いうんはそういうもんや」

「そんな……!」言いかけて、翔は口を閉ざした。萩野自身も、呪いのかかった心臓を持っているのだ。彼に同意を求めるのは間違っている。けれど、何もできずに指を咥えたまま、翠が死ぬのを見ているだけだなんて。

 萩野の渋面に絶望を呼び起こされながらも、翔と千沙は食い下がった。翠は何も言えない。諦めなければ、この運命はあまりに辛すぎる。確かに怯えて震えながらも、ただその時を待とうと耐えている。

「……確実やない。失敗したといって、責められたらかなわん」

 重たく這うような言葉が引き出され、翔たちは顔を合わせた。「確実じゃなくていいんです、試させてください」身を乗り出して訴えると、萩野は深くため息を吐いた。

「昔と今で、身体に変化はないか」

 それは翠に向けられた台詞だった。「変化?」と翠が顔を上げ、萩野が右手で乱暴に自分の頭をがしがしとかく。

「多少なりとも、わしにも霊感ちゅうもんがあるんや」

 霊感とは信じるには怪しい単語だったが、今さら疑う余地はこの場にない。

「おまえは三つになるまで、俺の兄貴……父親が一人で細々と育てとった。誰も気味悪うて近づかんかったからな。目が一思いに潰されんかったんは、万が一に呪いを被るんを誰もが恐れたからや。それでも近づくんは、この力を欲しがる輩だけやったが、兄貴は頑として譲らんかった。けども、三年目でうっかり目を見て死んじまった」

 保護者を失った翠は、それから村を出ることになる。他人の死を願う浅ましい人間の元に連れられ、これまでなんとか生きてきた。

「一度だけ、わしは赤ん坊のおまえを見た。今みたいに目を隠して、縁側で遊んどった。その姿が、わしには恐ろしくて堪らんかった」

 一拍おいて三人を見据え、その時を思い出したのか僅かに腕をさすりながら彼は続けた。

「おぞましいもんの塊やった。負の念ゆうのか、恨みつらみが凝縮した煙みたいなもんが、赤ん坊の背中に覆いかぶさっとった。気軽に近づいてええもんやないと、わしは確信した」

「それなら、萩野さんは今も、翠くんがそう見えてるんですか」

「いや」千沙の不安げな声に、彼は首を振る。「今はほとんど見えん。薄れてきとる。……これが完全に消えれば、呪いは解けるんかもしれん。そして呪いが薄まるっちゅうことは、呪いの力を使ってきたってことや」

 唾を呑み込んだ翠の喉が微かに動く。翔にも理解が及んできた。

「なら、あと何人か……」しかし翔にも、人を殺せば、という台詞は言えなかった。

「……覚えはあります」

 翠は静かに立ち上がり、三人に背を向けて再び膝を折る。何をするのかと思いきや、彼は自分のシャツの袖から腕を引き、裾をまくりあげた。服を脱いでいるのだと気付き、慌てて止めようとする。

 翔は、その手を中途半端に止めた。千沙は息を呑んでいる。小さな背中に走る、獣の爪で引き裂かれたような白く鋭い傷痕。以前、浴室から出た彼の背を見た時に、翔も驚愕した。ただ、あれ、と思った。二度目だからか、前よりも酷い印象を受けない。

「以前は、もっとひどい傷でした」

 そうだ、傷痕が減っている。

「……その目の力を使えば、一人成仏するのかもな」

 萩野の低い声。翠の背に走る傷は、嘗て天ケ瀬に殺された村人たちの怨念の証。一人ずつ、末裔である翠の背中を引き裂き、彼が呪いの目を使って罪を負う度に一人成仏していく。呪いの力を周囲に疎まれつつ、他人を死に至らしめなければ生き永らえない。これが彼にかけられた呪縛の正体だった。

「あと、四人殺せば……ってことやな」

 翠の背に残るのは、四本の傷痕。十四歳になる明け方までにあと四人の命を奪えば、彼は呪いから解放されるのかもしれない。

「いや、そんな……そんな、他に方法ってないんですか」

 あまりに絶望的な条件に、翔は食って掛かるように座卓に身を乗り出した。千沙が優しく声を掛けて、翠にシャツを着るよう促している。翠はこれ以上人を死なせたくないから、呪いを解きたいのだ。本末転倒もいいところだった。

「確実な方法がこれや。まあ呪いが解ける一番は、十四になって死ぬことやろな」

「それじゃあ意味がないんだ!」

「翔、落ち着いてよ」

 思わずかっとなった翔の裾を千沙が軽く引っ張る。彼女は動揺しているが、翔よりはるかに冷静だ。ごめんと呟いて座り直した。

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