3
突然訪れた疫病神を萩野という人物に押し付けたのは、目に見えて明らかだった。多少の不満はあるが、仕方ない。繋がりのある人を呼び出してくれたことに感謝すべきだ。
それでも憮然とした顔は隠しきれなかった。建物から出て、グラウンドの隅で翔は足元の小石を軽く蹴飛ばす。隣りでは、千沙が翠に暑くはないかと心配の声をかけている。
やがて、一人の男が門の向こうからやって来た。四十を迎えた頃の彼は、ベージュのスラックスを身につけ、白いシャツの袖をまくって額の汗を拭っている。こざっぱりした印象だが、眉間に深く皺を刻んだ訝しげな表情で、こちらの姿を捉えた。
彼が萩野という人物に違いない。翔が軽く会釈をすると、近づく彼はそれよりも翠の様相に目を見張った。まさか、という形を唇がなぞる。
「本当に、戻ってきたんか」
挨拶もなく、三人の前に立つ彼は厳しい表情を見せる。翠は黙ったままお辞儀をした。
「何しに戻ってきた」
「俺たち、翠の呪いを解いてやりたくて来ました。呪いについて調べれば、解く方法も分かるかもしれないと思って」
翔は手短に、翠が今は自分の家に引き取られていることと、横にいる千沙は自分たちの友人であることを説明した。
「荻野さんは、翠の親戚の方ですよね。婿養子に入ったとか」
先ほど役所の職員が口にした言葉から、彼は天ケ瀬家から他家に婿養子に入ったのだと察せられた。
翔の言葉に、萩野はちっと舌打ちを零した。
「役所の人間やというのに、お喋りめが」
「お忙しいところ、本当にごめんなさい。少しでも、翠くんの呪いについて教えてほしいんです。私たち、どうしても呪いを解いてあげたいんです」
千沙が頭を下げる。それに倣い、翠と翔も頭を下げた。
「……これ以上、役所に迷惑はかけられん」
忌々しそうに呟くと、萩野は一度建物に入り、すぐに出てきた。
「今さら戻ってきおって。ようやく縁が切れたと思っとったのに」
ごめんなさいと翠が謝罪した。しかし萩野は彼を一瞥し、吐き捨てる。
「おまえのせいで、わしの兄貴もその嫁さんも、何人もが死んだ。覚えてないからっちゅうんは、何の免罪符にもならん。おまえが子どもの姿をしてなけりゃ、蹴っ飛ばしてやりたいわ」
為す術もなく謝罪を繰り返す翠が不憫だが、萩野の言葉に翔はぴんとくる。
「もしかして、萩野さんは翠の父親の弟さんってことですか」
返事をする代わりに、萩野はついてこいと言わんばかりに片手を軽く振って歩き出した。三人は慌てて彼の後に続いて役所を後にする。
「兄貴に子どもが生まれるんは知っとったが、わしは萩野の家に婿養子に入ったとこやって、これが生まれる場には居合わせておらんかった。それが幸いやった」
翠は生まれてすぐに、母親と産婆を死に至らしめている。その目の力は、生まれるまで誰にも予期できなかったということだ。
「おまえら、この呪いについてどこまで知っとる」
翔たちには、答えられることはほとんどなかった。翠の目に映った人間の心臓は止まる。彼は瞼を閉じていてもモノクロで世界が見えている。そして、彼の先祖が他人に対して惨い仕打ちを行ったことが、二百年の呪いの元凶であるということ。
萩野は前を向いたまま一つ頷いた。
「天ケ瀬の家は、村の庄屋やった。庄屋は分かるか」
「村の偉い人ですよね。年貢の取り立てとか、村の政治を担う責任者」
千沙の回答に、萩野はもう一度首を縦に振る。
「大きな家やったらしい。同時に権力を笠に着た、傍若無人な家やった。自分らより上の者には媚びを売り根を回し、反対に気に入らない村人はとことん虐めぬいた」
明るい陽射しと青い田畑の活き活きした光景には似合わないため息を漏らす。
「難癖をつけて、村の人間にひどい虐待を繰り返した。一代のことやない、そのやり方を代々受け継いでな。大勢が苦しみぬいて、天ケ瀬のために死んでいった。村人を地下に閉じ込めて、口では言えんような惨い仕打ちを延々と繰り返したんや」
「どうして、そんなこと……」
翠の声が震える。そんな残酷な一族が彼の先祖だとは、よほど想像がつかない。
「単純にいえば、弱い者いじめが好きやったんやな。自分たちに許しを請う人間の姿を見るのが、何よりの喜びやったらしい。そんな親に育てられた子も、またその習慣を繰り返した。何とも恐ろしい家系や」
萩野は、すっかり意気消沈する翠を、横目でじろりと睨みつけた。
「やから、死んでいった人間に呪われるんは、当たり前やったんや」
「でもそれなら、どうして……萩野さんは、呪われてるわけじゃないですよね」
婿養子に入ったとはいえ、彼にも天ケ瀬の血が流れているに違いない。だが彼が呪われている様子は、翔には微塵も感じられない。
しかし彼は、自分の胸をこぶしで軽く叩いた。正確には、中央よりも少し左側を。
「ガキん頃から、もう十回は手術を繰り返しとる」
「もしかして、心臓が……?」千沙が息を呑んだ。
「天ケ瀬の呪いを一番に受けるんは、家の長男や。家を継ぐべき一人目は確実に男が産まれる。そして弟妹は病気や障害を持って産まれる。わしがこの年まで生きてこれたんは、天ケ瀬にとって珍しいことや」
翠の父親の弟である萩野自身も、心臓を患うという呪いを受けて誕生したのだ。二百年を経る呪いに、改めて強い執着と、天ケ瀬がどれほど惨い仕打ちを他人に施したのかがうかがえる。
「じゃあ、一人目に生まれる長男はどんな呪いを受けるんですか。翠みたいな……翠の目のような呪いじゃなかったんでしょ」
それが分かっていれば、きっと産婆や母親が出産と共に命を失うことにはならなかった。つまり、これまでとは違う呪いの形だったのだ。
「長男は病弱なもんが多かったが、それ以上の呪いを受けてきた」
歩調を緩めないまま、萩野はじとりと翠を見据えた。緊張した面持ちの彼に、ぼそりと告げる。
「誰もが、十四の歳に死んでしまうからや」
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