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神社を出て石段を下り、三人は真っ直ぐ伸びる土の道を歩いた。ようやく二、三人の村人とすれ違うが、誰もが不審がる様子を隠そうともせず、じろじろとこちらに視線を向ける。目を覆っている翠の手を強く握ると、彼もぴたりと身体を寄せた。翔と千沙で彼を隠すようにして歩く。
彼はこの村で、生まれた時から人を死なせた。母親と産婆、亡くなったのはその二人だけではないはずだ。忌み嫌われていたとしても当然だ。
だが翠が村について知らないように、この村の人間も今の翠の姿を知っているはずがない。自分たちから説明さえしなければ、すれ違った村人が、この少年が呪いの目を持つ天ケ瀬翠であると気付くわけがない。末裔の翠が村を出たのだから、もしかすると呪いの話すら浸透していない可能性だってある。
それでも自分たちを怪しむ視線にはいたたまれなかった。役場に行けば、天ケ瀬家の親類、もしくは事情を知る誰かを見つけるヒントを得られるかもしれない。そんな一縷の望みをかけ、三人は身を寄せ合って初夏の道を役場へと急いだ。
左右に長い、二階建ての建物が村役場だった。歴史の教科書で見た、昔の学校の校舎にそっくりだ。きっと廃校を使っているのだろう。門には「明昂村役場」と書かれた木札がかかり、手前のグラウンドには数台の車や自転車が停めてあった。
「いいか、行くぞ」
翔の言葉に、翠は神妙な面持ちで頷いた。
木の扉は、片手で押すと意外にもすっと内側へ開いた。正面はロビーになっていて、幾つかの長椅子と、書類を書くためのテーブルが備えてある。隣りの教室との壁を取り払ったのだろう。左手側の広い空間では数名の職員が、それぞれの机や接客用のカウンターで作業をしていた。
冷房は入っておらず、隅で扇風機が首を振っている。ねじ式の窓の鍵を、翔たちは初めて目にした。窓の外から涼しい風が吹き、あまり暑さは感じない。
「どうしました」
カウンターに座っていた壮年の男が、自分の眼鏡をくいと押し上げた。三十代半ばほどの小太りの彼は、驚いた視線を三人に注ぐ。その言葉には、少々の訛りがあった。
「人を探しに来ました」
「人? 誰かいなくなったの」
異様に砕けた喋り方は田舎だからか、それとも彼特有のものなのか。しかし温和そうな顔つきのおかげでさほど嫌な気にはならない。
カウンターに近づき、翔と千沙は一人分距離を開けて、背に隠していた翠の姿を見せた。左手を翔の右手に繋いだまま、彼はおずおずと顔をあげる。様子をうかがっていた他の職員たちが、驚きに目を見張る。何の用かと不思議がっているのが肌で感じられた。
「この村に、天ケ瀬って名字の人、住んでますか」
「天ケ瀬?」
正面の男は不思議そうにその名前を繰り返す。彼は記憶にないようだが、慌てて近寄る女性の職員が、「ほら」と彼に小声で囁いた。
「あの、
「あ、そうだったんですね」
「それに前言ったやない、呪いで絶えたあのお家」
男は女性職員の言葉にぽかんと小さく口を開け、翠に視線を移し、再び彼女に目を戻す。
「え、あれって、冗談だったんじゃ」
「冗談じゃないわよ。あなた、信じてなかったんやね」
「いや、あんな話、信じろっていう方が……」
続く言葉に返事をせず、彼より一回りほど年上の彼女は、「天ケ瀬という名の住民は、この村にはおりません」とすげなく言い放った。
だが彼女は、確かに呪いのことを知っている。周囲の職員も小声で言葉を交わし、驚愕の目を三人に注ぐ。
「過去にはいたってことですよね」
「ええ。けれど、もう十年も前のことよ。家はとっくに廃屋になってるわ。……まさか、その子」
高い悲鳴が奥の席から上がった。一人の女性職員が席を立ち、奥の壁際へ逃げていく。慌てて周囲が彼女を宥め、怖々とこちらの様子をうかがっている。
そうだ、彼らは知っている。翠の呪いの目が、見るだけで人を死なせる力を持っていることを。
正面の女性は毅然とした態度を保っているが、引きつった表情には動揺が明らかだった。ぽかんとしていた小太りの職員も、無意識のうちに椅子ごと後ろに下がっている。
「翠くんは何もしません。ただ、呪いの話について聞きに来ただけです」
彼らの怯えた様子に、千沙が眉間に皺を寄せて言った。だが「呪い」という言葉は、却って彼らの恐怖を助長した。今さらどうして、という台詞を誰かが囁くのが聞こえた。
「今すぐ、お引き取りください」
「違うんです、俺らは、翠の呪いについて知りたくて来たんです。もしかしたら、呪いを解く方法があるかもしれないと思って」
「いいから、さっさと帰って」
「知ってることだけでいいから、教えてください。何でもいいから」
翔と千沙が食い下がる。決して歓迎されないことは理解していたし、彼らの恐怖も当然だ。そして現在の反応は、彼らの翠の呪いに関する知識から出た行動だ。自分たちより呪いに関する情報を持っている可能性は高い。
「おねがいします」
帰れと嫌だの押し問答を見かねて、翠が深く頭を下げた。
「ぼくは絶対に、あなたたちを見ません。この村の誰も、決して見ません。どうか信じてください」
彼の決して大きくない声に、その場は水を打ったようにしんと静まり返った。彼はじっと頭を下げたままでいる。
「……萩野さんの連絡先、分かるよな」
役場の奥に座っていた、一段役職の高そうな老齢の男が波紋を立てた。一斉に振り向く職員たちの一人が、開いたままのノートパソコンに向かった。
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