13
ゲームセンターの前では溢れる大音響に怯えていたので、翔は翠を本屋に連れて行った。彼は街のあらゆる店に興味を持って、頻りに周囲を見渡して歩いた。手を繋いでいなければ、あっという間に躓いてしまいそうに危なっかしい。今まで殺す相手の顔だけを目指して外を歩いていた翠には、これまでただの背景だった街の景色が新鮮に見えるのだ。
「わあ、すごい。たくさん本がある」
小ぢんまりした書店の入口で、翠は驚嘆の台詞を口にした。左右の壁に本棚が設えられ、通路の中央にも手前から奥に向かって本棚が列を作っている。
「本屋とか図書館、行ったことないのか」
翔の問いかけに、彼はふるふると首を振った。彼の数少ない持ち物である数冊の本は、これまでの主人一家が捨てようとした古本を譲ってもらったものだという。その本がなければ、自分は読み書きすらも危うかっただろうと彼は言った。
「一冊、買ってやるよ。好きな本」
「ほんとに?」
自分より背の高い本棚を見上げていた翠は、驚いて翔に目を移した。
「いいよ。小説でも漫画でも。何がいい」
彼は心底嬉しそうに顔を綻ばせ、再び本棚に顔を戻す。翔は小遣いは充分に貰っていたが、普段は使い過ぎないよう気を付けている。金持ちだからと嫌味と共に僻まれたことは幾度とあり、その度に不快な思いをしてきた。同時に、友人と上手く付き合うためには、近しい金銭感覚が必要であるとも学んだ。そのおかげで、現在の友人関係は比較的上手くいっている。
だが、翠の前でそんな気を遣う必要もなければ、金はこういう時に使うものだ。困ることのないよう、今日は財布に多めに金を入れてきた。
翠は棚の端から端まで歩き、どうしようと何度も呟いて吟味している。それは構わないのだが、翔は目隠しをした彼が本の背表紙を読む姿を怪しまれないか、多少緊張する。
「ごめんなさい、翔くん、疲れましたか」
「いや、そんなことない。絶対、俺の方が体力あるし」
ふと心配そうに振り向く翠に応える。
「選べないんなら、一冊じゃなくてもいいよ」
慌てて翠は首を横に振り、やがて決意したように本棚から本を抜き取った。
「動物図鑑?」
「はい。……これ、大丈夫ですか。高くないですか?」
自分で金を持たない翠には、その価格帯がどれほどのものか、ぴんと来ないのだろう。三千円は安くはないが、翔は図鑑を受け取った。専門書というよりは子ども向けの図鑑で、表紙にはライオンやパンダの写真が載っている。そういえば、自分も昔こんな本を持っていた。
「いいよ。俺が使ってる参考書より全然安い」
ほっとした風の翠を連れて会計を済ませ、本屋のロゴが入った紙袋を手渡す。彼は図鑑の入った袋を大事そうに胸に抱いて、ありがとうと何度も繰り返した。
三十分はゆうに経過していた。七月の陽はまだ地上を照らしているが、うっすらとした夜が空をゆっくりと染め始めている。少し歩いて、普段はクラスメイトと訪れるファミレスに向かった。
中は学生や家族連れで賑わっていたが、ざっと見渡して見知った顔はなかった。喧騒に緊張気味の翠と、二人掛けのボックス席に案内される。ウェイトレスが水の入ったコップとおしぼりを運んでくれた。
「ほら、何がいい」
仕組みを理解できていない彼に、メニューを開いて見せてやる。
「ハンバーグでもカレーでも。食いたいもん選んでいいよ」
「この中の、どれでも売ってるんですか」
翠は子ども食堂の二択以上を与えられて至極びっくりしている。品数が多いことで名を売っているチェーン店だが、流石にこの反応は新鮮だ。
「作る人、大変ですね」
「たくさんいるんだろ。多分」
しかし彼は、選択肢が多すぎてすぐに選ぶことができない。本屋のようにパラパラと頁をめくって味見できるわけもなく、結局翔と同じものを頼んだ。
やがて運ばれてきたハンバーグを、翠は目を丸くして見つめる。小判型のハンバーグが黒い鉄板の上でじゅうじゅうと焼け、皿に盛られたライスが並ぶ。これまで数度食べたハンバーグは、こんなに熱を持っていなかったと感動している。
翔がナイフとフォークの使い方を教え、二人は出来たてのハンバーグを口に運んだ。噛むと共に口の中に肉汁が溢れ、柔らかなライスに程よく絡む。ファミレスの中でも、流石はハンバーグで名を馳せた店だ。空きっ腹がみるみる満ちるのを感じる。
こんなの始めてと感嘆しながら、翠は小さな口で一生懸命に食べている。ライスと共に咀嚼することを教えると、その口にめいっぱい詰め込んで、まるでリスのようになっている。思わず翔が笑うと、彼はきょとんとして彼を見上げた。
「ハンバーグ食ったことないって、すげえな」
「あの、電子レンジでチンするのは、食べたことがあります」
全力で食事をこなし、ようやくひと息ついた。翔が自分の唇の端に触れて教えてやると、翠は口についたハンバーグのソースを指先で拭い、お手拭きでそっと拭った。
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