12
自分が察した違和感は、やはり間違いではなかったのだと知った。
眠い目を擦りつつ、ベッドの中でスマートフォンを流し見していた翔は目を見張った。所有者の検索履歴や所在地から、AIがベストな記事を一覧にしてくれている。その中のローカル記事に触れた途端、全てを理解した。
昨日の十五時頃、地元の住人が路地で倒れている男性を発見。外傷はなく、死因は心臓麻痺による突然死と思われる。亡くなった
自分が帰宅したのが十六時過ぎ。それまでに家に帰り、彼は何食わぬ顔を貫こうとしていたに違いない。
「マジかよ……」
翠は昨日、呪いの力で人を殺した。孝雄の命令で、仕事の邪魔になる人間の顔をその目に映し、死に至らしめた。その事実を翔に悟られまいと、普段通りを演じていたのが昨日の夕方以降の翠だったのだ。しかし演技に誤魔化されるには、翔は既にいくらか彼に慣れていた。疑問を抱きつつ、気のせいだと片付けたのが悔やまれるが、かといって何が出来たというわけでもない。
ベッドを出て制服に着替え、足早に階下へ降りる。顔を洗って廊下に出ると、玄関扉の開閉音が聞こえた。
「
玄関に駆け寄り、父の部下に声を掛ける。四十過ぎの足立は、父親にとって側近とも呼べる位置の人間だ。通常業務はもちろん、接待でのゴルフや遠方への出張も共にする。孝雄とは反対の細身で、翔と同じぐらいの背丈の男だ。媚びるどころか滅多に表情を変えず、淡々と仕事に取り組む姿勢が、孝雄に評価されている。最初は、あの父親に付き添うメンタルの強さを翔は感じていたが、ただ真面目一辺倒の仕事人間だと最近になって気が付いた。
「翔くん、朝からどうされました」
遥かに年上の男から敬語を使われる違和感にはむずむずするが、父親の部下だから仕方ない。翔は廊下を振り返り、孝雄の姿がないことを確かめた。
「昨日の午後に死んだ人、親父が翠に命令して死なせたんですよね」
手に握ったままのスマートフォンを操作し、ニュース記事を映した画面を見せる。
「この植田っていう人、親父の敵なんでしょ」
「存じ上げませんが」
「嘘つかないでください。俺は知ってるんだ、親父がどうして翠を引き取った……いや、買ったのかを」
「失礼ですが、このニュースは認識しておりませんでしたし、ご自宅のご事情は把握しておりません」
そんなわけあるかと喉まで出かかる。怒鳴らなかったのは、正面の男の態度があまりに冷めていたからだ。勝手にヒートアップした自分が、何かの勘違いを犯している可能性を考えてしまう。
「……いや、そんなはずない」
足立が、翠について知らないはずがない。加えて、自分の推測は間違っていない。明らかに昨日の翠の様子はおかしかった。彼は数時間前に殺人を犯したばかりだったのだ。
孝雄に訴えても、まともに相手にされないに決まっている。だが、足立からも提言してもらえば、少しは効果があるかもしれない。寝起きの頭で判断力が落ちているのは感じたが、それでも万一の可能性に縋りたかった。
「これ以上、翠を人殺しにしないでくれ」
彼は確かに落ち込んでいた。自分が生かしてもらうためとはいえ、進んで他人を死なせたがっているわけではない。捕まらないから構わないだなんてあり得ない。こんな残酷な命令を、彼に下してほしくない。
「何のことだか、私にはさっぱり」
しかし、やはり足立は首を傾げることさえなく、淡白にそれだけを言った。植田というのは父親の敵ではなく、父親に依頼した人間の敵だったのかもしれない。それでも父の側近である足立が、天ケ瀬翠の存在を認識していないはずがない。
翔が次に繰り出す言葉を懸命に考えていると、後ろから大股の足音が響いてきた。
「朝から騒がしいぞ。ガキじゃあるまいし、ドタドタと」
「親父……」
「トランクは既に積み込んであります」
足立の台詞は翔を素通りした。孝雄に続いて亜香里が見送りに出てくる。翔は孝雄が今日から出張に出ることを初めて知った。月に何日も家を空けているのだから、今さら気にすることではないが。
「話があるんだ、翠のことについて」
「時間がない、帰ってから聞く」
「いま話しときたいんだよ」
返事もせず孝雄が靴を履き、彼のボストンバッグを抱えた亜香里が続く。いつもの蔑ろではなく、意図的にこの話題を避けている節が感じられ、翔は食い下がろうと上がり框から自分のスニーカーに足を落とした。
「昨日の不審死のニュース、あれは親父が命令して……」
孝雄が自分、いや、自分の背後を一瞥する視線に気付き、振り向いてはっと息を呑んだ。出張に出る主人を見送るためか、騒ぎのためか、もしくはその両方か、翠が顔色を一層悪くさせて廊下の隅に立っていた。
「ガキのくせに、いちいち口出しするな」
孝雄が残した言葉は、もはや耳には届かなかった。
見送りを終えた亜香里は早々に部屋へ引っ込み、翔はトースターで焼いたトーストにジャムを塗りたくって食べた。隅ではモモが餌の皿に小さな頭を突っ込んで、カリカリと食事をしている。餌の粒が陶器の皿に当たる音がいやに響いて聞こえる。
半分残ったトーストを皿に置いた。視界の隅では、翠がモモの一メートル手前にしゃがんで様子をうかがっている。彼は相手にされないにも関わらず、モモのことが気になるようだった。
「……やっぱり、おまえだったんだな」
冷たいミルクを胃に流し込む。翠の横顔は口を開かず、ただモモを見つめている。
「そりゃあ、プリンどころじゃないよな」
「おいしかったです。本当に」
音もなく立ち上がり、翠が消え入りそうな声で呟いた。寝間着のTシャツと半ズボン姿の彼は、十三歳という年齢ながら一層幼く見える。
「おいしかったんです」
小さな声は震えてなどいなかった。翔は、彼が後悔しているのか、傷ついているのか、ただ戸惑っているのか分からなかった。心の内を聞いたところで、どんな返事があっても自分が上手に応えられる気がしない。翠の特異な体質や心境は、想像するに遥かに余りある。
「……美味しかったよな」
ただ、彼はプリンをおいしいと感じた。食堂の食事に温みを感じ、千沙を心配した。その感情は、きっと自分と変わらない。同じものを見て、同じ感覚を共有した。自分と違う特異な人間として扱うには、あまりに彼は人間的すぎる。だからこそ、傷つけないためにどう扱えばよいのか分からない。
「放課後、出かけようぜ」
迷って何も言えなくなる前に、翔はそう口にした。
「金曜だから食堂は開いてないけど、明日は休みだから、ちょっとぐらい遅くなってもいいし」
ようやく翠が顔を上げ、確かに翔へ視線を向けた。
「いいの……?」
「嫌なら言わねえよ。でも一人で出てたら、周りに怪しまれるかもしれねえよな。一旦帰るから、それからどっか行こうぜ」
翠は、小さくぽかんと開けた唇をきゅっと引き結ぶ。たくさんの言葉が、彼の頭の中を駆け巡っているに違いない。
「ありがとう」
ようやく翠が囁いたのは、そんな一つの短い言葉だった。
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