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彼は唐突に七宮家へやって来た。今さら父親が家のことを自分に相談せずとも不思議ではないが、それでも同居人が増えることには驚愕した。呼び出され、これまで数えるほどしか入ったことのない父の書斎で、彼は膝を折って正座していた。
「
真っ白な布を頭に巻いて目を覆った少年は、床に両手をつくと慇懃に頭を下げた。
「どうぞよろしくお願いいたします」
呆気にとられる翔に父親の孝雄は、今日から彼がこの家に住むのだと素っ気なく告げた。理由を尋ねると、児童支援のボランティアだなどと嘘八百を並べ立てる。相手にされない不愉快さには慣れていたが、流石に翔も動揺した。
視線を向けると、スリッパの沈む絨毯から額を剥がした少年は、こちらを見上げて薄い笑みを唇に浮かべた。目を隠した彼の微笑に、翔はぞっとした。病気を疑うほどに肌は白く、対照的に真っ黒な髪が耳にかかっている。頬だけが微かに赤みがかっているのが、態度にそぐわない子どもらしさを感じさせた。きっと端正な顔立ちだろうが、両目がしっかり隠れているので、表情が上手く読み取れない。十三歳にしては華奢で小柄な体型で、口調とアンバランスなその幼さが薄気味悪い。
「ちょっと待って、どういうわけ。子ども引き取ったってこと? どっから? てか親は」
「事情があるんだ」
そばの一人がけのソファーに腰を下ろし、孝雄は面倒くさそうに言った。がっちりした骨太な身体つきに、上背もある。今年十七歳になる翔が、まだしばらく追いつけない体格の良さだ。五十を迎える角ばった顔には深い皺が刻まれ、経営者としての威厳を保っている。そして見る相手に不思議と若々しさを感じさせた。彼をおだてる人間は「情熱」に溢れていると言うが、翔には「野望」だの「執着」だのといった言葉が頭に浮かぶ。家庭を省みない成功者の顔つきだと信じている。
「いや、全然説明が足りないんだけど」
「気にするな。余った部屋に住まわせるだけだ。構わなくていい」
「そんなわけにいかないだろ、だって」
「いいから、黙って聞け」
叱咤するように翔の言葉を遮り、孝雄は息子を睨みつけた。
「とにかく、こいつの目は見るなよ」
「目?」
「おまえも、分かってるな」
視線を向けられ、少年もはいと返事をして頷いた。しっかりと布に覆われた目は、見ようにも見られない。病気や怪我で、余程ひどい状態にあるのか。だが、それしきのことを父親が気にするとは到底思えない。
それが五月の下旬のことだった。翠には一階の小部屋が与えられた。屋敷と呼べる邸宅で、疑問だらけの生活が幕を開けた。
放課後に男の死体の第一発見者となった翔は、すっかり陽が暮れた頃にようやく警察から解放された。倒れた男を見つけた後、通りがかった近所の住民と通報し、そのまま事情聴取を受けていたのだ。そこで翔は、翠の事は話さなかった。帰宅中に倒れている人を発見しただけだと説明し、実際に男に指一本触れていない翔のことを怪しむ者もいなかった。
一見して男に外傷はなく、不意の心臓麻痺が疑われている。なぜ路地裏にいたかという疑問は残るが、誰かに襲われた形跡は現状では見られないとのことだった。
死体を見たショックで言葉数が少ないのだろうと、担当の警察官は翔に同情的だった。少なからずショックは受けたに違いないが、翔の頭にあるのは路地の向こうに走っていく翠の後ろ姿だった。
外傷がないにしても、翠が何らかの関与をしたに違いない。しかし盲目の十三歳の少年は被疑者としてあまりに無力すぎるし、翠が否定すれば却って自分の妄言だと思われてしまう。翔は、まずは自分で彼を問い詰めたいと思った。
孝雄は出張中だったので、連絡を受けた
「おまえ、あの人に何やったんだよ」
毛足の短いラグに正座する翠は、正面にあぐらをかく翔の言葉に首をひねる。
「何のことでしょうか」
「とぼけるなよ。夕方、おまえが外を歩いてるのを見かけたんだからな」
翠が軽く唇を噛んだのを、翔は見逃さなかった。しかし彼はあくまでも否定をする。
「ぼくはずっと、お家にいました」
「嘘つくな!」
二十畳のリビングに翔の声が響く。亜香里はさっさと自室に引っ込み、夜の屋敷はしんと静かだ。高い天井で煌々と灯る光に、二人の影が水たまりのようにラグへじわりと滲んでいる。
「……嘘では、ないです」
「じゃあ見間違いか? んなわけないだろ、他におまえみたいな奴がいるかよ」
「翔さんの仰ることが、分かりません」
「馬鹿にするなよ!」
どいつもこいつも、俺を馬鹿にしやがって。何の説明もなく、家の全てを勝手に進める。挙句の果てには事件にまで巻き込みやがる。親父もこいつも、本当の事情は何一つ教えてはくれない。心底馬鹿にされている気分だ。
大声を叩きつけられた翠は、びくりと肩を震わせた。女の子のように細い肩が強張る様子は哀れを誘うが、翔はともすれば、彼を殴ってでも事実を吐き出させたかった。ただ、年下の子どもに手を上げる罪悪感から、そうしないだけだった。
「おまえが、あの人が倒れてた場所から逃げていくのを見た」
翠が腿に置いたこぶしに力がこもる。
「ぼくには、何も分かりません」
「何があったのか……おまえが何をしたのか、説明する気はないんだな」
「誰にも、何もしていません」
「わかった」苦い呼吸をふうっと吐く。「なら俺は、見たものを警察に説明する」
どうして、と頬を少しだけ動かす翠の声が震える。
「目に布を巻いた子どもがあの人と歩いてて、その場から逃げていった。仮に間違いだとしても、俺は確かに見たんだから説明したっていいよな」
これが最後の脅しだ。現に目で見たものを誰に話そうが、嘘を吐いているわけではないのだ。後ろめたいことなどない。
翠がぎゅっと下唇を噛み締めるのが見て取れる。握りしめる両手の指は、色を失って真っ白だ。片頬がぴくぴくと数度痙攣のような動きをする。
「……何も、知りません」
やがて彼は、か細い声を絞り出した。結局こいつは、俺に事情の切れ端すら見せる気はないのだ。大袈裟に舌打ちし、翔は部屋から翠を追い出した。馬鹿にしやがって。唾を吐くように、床へその言葉を投げかけた。
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