第177話 公務員、村につく

 静まり返る森は、風が梢を揺らし、虫の羽音がかすかに響く。

 月明かりだけを頼りに夜の森を進んできた。ろくな明かりもないのにこれ以上進むのは危険と判断し、俺たちは大きな根元の木陰に腰を下ろし、少しでも体力を回復させようと仮眠を取ることにした。

 横になってすぐに眠れるほど、俺たちは気を抜けてはいなかったが、それでも数時間、互いの背を預けるようにして目を閉じた。

 そして、空がほのかに明るくなりはじめた頃、俺たちは再び立ち上がった。

 

「行こう。村までもうすぐだ。朝日が昇る前には着きたい」


「はい」


 朝露に濡れた草を踏みしめ歩き始めた。

 奈々さんの表情には、少し眠気と疲れが見えるが、しっかりついてきてくれる。

 時々、俺の様子をうかがうように見つめてきたり、何かを言いかけて止めてしまったり、している。

 なんだろう、気になるな。


「奈々さん、疲れたか?」


「いいえ、大丈夫です」


「そうか。何か俺に言いたいことがあるんじゃないのか?」


「!……あ、あの……」


 声が消え入るのとともに、奈々さんの足も止まってしまった。


「いや、言いたくないなならいいんだ」


「あの、和人さんはどうして魔族の国にいるんですか?」


「どうして魔族の国に……まあ、当然の疑問だな」


 城を出てからのことが頭をめぐる。

 アルメリタとセリーヌはどうしているだろうか。

 しばらく黙っていると、奈々さんが口を開いた。


「あの……答えにくかったら、答えなくていいです!」


 奈々さんが不安そうにこちらを見つめる。優しい子だな。


「いや、言いたくないわけじゃないんだ。長くなるけどいいかな?」


 奈々さんはコクリとうなずいた。

 俺は森の中を歩きながら、言葉を選ぶように、ゆっくりと語りはじめた。

 

「召喚されたものの、戦闘系のスキルを持たないから、手切れ金をもらって俺は王城を出たよな」


 奈々さんは黙ってうなずく。俺は、ニヤリと笑って続けた。


「みんなで王女様の話を聞いたときから、あの国はなんだか胡散臭い気がしてね。城を出てすぐ、他の国に行こうと考えたんだ」


 奈々さんはなにか思うところがあるのか、少し眉間にシワを寄せて、黙って聞いてくれる。


「とはいえ、ここは魔物がはびこる世界だ。信頼できる人も、戦う力もない中で、何とか生き延びなきゃならなかった。旅の途中で出会った冒険者の勧めもあって、ある選択をしたんだ」


「……選択?」


「ああ。奴隷の子を、ひとり買ったんだ。アースティアを出る前にね」


 奈々さんの目がわずかに揺れる。俺はそれを正面から受け止めたまま、言葉を続けた。


「日本人の感覚からしたら、軽蔑されても仕方ない。でも、当時の俺には、それしか選べなかった。戦う術も、自分の身を守る力もなかったから、せめて生き残る方法を選んだ」


「その人は……どんな人ですか?」


「アルメリタっていう、獣人の女の子だ。俺より年下で、気配を読むのが得意なんだ。戦闘も強い。とても慕ってくれていてね」


アルメリタとの楽しい日々を思い出して、つい口元が緩む。

 

「そう、なんですね」


なんだか奈々さんが少し寂しそうに答える。


「ああ。それから、セルヴァーナ自由連邦を目指したんだ」


「セルヴァーナ自由連邦?」


「ああ。身分や出自にとらわれないで生活できるって聞いてな。そこにある迷宮都市で、冒険者を始めたんだ」


「アルメリタさんも冒険者だったんですか?」


「ああ。途中で騎士のセリーヌっていう子とも仲間になって、パーティを組んで迷宮に潜っていたんだ」


 セリーヌとの出会いも偶然だったな。

 俺の立場が明確になった出会いでもあったな。


「和人さん、なんだか楽しそうですね」


 奈々さんがフフッと笑う。

 そんなに顔に出ていただろうか?


「そうだな、楽しかったんだろうな。でも、迷宮の中の転移魔法陣に乗ったら、強制的に魔族の国へ飛ばされていたんだ。俺だけな」


 にこやかに話を聞いていた奈々さんの顔が曇った。

 

「アルメリタとセリーヌがいなかったから、俺だけ飛ばされたんだと思う。後で聞いた話によると、どうやら、異世界から来た者には、ある種の呪いのような、転移指定がかかってる可能性があるらしい」


 奈々さんは目を見開いた。


「あの、私も訓練で迷宮に潜って、何度も移動の魔法陣を使いましたが、そんなこと一度も起きなかったです。もしかして、私も……」


 自分もそうなっていた可能性に、奈々さんの顔が真っ青になる。


「君たちは安全に戻ってこれるようになっていたんだろう。わざわざ召喚した勇者様だからな、うっかり魔族の国に飛ばされて死んでしまっては困るだろう」


 それを聞いても、奈々さんの表情は晴れない。

 今はアースティアの保護を外れた俺と行動しているのが不安なのかもしれない。


「だけど、今は魔法陣の方はそう心配することもない。そのための勾玉なんだ」


 俺は、奈々さんの首元をそっと指さす。


「その勾玉、絶対に離すなよ。さっきも言ったが、呪いや呪術から身を守ってくれるお守りなんだ。身につけていれば、魔方陣の干渉を緩和してくれるはずだ。そうたくさん作れるものじゃないみたいでな、数が少ない、特別なものなんだ」


 奈々さんはその言葉の意味をしっかり受け止めるように、小さく頷いた。


「ありがとうございます。和人さん、今まで大変だったんですね」


「そうだな。本当にたくさんの人に助けられてきたな。でも、誰かに助けられるってことは、同時に誰かの命を預かるってことでもある。だから、俺はもう二度と、目をそらせないと思った」


 歩きながら、木々の隙間に差し込む朝の光が少しずつ強くなる。

 俺は再び口を開いた。


「話がそれたな。魔族の国に飛ばされた場所が森だったんだ。はじめは魔族の国だと思わなくて森を探索していたんだ」


「魔物と出会ったりしなかったんですか?」


「もちろん出会ったさ。強すぎて逃げ回ってばかりいたな」


「……それ、すごく怖かったでしょう」


「うん。正直、何度も心が折れそうになった。でも、そんなときに出会ったのが、魔族の第三騎士団の団長、ヴァルトだった」


「えっ、団長……?」


「ああ。最初は敵だと思った。だけど、ヴァルトは俺の話を聞いてくれた。協力して魔物を倒して、少しずつ信頼してもらえて、彼の部隊の中で動くようになったんだ」


 奈々さんの目が見開かれる。

 だが、まだ終わりじゃない。


「そこから色々あって、レミリスの部下として正式に働くことになったんだ」


「レミリス……王女様だって言ってましたよね?」


「ああ。魔族の王女にして第六騎士団の団長なんだぜ。彼女には、何度も助けられた。今でこそ軽口を叩く仲だが、はじめは人間だからってだけで嫌われていたよ」


 奈々さんは驚いたようにつぶやく。


「あんなに信頼しあって見えたのに……」


「今では一番信頼できるのはレミリスさ。彼女には、何度も助けられた。厳しいけど、周囲の言葉にも耳を傾け、正しいことを貫こうとしてる。長年の戦争で人間に失望しながら、それでも信じようとしてる」


「そう……なんですね」


「そしてある日、情報が入った。勇者が、アースティア側から戦争を仕掛ける準備をしているって」


 奈々さんはぎゅっと唇を噛み締めた。

 俺は、静かに語り続ける。


「それを聞いた瞬間、決めた。俺はもう、戦う理由なんてどうでもよくて……ただ、止めたかった。アルメリタやセリーヌ、そして魔族の仲間たちが、意味のない戦争で死ぬのを見たくなかった」


 奈々さんは、拳を握りしめた。


「だから俺は、奈々さんに会いに来た。城を出る最後まで俺のことを心配してくれた君に」


 俺は歩みを止め、まっすぐ奈々さんを見つめた。


「魔族が絶対悪なんて思えない。戦争ってのは、誰かの都合で始まり、そして大勢が涙を流す。勇者を……奈々さんを止められるのは、きっと、俺しかいないと思ったから」


 奈々さんは、もう目を逸らさなかった。


「私も……魔族が絶対悪いとは思えないです。本当に信じていいかどうか、自分の目でも確かめたいです」


 奈々さんが力強く答えてくれた。

 俺たちは再び村に向かって歩き出した。


 

 森の奥。来た道をたどっているつもりだが、代わり映えのない景色に自信がなくなりかけた頃、あの村が見えてきた。

 緑に包まれ、石と木で築かれた素朴な集落。

 魔族、獣人、人間の気配が入り混じった、不思議な温もりのある空間。


「なんとかたどり着けたな。ここで仲間が待っているはずだ」


 俺が先に村に入り、奈々さんが続く。


「ここが、魔族の村……」


 奈々さんの声は震えて聞こえたが、目には確かな決意が宿っていた。

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