第178話 公務員、村で待つ

 村の入り口が見えると、緊張がふっと緩んだ。

 霧に包まれた山間の空気は冷たくも澄んでいて、しばらくぶりに呼吸が深くできる気がした。


「ここが、魔族の村……」


 奈々さんがぽつりと呟く。

 獣人や魔族の子どもたちが、小声でこちらを覗いてはすぐに隠れていく。

 そんな中、出発前に遊んでいた子達が俺の姿を見つけて寄ってきた。

 子供達と一緒にフェルノートも姿を現した。


「ああ、カズトさん!」


 彼は口元を綻ばせ、いつになく柔らかな笑みを浮かべて、俺たちを迎えた。 


「どうぞ、ご無事で」

「フェルノート、ただいま。お前たちも元気にしてたか?」


 子供達に話しかけると、「元気だった!」「当たり前だろ!」「また一緒に遊ぼ!」と次々に返事が返ってくる。


 そんな子供たちに、大事な話があるからとフェルノートが伝えると、素直に家へ戻っていった。

 フェルノートがこちらへ向き直る。表情こそ人当たりの良さそうな笑顔だが、静かな殺気を放っているのがわかる。

 奈々さんは少し体をこわばらせ、俺に隠れるように少し後ずさった。


「まずは紹介だな。こちら、白石奈々さん。レミリスと話をして、俺達の味方をしてくれることになった」


 隠れていた奈々さんも、意を決して一歩前へ踏み出した。


「は……はじめまして。白石奈々です」


 奈々さんがぺこりとお辞儀をする。


「こちら、フェルノート。さっき話したヴァルトの部下のひとりだ。」


 奈々さんは恐る恐る顔を上げる。

 フェルノートは奈々をじっと見つめていたかと思うと、その目が見開かれ、殺気の代わりに歓迎する雰囲気に変わった。


「あなたが聖女、白石奈々さんですか。よくぞ、無事にここまでいらっしゃいました」


「ありがとうございます……少し、混乱してはいますが……」


「はは、当然ですとも。ですが、これで人間との戦争に一石を投じる希望が生まれました。あなたの存在は、この戦争に波紋を広げる力を持っている」


 フェルノートは、俺の肩を軽く叩いた。


「カズトさん。ひとまずは作戦成功ですね」


「……ああ。今後のことはこれから詰めるとして、まずは成功には違いない」


 奈々さんはそれを聞いて、小さく安堵の息をついた。


「なあ、レミリスは戻っていないのか?」


 俺がそう尋ねると、フェルノートの表情が少しだけ曇った。


「ええ、まだ姿は見えていません。一緒ではないのですか?」


「あぁ……無事であればいいが」


「状況を説明していただけますか?」


 俺は頷き、これまでの逃走、智樹との戦闘、レミリスの判断と分散行動のことを順に説明した。

 話を聞き終えたフェルノートは、腕を組んでしばし目を閉じ、やがてゆっくりと頷いた。


「……たしかに、それは分かれるべき状況でしたね。判断としては正しい。レミリスも、あなた達がこちらへ来ることを最優先したのでしょう」


「ひとまず、ここで待つしかないですね」


「ええ。ですが、焦ることはありません。こちらには結界もあるし、追跡されている気配もない。それに、聖女さんもお疲れでしょう?」


 奈々さんは少し驚いたように目を見開き、それから自分の体を見まわした。傷は自分で治癒して治したが、細かい擦り傷は託さなるし、あちこち汚れている。


「……はい。正直、気が抜けたら、足が動かなくなりそうで」


「それなら、こちらで仮眠の部屋をご用意します。簡素ですが、布団もあります。どうぞ、少しでもお休みを」


「……ありがとうございます」


 奈々さんが丁寧に頭を下げ、フェルノートが案内する。

 俺もその背中を追いながら、ふと空を見上げた。

 朝日が森の稜線を越えて、村の屋根を柔らかく照らし始めていた。

 レミリス……お前も、どうか無事でいてくれ。

 

 祈りを胸に、俺たちは静かな村の奥へと歩みを進めた。

 奈々さんを案内して小屋の一室へ通したあと、フェルノートと俺は村の外れ、風の通る見張り台のような小高い場所に移動した。

 そこからは、村全体と霧に包まれた森の端まで見渡せた。

 鳥のさえずりが遠く響き、ようやく戦場の緊張が薄れていくのを感じる。


「……静かですね」


 フェルノートが、石の台に腰掛けながら呟いた。


「ここだけ、時間の流れが違うみたいだ」


「ええ……まるで戦争なんて別の国の話みたいに感じますね」


 俺も彼の隣に腰を下ろし、ゆっくりと息を吐いた。

 しばしの沈黙の後、フェルノートが口を開いた。


「カズトさん。ここからが本番ですよ」


「……ああ、そうだな」


「白石奈々――聖女がこちらに来てくれました。これで確実に、アースティアの内情に波紋が走るでしょう。『勇者の仲間が失踪した』で片付けるには無理がります。しかも、魔族の国にいる可能性があると判明すれば……」


「戦争派の暴走は、少しは鈍るかもしれないな」


「あるいは、余計に激しくなる可能性もあります」


 フェルノートの目は、わずかに笑っているようで、芯は鋭かった。

 その指摘は正しい。


「……この国の中でも、意見は分かれるだろう。聖女を利用すべきだという声も出る。純粋に保護と考える者もいる」


「先にに方針を明確にしておくのが大事だな」


「そうですね。戦争は、言葉だけじゃ止まらないですから」


 俺は視線を森の彼方へと向けた。

 そこには、かつての仲間たちが生きている場所でもある。


「アルメリタとセリーヌに、ちゃんと手紙は届いただろうか。こんな状況だし入れ違いになていたら……」


「迷宮都市でしたか……方々に手紙を出したので、どれかがカズトさんのお仲間に伝わっていると信じましょう」


「そうだな」


 フェルノートは頷き、木の枝を一本手に取って弄びながら、言葉を続けた。


「まずは、村での立場を整えなくては。彼女が安全に過ごせる環境を用意しましょう。それと……近々、人間達にも動きがあるはずです。勇者たちの陣営も、彼女がいなくなっったことを黙っていないでしょう」


「……桐生智樹。あいつは、必ず何か動く」


 そこで、ふと――俺は空を見上げた。


 灰色の雲の向こう、ところどころから太陽の光が差し込んでいる。

 その光を眺めながら、俺の脳裏には、まだ戻らぬレミリスの姿が浮かんでいた。


 ――そうだ。


 今回の作戦は、奈々を連れて、隊長たちが待つカルカッソまで戻るのが目的だった。


 この村からビナマークまでは、時間にして4時間程度の距離。

 実際、俺が奈々さんと一緒に移動したときも、それくらいだった。もっとも、俺には土地勘がなかったし、途中で偽装工作もした。時間は余計にかかった。


 だが――レミリスなら、話は別だ。


 俺よりも機動力があるし、森の地形を覚えるのにも慣れているから道に迷うこともないだろう。もし彼女が無事で、夜のうちに町を脱出していたのなら、今頃は到着していてもおかしくない。

 ……たとえ、多少の怪我や消耗があっても、ポーションは渡してある。回復できるはずだ。

 夜明けを待ってから移動を始めたとしても、そろそろついてもおかしくないはずだ。なのに、まだ、姿を見せない。


「……フェルノート。レミリス、まだ戻らないんだよな?」


「ええ。結界に反応はありませんでした」


「何かあった、か……?」


 思わず口に出してしまうと、フェルノートはすぐに答えなかった。

 代わりに、ゆっくりと枝を折りながら言った。


「カズトさん。あの街には勇者が3人もいた。君が遭遇したのは1人――賢者の桐生智樹でしたね。残る2人が、レミリスの脱出経路に張っていた可能性もあります。あるいは、町の包囲が強固すぎて、動けないのかもしれない」


「……そうだな。下手に動けば、逆に囚われるリスクもある。レミリスなら、それくらいは分かってる」


 俺は拳を握った。

 行くべきか? 助けに戻るべきか?

 悩ましい。すれ違いが最悪なケースなのは間違いないが。


 俺たちの作戦は、この村での再会が前提だった。俺が今動いたら、壊れてしまうかもしれない。


「……やっぱり、ここで待つしかないな」


「ええ。焦らず、信じて待つこともまた、戦い方のひとつですよ」


 フェルノートの言葉に、俺はようやく頷いた。


 風が木々を揺らし、どこか遠くで鳥の羽ばたく音が聞こえた。

 戦いの合間に訪れた、束の間の静寂。


 俺たちは、それを噛みしめるように、ただ、空を見上げていた。

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