第176話 公務員、森を進む

 「和人さん、追手が来てます!急がないと!」


 「静かに。落ち着いて、奈々さん。この砂の輪の中にいれば、すぐに見つかることはない」


 奈々さんがきゅっと俺の服を掴む。

 ここは古井戸の中だ、暗くて視認することはできなから、物音で判断するしかないだろう。音がしなければ、ここにはいないと判断してくれるはずだ。


 どれくらい時間が経っただろうか。

 鎧の音が遠ざかっていく。


 「ひとまず、追手を撒けたはずだ。先を急ごう」


 「はい……さっき撒いていたのはなんですか?」


 「静寂の砂と言って、砂をばら撒いた場所の音を遮断してくれるアイテムだ」


 進みながら説明を続ける。


 「暗くて音を頼りにするしかないから、音がしなければいないと判断して他へ探しに行くだろうと思ってな」


 兵士たちが想定通りに動いてくれてよかった。


「そんなアイテムがあるんですね。ここ、どこまで続いてるんでしょうか?」


「もうすぐだ。この町で仲良くなった少年が言ってた。古井戸の奥は、廃倉庫に繋がってるって」


 俺は湿った空気の中を進んでくと、乾いた外の空気が混ざって来るのがわかった。

 やがて狭い地中通路を抜け、木板の床を蹴る音が広がる。


 板の隙間から空気が入り込んできているのがわかる。倉庫の土台の下だ。

 俺は天井の板に手をかけ、軋む音を立ててゆっくりと押し上げた。

 錆びた床板がずれ、ギギ……と、音が響く。


「奈々さん、行けるか?」


「はい……!」


 2人で倉庫の床下から這い出ると、そこは確かに廃倉庫だった。

 古い麻袋、崩れた木箱、埃だらけの棚が月明かりに照らされている。

 けれど、ここには人の気配があった。


「誰かいるのか?」


 聞き覚えのある声が響いた。振り返ると、警戒しながら近づいてくる影があった。


「……ダンデ!」


 俺が名前を呼ぶと、彼は走って駆け寄ってきた。

 奈々さんはさっとフードを深くかぶる。


「カズトさん!?どうしたの?」


「ああ。詳しくは言えないが、ちょっと追手から逃げているんだ」


「そうなのか……」


 ダンデは奈々さんの方を怪訝そうに見る。

 

「仲間と墓地で合流する予定なんだが、場所を知っていたら教えてもらえないか?」


 ダンデはじっと俺を見つめる。

 奈々さんが勇者のひとりだってバレたか?

 仲良くなったとはいえ、ダンデも戦闘奴隷だ。勇者が怪しいおっさんと逃げようとしているのを見逃してはくれないか……。

 ダンデは覚悟を決めたように俺の方に向き直り、大きく息を吐いて肩の力を抜いた。 


「おい、お前ら!あれを使うぞ!煙と音で、追手の注意を引きつけろ!」


「えっ、でも、カズト兄ちゃんたちは……?」


「逃げてもらうんだよ」


 ダンデは俺たちに向き直り、小さく笑った。

 その目は、年齢に似合わないほど、覚悟に満ちていた。


「恩返しをさせてくれ。あの日、みんなをポーションで助けてくれたから。今度は俺たちが、あんたらの力になりたいんだ」


「ダンデ……!」


 俺は言葉に詰まりながらも、彼の肩に手を置いた。


「ありがとう。でも、無理はするなよ」


「無理はするけど、戦闘奴隷だから捕まったりしないさ。へへっ」


 悪戯っぽく笑って見せたダンデに、奈々さんが小さく頭を下げた。


「ありがとうございます!」


「いいって!お姉ちゃんも頑張ってね!今も残っている墓地ってことなら、こっちだ!」


 彼は倉庫の裏手にある小さな扉を開け、外の道を示す。


「それを真っ直ぐ行って、ふたつ目の道を左。そこに墓地がある!普段は気味悪がって誰も近づかないけど、追手がいるなら話は別だ。気をつけて!」


「助かった!恩に着る!」

 

 遠くで、角笛の音が鳴り響く。

 ダンデや子どもたちの体が、一瞬ビクリと硬直する。

 騎士団が本格的に包囲に入っている証だ。


「ダンデ……生きろよ。また会おう」


「もちろん!」


 扉を抜けて、前を向いて真っ直ぐ走る。

 俺は奈々さんの手を取り、最後にもう一度、振り返らずに叫んだ。


「頼んだぞ、ダンデ!!」


「任せとけ、兄ちゃん!!!」


 その言葉を背に、俺たちは駆け出した。


「いつの間に墓地で落ち合う約束をしていたんですか?」


 走りながら奈々さんが聞いてきた。


「墓地は方便だよ」


 そう、森へ逃げるための嘘だ。

 いくらなんでも街の外に出るとは言えないからな。

 北側の教会近くの墓地から森へと抜ける抜け道があることを、事前にレミリスから聞いていてよかった。

 下見もしていないから不安だったが、なんとか城壁の外、森の縁へとたどり着くことができた。

 遠くでまだ角笛の音が響いているけれど、それはもう追跡の気配ではなく、混乱の証だった。

 ダンデたちの陽動は成功したらしい。ありがたいけど、その後の彼らへの仕打ちを思うと、胸が痛む。

 レミリスは無事に逃げられただろうか?


 様々な思考を巡らせながら。俺は奈々さんの手を取り、深く茂る林の中へと足を踏み入れる。


「はぁ、はぁ……森、入れましたね」


「……ああ。ここまで来たら、もう追ってこないはずだ。ダンデ達のおかげだな」


 枝を払い、落ち葉を踏みしめながら、俺たちは木々の間を進んだ。

 奈々さんの呼吸は荒く、髪には汗と埃が混じっている。それでも、彼女の足は止まらなかった。


「……智樹くんと、戦うことになるなんて思ってなかったです」


 ぽつりと、奈々さんが呟いた。

 俺は返す言葉をしばらく見つけられなかったが、やがて静かに言った。


「俺もだよ。でも、あの時の奈々さんの言葉がなかったら、戦いは止められなかった」


「そう……かな。私、自分でも何を言ったかあまり覚えてないんです。でも……怖かった」


「俺も」


 嘘じゃない。あの場面で、何が最善だったのかなんて、今でも正解はわからない。

 


 やがて、少し開けた小高い場所に出た。

 東の空がオレンジに染まり始め、木々の隙間から、風が肌を撫でる。


「さすがにここまで追ってくることもないだろう。少し休もう。息を整えたら、待ち合わせの場所まで移動する」


「うん……」


 俺は荷物の中から水筒を取り出し、奈々さんに手渡した。

 彼女は喉を潤すと、ふぅっと小さく息を吐いた。

 

 俺はポーチの中から、布に包んだ勾玉を取り出した。

 それは、名もなき村で預かった魔除けの勾玉。レミリスと分けて持っていたもののひとつだ。


「そうだ。奈々さん、しばらくの間、これを身に着けてくれ」


「これは?」


「魔除けの勾玉だ。呪いやまじないから身を守ってくれる。待ち合わせている魔族の村には、これがないと入れないんだ。だから、これを渡しておく」


 奈々さんはおそるおそるそれを受け取り、手のひらで包むように握った。


「……あったかいですね」


 奈々さんの顔がほころぶ。

 勾玉のおかげか、すこしリラックスできたのかもしれない。


「効きそうだろ?製造方法とかは企業秘密だ」


「なんか、不思議です。アースティアでお守りとしてもらった腕輪や首飾りと違う感じがします」


「怖いか?」


 問いかけると、奈々さんは少し考えてから首を振った。


「違います。これは少しほっとします。たぶん、私はまだ『怖い』と『間違ってる』の間にいる。でも……少なくとも、今の私は和人さんを信じてる」


 その言葉に、俺の心に、ほんの少しだけ光が射したような気がした。

 


 道を確認し、水を飲むために休憩していた。

 森を騒がせていた風が止み、俺は森の奥を見つめていると、奈々さんがふとつぶやいた。


「……レミリス、大丈夫かな」


レミリスは無事逃げられただろうか?


「正直、俺も心配でたまらない。さっきの戦闘で怪我も負ってたし……このまま、何かあったら……」


 言葉にするだけで、喉が締め付けられる。


「……やっぱり、助けに戻ったほうがいいんでしょうか?」


 奈々さんが心配そうに来た方を見る。

 俺も同じ方に向き直る。どんどん不安が膨らんでくる。


「でも……すれ違ったら?」


 そうだ。すれ違って、俺と奈々さんが捕まったら元も子もない。

 だが、俺達が捕まれば、レミリスへの追手の数が減り、逃げやすくなるかもしれない。


 ……いやいや、そうじゃない。私情に流されるな、俺。

 作戦内容を思い出すんだ。

 奈々さんの説得は成功した。

 ならば、俺のやることはひとつしかない。

 勇者である奈々さんを、みんなのところへ連れて行かなくては。

 奈々さんはこちらの話を聞いてくれる状態なのだ。

 黎明の橋はを架けるには、奈々さんを魔王様たちのもとへ連れて行かなくては。


 俺は立ち上がり、再び森の奥を見つめる。

 握りしめる拳に力が入る。


「やっぱり街に戻らずに、村まで行くべきだろう。奈々さんを魔族の仲間たちのところへ連れて行く、それがレミリスとの約束だ」


「……わかりました。行きましょう」


 奈々さんは立ち上がり、俺の隣に並び、森の奥へ、俺たちは再び歩き出す。

 迷いを抱えながらも、ひとつの約束と希望を胸に。

 村で、また会えると信じて。

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