第5話
「おはようございます、ご主人様」
恋は盲目とは、本当らしい。
アバタもエクボ、お仕着せ姿の彼女は非常に生き生きとし。
楽しげに、満面の笑みを。
《坊ちゃま、お返事は?》
『見惚れていた、だなんて言い訳は許しませんよ』
「あ、何か有れば直ぐにドレスに戻りますので、ご安心下さい」
『あぁ、おはよう』
「あ、はい、おはようございます」
《では、直ぐにご朝食のご用意を》
『では先ず紅茶をお願い致しますね』
「はい、失礼致します」
『あぁ』
健気さが可愛らしいと思った事は無かった、だが彼女はどうだろうか。
健気で可愛らしい。
健気さが、と言うより寧ろ前向きな。
そうひたむきさ、だろうか。
いや、それもそれで。
「何だか、以前の方が柔らかい気がするのですが」
面白いわ、坊ちゃまが宛てがわれた娘さん。
察する能力は有るのに、無垢さと前向きさが斜め上の方向に飛んで、坊ちゃまの望まない場所へと落ち着く。
稀有だわ。
単なる庶民でも、こうはならないもの。
『好き』
《もう、坊ちゃまの事で悩んでらっしゃるのよ?》
『気にしないで、いきなり令嬢が庶民だなんて、慣れていないだけよ』
「あ、確かにそうですよね、故意なら死罪なんですし」
『そうよ、だから珍しくて戸惑っているんじゃないかしら』
《さぞ複雑でしょうね、書類上と実際は違うのだもの》
「あぁ、私、そこまで周囲と関わりが有りませんでしたから。情報不足でらっしゃったんですね」
文字が読めないと、ココまで受け取り方が変わるのかしら。
本当に不思議ね。
《惜しいわね、少し違うの》
「そうなんですか?」
《確かに情報不足は有ったわ、でもね、そこは頭で補うの》
『現場に居ない以上、情報が不足するのは大前提。要するに、まぁ、経験不足ね』
虐げられていたご令嬢を探る為、私達は時に他家へ潜入したりもしている。
でも、やっぱり所詮は他人の目。
とある家では、本当にご令嬢の為に厳しいだけだった。
そしてとある家では。
「やっぱり、私には庶民の道しか有りませんよね。文字が読めても大変なのに」
『それは家次第よ、私達の様に優秀な者が居れば、アナタの補佐なんてチョロいわ』
《そうね》
「ですが帝国の傘下になるのですから、余力は残すべきですし、そのお力でもっと素晴らしい方をお支えする方が良いのでは?」
おバカな子なら楽なのよね。
でも、それだけこの子は滅多な事では揺らがない、と言う事。
『人には得手不得手、向き不向きが有るの』
《坊ちゃまには、寧ろアナタが向いているかも知れないのよ、ね》
だって、ずっと悶々としてらっしゃるんですもの。
手放す方向では考えている、と言いながら、ね。
《アナタ、何故なの》
国の憲兵隊が押し寄せ、私は捕らえられた。
愛する娘の目の前で。
本当の娘の前で。
『私は臆病者だった、お前の狂気が恐ろしかった、そして家を守る為だと言い訳をし。娘を犠牲にした』
《昔の事は謝るわ、出産が恐ろしくて、どうにか》
『お前が虐げていた方が、お前の娘だと、気付いていたのだろうか』
まさか、そんな。
《なっ、だって》
『お前は産んで直ぐに抱いたか、違うだろう、良く洗われてから子を抱いた』
《なんて事を!!》
『お前が言うか!!』
だって、この子は私に。
《お母様》
似ていない。
そう、似ていないのよ。
《来ないで頂戴!!》
何故か、あの子が私に似ていて、だからこそ堪らなく憎らしかった。
避けていた。
蔑むしか無かった。
だって、似る筈が無いんですもの。
《お母様》
《あぁ、ごめんなさい、違うの。コレはきっと何かの間違いだわ、間違いなの、こんな事、有り得る筈が無いわ》
私が、お母様の本当の子じゃ、無い。
『良かったな、お前はこの家の本当の娘、正妻の子だ』
私が、正妻の子。
「あぁ、こんなに大きくなって」
《誰よアナタ》
『お前の、本当の母親だ』
私の、本当の母親。
《そんな、そんなワケ》
『本当の、貴族の娘だ、良かったな』
私は、お母様の本当の子供で、この家を継ぐのが当然で。
「ごめんなさい、誰も殺されない為には」
《お母様はそんな事しない!!》
『いや、腹の子を引きずり出し、門前に塗りたくる。アレはそう啖呵を切ったんだ』
《それは、お母様は。そうよ、出産が怖かったからと》
『この家の正妻にする、そう言ったら直ぐに落ち着いたんだ。そして念の為に、入れ替えた』
《酷いわ!!》
『どうして、お前はそこまで育ての親に似ているんだ』
《だっ、だって》
「私とアナタは、そんなに似ていないかしら」
そんなの、分からないわ。
家に鏡は僅かで、ずっと、私はお母様と。
いえ、あの子とお母様の方が、ずっと似ている。
だから、私は妬ましかったの?
お母様の血が何も入っていない分際で、ココに居られる事が。
『お前が望んだ事だ、どうだ、満足か』
違う。
私はお母様の子供で、貴族の子で。
《違う!違う違う違う!!》
私達は、所謂政略結婚でした。
特に情愛も無く、先ずは義務をこなす事を生業とする立場。
何も無ければ、ココまで私達の情愛が深まる事は無かった。
そう、お取り潰し直前だった準男爵家の妾の子、その女に夫が陥れられる迄は。
『すまなかった、本当に』
「いいえ、善人には必ず良い子が産まれて来る、悪人には悪い子が産まれてくる。だなんて事は決してありはしない、ただ、それだけの事」
この家の長男もまた、私の子。
彼女に合わせ妊娠し、入れ替えた。
良い子にさえ育てば良かった。
私は私で、子供を育てられたのだから。
《お母様、あの人は偽の姉です、本当のお姉様はとても心根の良い方だと伺いました》
『はい、あの人は確かにお母様に似てますが、本当のお姉様はお父様のお父様に似てます』
「あ、きっと、取り替えられた後にまた取り替えられたんですよ。多分」
夫が忙しくしていたのは、この子達と裏帳簿の為。
伯爵家に相談し、その仕事も幾ばくか請負ながら、月に1度私達の家に顔を出した。
私を生かす為、子を生かす為に、夫は苦労していた。
完璧では無いけれど、十分に彼は出来るだけの事をした。
「あの子はデビュタントの混雑に紛れ殺される筈だった、アナタは出来るだけの事をしたの」
『だが、本当にすまなかった。私にもっと、もっと能力が有れば』
《お姉様が本当のお姉様になれば良いのですよ》
『はい、それで皆が幸せになる、筈です』
「頑張ります」
血だけでは貴族になれない、育ちだけでも貴族にはなれない。
自負が、責任と責務が、貴族を貴族たらしめるのです。
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