第4話

『コレを、何処で』


「えっ、あ」

「申し訳御座いません旦那様、私が目を離したばかりに」


 旦那様が能天気女の部屋に来ると知って直ぐに、私は侍女の部屋から櫛を盗み出し、この女の部屋に仕込んだ。

 コレが嫉妬する様には見えなくても、アレだけの悪評だもの。


 幾ら優しくても見限って当然。

 だって、旦那様からお手紙も頂いたし、好きな色柄も。


『何故なんだ』

「きっとお嬢様は嫉妬から、若しくは手癖の悪さが」

「私、知らないわ、こんな櫛」


「お嬢様、いい加減に」

『コレは私の祖母の形見、失くして探していたんだ、一体何処に』


 えっ。


「いえ、本当に、私は何も」

『いや、君の部屋に有ったんだ。遠慮しなくて良い、何処で見付けたんだい』


 もしかして私、嵌められた。


「その、私はずっと、今日はお手入れをされていたので」

「私、お嬢様のご命令で、コチラをココへ置いたのです」


 まだ。

 まだ何とか。


『では、何処に有ったんだろうか』


「そこの、侍女の部屋に」

『そうか、君が見付けてくれたのか』


「以前に見せびらかされ、ずっと怪しく思っていたんです、そしてお嬢様に相談すると盗み出し確認して頂こうとなり」

《あら、私は預かっていただけですよ》

『もう、坊ちゃまったら、修理に出されていた事をお忘れですか?』


『修理?あぁ、だが、何処が壊れていただろうか』

《コチラ、歯が1つ欠けていたんです》

『直ぐに明細をお持ち致しますわね』


『あぁ、そう言えば、かなり前の事だったな』

《はい、貴重な木材ですので。2年程、お待ち頂く事になるかと》


『そうだったな、すっかり忘れていたよ』

《いえいえ、元から大事にしまってらっしゃいましたし、無理も有りません》


『だが、こうなると』


 マズい、逃げないと。

 主人の者を盗むのは。




「あっ」

『心配要らない、動けなくさせただけだ』

『失礼します、縄、ご用意致しました』

《あら、本当に抜け目がないのね》


『助かる』

『いえいえ』


 目の前で、初めて暴力と言うモノを見ました。

 どうしてでしょう、手が。


『すまない、怖い思いを』

《では私達が》

『旦那様はコレを、さ、お下がり下さい』


『本当に、すまなかった』


 どうして、こんなに怖いのでしょう。

 私が殴られたワケでも無いのに。


 婚約者の方は優しい方だと分かっているのに。


《さ、深呼吸です》

『先ずは吐いてから、ゆっくり吸いましょう』


 何故でしょう。

 言う通りにしているのに、上手く息が吐けないのです。


 それに涙が、勝手に。




『はぁ』


「暴力に不慣れでらっしゃる事は、寧ろ幸いかと」

《ですね、少なくとも、暴力は振るわれてはいらっしゃらなかった》


 問題は、そこでは無いんだ。


『不憫さが、今回で、可愛らしいに転嫁した』


《まぁ》

「それは、その、娶るのでしたら」

『私に、彼女が扱えるのだろうか』


《それは》

『貴族としては、あまりに彼女は生き辛い筈だ。なら、寧ろ庶民として生きる事の手助けを、すべきじゃないだろうか』


 泣かれて初めて、良さが分かった。

 天真爛漫さ、純真無垢さは彼女の美点。


 だが間違い無く、貴族の中で生きれば失われていく事。

 字が読めない以外は、寧ろ彼女は器用だ。


 常に朗らかで前向きで。

 向上心が有り、常に自身を補おうとしている。


 貴族としての伸びしろは有るかも知れない。

 だが、それが本当に彼女の為になるのか。


《何事を見定めるにしても、先ずは、お話し合いかと》


『あぁ』




 私は、数日頂いたのに、未来の旦那様への怯えを捨て切れませんでした。


「申し訳御座いません」


『君は、その程度で侍女になろうと思っていたのか』


「えっ」

《旦那様》

『いずれ侍女となれば、幾ら平穏であろうとも、必ず貴族の家には諍いが起こる。その時、君は主人を守らず、怯えたままで居る気か』


 もしかして私を、鼓舞してらっしゃる。


「いいえ」

『暴力に慣れろとは言わない、けれども恐怖には立ち向かうべきでは無いのか』


「はい」

『幾らでも協力する、私は何をすれば良い』


 私が立ち向かうべき、恐怖。


「何故、予定調和の大捕物なのに、暴力を振るわれたのですか」


『以前からの悪行に、思わず手が出てしまった』


「そこまでの、悪行を」

『君に話さなければならない事が沢山有る、ただ、聞く覚悟は有るかどうかだ』


「はい」


 私は理不尽に暴力が振るわれたのではと、そんな疑念が取り払えず、どうしても怖くなってしまったのです。

 ですがもし、ご事情が有り、相応の事なのだと納得出来たら。


 きっと。




『先ずは、君の出自についてだ』

「そこから」


『あぁ』


 彼女は妾の子だ。

 しかも今、正妻として過ごしている女の子供。


 男爵が酔い潰され、その時に出来た子、だが直ぐに別れる事が出来無かった。

 あの女は子供を殺し、屋敷に塗り付けると脅した。


 そして男爵は出産直後に、正妻の子供と入れ替え。

 妻を産褥死を偽装し、逃がした。


 貴族の妻の座に満足すれば、子には手を出さ無いだろう、と。


 だが、君を虐げ始めた。

 幸いにも暴力は無く、気性も穏やか。


 けれど君に字が読めないと分かり、違う道を選ばせた。


「それで、侍女に」

『字が読めぬ庶民でも、安定して稼げる。いや、寧ろ貴族には都合が良いんだ』


 重要な書類を盗み見られる事には、殊更に気を使う。

 だが、そもそも読めなければ心配が減り、そして有能ならば終身雇用ともなり得る。


「だからお父様は、ずっと、見守ってて下さったのですね」


『君は、貴族では無い事は』

「全く期にしてはおりません、それこそ庶民の子、妾の子だと言われて育ちましたし。凄いですお父様は、流石です」


『だが、君と私は』

「はい、今までありがとうございました、お手続きはどうなるのでしょう?あ、出立は、家に帰れるのでしょうか」


『君は、あの家に帰るつもりなのか』

「はい、もしかすればお母様は気付いていて、敢えて厳しくして下さったのかも知れませんし。妹も弟もお父様も心配ですから」


 当然ながら、全く私に気が無い。

 しかも、ココまでの事を聞きながらも、彼女は。




『君は、妹の名でココに居るんだ』


 それは。

 そうなると、お母様は、気付いてらっしゃらなかった?


 なら妹は。


「あ、では妹が困る事に」

『君が望むなら、どちらの生き方も選べる』


「では私は庶民で、妹には貴族として」

『私は、出来るなら、君に』


 読み書きの出来無い私に。

 一体、何をお望みなのでしょうか。


 あ、もしかして。


「もしかして私を」

『あぁ』


「私を雇って下さるんですね!」


 あ、違うのですね。

 なら、一体、何を望まれてらっしゃるのか。


『もう少しだけ、婚約者のままで居て欲しい』


 それでは皆が困る筈なんですが。

 いえ、それは私に庶民の知恵しか無いから分からない事で、きっと何か案が有っての事なのかも知れません。


「はい、私でお役に立てるのであれば、是非」




 真の天真爛漫さ、純真無垢さとは。

 ココまで、難しいモノとは思いもしませんでした。


『セバスチャン、どうしたら良い』

「私にもサッパリで御座います」


『はぁ、我が乳母よ、どうすれば』

《元々、察しろとは、かくも傲慢な行い。神々に祈る際、誰が察しろ、などと願いましょうか》


『つまり、話し合え、と』

《はい》


 貴族には、幾つもの暗黙の了解が御座います。

 ただ、純真無垢さは稀有、それはつまり守るべきモノでも有るのです。


「ココまで礼儀作法のしっかりなされた方で、且つ貴族の空気を読める庶民が、如何程に居ますでしょうか」

《大概は学んでしまいますから、かなりの希少性が有りますね》


『分かっている、分かってはいるんだ、だが』


「彼女を守り抜くかどうか、です」

《それとも、私達では宛にならない、と》

『いや、だが』


「守るか委ねるか、全てはお覚悟次第かと」


『もう少しだけ、時間をくれ』


 こうして、見守る事になったのですが。

 全く、良く耳にする色恋沙汰は、全くお手本にはなりませんでした。

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