第6話
『やはり、君は正妻の子だった、そうだ』
全ては、書類上の事。
常に完璧では無く、当然、不備も稀に存在する。
そして証拠は、今ならまだ、誰もが望む方向へと向かう事が出来る。
「有り難い事なのですが、とても、困りますね」
『君には、実は他に、3人の兄弟姉妹が居る』
「あ、そうなのですね」
『正妻の方は生きており、子にも恵まれた』
「あ、では、あー、あの方は」
『アレは最初から、乱心した妾、単なる赤の他人だ』
「では、籍が」
『伯爵家が協力し、即時無効化されていた』
「あ、では本当に、赤の他人なのですね」
『あぁ、だがそうなると、君の本来の立場がとんでも無い事になる』
「アレですね、無戸籍、でしょうか」
『あぁ、だが予め余白は残されていた、君を妾の子として認知するかどうかだ』
「お父様、さぞご苦労なさったのでしょう」
『本当に、君は優しいな』
「家族は、皆こうでは?」
『まぁ、そうなんだが』
「あ、ではやはり私は、妾の子で」
『君は、いや、どうしても貴族は嫌か』
「嫌も何も、私に手を掛けるより、最低でも読み書きが出来る者をより良く育てるべきかと。得手不得手、向き不向きが有りますので、私にはあまりにも貴族が向かないだけなのです」
あぁ、ココで全てを開示しても。
きっと彼女は貴族にはなろうとはしてくれないだろう。
このままでは、無闇に彼女に傷を増やし、その純真無垢を曇らせる事になる。
それは、誰も望まぬ事。
『分かった、では、君を妾の子として処理させよう』
「はい、ありがとうございます」
手放したくない。
どうすれば良い。
どうすれば、彼女を手放さずに済むんだ。
「あ、私、お父様に謝らないと」
お父様は、憎んでもおかしくない女の子供の世話をして下さった。
そして侍女と言う道を示して下さった。
しかも、認知すらしたくも無いだろうに。
私は、甘えてしまう事になる。
『いつでも、会える様に手配はしてある、それこそ兄弟姉妹にも』
「ココに、いらっしゃっているのですか?」
『君は、あの家に、戻れる』
「それは、侍女として、でしょうか」
『君の好きな立場で、戻れる』
私は、どうするべきなのでしょうか。
正妻の方は生きており、兄弟姉妹も。
「あ、妹は」
『残念だが、心身を病み廃嫡となった』
「そんな」
『真に貴族であるなら、清濁を併せ吞み、例えどうなろうとも貴族らしい振る舞いを忘れてはならない。彼女は、君に甘えていたのだろう、若さも有るが彼女は弱かったんだ』
あの子ですら、貴族としては帝国に認められないだろう、だからこその処置なのでしょう。
なら、私は。
「もし、許されるなら、侍女として家族を支えたいのですが。それは、本当に許されるのでしょうか」
『私も付き添う、構わないだろうか』
貴族の中でも、高位に位置する方。
きっと、正しい処断をして下さる筈。
「はい、宜しくお願い致します」
そうして彼女との旅が始まった。
もうコレが、最後かも知れない。
『刺繡の利益は勿論、君はウチでも良く働いてくれていた、好きに買い物をしてくれて構わないよ』
「私、全部、欲しいのですが」
『なら私が選別しよう、糸は全て欲しいのか?』
「あのですね、コチラの糸なんですけど、熟成された色合いで。あ、実は糸も熟成されるのですよ」
《お宅の侍女は実に良い目をお持ちでらっしゃる。どうでしょう、見比べてみて下さい、コレが寝かせる前の糸です》
確かに、彼女の目は確かだった。
質感、色合い共に見比べると、明らかに違いが有る。
『同じ糸、染色方法なのか』
《はい、毎年、出来るだけ同じ様にしておりますが。正絹ともなると、寝かせておくだけで、こうも風合いが格段に増すのです》
「あ、私、染色はした事が無いのですが。こう、お弟子さんを取られたりとかは」
《お嬢さんなら、いつでも》
『いや、実は彼女には少し事情が』
「そうなんです、私、読み書きが不得手で」
《何を心配する事が有るのでしょう、こうした仕事は寧ろ目と経験。読み書きなんて他に任せれば良いんです、染め物師は目が命、それと好きかどうかです》
「大好きです」
もしかすれば、父親が外に出したがらなかったのは、こうした事を危惧しての事だったのかも知れない。
彼女は直ぐにも独立し、庶民としても十分に生きられる。
いや、だからこそ閉じ込めていたのか。
親の愛だったのか。
《どうでしょう、彼女を》
『少し待ってくれないか、こう、色々と』
「私、1度実家に帰る途中なのです」
《そうでしたか、では取り敢えずは証文をお書き致しますので、いつでもご持参下さい》
「中身を、お願い出来ますか?」
『あぁ、分かった』
私は、彼女の幸せを願うべきだ。
好ましいと思うなら、我を通してはならない。
私は貴族なのだから。
「本当に、申し訳御座いませんでした」
私の生みの母親のせいで、ご家庭を1つ乱してしまった。
母は、爵位に執着していたらしく、だからこその強行だったのではと。
その母ともお会いしたかったのですが。
もう既に、心身を病んでしまった、と。
そして妹も。
私には罰や償いについて正しく考える事は出来無い、考える知識が無い。
でも、だからこそ、病んでしまった者の代わりに。
私はココで。
『本当に謝らなければならないのは、寧ろ、私なんだ』
「いえ、全ては生みの母のせい。私をココまで育てて下さって、本当に感謝しております」
『いや、今なら分かる、あの時に』
「いえ、まだ見ぬ私の為にお気遣い下さっての事、本当に」
『いや、私は』
『もう彼女は、外でも生活が出来ていた筈です、何故手元に置かれていたのですか』
「それは、私が不出来で」
『娘可愛さだったと、信じて頂く事は難しいかも知れませんが。私は、酷く憶病なのです』
伯爵家に奉公に出す事も考えました。
ですが、当時の伯爵家には、似た年の次男様が居られた。
間違いが起こる事は無いでしょう。
ですが、もし、誰かに見初められてしまったら。
もし、万が一、この家の事が他に漏れてしまったら。
そう臆し、ココに置くしか無い。
そう考えた憶病者なのです。
「本当にごめんなさい」
『いや、お前は何も悪く無いんだ、何も』
『そうですね、元は悪巧みをした者、手を貸した者が悪いんです。アナタ方は単に巻き込まれただけ、貴族として出来るだけの事をし、波風を立てない様にしていただけ』
『ですが』
『万が一にも見初められては、母子に嫉妬され邪魔されていた可能性が有る。そして他家の者に見初められてしまったなら、こうした問題はより大きくなっていたでしょう』
「ごめんなさい、本当に手間の掛かる子で」
『良いんだ、お前は良くやってくれた、良いんだ』
「でも」
貴族とは血だけでは無い。
「まさか、こんなに良い子に育つとは、私も思っていなかったのです」
《お母様》
「じゃあ、僕の事も、そう思っていたの?」
「いいえ、アナタは私が育てた子。けれど、貴族とは血だけでも教育だけでも無い、あらゆる事を含んでの事。その事は頭では分かっていた、理解していたつもりだった、この子に会い真に理解するまでは」
「本当に、申し訳」
「もし侍女として働きたいのなら、時には貴族の言葉を鵜呑みにしなくてはならない」
「はい」
「アナタは私の子、少し生まれる場所を間違えただけ、アナタを妾の子には絶対に致しません」
「ですが」
「あの子が廃嫡となっては家に傷が付きます、ですが、妾と妾の子が心を乱したとてさして家に傷は付きません。勝手に心を乱し、勝手に身を持ち崩した。褒められた事では有りませんが、それは良くある事、侍女として生きるならそう考えなさい」
「はい」
この子を手元で育てられたら、きっと更に楽しい家になっていたでしょう。
天真爛漫ながらも性根が良く、純真無垢さを保てて。
いえ、きっとこの子は何処でも生きられる。
けれど、だからこそ、夫は名残惜しかった。
この淀んだ家に、唯一の清さが無ければ耐えられなかった。
アナタの苦悩も罪も、私が受け止めます。
今まで、ずっと守って頂いたのですから。
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