第3話
残念な事に、彼女は珍しく字を認識出来無い者だった。
《ですが、数字には非常に強い方、お屋敷では帳簿を一部任されていたようです》
『そうか』
《それと刺繍ですが、確かにかなりの腕でらっしゃいますし、お裁縫もお上手です》
『成程』
《それだけでは有りません、やはり掃除や洗濯、料理もさせらていました》
『そうか』
《まだ有ります》
『まだ有るのか』
《何と、家の修繕も出来るのです》
『家の、修繕』
「はい、私が確認致しましたが、確かに何も知らないご令嬢では御座いませんでした」
《壁塗りは本当に綺麗でした、並みの職人より上手でしかも早い》
「はい、職人が褒めておりました。ご令嬢で無ければ、是非にも弟子に迎え入れたい、と」
『それで、出入り業者の男と、か』
「はい、そう捏造したのかと」
《ですが関わりは問題は有りませんでした、適切な距離を取り、礼儀作法も問題有りませんでしたよ》
『はぁ』
帝国の傘下に入る折り。
貴族の大掃除をと、その1つに、使用人からの申し出の有った家を任されたんだが。
こうも、絶妙な令嬢に当たるものだろうか。
《悩まれるのも分かりますが、私は取り込むべきかと》
「ですが、旦那様の好みも御座いますし。こうして才も有るご令嬢なのですから、他にも」
『待て待て、侍女の方はどうなった』
「はい、実は……」
今はウチの侍女達の良い遊び道具となっているらしく。
近々、私を巻き込むものの、良い成果を上げられるらしい。
『私を巻き込むのは決定事項か』
「はい、いずれ粉を掛けに来るか、ご令嬢を嵌めるだろう。だそうで」
《あら、それは楽しみですね、もしかすれば間者にも使えますし》
『アレが使い物に』
《道具に文句を言ってはいけません、出来るかどうかでは無く、するのです》
「ですな、はい」
この家庭教師こそ、いずれ融合する事になる帝国出身の。
私の乳母であり、ココの侍女長。
『分かった、だが力を貸してはくれないだろうか。なんせ、まだまだ若輩者なんだ』
《仕方が無いですね、少しだけ、ですよ》
旦那様はお父様と同じく、お仕事がお忙しい方らしく。
約5日ぶりに、お会いする事に。
初めて、お夕飯をご一緒に取らせて頂いております。
「お久し振りで御座います、お加減は如何ですか?」
『あぁ、問題無い』
「それは良かった、あ、コレ美味しいですね」
『そうか』
あ、貴族の方はお食事中にお話はなさらないのでしょうか。
でしたら以降は、黙ってお食事をすべきですよね。
それにしても、本当に美味しい。
初めて食べました、丸のままのお肉の入ったパイ。
甘いパイしか知らなかったので、パイとお肉がこんなに合うなんて。
どうやって作るのでしょう。
解して良く調べたいんですけど、それは下品だし。
あ、厨房へ。
でも私は、まだ婚約者なだけですし。
なら、後で侍女の方に、お伺い出来るか尋ねてみるしか無いのですが。
婚約が正式に決まるまで、あまりココの家の方と接するべきでは無い。
そうウチの侍女に言われていますし。
どうしましょう。
文字が読めない、調べる事が出来無いって、こんなに不便だったなんて。
やっぱり、私は実家で甘やかされていたのですね。
私が出来る事をさせて頂いていた。
あぁ、元気かしら。
「あの」
『何だろうか』
「あ、いえ、失礼致しました」
お食事中なのに私。
『話してくれて構わない、その為に一緒に夕食を取っているのだから』
「では、このお料理のお名前と、それと作り方をお教え頂けませんか?」
「お嬢様」
『そこまで気に入ってくれたのか』
「はい、それと家族に手紙を出したいのですが、どの様にすれば」
「ご許可を頂けたなら、私が代筆致しますよ」
「あ、そうなのね、ありがとう」
『では料理名と作り方、それと手紙の手配を』
「はい、畏まりました」
コレで1つ、私の出来る事が増えるのね。
『いっそ泣いてしまいたいんだが』
《坊ちゃま、この程度で泣かれますか》
「このお手紙の事もそうですが、不憫で堪らないのですよ」
『あぁ、不憫過ぎて抱ける気がしない』
案の定、例の侍女は代筆のフリをし、成果を報告しておりました。
悪評を流し、かなり落胆させられた、周囲とも排除の算段が有る。
ついては幾ばくかの褒賞を、と。
《では、侍女の事に戻りますが、褒賞をどう受け取るのか。ですね》
『大方、ココへ送らせるのだろう』
「でしょうな」
ウチの侍女達からの情報ですが。
何もしない時間が酷く苦手だそうで、しきりに刺繍をなさるか、ココの家事炊事についてお聞きになるか。
まるで捨てられぬ様に必死に働く子供の様で、例の侍女諸共、厳しい処分を求めている。
その事も、旦那様の感想に繋がってらっしゃるのでしょう。
《意気消沈なさるなら、先ずは出来る事をお探し下さい、彼女の為にも》
『あぁ、そうだな』
「そろそろ仕上がるそうですので、接触を増やされて頂く事になるかと」
『はぁ、排除の為には、致し方無いか』
「はい」
旦那様にお時間が出来たらしく。
やたらと能天気女と関わる様になった。
アレだけ言ったのに。
いや、寧ろ、だからこそなのかも。
侍女に粉を掛けているし、この能天気なら浮気なんて気にしないか、そもそも気付かない。
そう、やっぱり男って大した違いって無いのね。
適当な正妻と愛人。
なら、私も少しは粉を掛けたって大丈夫よね。
「お嬢様、そろそろ刺繍入りのハンカチをお渡ししては」
「あ、でも」
『受け取らせて貰えるだろうか』
「その、気に入って頂ける色柄が有るか」
「きっと、お嬢様がお選びになった品なら、気に入って下さるかと」
『あぁ』
「あ、はい。では、少々お待ち下さい」
さぁ、コレで2人きり。
どうしようかしら。
「あの、お話が、有るのですが」
『どの事だろうか』
「先日、とある侍女に櫛を見せて頂いたのですが」
『ほう』
「私も、何でもいたしますので、頂く事は出来ませんでしょうか」
櫛。
何の事か。
あぁ、コレが撒き餌か。
『何でも、か』
「はい、それに私も清い身ですし。もし、万が一にもお嬢様にご不満が有れば、私で発散して頂ければと」
性根が悪過ぎる者を抱く趣味は無いんだが。
凄いなこの女は。
全く悪事がバレているとも気付かず、主人の婚約者に誘いを掛けるとは。
コレでは元仕えていた場所が、如何に劣悪な場所だったのかを示すも同然だと言うのに。
さぁ、コレをどうする。
私の寝室で裸で待たせるか。
いや、それよりもっと。
そうか、それで櫛か。
『君の事は、前向きに考えておこう』
「ありがとうございます、出過ぎた真似を致しました、どうかご容赦を」
あぁ、早く帰って来てくれ。
「お待たせして申し訳御座いません」
『いや、それだけ選びぬいてくれたんだろう』
「はい、ですが自信が無いので、幾つか持って来てしまいました」
腕前をお知りになりたがっていたので、女性用ですが最近の力作と、ご令嬢に人気だったシンプルな男性用。
それと私の趣味を前面に散りばめた刺繍に、最近流行りだと聞いた縁取りの有る。
『コレは、どの位掛ったんだろうか』
「あ、コレはココへ来てから、昨日仕上がったばかりです、はい」
旦那様が手に取られたのは、私の趣味にまみれた趣味。
全面にパターン模様を刺繍し、隙間には私の好きな花を入れ、縁取りも施した力作。
好きなだけ刺繍糸が使えるので出来た事、なんですよね。
『そうか』
あぁ、あまりの稚拙さに戸惑ってらっしゃるのでしょうか。
それともやはり、時間が掛かり過ぎているのでしょうか。
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